金印の「効果」

「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と彫られた金印が福岡県の志賀島で発見されたのは、江戸時代のことだそうです。お百姓さんが畑を耕していたら出てきたということらしいので、まさしく偶然のなせる業であり、もしこの発見がなかったら、近代歴史学研究の世界では、漢籍に「倭人が使者を送ってきたから金印を与えた」と書かれてあることが真実か否かで大論争になっていたのではないかと思います。

金印の写真(パブリックドメイン)

この金印が発見されたことで、福岡県に奴国が存在したことは疑いがないと考えられているわけですが、古い漢籍によれば、邪馬台国にも金印が贈られていたそうです。

ここでどうしても疑問に思えるのは、金印なんかもらってなんかいいことあるのか?ということです。海の向こうにいかなる大帝国が存在しようと、その大帝国から権威をもらったところで土地の人には関係ありません。なんかあったら大帝国が乗り出してくるということもちょっと考えられません。金印を押した紙があるからといって具体的な効果が得られるとはとても思えません。そもそもほとんどの人は字が読めなかったでしょうから「金印あるぜ、ほら」と言ったところで、相手は「????」という反応しかできないはずです。統治の正当性を得るという説明がなされることもありますが、戦国時代の室町将軍が「お前に●●の土地をやるから好きにせよ」と言ったのと同じ程度の空証文とも言えますから、いずれにせよ実力で勝ち抜かなくてはいけないという点に変わりはありません。

もっとも、「????」と思わせることによってけむに巻く効果はあったかも知れません。しかし、私は当時の日本列島の何か所かに存在したであろう権力者にとっては、その個人にとって、いい効果をもたらしたのではないかという気がします。即ち、ファッション性があったのではないかと思えるのです。多くの人にとって金印を見ることはありません。紙がそもそも時代ですから、金印を押す機会すらなかったかも知れません。しかし、権力者がうっとりとする、ごく個人的にこっそりと金印を見ていい気分になる。行ったこともない遠い国からのプレゼント。何が書いてあるかは知らないが、多分「おまえはいいやつだ」みたいなことが書いてある。もうちょっと最近の例で言えばベルサイユ風のこじゃれたインテリアとして権力者が愛したのではないかという気がしなくもありません。

中国に朝貢するとそれ以上のお返しがあるからみんな得をしたとも言われますが、むしろどこまでありがたいのか良くわからない(それゆえにプライスレスということなのでしょうけれど)ハンコで納得させられるのだから、朝貢させる側にとってもお得だったのかも知れませんねえ。



邪馬国はどこにあったのか?

魏志倭人伝に詳しくその存在について記された邪馬台国は大きく分けて畿内説と九州説に分かれます。それぞれに根拠があり、どちらの論陣も一歩も譲らぬ構えのように見えなくもありません。最近は各地で街起こし的に邪馬台国はうちにあったとう人も多いらしく、それはそれでお祭り的で面白いとも思いますが、やはり、では実際にはどこにあったのか?というのは気になるところです。

 まず間違いなく言えることは当時の日本列島にはそれなりに広い地域を支配する王権が少なくとも三つあったということでしょう。九州、畿内、関東にはそれぞれ古墳が多く、大きな物は畿内に多いようですが、数で言えば関東の方が多いとも言えます。もし仮に邪馬台国が日本列島に本当にあったとすれば、以上の3つのうちのどれかということになります。

 地理的に有利なのは九州でしょう。なんだかんだ言って大陸文明の入り口であったことは間違いなく、魏の使節は最初に目にする九州の王権について詳しく述べるというのは自然なことのように思えます。しかし、魏志倭人伝の記述に頼れば、邪馬台国は九州に上陸してからかなり進んだ場所にあったようです。

 王権の強力さという意味では畿内かも知れません。箸墓遺跡の調査が進み、かなり遠方からも様々な人々が集まって来ていたことが確実視されていますので、王権との関係を保つために各地の実力者が定期的に箸墓を訪問していた可能性が伺えます。しかし、畿内説は魏志倭人伝で更に南へ進むと邪馬台国があると記述している部分をきっと東の方向に進んだのに南へ進んだと間違えたのだ、というちょっと強引な解釈を根拠にしています。南と東を間違えるでしょうか?当時はまだ今よりも太陽の方角を意識して移動するでしょうから、それは考えにくいのではないかと思います。畿内に強い王権があったとしても、それは邪馬台国かどうかは少し怪しいように思います。

 関東地方は多分ないでしょう。

 記述を信じるなら、南へ南へと進みます。人々は素潜りが上手く、身体に入れ墨を入れるのが習慣になっています。私は時々、当時台湾の海岸沿いで生活していたであろう、入れ墨の習慣を持っていた原住民の土地に邪馬台国があったのではないかと思うことがあります。