張学良をやや深読みして日中関係を語ってみる

毛沢東の率いる中国共産党の打倒に王手をかけていた国民党の蒋介石を誘拐し、国共合作を約束させ中国人が一挙団結して抗日を目指すようになった西安事件は、その後の中国の運命にも日本の運命にも大きな影響を与えたできごととして記憶されている。しかし、事情が複雑すぎるためそれを簡潔に、或いは要点だけを絞って語るのは案外に難しい。当該事件の本質にかかわると思える点について少し述べ、そこから導き出せる現代史の一側面に切り込んでみたい。

事の本質は張学良氏が生き永らえたという一点に絞ることができるだろう。張学良は楊虎城と共謀して蒋介石の誘拐を決心したが、決心する過程においては中国共産党とも密に連絡を取り合い、周恩来の全面的なコミットメントがあったことも知られている。張学良が共産党のエージェントであったと指摘する人もいるが、それは事件が起きるまでに張学良・楊虎城サイドが周恩来と信頼関係を築くことに相当な努力を積み重ねたらしいからである。この三人が何を語り合い、どの程度の合意に達し、いかほどに信頼しあっていたかは不明だと言えるが、事件の前に何度も会っていることは確かなのだ。更に言うと、蒋介石が国共合作の決心を固めたのは監禁されているときに周恩来との会談をしてからのことのように見受けられるので、張学良よりも実は周恩来が事件の黒幕だったのではないかとすら勘繰る人もいるわけである。今となっては誰が黒幕だったのかというのはあまり大きな問題ではない。仮に張学良が全て自発的に企てていたとしても、或いは周恩来が黒幕であったにしても、起きた結果は同じなので、今さらそれを変えることはできない。ただ、そのあたりについて考えることを通じ、未来志向的に物事を見ることができるかどうかの思考実験をやってみたいのだ。

そしてその本質は、繰り返すが張学良が生き延びたという一点に絞り込むことができるのである。蒋介石が国共合作の決心を固めた後、張学良は中国人としての愛国心に突き動かされ、内戦の拡大を予防するためにも蒋介石とともに西安から南京へと移動し、南京で逮捕され軍法会議にかけられたというのが時間軸的な流れなのだが、楊虎城は蒋介石の解放には慎重であり、様々な保証を求めるべきだとして張学良と対立した。張学良と楊虎城はどちらも事件後に監禁される運命をたどるのだが、楊の方は1949年に国民党の特務機関によって家族とともに惨殺された一方で、張学良は台湾で半世紀にわたって監禁され、最晩年はゆるされてハワイで過ごした。

何が両者の運命を分けたのだろうか。張学良は蒋介石とは以前から盟友関係にあり、事件を起こした動機も愛国的民族主義的な近代的理想的中国人の心情によるものであり、蒋介石に対しても誠実であろうと務めたために命だけは助けられたと見ることはできるかも知れない。それはある程度、本当なのだろうと思う。事件が起きる前、張学良は蒋介石に次ぐ地位にあったし、蒋介石は台湾で時々張学良を訪問して語り合っていたらしいので、二人には人間関係が構築されていた。このような張学良神話に触れると、おくびょうな楊虎城は私利私欲がどうしても出てしまってぎりぎりのところで蒋介石にゆるされず殺されたかのような印象が残ってしまうのである。

楊虎城は1949年まで生きていたのだが、国民党が台湾に去る際に行きがけの駄賃みたいに殺害されたようにも見える。蒋介石と周恩来の間で合意されていたことが、1949年には破綻し、それまで命を保障されていた楊虎城の保護条件が失われたために殺されたと見ることもできるだろう。一方で張学良は最後まで命の保障条件が生きていたために生き延びたのかも知れない。だとすれば全てのシナリオを描いたのは周恩来だったと想像することもできる。

張学良は現代中国では英雄である。彼が張作霖から受け継いだあらゆる遺産と権利をかなぐり捨て、西安事件を起こし、その後の監禁生活に甘んじたことは、結果として中国を日本の侵略から救ったとして歴史の教科書に載るくらい立派な人物ということになっている。もちろん、それは嘘ではない。ただ、楊虎城と張学良の運命の違いは何だったのだろうかと多くの人には疑問に残るはずである。蒋介石と周恩来は何を話し合ったのだろうか。

以上のような疑問を提起はしたが、解決する術はない。張学良もこの点は特に秘匿し誰にも話さなかった。張学良を知る人は多いが、上の疑問に答えられる人物はいない。おそらく張学良本当に誰にも話さなかったのだろう。話が上手な人で、客好きで学問もある人だったと言われているが、彼は核心に関わる話題は慎重に避けたようだ。NHKのインタビューでもインタビューする側がそのあたりで非常に苦労したことは後の著作で述べられているし、中国人の大学教授が張学良にインタビューしたものも読んだことがあるが、事件以外の思い出話に終始していて、当時の中国の様子を知ると言う意味では面白い内容だったが、事件の核心を知りたい人にとっては全く役に立たない内容だった。

しかし、そのように情報が限られているからこそ、張学良が無私の人で、愛国心だけに突き動かされて西安事件を起こしたとする神話には磨きがかかり、多くの中国人の尊敬を集めるに至っているのである。晩年の張学良は多くの人の訪問を受けていて、台北に友人は多かったようだが、そのような厚遇を受けたのも張学良愛国神話が生きていたからではなかったかと思える。私は張学良氏をdisるつもりはないので、張学良氏本人の人間的な魅力も多いに彼を助けたに違いないということは付け加えておきたい。彼が西安事件を起こした背景の全てを知ることは不可能だが、動機の一つとしては張作霖の後継者として奉天軍閥の長として認識されるより、より近代的な愛国的行動者として記憶されたいというものがあったはずだ。愛国的行動はモダンでファッション性があったのだ。張作霖は日本の歴史で言えば斎藤道三のような実力主義的戦国大名みたいな感じだが、張学良はそれよりも織田信長のような見識のある、かつ繰り返しになるがファッション性のある存在になりたかったのではないだろうか。それについて私には悪い意見はない。愛国主義的行動にファッション性があると認識できただけでも、彼はモダンな中国人だったと言うことができるし、それを実践したのだから、氏の行動力も抜群である。

さて、このようにみていくと、日中関係史を考える上で極めて重要な点、そして日本ではあまり語られていない点が浮かび上がってくる。中国は1840年のアヘン戦争からその後100年にわたり列強の侵略を受けて弱体化した。多くの日本人が、世界の強国が中国を侵略したにもかかわらず、なぜ日本人だけ永遠に憎まれ続けるのかよく分からないと首をかしげるのは、このような歴史的展開があったからだ。だが、1840年ごろの中国と1940年ごろの中国では全く違うことが一つだけある。1840年ごろ、中国の支配者は満州人であったため、中国愛というものはあまり重要ではなかった。清朝は朝廷を守るという発想法のもとに外交をしたかも知れないが、中国を守るという発想はなかった。一方で1940年ごろの中国は愛国に目覚めた人々が増加していた。文化革命では愛国無罪という言葉多用されたらしいのだが、愛国主義がさほど大きな説得力を持つようになったのは1920年代から40年代にかけてのことである。もうちょっと言うと、第一次世界大戦後の世界は中国に対する不侵略で合意し、9か国条約によって中国の領土保全などが決められた。列強はそれ以上の侵略には二の足を踏むようになった。一方で日本は第一次世界大戦で戦勝国と認められ、ようやく列強の仲間入りを果たしたところである。対象が中国であれシベリアであれ国際法によって拡大に制限がかけられることには不満があった。袁世凱政府に対し日本は対華21か条の要求というものをして世界中からドン引きされてしまったが、そのような動きの背景には第一次世界大戦後の新しい国際秩序の存在があったのである。日本は新世界秩序の抜け穴を探そうとし、列強は新世界秩序に馴染もうとしない日本を警戒するようになった。中国人の目からすると、愛国主義が盛り上がる中、日本だけが中国侵略をいつまでもやり続けようとする最大の敵に見えるようになったのだと言ってもいいだろう。

従って、中国にとって、反日・抗日は中国の近代的愛国主義にとっては最大のテーゼであり、現代中国を語る上では国民党であれ共産党であれ、愛国主義とその絶対的な敵としての日本を語らないことは不可能なのだと言えるだろう。

このような事情について日本人が同意するか同意しないかは別の問題なのだから、異論を唱えることは自由だ。しかし、事情を知らなければ異論を唱えることもできないどころか永遠に解けない疑問の前に立ち尽くすしかなくなってしまうのである。

以上のようなわけで、その愛国主義の最大の功労者が蒋介石に国共合作を決心させた張学良ということになっている。そしてこの愛国主義は今も生きている。昨今の香港での出来事は、共産党サイドからすれば愛国主義的統合が絶対的な正義だと信じるが故に、妥協なく香港の中国化を推し進める動機になっているわけだし、実は多くの香港人も愛国主義を主張されるとたじろいでしまうのだ。そのような中国的ナショナリズムに対抗しようとすると、台湾で以前よく見られたように「我々は中国人ではない」と主張しなくてはならなくなる。自分が中国人だと認めれば愛国主義と民族主義の理想から北京政府との統合・統一に異を唱えることができなくなってしまうからだ。

以上のようなことを知っておくと昨今の中国事情とか香港事情とか台湾事情もより見えやすくなると思うので、ご参考にしていただきたい。




香港理工大学の陥落と香港人権法

香港理工大学に学生たちが立てこもり、それを警察部隊が包囲殲滅したことは記憶に新しい。細部が分からないため、安易な独断は避けたいが、一部報道では実弾が使用されていたとも言われているし、逮捕された学生たちがその後どうなっているのか定かではないということも気がかりでならない。香港理工大学の学生たちからの情報発信が極端に少なく、オンラインで探しても彼らの直接のメッセージが見つからないので、不可解ではあるが情報が限定的になってしまい、もどかしい思いをした。一部では相当数の命が失われたのではないかとの不安をかきたてる内容のものがインターネットで出回ってはいるが、一方で辛くも脱出した学生たちの姿もあったようなので、助かった人がいるということは大変にいいことなのだが、全体像が見えないのでもどかしい。最後まで残った少数の学生たちが降伏する様子はyoutubeでみることができた。一時は千人にも上る学生たちが立てこもっていたにもかかわらず、降伏した学生の数が極端に少ないように見えたが、そこもはっきりとしたことは分からないのである。

香港理工大学が「戦場」になり、事実上の包囲戦が行われたことは世界中に知れ渡り、多くの人が不安や恐怖を感じたはずである。そのような中、アメリカではマルコルビオと確かもう一人の協力者の二人の上院議員が提出した香港人権法が通過した。香港の一国二制度を揺るがせにした場合は相応しいペナルティを与えるとする内容のもので、中国側は激しく反発しているらしい。アメリカの中華圏へのコミットメントを考えてみた場合、台湾に対しては長年、台湾関連法によって武力行使を名言する形で厚い支持を与えていたと言えるが、香港の場合は中英が同意した一国二制度があるため、やや距離をとった傍観のようなところがあり、台湾に対する態度と香港に対する態度には温度差があった。また、香港人権法も、ペナルティを与える程度のことであって、武力行使などは全く選択肢に入っておらず、コミットメントの意思・度合い、ともに台湾に対するそれと比べればやはりやや低いと言えるだろう。ただ、私がオンラインでマルコルビオの演説の動画を見たところ、中国語の熱い感謝のコメントが多くみられ、香港のことで心を痛めている多くの人が、マルコルビオたちの今回の行動に支えられているということが分かったような気がする。

香港の一連の騒動は、双方関ヶ原のつもりで臨んでいることは間違いないのだが、互いに出口戦略らしきものが見当たらず、予断を許さない。このまま旧正月までもつれ込めば、北京政府が最終的な問題解決を選ぶことも決して非現実的な想像ではない(慎重に言葉を選んだつもりです。ご了解いただきたい)。一方、香港経済は明らかな落ち込みを見せており、1パーセントあまりのマイナス成長と言われているが、実際にはそのようなものではすまないだろう。主たる産業である観光は壊滅状態で、回復するのに10年20年かかるだろう。というか、回復しないかもしれない。金融はシンガポールへ脱出しているらしい。一般消費は当然目も当てられないことになっていると推量できる。今後彼らはどうするのだろうか…と心配になるし、同情を禁じ得ない。香港ほどおもしろい土地はそうは存在しないと私は思っている。とても素敵で美しく、食事がおいしい素晴らしい都市なのだ。東洋の真珠は守られなければならない。

香港の騒乱について、私なりの考えがまとまったので、備忘のために書いておきます

11月に入り、香港の事態は予断を許さぬ、はっきり言えば楽観的な結末を想像しにくい事態に陥っている。

香港市民側の死者が出たこと。自殺か他殺か分からない死者が急増していること、香港理工大学では戦争と形容したほうがより適切と思える包囲戦が行われ、果たしてどの程度の犠牲者が出たのか、測りがたい事態に立ち至っており、それでもデモの鎮静化の様子はないことなど、いずれにせよ、市民側がひくことはなさそうに見える。

一方で、北京政府が引くこともなさそうだ。当初、行政長官の辞職や問題の発端になった送中法案の撤回などで、北京政府は妥協して事態を収めることを考えていたことは間違いないように見える。だが、香港市民の要求が更に大きなものになり、特に普通選挙の実施で両者は全く相容れることができなくなってしまい、最近は北京政府側も考えを改め、場合によっては強制的鎮圧を現実的な選択肢として考えているように見えるのだ。なぜそう見えるのかというと、私は新唐人テレビ、アメリカの声中国語版など、西側プロパガンダ系中国語メディアを見て情報収集をしているのだが、その映像を見る限り、警察側の行動に遠慮がなくなっていることが見て取れるし、個々の隊員は香港市民のデモに対して怒りを感じているように見受けられる。つまり、警察側は暴力的に市民を制圧することにためらいはないのである。当然、より上層部からの示唆なり指示があってのことと推察することができる。

香港は東洋の真珠とも呼ばれた世界の憧れの都市である。文明的でおしゃれで民度の高い香港市民が、たとえば第二の天門事件のようなことが発生してその犠牲になることは、想像するだけでも忍び難い。そのようなことは発生してほしくない、なんとか避けてほしい。しかし、事態はどうもそこまで進まなければ収まる様子はないようだし、市民、警察の双方がそこまで行ってもいいと腹をくくっているように見えてならないのだ。

最近、香港の人民解放軍の兵士たちがマスメディアの前に登場することがあった。彼らは路上のバリケードを片付けるというわりとあっさりとした任務を終えて去っていったのだが、世界に与えたインパクトは重大なものがある。北京政府には香港の人民解放軍を動員することもできるのだということを無言で示したのだ。どうなっているかは分からないが、広州、深圳あたりに戦車が集合するようなことにでもなれば、武力による鎮圧が現実的な日程にのぼってきたということができるだろう。もちろん、戦車が集合しているかどうかを確認する術はないので、全ては事が終わってからわかることになるだろう。

複数のメディアが一日に何度も香港からライブ放送しているのは、一つにはアクセスを稼げるということもあるだろうが、ライブ放送することで秘密裏に処分されることを避けようとする意図があるのではないかとも思える。カメラがオンになっている前で、戦車が遠慮なく進むというのはやりにくいに違いない。だが、このようなことまで話として出てくるということは、事態がそれだけ切迫しているということだ。これほど歴史が緊迫することは、あまりない。私個人も最近は情報収集に忙しく、疲労困憊した。

今後、香港はどうなるのだろうか?普通選挙が実施されるようになれば、やがては世論を背景にした独立政府が目指されるだろう。もちろん、北京政府は認めないだろうから、事態は泥沼化する。最悪の場合、香港はシリアのような混乱状態が常態化することも考えられる。東洋の真珠は守られなければならない。