台湾映画『あの頃、君を追いかけた/那些年,我們一起追的女孩』の駆け抜ける青春

台湾映画の最近のものとしては日本でも話題になりましたし、台湾でも大変にヒットした映画です。台湾の中西部にある彰化という都市を舞台にした物語で、原作者の九把刀の自伝的作品ということで知られています。ただただ、ごくごく、普通の青春映画なのですが、この映画がヒットした背景には台湾の人口ボーナスがあるかも知れないとも思います。

中華圏では急激な少子化が進んでいますが、台湾も同様で、今の30代後半より上の世代が多いのに対し、現在の大学生や高校生は非常に少なく、早いペースで人口減少社会に入っていく、或いはすでに入っていると言えます。この映画では90年代の高校生から大学生までの世代を描いていますので、台湾のベビーブーマー世代が自分の青春を投影するのに適した感じになっているように思えます。

内容的にはひたすら青春男女の物語で、特別に取り上げなくてはならないような事象は存在しません。どうぞ、青春。よろしく、青春。ありがとう、青春です。

彰化の中高一貫私立を卒業して、仲間たちのあるものは台北の大学に進み、あるものは留学をこころざし、あるものは台南の大学へ行き、とそれぞれバラバラになります。台北だけに偏らないところは結構いいと思います。ただ、実家を離れて台北に進学して就職した人たちがたくさんいますので、そういう人たちはうまく自分を投影できるだろうと思います。

主人公の男性がやたら裸になりますので、そういう観点から楽しさを感じる人もいるかも知れません。多分、作る側もある程度はそれを狙っているようにも感じられます。

主人公の男性は同級生のヒロインを好きになり、ほとんど両想いなのですが、行き違いでうまくいきません(いろいろなことはありますが、大体他の台湾の青春映画とほとんど同じようなことが繰り返されている感じと思います)。やがてヒロインは全然関係ない男性と結婚し、そこに同級生が集まるという結末になります。

主人公の男性は確かにヒロインの恋人になることはできませんでしたが、真実に愛するのであれば、そこで嫉妬するのではなく、彼女の結婚を心から祝福すべきだという結論で終わります。まことに美しいことで結構と思います。

この映画は、仲間とのじゃれあい、曖昧ではっきりしない青春特有のもやもやが主題ですが、やがてみんな大人になり、それぞれの道を歩むという意味では、人生を扱っているとも言えます。韓国映画の『チング』をあそこまで深刻に描かなかったらこの映画みたいになると思います。

主人公の男性のナレーションが若干甘ったれた感じになってますが、この世代は日本で言えば、いわゆる新人類みたいな感じの世代になりますので、その雰囲気に合っているのかも知れません。



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いかにも「青春」していて、青春だけを描いた、いい映画です。いい意味できらきら感があります。

主人公の男性は、ある日突然恋人に振られます。呆然自失、何故、こんなことになったのか分からない。自我崩壊でほとんど寝たきりみたいになった彼は新たな人生を見つけるために印刷屋さんで働きます。印刷した商品の配達先には予備校があります。印刷した模擬試験の用紙を配達するのです。

予備校でアルバイトしている女の子と出会います。何気ない会話を繰り返します。互いに好きになってもいいけれど、彼はまだ前の彼女のことを忘れることができない、友達以上、恋人未満な関係が続きます。

恋愛ものですが、ただただキラキラしていて、いやらしいものがありません。奥ゆかしいデートとかもありません。ファミリーマートの近くに座り込んで話し合ったり、バイト中に言葉を交わしたり、とてもかわいい感じの友達以上恋人未満です。

アルバイト。将来は未定。安価な感じの服だけどおしゃれ。若さだけで生きている。そういう青春の雰囲気が詰まっていて、いい気分で観ることができる映画です。

台北市内の撮り方も私はいいと思います。台湾映画では台北を「ハイセンスで大人のきらびやかな大都会」風に撮ろうとする作品が多いです。『GF,BF(女朋友。男朋友)』、『失魂』、『海角七号』などの映画ではそういう位置づけになっているように思います。ですが、実際の台北を見てみると、そういう印象はあまり受けません。どちらかと言えば重苦しくて、いろいろ雑な感じで、良くも悪くも汚れた感じがします。

この映画ではそれをそのまま撮影しています。私は個人的にはそういう撮り方の方が台湾人の青春を描くのには相応しいのではないかなあという気がします。雑な街であるからこそ、若い人がとにかくがんばって、まだ自分の人生がどんなものか分からないけど、とにかく歩いて働いて勉強して、いろいろ試してみる。そういう雰囲気を感じることができるような気がします。日本で言えば、六本木や銀座だけで東京を表現されると「ちょっと違うなあ」と思うような感じではないかと思います。下北沢や下高井戸三軒茶屋あたりの少しくたっとした感じも東京です。そんな印象をこの映画からは受けることができました。

個人的な見解ですが、ヒロイン役の簡嫚書さんがかわいいです。驚くほどかわいいです。そういう人が重苦しい台北でがんばって歩いているのが大変栄えるのではないかなあという気もします。

アルバイト、失恋、安い感じだけどおしゃれな服、予備校、紙ヒコーキと「青春」を想起させる記号に満ちています。ただ、「ああ、青春だなあ」と思って観られる映画です。人の嫌な部分を敢えて描かないことで清潔感のある清涼剤みたいな映画になっています。

主人公の働いている印刷屋さんのおじさんがいい味を出しています。台湾語でいろいろ面白そうなことを言っているのですが、北京語しかできないので何を言っているかは分かりません。捨て猫を拾うやさしいおばさんも出てきます。「青春期」と呼ばれる比較的短い時間を過ごした後に、そういったおじさんやおばさん、つまり大人になっていくということを暗示しているように思います。そういうのも、更に青春の希少さのようなものを観客にメッセージとして送っているように思いますので、中年になってから観ると更にぐっと来ます。

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台湾映画『GF,BF(女朋友。男朋友)』の政治と青春

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この映画には三人の男女が登場します。一人はお金持ちの息子で顔がいいです。もう一人は普通です。もう一人はかわいくて勝ち気な女性です。

高校生の時、三人は親友です。時代は1980年代。戒厳令が解かれていない時代です。言論や表現の自由がなく、学生たちは自費で政治的メッセージを書いた雑誌を発行しますが、そういうことは厳しくしかられます。学生たちは一方で政治に関心がありますが、もう一方で恋愛に関心があります。男2人に女性1人ですから、実に曖昧な何とも言えない微妙な関係です。彼女はお金持ちの顔のいい息子と付き合います。残った普通の男性は置いていかれた感を拭えませんが、それでも3人の友情は続きます。女性の役は桂綸鎂がしています。個人的には台湾の女優さんではこの人が一番美人だと思います。個人的な見解です。

大学に入ったころ、台湾はいよいよ本格的に民主化していきます。学生たちが中正記念堂に集まり、議会の解散を求める座り込みのデモをします。日本の学生運動と同じく、ある種のトレンドみたいなものだったと思いますから、3人とも当然のように参加します。政治的な主張はともかく、やはり大学生は青春の時代です。恋愛も大切です。お金持ちの息子は桂綸鎂と付き合いながら、学生運動で知り合った他の女性とも付き合います。二股です。残された普通の男性はやはり置いていかれている感じです。ただ、桂綸鎂はこっちの普通の男性のことも好きみたいです。「なんなんだあんた」と思わなくもありませんが、金持ちの息子の方も二股していて、それでもつきあっていて、友情も続いていて、この辺りはちょっと理解できないと思わなくもありません。

やがて3人は大人になり、社会人になります。90年代後半で、台湾経済がいよいよ本格的に発展し始めたと言っていい時期と思います。都会的で、発展した台北が描かれます。台湾映画では台北を「都会」という記号で表現することが多いですが、都会を描くのは難しいと私はよく思います。都会はだいたい同じだからです。映画で「都会」をテーマにしようとすると、高級なレストランとか、びしっとおしゃれなスーツを着ている人とか、夜のお店でお酒を飲んで騒いでいる場面とか、そういうのが登場します。そういうのは見飽きてしまってどうでもいいです。そんなの描いておもしろいのかなあと個人的には疑問に思います。ただ、台湾映画では「大都会台北」は重要な要素なので、そういうのはよく出てきます(同じ意味で、田舎も素朴な農村とか雄大な自然とか見飽きていますので、もうちょっとひねらなくてはおもしろいと思えません。『失魂』は素朴なはずの田舎の老人が実はめちゃめちゃ恐かったので新鮮に思いました)。

お金持ちの息子は結婚して子どももいますが桂綸鎂とは不倫関係を続けています。かなりただれた感じで「なぜ俺はこんなただれたものを観ているのか」という疑問すら湧いてきましたが、一応、最後まで見ないといけません。桂綸鎂はお金持ちの男の子どもを妊娠します。しかも双子です。どうしようか、となりますが、お金持ちの息子は一緒に外国へ行こうと提案します。しかし、本気で今の家庭と生活を捨てるつもりはありません。そに気づいた桂綸鎂はもう一人の男性と一緒になり、男性は生まれて来た子どもを自分の子どもだという気持ちで育てます。うーん、なんかよくわからんけどこの男は偉い!と思える映画でした。

映像はフィルム感があっていいです。最近は大体デジタルです。デジタルはきれいですから、悪いとは全然思いませんが、フィルム感があるのもまたいいものだなあと思います。台湾ニューシネマの雰囲気を感じることができます。

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台湾映画では「青春」を重視します。おそらく、台湾経済がようやく本格的に発展し、社会自体が青春期を迎えているからではないかと思います。この映画も大学生の青春、要するに好きとか好きじゃないとか、ちょっと好きとか、あんまりとかそういうことをダラッと描いている映画です。台湾人の好みに合っている、台湾研究の一環として観るという意味では価値のある映画と思います。

ただ、おもはゆいというか、観ている方が恥ずかしくなるというか、微妙な距離感が延々続くので、その点でエネルギーを使います。エネルギーを使わせる映画ということは、いい映画だと言い換えてもいいかも知れません。

主人公の女の子を中心にいろんな人が出てきます。大学はいろんな人がいておもしろいところです。しかも起きるエピソードはだいたい微笑ましい、平和な世界です。この映画でもそういう微笑ましいけど、好きとかそうじゃないとかの青春期にとっては重要なことを少しだけ切なく、後は思いっきりふざけまくって描いています。

「ノリ」だけがこの映画の一本通った筋であり、こういうノリが好きな人は楽しめるのではないかと思います。ラブコメの分類に入ると思いますので、全編ふざけまくり、好きな人のことについてちょっとだけ真剣になるという作りになっています。

撮影場所は台北市東部の政治大学ではないかと思います。何度か政治大学に足を運んだことがありますが、「見たことあるなあ」という景色が多いです。この映画では特殊な映像とかは特になく(ごく一部にCG)、ただただ台詞のやり取りが続きます。大学の一角で撮影している様子が目に浮かびます。大人になると大学生のノリのようなものはだんだん忘れて行きますし、最近はまたあの日々を送りたいかと質問されれば、別にいいと答えると思いますが、職場で学生の様子を見ると、彼らの心境のようなもの、大人と子どもの間でバランスをとることに一生懸命な内面のようなものが垣間見え、この映画を観ると「ああ、この感じ、分かるなあ」と思います。青春のおもはゆさを思い出したい人にはお薦めの映画です。

この映画の主たる舞台は大学ととある近辺のカフェです。台北には凝ったカフェがたくさんあります。それについて普通に敬服します。それぞれに経営している人が自分の美学で細部まで凝っています。よく観察するとぱっと見では気づかないことがたくさんあって、凄いなあと思います。この映画に出てくるカフェも政治大学の近くに実在するらしいのですが、とても気分の良さそうな素敵なカフェです。

美男美女がたくさん出てくるので、そういう観点からも楽しめる映画です。個人的にはカフェでコーヒーを入れているボーイッシュな店員さんがクール且つ「ザ仕事人」的に仕事をする様子がかっこいいので好きです。

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