芥川龍之介‐谷崎潤一郎氏

芥川龍之介谷崎潤一郎と一緒に神田へ出かけた思い出を書いた短いエッセイが『谷崎潤一郎氏』だ。谷崎が赤いネクタイをして歩いているのが一目を引き、芥川はそのおしゃれっぷりに圧倒されてしまう。国語の教科書などに出てくる谷崎の写真は大抵、和服姿に難しそうな表情をしているものなので、あまりおしゃれそうなイメージは受けないが、実際には相当なしゃれものだったらしい。中国で撮影した谷崎の写真は洋装でなかなかの美男子であり、映画『自由恋愛』でも、女優をとっかえひっかえ連れ歩く洋装のおしゃれ美男子という感じで登場してくる。谷崎は春琴抄とか細雪とかを書いてしまうくらいの達人なのだから、おしゃれでないはずがないし、もてるに決まっている。

芥川と谷崎はちょっと炭酸水でも飲んで休憩しようとカフェ―に入るのだが、女給さんがしげしげと谷崎のオシャレネクタイに関心を示してネクタイを褒める。要するに谷崎の方が芥川より女給さんにもてている瞬間である。で、感極まった芥川は女給さんに50銭のチップを渡すという内容だ。大正時代、円タクとか円本というのがはやったので、当時の1円は現代の価値にして1000円かそれより少し高いくらいになると思う。とすれば50銭というのは500円くらい。最近のアメリカフランスのような先進国でのチップにしてはやや安いが、チップの習慣のない日本では好意の表現としてはちょうどいいくらいかも知れない。

芥川は、谷崎のような東京人は不要なチップを渡す場面を冷笑的にさげすむと述べているが、芥川も東京人である。ただ、芥川は自分が谷崎に対して恐れ入ってしまったあたりのことを表現するために、敢えて谷崎=東京人=冷笑的という構図で述べているのかも知れない。谷崎は、そんなの渡すほどのことはしてもらってないじゃないかというような趣旨の発言をするのだが、芥川は人生で一番価値のあるチップだったというような満足感を述べている。芥川が若くて女の子に対して降伏してしまう程度に素朴なのに対し、都会人で秀才で金持ちでほしいものは何でも手に入れている谷崎は、女給さんにほめてもらったうえで、チップはあげないというあたりの対称性がおもしろと見ることができるだろう。






谷崎潤一郎『飈風』のMの本懐

明治末ごろに三田文学に掲載されたこの『飈風』という作品は、発行禁止処分になり、現在読むことができるものも伏字の部分がそのままになっていて、復元されてはいない。ただ、個人的には伏字の部分は別に永遠に読めなくてもいいのではないかという気がする。

以下にその理由を述べる。日本官憲によるいわゆる検閲は政治的に問題があるものと、公序良俗を乱すと判断されるものが主としてその対象となった。政治的に問題があるものについて、たとえば不敬なことについて書かれてあるのであれば、それが発行禁止の処分を受けるというのは由々しきことである。必ず是正されなくてはならない。ただ、公序良俗を乱すものについては、多少ではあるがその限りとも言い難いと私は思っている。たとえば今でも映倫を通らなければならないように、ただ単に度が過ぎてエロいものの場合、発行禁止がさほど残念なこととは言い難しと思えるからだ。もちろん、〇〇はOKで〇〇はOKではないという線引きは実に難しく、言論の自由、表現の自由、思想の自由を至上のものとして重視する現代日本において、確かにエロいのは発禁でもいいんじゃね?という浅はかな考えは禁物かも知れないのだが、谷崎の『飈風』の場合、伏字の部分は、どうせ非常識にエロいことしか書いてないんだろうとしか思えず、だったら別にいいんじゃね?とついつい思ってしまうのである。

一応、検閲について確認しておくが、検閲には事前検閲と事後検閲があり、事前検閲の場合は問題の箇所を伏字にすれば販売させてもらえるが、事後検閲の場合は問題の箇所があれば回収されてしまい、永遠に人々の目に触れることはない。事前検閲なら伏字をした上で「発禁の書」という、なかなか悪くない売り文句も使えるので売り手にとってはいい商売のネタにもなり得るが、事後検閲はその書籍を完成させるためのあらゆる努力が無駄になるため、自然と忖度が生じ、表現物が出来上がる段階で権力のご機嫌を充分にとるような内容になっていかざるを得ないという側面を持つ。我々が一部伏字とは言え谷崎の『飈風』に触れることができるのは、事前検閲で問題の箇所のみ伏字にして世に出されたからである。ついでに言うと、伏字にされた著作物は読み手も「あ、伏字」だなと分かるので、検閲されたことに気づくことができるため、権力が介在していることを察知することができるが、事後検閲の場合は伏字のない著作物しか出回らないため、普通に生きていると検閲があることすら気づかない、何がどう検閲されているのか見当もつかないということにもなりかねない。検閲はその制度自体は非常に問題がある制度だが、事前検閲はより良心的であるということは言えるのではないかと思う。

さて、『飈風』では、主人公の真面目な絵描きが友達に誘われて遊郭へ行き、以後、遊郭遊びにはまってしまい、遊郭の女性に惚れ込み、夜毎通うようになった結果、精力の使い過ぎでじょじょに心身の衰弱が顕著になってきたために、しばらくはそのような場所に通うべきではないと主人公は決心し、東京にいるとどうしても通いたくなるため、半年の計画で東北地方を旅して絵を描くというのが物語の始まりである。その途中、彼は様々な女性に関する誘惑にかられるが、その度に、自分にとって女性とは遊郭で惚れたあの人だけなのであり、その人を裏切ることはできないと固く思い詰め、いかなる誘惑もはねのけて却って衰弱してしまい、半年後にほとんどぼろぼろになって久方ぶりに遊郭の惚れたあの人に会いに行くと言う流れになっている。で、最後は半年ぶりの快楽があまりにすばらしいので脳のどこかの神経がぷっつりと切れてしまい、主人公は帰らぬ人となってしまうということで終わる。

これをMと呼ばずして何と呼べばよいのか。彼は別に義理があるわけでもない女性のために我慢に我慢を重ねて、最後はその女性と半年ぶりにそういう関係になっている状態でありがたいことに文字通り昇天したのである。女王様に義理立てし、女王様のために死ぬのである。お前Mだろ意外の感想は持ちようのないほど、Mである。旅先でハンセン病患者の女性と出会い、意気投合しよっぽど押し倒そうかと思ったが思いとどまるという場面があるが、そこでも危うく女王様を裏切るところだったのに我慢した私は偉いと自らを誇りに思うだけであり、ハンセン病の深刻さ、患者への思いやり、人道、人間愛というものへの関心はかけらも感じられない。遠藤周作先生が御殿場のハンセン病患者施設に行った時の心の複雑な動きについて書かれていたことを私はふと思い出し、その違いに大いに驚いた。

遊郭の女王様のことを思い詰め、女王様に義理立てするために禁欲し、最後は女王様に抱かれて死を迎えるのはMの本懐であるに違いなく、繰り返しになるが、本当にこいつはMだ…そして自分がMだと告白する以外になんの関心もない役立たずな男で、こんなのが東京帝国大学に入ったのは果たして日本のために良かったのかという疑問すら湧いてくる。とはいえ、彼の文運はその後大きく飛躍し、書く力に凄みと深みが加わり『春琴抄』や『痴人の愛』、『細雪』のような尊敬するしかない名作をこの世に残すのだから、人というのは分からない。というよりあの谷崎潤一郎にも若気の至りの作品があったのかという感慨すら持ってしまった。

以上なわけで、伏字になっている部分は主として女王様とのプレイに関する部分であり、別に読めないからと言って何も困らないし、読めたとしても大した驚きや感動になるようなものが書かれてあるとは到底思えない。この作品の検閲を担当した内務官僚は「あ、あほか…」という感想を持ったのではなかろうか。

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谷崎潤一郎『陰影礼賛』と自己嫌悪

谷崎潤一郎の著作である『陰影礼賛』は、西洋化に対する憎悪と日本文化に対する潜在的な自己嫌悪に満ちた文章ではなかろうかと私には思える。

冒頭、谷崎は和風の憚り(お手洗い、トイレ、御不浄のこと)を例に挙げ、その明媚なところを礼賛する。西洋的な真っ白な御不浄には和風のそれの持つ味わいにどうしても欠けるというわけである。

それに引き続いて谷崎は日本の伝統芸能、食器、建築などに陰影がどれほどの演出効果を果たしているかを力説しているが、読者としてはなぜ最初にお手洗いの話を読まされなければなかったのかがどうしても頭から離れなくなってしまう。いかなる文章であれ、大抵の場合、文章の冒頭がその文の命であるとすれば、谷崎には谷崎なりに御不浄から話を始めなければならない理由があったに違いない。

果たして、何故に谷崎は御不浄から話を始めたか。一つの見方として、谷崎は御不浄から能、伝統芸能、食器に至るまで遍くその美意識が通底しているということを言いたかったのかも知れないと言うこともできる。だが果たしてそれだけだろうか?

たとえば『春琴抄』では春琴は目が見えないという不完全さを持っているが、不完全であるが故に他人にはまねのできないコケティッシュさを持ち合わせ、あやしげに人を魅了する人物として描かれている。春琴抄を読んで彼女の容貌を想像し、そのコケティッシュさがおそらくは自分の想像を超えるであろうと思われてため息をついた人は多いはずだ。だが春琴は最後、何者かによって就寝中に熱湯を顔にかけられ、その妖しい美しさを失う。

『細雪』の雪子と春琴はある面でよく似ている。雪子は美しいが行き遅れの「年増」であり、最後はわざわざ書く必要があるとは思えないのに、雪子が何度となく腹をこわす場面で終わっている。これは『痴人の愛』にも共通する女性像だ。『痴人の愛』に登場するナオミはコケティッシュな可愛い美少女だが、前半から着ている服の襟首に垢がたまるなどの描写があり、彼女が決して神などではなく人であるということが暴露されている。しかも成長するに従い世間を知るに従って、慶応義塾の学生と浮気をし、更には外国人の恋人を渡り歩く。この段階で当初の偶像は完全に破壊されているが、主人公の譲治はそれを承知で彼女を養い続けるのである。痴人とはアホを意味するから、まさしくアホな譲治が浮気女のナオミから離れることができずにいるという物語になっている。

さて、陰影礼賛に戻りたいが、『春琴抄』『細雪』『痴人の愛』で見てきたように、谷崎には美しい偶像を破壊したいという衝動があることには議論の余地はないと思える。しかし『陰影礼賛』ではまず美しく書いて後で堕落させるといういつものパターンではなく、最初から御不浄を書き、それを賞賛するというやり方を用いている。平たい言葉を用いるならば、その絶望感はより深刻なものだと言わなくてはならない。日本文化を後から堕すのではなく、最初から堕すのだから実は他の作品に登場する彼が愛してやまない女性たちよりも更に救い難い惨状に日本文化は立ち至ってしまったとする嘆きを彼が書いているように思えてならないのだ。

日本文化は彼と直結していたに価値観に相違ないから、彼は自己嫌悪の表現として、日本文化を御不浄の描写から始めたのである。日本文化が堕落してしまったのは西洋文明の恩恵を不覚にも受けてしまったからであると谷崎考えていたに違いない。その西洋への憎悪の表現として最後のくだりでは西洋文明が生活に入り込んだことを象徴する室内装飾を敢えて全部剥ぎ取りたいという衝動に駆られる心境を、著者は告白しているのだから。


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谷崎潤一郎『小さな王国』から、お金について考える

谷崎潤一郎の短編に『小さな王国』というものがあります。東京育ちの主人公は学者を志してはいましたが、生活のために学者に専念するわけにはいかず、小学校の教師になります。結婚し、子どもも生まれ、家族が増えていきますから、お金がどんどんかかるようになります。もちろん俸給は上がっては行くものの、物価の上昇もあって東京ではとても生活が維持できないと考えた主人公は北関東の某所で教師の職を得て移り住みます。

さて、主人公は小学校で沼倉という少年に出会います。第一印象はあか抜けない、田舎の普通の少年という感じでしたが、話しをさせてみるとそこそこ頭がいい少年だという印象を主人公は抱きます。主人公が驚愕するのは、この沼倉少年が子どもたちに対して通常ではあり得ないほどのカリスマ性を発揮し少年たちを統率しているという事実を知った時でした。しかもジャイアンのように腕力にものを言わせるわけではなく、沼倉少年は物静かに黙考して筋の通った判断をし子どもたちがそれに従うというわけで、得体の知れない、末恐ろしいような気さえさせる、本物のリーダーの資質を持っている少年だったわけです。

そういう児童が反抗的な場合は教師は手を焼くことになりますが、沼倉少年の場合はそういうわけではありません。聞き分けがよく、教室全体の雰囲気を維持することにも協力的で、少年たちは沼倉少年に服従を誓い続ける以上、彼の命じた通りに教師にとっては実にやりやすいペースで物事が進んでいきます。沼倉少年は様々な罰則を少年たちに対して宣言しており、少年たちは制裁を恐れて沼倉少年に従うわけですが、当該の罰則は沼倉少年本人をも拘束を受けるものであり、あたかも法の下の平等が沼倉少年の指導の下に生まれて来たかのようにすら見えてきます。沼倉少年はなかなかの名君主、または颯爽とした大統領みたいな立場と言っていいかも知れません。

主人公の教師は沼倉少年が協力的で助かるなあとしばしいい気分で過ごしますが、再び驚愕せざるを得ない事実を知ります。沼倉少年が独自に紙幣を発行しているというのです。同じ学校に通う主人公の息子が小遣い銭ではとても買えないようなものを時々買って帰るので、問い詰めると沼倉紙幣を使用しているのだと白状します。現物を見てみると、金額を印刷した紙に「沼倉」という判が押されており、この判が押されていれば有効というわけです。この紙幣は沼倉少年の配下の少年たちの間だけで通用するもので、大人たちには絶対内緒というルールがあり、主人公の息子はルールを破ったことになりますが、万引きしたわけではないということを証明するために洗いざらい吐露したというわけです。放課後になると配下の少年たちは某所に集まり、油屋の息子は家から油を、服屋の息子は家から服を持ってくるという感じで市場が開かれ、沼倉紙幣を使って取引が行われるというわけです。

ここまで来ればもはや国家です。主人公ははてどうしたものかと考えますが、それよりも先に自分の生活苦を考えなければならないという現実にぶち当たります。赤ちゃんのミルクが次の給料日が来る前に切れてしまうのです。主人公は沼倉少年に「先生もまぜてくれないか」と頼み、沼倉紙幣を受け取ります。そしてミルクを買いに行き、そこで、あ、俺は今なんてばかなことをしているんだろうと気づくところで物語は終わります。

この物語の面白さはいろいろなものがあって、例えば沼倉少年というある種の天才を如何に描くか、或いは意外と平凡な人生を送ってしまったと思いつつ惰性で生きている主人公に焦点を当てるかということでも違ったおもしろさが見つかるでしょうけれど、ここでは沼倉紙幣について考えてみたいと思います。

お金には実態がなく、中央銀行が適当に出している紙でしかないことは、議論の余地がありません。もちろん信用ある国家の発行する通貨には相応な信用がつくわけですが、金本位制の時代のように、完全に担保されているわけでもありません。日本円が日本で流通できるのは、みんなが10000円札という紙に価値があると合意しているからに過ぎず、これはドルであろうとポンドであろうと人民元であろうと違いはありません。そのように考えると、沼倉紙幣は沼倉少年に信用がある限り、少なくとも沼倉信者にとっては実質的に価値があると認めても一向に差し支えないのではないかという気がしてきます。もちろん、沼倉紙幣には弱点があって、それは紙幣と交換し得る物資はその紙幣共同体に参加する少年たちが家から持ってくる(言わば、輸入)に頼らざるを得ません。ましてや沼倉紙幣は大人からの信用はありませんので、円との互換性もありません。従って、闇経済化せざるを得ないという面はあります。しかし、市場が立ち、やがて自分で生産して沼倉紙幣と交換する人物が現れれば、当該の紙幣は円との互換性がなくとも信用を維持しやすくなり、更に発展すればやがては誰もが認めるようになって円でもドルでも交換できるというところまで発展したとしても、それは現実的ではないかも知れませんが論理的にはあり得るわけです。ビットコインと同じです。岡田斗司夫さんの提唱する1オカダも同じような感じだと思います。

この作品が世に出たのが1918年ですから、現代とは違い金本位制が根強く支持されていた時代です。このような時代によくもまあ、通貨は発行したもの勝ちみたいな発想の作品が書けたものだと驚くあまりですが、1917年にロシア革命が起きており、世の中には社会主義や共産主義という新しい価値観が今後どのように広がるのか、全く無視することもできないという空気があったでしょうし、アナーキズムもそれなりに流行していましたから、沼倉紙幣が発行されるという発想は、谷崎本人の脳裡にそのような新しい時代の始まり、今までとは違った未来像がふと立ちあらわれて作品化されたのかも知れません。おもしろいお話しです。人間心理という点からも、政治経済という点からも、或いは近現代史という視点からも楽しむことができると思います。



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第二次山本権兵衛内閣

第二次山本権兵衛内閣の最大にして焦眉の急でもあったことが関東大震災対策です。前任の加藤友三郎首相が病没したことをうけ、次の人選が模索されている中での不測の事態を受けて急いで組閣が行われました。

この内閣で内務大臣兼帝都復興院総裁を担当した後藤新平は30億円の復興予算を打ち上げ、物議を醸します。大正9年の一般会計が13億円とかそれくらいですので、30億円は今で言えば、国家予算が100兆円くらいですので、200兆円くらいという感じかも知れません。とてつもない金額で、公債、外債で何とかするという手段はあったかも知れないのですが、こういう時に公債という手段をすぐに発案しそうに思える高橋是清も反対意見で、予算は大幅に削られ、最終的には6億円に足りないくらいの規模のものになってしまいます。それでも当時としてはかなりの金額だったのかも知れません。

時々、関東大震災の余波が経済的な発展の遅延という形で現れ、満州にフロンティアを求める遠因になったという説明を読むことがありますが、実際には関東大震災の結果、東京はよりモダンな都市に変貌し、30年代には相当に成熟した都市文化を形成していきます。当時は大阪の方がモダン度は高かったようなのですが、30年代になれば全然大阪に負けてないくらいのところまで行っていたとも言えそうなので、飽くまでも結果としてですが、東京は一機に世界都市にステップアップすることになりましたから、関東大震災とその後の日中戦争を経済的な観点から結びつけるのはいかがなものか…と思わなくもありません。経済という意味ではその後の世界恐慌と昭和恐慌が日本人の不安をより強める要因になったと思いますが、高橋是清がうまくやっていますので、やはり経済的な理由だけで昭和の日本の拡大主義を説明するのは無理があるのではないかという気がします。

ただ、心理的な衝撃は大きく、もはや海外に新天地を求めるしかないのではないかという心境になった人、あるいはそう信じた人は多かったかも知れません。昭和恐慌も不安を輪にかける形になり、海外志向、または拡大志向が強くなるというのは理解できそうな気もします。谷崎潤一郎の場合は関東大震災で「こんなところには居られない」と考えて関西に移り住み、結果として『春琴抄』と『細雪』という代表作と書くことになります。近代文学で関西を最も美化した作品と言ってもいいように思えます。『細雪』を読んで関西で暮らしたいと思うようになった人は多いのではないかと私は想像しています。谷崎は他にも関東と関西の美食の違いのようなものを書いていて、和食の関西の勝ち、洋食は関東の勝ちと結論しています。

いずれにせよ、関東大震災の復興のために奮闘した第二次山本権兵衛内閣ですが、裕仁摂政宮がアナーキストの青年に襲われる虎ノ門事件が起き、その責任を負う形で総辞職します。摂政宮は慰留したそうですが、それでも辞意は固かったとのことです。アナーキストの青年が摂政宮を襲撃しようとした背景には、関東大震災後に大杉栄が甘粕正彦大尉に殺害される(陰謀論もあるようですが…)など、官憲による社会主義者やアナーキストへの弾圧があり、復讐心と義侠心の混在したような心境で虎の門事件を起こしたのではないかと思えます。

第二次山本権兵衛内閣が終了した後は、清浦奎吾がリベンジマッチで内閣を組織することになります。

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大阪は東洋一の工業都市だった

 谷崎潤一郎は『春琴抄』で、大阪の街を「東洋一の工業都市」と表現しています。『春琴抄』は昭和初期に書かれた作品で、確かに当時の大阪は工業力に於いては東京に勝っており、他の東洋のどの都市よりも工業化が進んでいたことを疑う必要はなさそうに思います。

 東京が経済力で大阪を追い抜いたのは1970年代のことであり、そのため20世紀は東の東京、西の大阪がそれぞれ中心地だという人々は認識していたに違いありません。

 ただ、どうもバブル経済崩壊後は東京が一進一退で、文化芸術面ではある種の昇華を見せたとも言える一方で大阪はそのまま音を立てて崩れてしまったように見えなくもありません。

 私は東京と大阪が混じっていますのでどちらのこともよく知っている反面、どちらのことも中途半端にしか知らないのですが、大阪が勢いを失ったことは大阪を訪問する度にじわっじわっと感じないわけにはいきません。

 大阪は世界的な都市として勝負できるだけの潜在力を十分に持っているはずですので東京人がどうとか大阪人がどうとか言う前に日本人としてそういう力を十全に発揮できないことに対して「ああ、もったいない」という気持ちをどうしても持ってしまいます。

 大阪復活策として掲げられた都構想ですが、なんだかんだとこねくり回したからか回されたからなのか話が単なる行政の統廃合の話になってしまい、迫力をなくしてまった感じがしなくもありません。

 リニア新幹線が大阪に開通するのが2047年(最近少し早まったようですが)で、しかもぶっちゃけ京都に通すか奈良に通すかも決まらないらしいので、これからは名古屋という意見が強いのも頷けます。実際、名古屋駅前の発展ぶりは目覚ましいものがあります。

 大阪は歴史もあり、京都奈良にも近く、その存在意義は計り知れない都市です。何か良い方法はないもんかいな?とちょくちょく一人考えるのですが、なかなかうまい方法というのは思いつきません….

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