平清盛の登場

平清盛はお母さんが誰なのか漠然としか分かってはいません。有名な『平家物語』では、祇園女御という女の人が母親だということになっています。で、この祇園女御という人はですね、白河天皇のおそばに仕える女性であったようです。平清盛の父親は平忠盛という人なんですが、当時のお公家さんが書いた日記によると、この人の奥さんは白河天皇のお近くで仕えていた女性だったということらしいので、平忠盛と祇園女御の間に清盛が生まれたということであれば、それでめでたしなのですが、実は清盛の本当の父親は白河天皇なのではないかと、ひそかに噂されていたようです。

というのも、白河天皇は天皇を引退して上皇になってからというもの、それはそれは手あたり次第に女性と関係する人で有名だったようなのです。そのため、祇園女御が妊娠したことがわかると、白河天皇の北面の武士として忠実に使えていた平忠盛に与えたという話になるんですね。白河天皇というか白河上皇の女性好きはちょっと信じがたい伝説にもなっていて、崇徳天皇は一応鳥羽天皇の息子ということになってるけど、実はその前の前の天皇の白河上皇が本当の父親というようなへんな噂です。本当だったら意味不明で気持ち悪いです。

この白河天皇の名前がわりと有名な理由は、院政を本格的に始めたのがこの人だからなんですね。それ以前も院政が行われていたんじゃないかとの指摘もあるようなんですが、本当にパワーを発揮したのはこの人からということで、藤原摂関家と上皇が協力して政治をするというのがサイクルになっていたと考えられています。表面的には協力という表現になりますけど、実際には互いに権力という綱を引っ張り合っていたという感じではないでしょうか。ちょっと藤原摂関家で不幸が続いてしまい、藤原氏の方がパワーダウンしてしまった間隙を突くように、白河上皇が権力ゲームの最終勝利者みたいになったようです。院政の特徴は、上皇という天皇家の家長が天皇を監督するという形で政治を行うため、藤原氏の摂関政治よりはるかに強権的に物事を進めることができたということのようです。従って、多くの荘園の寄進があったりして、儲かる儲かるフィーバー、みたいなところもあったかも知れません。

まあ、それくらいパワーのある人だったので、平忠盛も祇園女御を与えられて、ますます忠誠に励んだのかも知れません。一応、祇園女御の妹が実は平清盛の本当の母親という説もあるにはあるんですが、なんか、どっちでもいいというか、知れば知るほどどろどろしていて疲れてしまいます。

いずれにせよ、この平清盛は出世が早いんですよ。12歳で従五位になります。従五位というのはお公家さんの一番下の位なんですが、要するに清盛は武士の出身なのに公卿になることができたというわけなんです。この異例の大出世の理由としては、祇園女御が相当なパワーを持っていて、清盛を押したからだとも言われますし、そのような押しがきいたのは、祇園女御が元白河天皇の恋人だったから、あるいは、やっぱり清盛は本当に白河天皇の息子だったから。というようなゴシップぽい話になるわけです。

今回は推測だらけで誠に申し訳ないとも思うのですが、それくらい謎に包まれた平清盛が天下を獲るというのは、とても魅力的なおもしろいことだと思うので、次回以降、平清盛を中心に保元の乱、平治の乱、そして清盛の天下獲りから平家の衰亡へと話を進めていきたいと思います。平安時代末期は武士が台頭して戦乱の時代になるわけですが、清盛はめっちゃ強いんですね。そういう謎な面と優秀な面を持ち、トップに駆け上がったというのが、繰り返しになりますけど、魅力的に思えてなりません。