鎌倉の牛かつ

江ノ島電鉄鎌倉駅を降りてすぐのところに、牛かつのお店がある。

その名の通り牛をさくさくに揚げたお料理を出してくれるお店で、食べ方は普通の豚カツと同じだ。ただ、牛らしい味の濃さというかコクというか、クセみたいなものもあって、好きな人にはたまらないおいしい揚げ物料理になっている。豚カツの場合、甘味があってもちろん素晴らしいのだが、牛のようにややクセの強いお肉の揚げ物も、とてもおいしい。私は羊もOKなタイプなので、牛のクセは大歓迎であり、肉の味をもろに感じるカツというスタイルでも大喜びである。お店で大喜びしている動きは見せなかったが、あるいは表情で見破られたかも知れない。写真を見ていただければ分かるが、揚げ方は非常にあっさりとしたレアで、豚のように完全に火を通す必要のないことの強みを生かし、表面サクっと、やや下はジューシーに、その更に下は生肉の食感という風に一口でいろいろな味が楽しめるのも魅力のうちだ。ごはんとお味噌汁がおかわり自由なのは言うまでもないだろう。

値段は決して安いといえるものではなかったが、高くはない。このお店の近くの銀のすずのアップルパイのセットよりも安いので、良心的だとすら言えるかも知れない。

なんとなくお店の中を見渡したり、説明書きみたいなものを読んでいると、このお店はもともと京都のお店だということが分かってきた。京都に本店があって、敢えて東京の食通の集まる首都圏の観光地鎌倉に勝負をかけてきたのだろうか。

牛を食べるのだから、近代に入ってから発達した食文化だということになるが、横浜で牛鍋が生まれたように、新しい文化は新しく発展した土地で花開きやすい。京都のような古都で、牛の文化って発達するのかな?と一瞬思ってしまいそうだが、京都は明治に入っておおいに発展し、戦後に入って停滞したと言えるのではなかろうか。京都市内を散策すると、古典的近代と呼ぶべきレトロチックなレンガ造りのインフラ設備とか、教会とか、明治風の建物がたくさんあることに気づく。近代以前の建築物は案外あまり残っておらず、明治風建築の海の中で時折、ポツリポツリと近代以前の建物があるという感じだ。最近は戦後風の建物も立ててほしいという京都市民の要望が強いために、だんだん現代的な建物が増えて、京都は京都らしさを急速に失っていった。今は50年前や100年前に比べると、京都らしさと呼べるようなものは何も残ってはいないのではないだろうか。私が歩いてもそう思うのだから、長年京都をウオッチしている人にはそのような感傷はより強いものになっているのではないかと思える。

まあ、いずれにせよ、そういうわけで、近代以前にある程度の資本の蓄積が進んだであろう京都で近代的発展があるのは自然なことだと言えば自然なことで、ちょっとお隣の大阪は大正から昭和にかけて東洋屈指のモダン都市としてその発展を享受したのだから、京都もその余波を受けていても不思議ではないというか、その方が自然なのだ。そんなことを考えながら、ふーむ、京都の牛カツかあといろいろ思いを巡らせれば私は鎌倉の小さなお店のカウンターに座りながら日本の150年の近代史を遡ることができて、楽しみは倍増するのである。

よくよく考えてみると、Dandelion chocolateというカフェも京都から鎌倉へきている。京都はなかなかにモダンな都市だ。京都を侮ってはならない。鎌倉のことを書いているのに京都のことばかりになってしまった。鎌倉については今後もいろいろ紹介しますので、鎌倉市民の方がお読みになられたら、何卒ご容赦・ご理解を。

ビーガン的な生活に憧れてはいるのだが、まだまだな…



長後の焼き餃子

小田急江ノ島線の長後駅を降りて東口の方から外に出ると、すぐ近くに古久家がある。

老舗の中華料理で、昔は神級にチャーハンがおいしかったのだが、その神様が引退したので、伝説のチャーハンは食べられなくなってしまった。しかし、それでも藤沢市内で最高レベルの中華料理を出してくれるお店であることに違いはなく、神奈川県内でもトップランキングに入るのではないかと思えるほどの味を出してくれるすばらしいお店である。神奈川県には中華街もあるため、中華料理でランク入りするのは至難の業のように思えるかも知れないが、中華街は案外、おいしくないお店も多い。最近は和食のお店ができたり、バーとか増えて中華街らしさが崩壊しつつあるため、ますます中華料理のレベルには期待できなくなりつつあって、実際、最近、屋台の中華まんを食べた時は二度と食べないと誓うレベルになっていた。従って、たとえ中華街のある神奈川県内であろうとも、素晴らしい中華料理屋さんが中華街以上においしいということはあり得る。それが古久家であると言っていいだろう。藤沢市内にチェーン店を持っていて、いわゆるローカルチェーンになっており、世田谷の代一元みたいになっているのだけれど、果たして藤沢市内に何軒あるかはよく分からない。長後駅前の店舗が本店だろうなとは思うのだが、それも、そうじゃないかなという程度の当て推量である。おいしいかどうかが問題なのであって、資本関係はどうでもよく、このお店はおいしいのだから、それでよいのである。

で、このお店で一番人気なのは焼き餃子だ。パリッとしていてジュワーっとしている、日本人が好むあの餃子の味である。中までしっかり熱が通っているため、どこぞのチェーンのように中の方がやや冷めているとか、そういうことはない。少なくとも今まではなかった。餃子は本来、お米と一緒には食べなくていいようにできている。そもそも北京のようなお米の育たない寒冷地域の食べ物で、お米はなくとも小麦を使って餃子の皮を作り、肉を巻いて食べるのだから、餃子さえ食べていれば、肉も炭水化物も問題なく摂取できるようになっている。餃子の餡の部分に野菜をしっかり刻んで入れておけば、野菜も採れるのだから、中華料理らしい完璧なお料理が餃子というわけだ。そのため、本来ならライスを注文する必要はないし、古久家の餃子はかなり本格的で真面目にライスはいらないのだが、餃子が安いので、餃子だけ頼むというのはお店の人に申し訳ない。そのため、ライスも頼んで一度の食事にしている。ライスを頼むとスープをくれるので、これがありがたい。チャーハンを頼んでもスープが出てくるのだが、スープ大好きな私としては実にありがたいのである。

古久家のチャーハンとライス




日本橋高島屋特別食堂の帝国ホテル仔牛のカツレツ

仕事の関係で、日本橋へ行った時のことである。日本橋の高島屋は昭和初期に建設された店舗が今も現役で活躍中であり、入っただけでも時代を感じることができてなかなか楽しいのだが、日本橋高島屋のプレミア感をぐっと挙げているのが特別食堂の存在である。この特別食堂では帝国ホテルと同じ料理がやや割安で食事できることで知られていて、他にも一流レストランの料理も楽しめるらしいのだが、とりあえずは帝国ホテルの味を堪能したいので、私は迷わず帝国ホテルのお料理を注文した。一生で二度と来ることはないだろうから、後悔のないように、しっかりと帝国ホテルの味を記憶しておきたかったのである。この短い文章で何度帝国ホテルという単語が出て来たか分からないが、それだけ私は希求しているのだろう。

で、あんまり高いものを頼むわけにもいかないし、まさかコーヒーだけというわけにもいかない。特別食堂では豪華な受付ルームがあり、そこで名前をつげてしばらく待って順番がくると名前を呼んでもらえて中に入ることができる。待合室は豪華な劇場みたいなところで、順番で名前を呼ばれるのはまるで病院であり、受けられるサービスは確かに一流ホテルのそれで、給仕していたいだサービスには、全く不満が残らない、感動的な素晴らしいものだった。

そういうわけなので、それらインフラとサービスに敬意を表すためには、ちゃんとお料理を頼まなくてはいけない。コースとかにする必要はなくても、やはりディッシュを頼まなくては申し訳ない。そうして私はやや安い仔牛のカツレツを頼んだのである。もちろん安くないが、他のメニューに比べればやや安かった。味は素晴らしいものだった。カツレツなのだから、揚げた直後のサクサク感が命なのだが、存分にサクサクである。中身はジュワッとなので、ワクジュワなわけなのである。

どこも人材を絞る時代なので、必要が生じた際、給仕の方に「すみません」と声をかけるのも一苦労な昨今だが、ここではヨーロッパよろしくテーブルの担当者の人がいて、さっと目配せしただけで私が何をほっしているのか察してくれる高い洞察力が発揮されており、おいしいお茶もおかわりし放題だ。もちろん、あんまりおかわりするとおかしいので、常識の範囲内でしかおかわりしなかったが、相当に高級な日本茶が給されたのであった。

ありがとう高島屋。ありがとう特別食堂。私はいつか、一度でいいから帝国ホテルでの宿泊を経験してみせるとの決意を固め、特別食堂を後にし、その日の日本橋での仕事にエネルギーを注いだのだった。



関連動画‐北大路魯山人の美食エッセイ朗読音源

渋谷の北海道スープカレー

北海道は何を食べてもおいしい奇跡の土地である。日本各地においしいところはある。だが、しかし、北海道のように新天地でおいしいものがどんどん生まれてきたという力強いロマンのあるところは、他にない。北海道こそ日本の近代史の本質を物語る運命を背負ってきた土地であるとすら言えるだろう。

北海道の歴史と言えば、アイヌの人々だ。一万石扱いで北海道全体の管理・開墾・交易を扱ってきた松前藩は、アイヌの人々を奴隷的労働状態に追い込み、縄張りを奪うなどして利権を拡大したとされる。正式な「アイヌ史」のようなものは勉強したことがないので、私の知識ではこの程度のことしか言えないのだが、日本が植民地を拡大していた時代、台湾の原住民に対して、或いは満州地方の漢民族に対して似たようなことはなされてきたと言ってしまってもさほど間違ってはいないだろう。なし崩し的に領有していったという手法に着目すれば、沖縄で行わたこととも通底すると言えるだろう。

台湾では霧社事件のような身の毛もよだつ反乱暴動が起き、その鎮圧も苛烈であったとされているが、北海道でそのようなできごとは聞いたことがない。アイヌと和人の抗争ということになれば、平安時代のアテルイあたりまでさかのぼらなければならないのではないだろうか。そのようなわけで、アイヌの人々の平和を愛する様子は尋常ならざるほど徹底しているのかも知れない。ああ、アイヌの人とお話がしてみたい。アイヌ資料館が八重洲と札幌にあるはずで、いずれは八重洲のアイヌ資料館にも足を運ぶ所存だが、最終的には札幌のアイヌ資料館に日参してようやく見えてくるものがあるのではないかとも思える。二週間くらい時間をとり、最初の一週間は図書室でひたすら資料を読み込み、二週目はできればアイヌ語の基本くらいは勉強してみたい。教えてくれる先生がいるかどうかは分からないので、飽くまでもそういう空想を持っているというだけなのだが。

いずれにせよ、その北海道はとにかく食事がおいしいのである。海の幸も陸の幸も本州のそれとは段違いに味が濃い。かつて北海道のホッケは食用には向かないと言われたが、今では日本人の主たる食材の一つだ。ホッケは実に美味なのだが、そのホッケですら食材の人気ランク外になるほど、北海道の味は充実しているのである。しかもサッポロビール園があって、対抗するようにアサヒビール園がある。私はもうそのようなビール飲み放題的なところへはいかないが、北海道の食のアミューズメントがいかに充実しているかを議論するための材料として言及してみた。

さて、スープカレーだ。北海道はサッポロビールがおいしく、函館・札幌・旭川のラーメンは伝説的なおいしさで、当然魚もうまいのだが、そこに被せるようにスープカレーもうまいのだ。私は函館に一週間ほど旅行したことがあるのでよく知っている。どうして普通の地方都市にこんなにおいしいものが次々と普通に売り出されているのかと、北海道の底力に驚愕したのである。その北海道のスープカレーが渋谷で食べられると知り、私は小躍りした。ヒカリエのすぐ近くにそのスープカレー屋さんはあった。イカスミ風味もあったのだが、まずはプレーンで頼んでみた。十二分に辛い、たっぷりのスパイスが食欲を刺激するし、スープなので、ごくごくいけてしまう。奇跡の味である。北海道へのリスペクトとともに、ここに書き残しておきたい。尚、この時は人におごってもらったので、おごってくれた人に感謝である。

精神科医の樺沢紫苑氏が、北海道のスープカレーを流行させたのは自分であると豪語する音声ファイルを聞いたことがあるが、本当なのだろうか…今も確信を持てずにいる。



ランドマークプラザの新感覚ラーメン店AFURI

先日、エコールドパリの展覧会を見るために横浜美術館へ行った際、ランドマークプラザで昼食をとろうと思い立ち寄った。横浜でも最もおしゃれで楽しい集客力のあるエリアであるため、いろいろなお店が入っているのだが、以前から気になっていたラーメン店であるAFURIに入ってみることにした。そして、このお店が新感覚のラーメン店であるということに気づいた。

どのように新感覚なのかというと、まずはフレンチカフェバーかと目を疑いたくなるような白を基調とした明るい店内が挙げられる。ラーメン店といえば普通はやや薄暗く、いい意味でぎとぎと感があり、その雰囲気が客を誘うというようなものだが、このAFURIはそれを拒否しているということが私にはよく分かった。新感覚の何かを消費者に提供しようとしているし、お店としては、それが理解できる人にだけ来てほしいという思いもあるのだろうし、今後はそうお客が増えるという確信も持っているに違いないとすら私には思えた。メニューには、ビーガン向けのラーメンもあり、私は食べなかったので、上手に想像することができないのだが、ビーガン向けのラーメンが現実問題として可能なのだろうかという大きな疑問が生まれてくるとともに、自信を持ってメニューに載せている以上、それは実現したのだろうし、そのことについて私は驚嘆した。私もいずれはビーガンになりたいと最近思い始めているので、これは重要な要素なのだ。何年かかけてビーガンになると思う。とてもすぐには無理ではあるが。

厨房には女性のスタッフが目立った。ラーメン店は通常、男の世界だ。体育会系のちょっとこわもてなお兄さんが元気よく声を出してラーメンを作ってくれるのがラーメン店の醍醐味みたいなところがあって、客はお兄さんの指示に全面的に従うという、ややマゾ的要素が強いのがラーメン店である。個人的な信念としては、成功する人間にはある程度マゾ的要素が必要だと思っているので、ここで述べていることは誉め言葉なのだが、AFURIはそこからも脱却しようとしている。カフェレストランみたいな感覚で、ビーガンも安心して入れる新感覚のラーメン店を彼らは目指しているのだ。

さて、おいしいかどうかは重要な問題なのだが、ちょっとぬるかった…そして、やや麺が伸びていた…。ラーメンを食べに入って、ラーメンがぬるくて麺が伸びている時の心理的ショックはかなりのものだ。厨房であたふたしている様子が見て取れたので、もしかするとたまたま私のラーメンだけそうだったのであって、他のお客さんのラーメンはそうではないのかも知れない。ならば偶然なので、仕方がないが、もしいつもそうなのだとすれば、改善できるポイントなのではないかと思う。いずれにせよ、これからの新感覚ラーメン店なのだから、見守りたい。



代々木の学金ラーメン

学金ラーメン店は気づいたときには既に存在していたので、相当な歴史のあるラーメンのお店なのだと勝手に解釈している。ただ、以前はなんか名前が違ったような気もするが、或いは考え過ぎで、最初から学金ラーメンだったのかも知れない。私の頭の中では、当初「九州ラーメン大学」みたいな名前だったのが、いつの間にか、学金ラーメンになったように思えるのだが、人間の記憶なので頼りにならない。無意識のうちに記憶は編集されてしまう。

いずれにせよ、私がこのラーメン店に入るのは実に数年ぶりのことなのだが、とても混んでいて人気のほどがよく分かった。なぜかくも人気があるのかと問えば、それは兎にも角にも美味しいからで、九州ラーメンの豚骨味は東京ラーメンを圧倒し、日本全国を席捲しているようにすら見える。

九州ラーメンなのだから、言うまでもなく麺は細麺であり、細麺である以上、麺の硬さは普通よりも硬めが理想であると言える。もちろんバリカタ、ハリガネを注文する猛者もいるが、短時間でささっと食べ終えるのが原則だとすれば、スープを吸って柔らかくなるのを待つ時間が長すぎるのもまたあまりよろしくないのではないかという気がする。従って、麺の硬さはやや硬い状態で注文する、「硬め」がやはり理想なのだと個人的には考えている。

さて、今回は「らーめん」を注文したのだが、お店の券売機には一番売りたい商品として「学金ラーメン」が大きく前面に押し出されていた。やや高いが、具の豊富さに私は圧倒されそうになった。とはいえ、麺とスープを楽しむのがメインであるのだから、具の多さに誘惑される理由はないと私は思い定め、決心し、お値段的にお得な「らーめん」にしたのであり、決してお金がないとか、貧しいとか、けちったとか、そのようなことではないのである。繰り返すが、決してそのようなことではない。

いずれにせよ、長年代々木の一番いい場所で営業している学金ラーメンは称賛と尊敬に値するのだから、今回、訪問した記念にこのブログでも称賛と敬意を表したい。



立って食べるお寿司をあなどってはいけない話

私の知る限り、都内には立ってお寿司を食べるお店二軒ある。このお店に共通しているのは、人通りの多い、競争の激しい、維持費のかかる場所で営業されているということだ。

前にもこのブログで書いたことがあるけれど、お寿司は難しい。客の立場としても難しいし、お店を出す側としても難しいだろう。ちょっと寂れたところのカウンターのお寿司より、断然人通りの多い回転ずしの方がおいしい。やはりいかなるサービスも何かに安住してしまって進化を止めてしまうと魅力をなくしてしまうものなのかも知れない。地方の寂れたお寿司屋さんだと、常連のお客さんが飲みに来ることで稼いでいるので、肝心のお寿司は明後日の方向になってしまっていて、一見の客がうっかり入ってみようものなら、トラウマ的にがっかりすることになる。地方とは限らない。都内や横浜でも、安住してしまっているところはがっかりな場合が結構ある。お店の看板とか店構えとか、そういうのを見るとそのあたりもだいたい分かる。

それはそうとして、立って食べるお寿司の場合、個々の客が場所を取らない。無駄に長居しないので客の回転がいい。結果、より安い値段でよりよいお寿司が提供できるというモデルになるらしく、私の知る二軒の立って食べるお寿司屋さんはどちらもとてもおいしい。

一軒は品川駅構内の立って食べるお寿司屋さんで、ここは通勤とか仕事中とかで立ち寄る人を当て込んでいるため、結構みんな味にはうるさい。居酒屋だったらごまかせるところが、昼間に来るのでそうもいかない。ネタはみずみずしく、シャリも硬すぎず柔らかすぎず、ちょうどよいのである。要するにおいしい。ちなみにここではしめは葉ワサビだ。

もう一軒は渋谷にあって、やはり商業の激戦区なのだから、当然のごとくレベルを維持している。近くには有名チェーンのお寿司屋さんもひしめき合うのだが、こちらの立って食べるお寿司屋さんは客一人あたりのスペースが少なくていいことと、みんな長居しないので回転が良くなるため、小さな店舗で充分に営業できているらしいように見受けられる。ただ、働いている人がころころ変わるので、内実はちょっと厳しいのかも知れないが、お寿司を食べてがっかりしたことは一度もない。しめに赤エビを食べて頭をあぶってもらってお味噌汁にしてもらえるのは人生で何度も味わえるわけではない至福の時間になるのである。

渋谷の立って食べるお寿司屋さんで出していただいた、赤エビの頭の炙ったのを入れたお味噌汁。香ばしくてすばらしい。

お寿司屋さんに行って卵焼きを注文すれば、お店のレベルが分かるというある種の都市伝説がある。お寿司屋さんの板前さんは、この都市伝説に従って、まずは卵焼きを注文する客をひどく嫌うらしい。卵焼きはテリー伊藤の実家みたいな仕出し屋さんに頼めばいいわけだからお店で焼いているとは限らず、というか明らかに自分のところで焼いていない感じのお店も多いため、卵焼きでお店の味のレベルを測るというのはそもそも無理があるように思える。卵焼きが好きなら別にいいが、そうでなければ敢えて注文する必要なく、好きなものを頼んで食べればいいのではないかという気がする。好きなものを頼んでおいしくなかったら正々堂々と出て行けばよいのだ。個人的にはお寿司はネタももちろん大切だが、相当程度にシャリによって決まってくるのではないかと思う。硬すぎず柔らかすぎず、お酢の加減やシャリの切り加減など。これを細かに言い出すときりがないようにも思えるし、毎日大量にお寿司を握る板前さんの立場からすれば、そこまで考え抜いていられるかともお考えになられるかも知れない。当然オーバーワークにならない範囲で。ということにはなるが、いずれにせよシャリを食べれば一口で全部分かってしまうのである。

新鮮なネタを客にも見えるように透明なガラスの冷蔵庫に入れて保存し、必要に応じて取り出して握るというスタイルは、冷蔵技術なくしては考えられない。従ってお寿司は近代的な食品であり、伝統的食文化などという人をみると全然わかっていないのだなという気にもなる。とはいえ、お米もネタも思いっきりお酢につけて長持ちさせるという手法は江戸でも大阪でも行われていたし、どうもこれに関しては大阪が発祥とも言われているようだ。そういうのは伝統的食文化と言えるはずなので、大阪のバッテラとか、奈良の柿の葉寿司みたいなのがその範疇に入るのかも知れない。





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鎌倉のDandelion Chocolate

江ノ島電鉄鎌倉駅を降りて小町通の方へ行く地下道の手前にDande Lion Chocolate鎌倉店がある。今まで一度も入ったことがなかったのだが、せっかくブログもしているのだし、時間もあるし、通りかかったのだからと考え、思い切って入ってみた。お店の構えはとてもオシャレでやや気圧されてしまうし、ちょっと階段を上がらなければお店に入れないし、反対方向の駅の自転車置き場みたいなところから人が出てくるので、やや敷居が高く、お店に入るにはちょっとした決心が必要だ。

このお店は入ってみて正解だった。第一にそんなに高くない。いろいろスイーツを頼めば高くつくかも知れないが、ちょっとした時間潰しで看板商品らしきホットチョコレートを飲むだけなら、慌てなくても大丈夫だ。ホットチョコレートの容器もオシャレで眺めているだけで楽しい感じのものだ。一階にグッズも売っていて、テイクアウトでもイートインでも一階のレジで支払いをする。お店の経営方針なのだと思うが、店員さんは美男美女だ。私の前にレジに立っていた二人組の女性は、イケメンの店員さんの接客を受けてややハイテンションになっていた。私がレジにたどり着いたときには、接客してくれる人もかわいい女性店員さんにバトンタッチされていて、その徹底ぶりに感心してしまった。

二階に階段であがって向こう側にJR鎌倉駅が見える席に座った。カフェの席から駅が見えるのはけっこう楽しい。鎌倉駅をこんな風な角度から見たのは初めてだった。

カフェでもレストランでも、雰囲気・接客・お料理がほどよく快適なものでないとテンションは下がる。この3つが揃えば少々高くてもいい経験になるのだが、揃わない場合はお値段で妥協してほしいとつい思ってしまう。たとえば前回鎌倉に行った時に入ったカフェはとてもおいしかったが接客がひどかったのでトラウマレベルの経験になった。で、今回のDande Lion Chocolateはどうかというと、雰囲気・接客が素敵で、ホットチョコレートは余分な甘みがなくてとてもおいしかった。特に冬の寒い日に飲むのは最高だ。マシュマロがサービスになっていて、自分でとるのだが、苦みのあるホットチョコレートを飲んで小さなマシュマロを食べるのも悪くない。甘いのが好きな人も納得できる、苦みのあるおいしいホットチョコレートだった。鎌倉でお勧めのカフェと自信を持って言うことができるが、さっき公式HPを見てみたところ、どうも京都が発祥の地のようだ。京都はレストラン・カフェ方面で侮るべからざる底力を持っている。大学生が多く、彼ら・彼女たちによってレベルが維持されているのだろうか。『タレーランの事件簿』でも、そういった京都の良さが上手に描かれていて、さぞかし京都の大学生は幸福だろうなと思ったが、京都でいろいろなものを追求したカフェやレストランがあっても違和感がない。重厚な京都のカフェが鎌倉にも出店しているのがDande Lion chocolateなのだろう。京都を歩くのが好きな人が鎌倉を歩くのが好きな可能性は高いので、戦略としては正しいはずだ。

入ったのは午後6時過ぎの客足が多くても不思議ではない時間帯だったし、午後8時で閉店なので、この時間帯に稼がなくてはいけないはずなのだがガラガラだった。京都の本店が大いに成功しているので、その余力で鎌倉店が運営されていて利益は二の次なのかも知れない。伊豆や箱根に利益はどうでも良さそうな感じの博物館や美術館がたくさんあるが、そういう感覚でオープンされてお店なのだろうか。




横浜の荒井屋の万国橋店の牛鍋ランチ

近代的日本料理の一つに牛鍋・すき焼きが挙げられる。牛鍋とすき焼きの厳密な違いについては問わない。というのも、すき焼きをあんまり食べたことがないので違いをよく知らないのだ。多分、牛鍋はあくまで鍋だが、すき焼きはあくまで焼き物という違いなのではなかろうか。いずれにせよ、日本人が牛肉を食べるようになったのは幕末になって横浜が開港し、西洋人が牛肉を食べるのを見てマネするようになったのが始まりだと言っていい。日本帝国のオーナーだった元勲たちが明治天皇に牛を食させ、おいしいと言ったと新聞に書かせたというエピソードも残っている。明治天皇はこの他にアンパンも食べておいしいと発言したことになっているが、今回はパンについては踏み込まない。

徳川慶喜京都で政権を担っていた時期、横浜から豚肉を運ばせて楽しんでいたとするエピソードもあるため、おそらくは日本人は本当に豚や牛を食べなかったのだろう。将軍ですら横浜から運ばせなければ豚肉すら手に入らなかったのだから。

で、荒井屋なのだが明治創業とのことで、幕末よりも一世代後の時代の開業らしいから、やや文明開化♪的なものからは時代的にずれる。とはいえ老舗であることに違いなく、実際に牛鍋のランチを食べたらおいしかった。やっぱり昼食時は忙しいのか、牛鍋はやや冷めていたが、お店の人の感じがよかったので、敢えて問うまいと私は思ったのだった。東京・横浜を歩いておもしろいのは日本近代と関連するものが時には荒井屋のように今にも続く形で存続しているものに触れられることだろう。関西の場合は、京都・奈良・大阪のトライアングルにより秀吉以前のおもしろいものがたくさんあるのとは雰囲気を異にする。九州など、更に一歩遠くへ行けばそれぞれの土地の大名家の話がおもしろいのだが、横浜は天領だったので、大名家の話は特にない。とはいえ、荒井屋のようなお店があるのが、横浜の魅力の一つであることは間違いない。




関連動画 北大路魯山人の美食エッセイの朗読

小田原でお猿さんに会ってきた

先日、天気が良かったので小田原へ行ってきた。当初の目的は小田原城の見学だったが、小田原城まで行ってみたものの、なんとなく気が向かなかったので天守閣には入らなかった。大人520円くらいしたのだが、多分、500円ほどの価値があるとはちょっと思えなかったのだ。ただ、天守閣から相模湾がよく見えるだろうと思ったので、後で海岸まで歩いたので、それは記事の後半で少しだけ触れることにする。

小田原城の天守閣

江戸から駿河辺りまでの地域は徳川直轄の天領だったため、西日本や東北地方のような大大名の存在感はあまりないが、その中で小田原藩は10万石を有するなかなかの大大名だった(時代によって増減するし、藩主も変わるため、10万石はざっとした目安と思っていただきたい)。日本に浪漫主義を普及させるパイオニア的な存在だった北村透谷は小田原藩士の息子だったが、透谷のような、やや破滅的な人生を歩んだ人物が文学史に名を残せる程度に活躍できた理由としては、彼の生地と東京との地理的な近さが関係するのではないかと私には思えた。たとえば太宰治のような東北人や川端康成のような関西人が中央で活躍するには、やはり東京帝国大学に入学するとか、どこぞの官吏になるとかなどの修業を積んで世の中に認められるプロセスに入ろうとするが、実家が東京に近い透谷の場合は自由民権運動に啓発されて大いに暴れて資金的に苦しくなれば、一旦実家に引っ込むと言う手段を選ぶことが可能だったため、必ずしもがり勉しなくてもよかった。で、女学校の英語の先生になって、奥さんがいるのに女学生に入れ込んでしまい、最後は樋口一葉が遊びに来てくれなかったことを苦にして自ら命を絶ったとも言われている。やや中二病なのだが、それもまた透谷の魅力と思ってあげれば彼に対する愛情も増すと言うものである。実際、日本型近代を社会・市民の生活の面から解き明かしたいと願う人にとって、透谷は非常に魅力的な研究材料なのだ。島崎藤村が透谷に影響され、立派な浪漫主義的創作を手掛けるようになった。

小田原の北村透谷の碑。藤村の手書きとのこと。

山形有朋のような元老が小田原に居を構えたのも、静かで風光明媚でありながら、東京へのアクセスが良いという抜群の立地だったからだ。小田急は維新のニューエリートが暮らす小田原・箱根と東京をつなぐ目的で建設が進められたと言っても良い。歴史のある民間鉄道だが、国策鉄道であったため、小田急の蓄積は大きい。

さて、小田原といえば後北条氏であり、北条早雲とか北条氏政のような戦国の大大名ということになるのだが、後北条氏はやはり地方政権の色の強いものだった。武田信玄上杉謙信の侵攻をゆるさなかったという点で特筆されるべきではあるが、飽くまでも京の中央政治から見れば、地方政治によくある事件の一つに過ぎない。小田原が中央政治とかかわりを持つのは秀吉の小田原侵攻によってである。当時の秀吉は既に豊臣姓と関白職を得ており、家康からも臣下の礼をとられていたため、怖いもの知らずに上り詰めていて、天下統一したも同然だったが、小田原城の陥落によってそれが完成されるという節目としての要素があった。小田原以東・以北の戦国大名たちは京都の中央政治に対するリアリティの認識がやや欠けており、秀吉の勢力拡張も様子見を決め込んでいたようなのだが、上杉謙信をして徒労のうちに越後へと帰らせた天下の名城である小田原城がいよいよ陥落するということになって、認識を改めた。秀吉が覇者であり、自分たちの存続は秀吉にかかっているというものだ。小田原には仙台の伊達氏、山形の最上氏も秀吉の陣営に参じている。小田原攻城戦では、秀吉と家康のつれしょんエピソードのほか利休の弟子の山上宗二が秀吉に惨殺されたというエピソードもあり、小田原城内の人物が特にこれといった活躍をしていないにもかかわらず、秀吉を題材にした創作物では小田原は好んで使われる舞台だと言える。秀吉は小田原城主が切腹すればそれ以外の者は全員命を助けるとの条件を出した。信長が死んだときに秀吉が攻めていた備中高松城と同じ条件である。城内の主と家臣の利益を相反させるという点に於いて高度な心理作戦であり、秀吉の人間性がいかにクズかがよく分かるのだが、高松城ではそれでも飢えと戦いながら持ちこたえようとしていたのだから、秀吉よりも高松城の人々の方がよほど称賛されるべきではないかと思える。小田原城は100日の籠城でいわゆる小田原評定によって無為に日を重ねたが、早雲以来百年の名城であるにも関わらずややあっけない。もはや時代は秀吉と誰もが観念していたのだろう。

江戸時代に入れば小田原藩が成立し、東海道の小田原宿も整備され、街道沿いの宿場町兼城下町というわけなので大いににぎわったに違いない。小田原城の敷地内にはお猿さんの檻があっただけでなく、立派な樹木も多く、紅葉の季節には美しい植物も見られた。庭に散在する余裕のある大名家が存在してこそ、このような文化的遺産が残されたのだ。

小田原城内の紅葉
小田原城内の美しい紅葉

小田原と言えば蒲鉾である。小田原駅前の鈴廣の売店で試食した蒲鉾のオーガニック感は半端なく味が濃くて申し分なかった。というか感動的だった。蒲鉾ストリートみたいなところもあって、食べ歩きできるのだが、そこで買った揚げたてのさつま揚げも驚異的なおいしさだった。もはやコンビニのおでんのさつま揚げは無理だ。さつま揚げは九州料理だと思い込んでいた私は、認識を改めなくてはならない。海鮮に恵まれた城下町の小田原は練り物王国でもあったのだ。小田原おそるべしなのである。海岸も美しかった。いつもは鎌倉江ノ島あたりから相模湾を小田原方面に向かって海を見ているのだが、今回は反対だったまた違った雰囲気があって楽しかった。大きな発見はこの辺りの海岸では丸い石がたくさん積み重なっていると言うことだった。
小田原の海岸

小田原のさつま揚げ
小田原で食べた揚げたてのさつま揚げ