臨時軍事費特別会計の功罪を考えてみる

日中戦争から太平洋戦争にかけての時期の戦費の調達について議論されている書籍やドキュメンタリーの類はあまり多くない。読者や視聴者も戦場でのエピソード、または近衛文麿、木戸幸一、東条英機などの人物像や政治的な動きなどに関心が向きやすいし、私もそっちの方から入ったので、分かりやすいとも思うから、やむを得ないのだが、じゃあ、戦費のことはどうなってたのよ?という疑問は常にあった。しかも、戦費に関する説明があったとしても、一側面だけ切り取ったもので、全体像のようなものが分からず、かえって理解に苦しんだこともある。私は過去に1940年代の国家財政に占める軍事費の割合が7割~9割程度にまでのぼったとする記述を見たことがあるが、いろいろなことに疎いため、では限られた税収の大半を軍のために使ったとして、それで他の官僚機構は機能していたのだろうか?地方自治体とかどうなっていたのだろうか?と素朴な疑問を抱き、どこにもこたえが見つからないことに煩悶したりもした。

そういった私の疑問にすぱっと答えてくれたのが、臨時軍事費特別会計に関する知識だった。恥ずかしいことに最近になって、ようやく、そういうのがあったということを知った。臨時軍事費特別会計がなんなのかというと、要するに一般会計とは別に組まれる戦争するときに必要な予算のことを指す。一般会計は年度との関係で毎年3月31日までに国会で成立させる必要があり、歴代の首相はそれを最優先の政治課題として取り組むのだが、戦争はそのような日本の会計年度に合わせて始めたり終わらせたりできるようなものではない。しかも、タイミングを逃すといろいろ困るので、一般会計とは別に必要に応じて予算を組み、事実上執行しつつ議会に事後承認を求めるというやや乱暴なものだ。野党の政治家が予算を人質にして内閣を追い詰めようとするのは今も昔も変わらないのだが、軍事特別会計に関することでそれをやったら統帥権の干犯問題に抵触する恐れがあるし、そのようなことになったら場合によっては暗殺されてしまうため、政治家たちも敢えてそこに手を突っ込むことはなかったらしい。つまり事実上ノーチェックで軍事費は承認されたというわけだ。

では、その財源はどうしたのだろうか?日本帝国政府が戦時公債を発行すると日本銀行がそれを買い取り、それら公債を各金融機関に売る。各金融機関はそれを個人・法人などの客に売り込むという仕組みになっていたらしい。日本銀行が国債を引き受けるのは今も当時も同じというわけだ。各金融機関は日本銀行の公債を買い受けるために涙ぐましい努力をした。たとえば郵便局の場合、国債購入を促す広告を出しまくり、国債を買うことは資産の購入と同じであり、人生設計に役立つし、しかもお国が戦争するのに貢献できるのだから、立派なご奉公ですというようなロジックで一般消費者への説得が行われていた。植民地でも公債の購入は熱心に促されたのだが、皇民化運動の重要な動機付けとして、皇民なんだから戦争に協力しましょうね。戦争に協力するというのはどういうことかというと、お金ですよ。お金。ぶっちゃけ国債を購入することですよ。というようなロジックが働いたと見て、まず間違いがない。

このような戦費調達システムは、末端の国民が全てをはぎ取られるというリスクはあったが、国家というレベルで見れば無限に資金調達が可能であるということを示したものだ。政府は日本銀行が全て買ってくれるので安心して公債を発行することができたし、臨時軍事特別会計のための資金は基本的に公債で賄われた。日本がどのようにして戦費を調達していたのかという私の疑問に対する回答は極めてクリアーなものになった。軍事費がいかに膨大なものになろうと、一般会計が圧迫されることはなく、従って、戦争中に国家の会計の9割が軍事費だったとしても当面は困らなかったのだった。

さて、とはいえ、軍が動けば単なる金融ゲームの話ではなくなる。実際に鉄や銅や石油が消費され、食料が消費され、お金と物資の交換が起きる。これはハイパーインフレの要因になった。終戦直後に新円に切り替えられたのは、巨額の公債発行残高をなんとか処理するために、円を思いっきり低く切り下げることで、借金の額面は同じでも実質的に棒引きにするという知恵が用いられたからだ。

あれ?どっかで聞いたなと思うと、それは今のリフレ派が主張していることと同じである。日本の借金は1000兆円あるかも知れないが、金融政策を用いればどうにでもできるというわけだ。

戦争中、日本銀行の買い取った国債を他の金融機関が買い取り、更に個人に売りつけるという仕組みは、金本位制の名残があったために、本当に日本銀行がお金さえ発行すればすむことなのかどうなのかの見極めが当時の人につかなかったからだ。対米戦争が始まったとき、日本はとっくに金本位制ではなくなっていたが、やはりお金には実質的な裏付けがなければ値打ちがあるとは信じることができないとの関係者たちの想いがあって、とにもかくにも日本銀行の経営を安定させるために末端に売りさばいた。現代では、日本銀行が無限に円を発行できるという前提で、更に国債を金融機関などに売りつける必要はなく、日銀が持っていればそれでOK。というような話にまで認識は煮詰められている。

というようなわけで、お金を無限に生む仕組みによって日本軍の戦費が支えられていたということを今回は述べた。但し、繰り返すが、マネーゲームではなく、実際に戦争に必要な物資と円の交換があったのだから、無限の公債発行は円の暴落をもたらし、国民生活のレベルで言えばハイパーインフレを招く。これは短期的に相当な混乱をもたらすだろう。このハイパーインフレを恐れる人と、まだまだそれを恐れる段階ではないと考える人との間で、今の日本では政策決定の綱引きが行われている。当時はたとえ恐れがあろうとなんであろうと、とりあえず戦争に勝ってから考えようという感じで滅亡まで走り切った。やはりそれは教訓にした方がいいだろう。