カレーうどんは和食と言えますか?

言えると思います。

たとえば天ぷらはそもそも西洋人の食べ方をマネして始まったものです。

すき焼きも西洋人の肉食をマネして始まったものです。

お寿司は冷蔵庫がないと今と同じスタイルになりません。

ですので、そもそも和食は西洋化・近代化の影響を色濃く受けているものだと考えるべきであって、そうするとカレーうどんだって立派な和食だと考えていいと思うのです。



儒教⽂化圏の問題提起が近代化に与えた影響は何ですか。また、 それは現代のアジア社会において有効だと思いますか?

北京大学で起きた反日的愛国運動を五四運動と呼び、その中心になつたのは北京大学関係者たちで作った新青年という雑誌でした。魯迅の弟の周作人が、与謝野晶子の貞操論と呼ばれるエッセイを中国語に翻訳し、それが新青年に掲載されます。このエッセイでは、親に決められた結婚相手と一生暮らし、心の中でほかの相手を想っているのは、とんでもない浮気者で、自分の意思で結婚し、好きな人と一途に結ばれることこそ真の貞操観念で、仮に相手のことを好きではなくなつたら離婚した方が当人たちのためであるというような内容だったのですけれど、編集サイドは読者に意見を求めました。中国社会も与謝野晶子の言うような価値観を採用すべきかどうか誌上で討論しようと言うわけです。私は掲載された投書を全て読みましたが、その大半は自由恋愛は家制度の維持という観点から望ましくないと言うものでした。中華圏は家制度について日本人よりも遥かに深刻に考えていますが、実際、近代化された後の中華圏の様相を観察する限り、台湾香港もシンガポールもご本家中国も出生率は1程度に落ち込んでおり、家制度の維持などとてもおぼつかない状態になっています。儒教的家制度と近代化は両立しないと思います。どちらが正しいのかというより、どちらを選ぶかと言うことかなと思います。



様々な時代背景の話で、日本の場合は“明治”“近代化”がキーワードとして登場する事が多いのですが、結局のところそこで無理やり文化が接木されその恩恵も弊害もごちゃ混ぜな今という事なのでしょうか?

そんな風に言えそうな気もしますねえ。関東大震災が起きた日、永井荷風は山之上ホテルでランチするのですが、日本人が西洋人の猿真似ばかりをして、似非西洋人になっていることへの天罰だ、というようなことを書いています。石原慎太郎さんが東日本大震災を「天罰だ」と言って批判されましたが、おそらくは永井荷風をぱくったんだと思います。で、江藤淳さんが若いころの評論で日本の文芸作家たちはフランス自然主義を採り入れて、近代文学者に「なりおおせた」というような表現を使っていたと思いますが、以上述べたように、日本の近代化が無理に無理を重ねた自己否定と猿真似の複合物なのだということについては、それに対する批判があたかも伝統でもあるかのように繰り返されてきました。とはいえ、私たちは近代人としての思考が身についていますから、今さら封建社会に戻ったところで適応できず、近代的な生活がしたいとの希望はもちろんあります。ですから、おっしゃる通り、弊害も恩恵もごちゃ混ぜな今なのだと思います。



大阪府にまつわる体験、エピソード、雑感、知識、トリビア等をお聞かせ下さいませんか?

大阪市役所が淀屋橋にあるわけですけど、そのすぐ近くに適塾跡があるんですね。で、淀屋橋ってどういうところかというと、江戸時代は日本中の諸藩の蔵屋敷がひしめき合い、諸藩の御用を請けるための商人がひしめき合い、流通のために舟がぎっしりとひしめき合う日本経済の中心であったわけですよね。福沢諭吉の父親も蔵屋敷で働くお侍さんで、諭吉はその空気を吸って育ち、すぐ近くの適塾で学んだということになります。戦前は大阪の方が東京よりもモダンでおしゃれで発展していたと言われていますが、それは江戸時代からの経済的な基礎があったからで、しかも適塾はまさしく日本近代を支える人材を育てた場所だったわけですから、私は先日適塾跡を歩き、ふと「全てはここから始まった」とつぶやいてしまいました。