横須賀は近代日本の縮図だった‐日本はやはり植民地だった

戦艦三笠を見学すべく私は横須賀へ向かった。鎌倉から横須賀線ですぐなので、近い。

近隣へ出かける度に思うが、神奈川県は小田原箱根江ノ島、鎌倉、横浜、横須賀など多様性に富んでおり、一つの県内でかなり最強である。温泉から現代的な都市生活まで全て揃う。で、そのようにありがたい神奈川県民なのだが、見聞を広め、本文である日本のかたちをより深く理解するための散策であった。そして、横須賀は奇妙なまでに日本の縮図であるということに気づいた。

まずJR横須賀駅を降りてみると、戦艦陸奥の主砲の展示が目に入る。日露戦争でロシア勢力を周囲から追い払い、第一次世界大戦でドイツ勢力をも追い出したあたりで今後の方向性を見失いそうになった日本海軍は、当面の仮想敵をアメリカに設定し、アメリカに勝てる軍備をという前提で八八艦隊という艦隊構想の実現を急いだ。ところが、世界は軍縮の流れに乗っており、日本の軍艦保有数も制限を受けるようになり、陸奥は本来条約の精神に照らして廃艦されるべきとの指摘を受けたが、日本側が粘り、なんとか戦力として保持することができた。太平洋戦争が始まると、陸奥は大抵の場合、連合艦隊の後詰みたいな立ち位置にいて、ミッドウェー海戦では生存者の救出に力を尽くしている。人命救助は大切なことだが、日本海軍が世界の主要国を説得してなんとか保持し続けた陸奥であったにもかかわらず、目覚ましい活躍はしていない。戦艦大和と同じである。だが、それも理解できないことではない。世界は飛行機で戦争する時代に入っており、戦艦は無用の長物だった。活躍できる場があるわけない。

陸奥の主砲

陸奥の模型

戦艦陸奥の主砲を撮影した私は、陸奥の模型も撮影し、近くの観光案内ブースみたいなところの方に戦艦三笠までの道のりについて質問した。アメリカ軍の横を通り抜けるようにして、三笠公園へ行くのだとその人は教えてくれた。アメリカ軍の基地の写真を撮ったら、叱られますか?と質問したところ、さりげなく、少しくらい撮るのなら問題ないでしょうと教えてもらった。で、実際に歩いていると、左手にアメリカ軍の基地のゲートが見えた。ゲートは左手にいくつもあったからよほど広いのだろう。で、一枚くらい撮影しても問題あるまいと思い、iphoneを向けたところ、日本人の男性が「写真撮るな!」と飛び出してきた。既に一枚撮影した私は、その場からささっと立ち去ったが、今日のこの経験をもとに、アメリカ軍基地について、少し考えをまとめることができたので、ここに書き残しておきたい。

まず、日本人の男性が「写真撮るな!」と命令口調で言ってきたのはどういうことなのだろうか。という疑問が残った。日本の領地の中で、日本人が、公共の施設を撮影しているのである。せめて「写真はご遠慮ください」とか「撮影は禁止です」との通告があってしかるべきである。にもかかわらず、写真撮るな!と私は命令された。命令される筋合いはないつもりだったので、ショックだった。ショックを受けつつ考えたが、あのような口調で命令してきたということは、写真撮影には強圧的な対応をせよとのガイドラインが存在するに違いない。彼は警官ではなさそうだったから、民間の警備会社が請け負っているのだろう。

強い口調で叱られたにもかかわらず、私は官憲から「撮影した写真を見せろ」と言われたり、職務質問を受けたりなどということはなかった。日本国内の公共の施設を撮影することに違法性はないため、強制力を発揮することはできないのかも知れない。ならば、写真撮るな!は日本国の法律を超えて命令されたことになるわけで、日本が今も占領下にあることを思い知らせる場面であると言える。アメリカ軍基地はNo dog and Japaneseというわけだ。我々は気づかないだけで、日本は植民地なのだ。私は写真を撮影するにあたり、もし職質を受ければ、「日米同盟によって日本の独立は維持されています。アメリカ軍の兵隊さんには感謝しています。実際に基地を見れて感激して撮影しました」と返答するつもりだったが、命令されたのがショックだったので、次回、同じようなシチュエーションが生まれた場合は「神聖な日本国の領土に外国の軍隊が駐留していることは耐えがたいため、証拠写真を撮りに来た」と言うことにしたい。もっとも、あんなショッキングなことは二度と経験したくないので、私が基地の方を撮影することは二度とないだろう。撮影した写真は手元にあるが、サイバーアタックとかされたら困るので写真をここに掲載することは自主規制しようと思う。

気を取り直し、私は三笠を目指して歩いた。横須賀の海は汚れていて、もうちょっとなんとかしろよとも思ったが、ここで文句を言っても始まらないので黙って歩いた。エイが水面から顔を出しているシーンに遭遇し、生まれて初めて見る光景だったので私は驚愕したが、これは神様のプレゼントなのかも知れない。三笠に着くと、入場料の600円を払い、私は中に入り、無料のガイドさんの説明を聞いて、一時間ほどで出てきた。基本的には日本海海戦の英雄的な活躍についていろいろ教えてもらえたのだが、たとえば東郷平八郎長官が立っていた場所とか、その後ろに秋山参謀が立っていた場所とかが分かるようになっていて、なるほどここは愛国心を養う場であり、100年前の戦勝を今も祝う場なのだと理解したが、ここへ来る途中でアメリカ軍基地と通り過ぎた私としては、戦勝のシンボルである三笠と、敗戦の具体的結果である米軍基地の両方が存在する横須賀の因果の深さみたいなものを思わずにはいられなかった。ちなみに中国人観光客もあちこちにいて写真を撮っていた。アメリカ軍、三笠、中国人観光客が集まる街横須賀は、近代日本の縮図である。

戦艦三笠の外観

アメリカ軍基地関係者と思しき白人さんとか黒人さんとかがたくさん歩いているのも印象的で、まるで沖縄みたいだった。だが沖縄の米軍への感情の悪化が懸念されるため、アメリカ人は決して我が物顔では歩いていない。やや遠慮がちという印象を私は得ている。ところが、横須賀ではそのような印象は得られない。米軍関係者は、まるでここがアメリカみたいに堂々と我が物顔で歩いていた。私の住んでいる場所の近くには厚木基地があるが、平素、藤沢でそんなにたくさんの外国人が歩いているのを見かけることはない。厚木基地の米兵は外出は控えるように言われていて、横須賀の米兵はそのあたりが緩いのだろうか?答えは分からないのだが、横須賀の人がどんな心境なのかは様々に想像することができるだろう。観光案内ブースの初老の男性が、米軍基地の写真撮影はできますか?との私の問いに対して、さりげなくなら大丈夫ですと答えたのは、本当は叱られるのだけれど、仮にも日本の領土で公共の施設を撮影するのに、アメリカ軍に忖度するというような悲しいことは認めることができないとの想いがあったからではなかろうかと私には思えた。たとえ本当は叱られるとしても、日本人が日本の領土内のものを撮影するのに(しかも個人情報とかプライバシーとかそういう話でもないのに)、遠慮しなければならないというのは、やはり言いにくい。だから、あのような説明になったのだろう。そのような説明が、せめてもの横須賀の人の意地なのかも知れない。

帰りに横須賀navy burgerを食べて帰った。確かにアメリカの味がした。

yokosuka navy burger




湘南台→六会日大前→善行→藤沢本町まで歩いた話

まあ、なんとなくの思いつきでやってみようと思っただけのことなのだが、この寒さ。
消耗も激しかったので二度とやらないとは思うのだが、折角歩いたのでブログに思い出として残しておきたい。

その日、お天気はやや晴れていた。春の晴天ならともかく、冬のやや晴れた日にやるものではない。かくも長い徒歩移動など…。

しかし、このように無意味な徒歩移動はこんな日にしかできないのも事実だと言えるのではないだろうか。もし、冬の晴天の気持ちのいい感想した日であれば、江ノ島とか、大磯とか、小田原とかへ行きたいと思うものだ。また、もう少し暖かい梅とか桜の季節になれば、そういう庭園とかに足を運びたいのであって、何が悲しくて六会日大前から善行あたりにかけて徒歩移動したいと思うものかとも思う。このエリアは何もない。藤沢市民なら分かってくれるものと思う。

慶應大学のSFCができて湘南台も発展し、このエリアには慶応大学の学生が多い。とはいえ湘南台駅のスターバックスは慶應大学の学生で混みあっており、とてもスターバックスを楽しめる空間にはなっていない。私がSFCの学生だったときは、スターバックスもなかったので、今のSFC生めぐまれているともいえるが、せめてスターバックスにでもいかなければ何もないことへの屈辱感はよく分かるので、SFC生がスタバに集中することを責めたりはしない。でも、マック持ち込んで何時間も作業しているのを見かけると、あのねえ、ここは渋谷のスタバじゃないのよ。湘南台の貴重な貴重なカフェなのよと言いたくなる。しかし、卒業して随分たつ私がそのような難癖をつけても始まらない。ぐっとこらえるというか、混み過ぎてスタバとしての価値を充分に感じられないので、もう湘南台のスタバにはいかない。

それはそうとして、六会の日本大学が非常に盛り上がり、はっきり言って湘南台よりも六会日大前の方が華やかで活気があるのではないかとすら思える時がある。日本大学の資源学科の博物館もあるらしく、なんとなく足を向けたくなるのは湘南台より六会ではなかろうか。とはいえ、全く無関係な私が日大の博物館があるというだけで界隈を歩いていいのかどうか分からないので、遠目に見ながら南下して歩いた。途中、山田うどんがあった。山田うどんに入るのは何年ぶりだろうか。山田うどんと言えばやはりうどんを食べなくてはならないと思い、ハーフのうどんを頼んだが、うどんを食べるのが10年ぶりとかそれくらいなので、うまく食べることができなかった。舌も顔の筋肉もそばにカスタマイズされているのだ。

山田うどんがうどん屋さんだと思っていては大間違いだ。おそばも売っているし、サイドメニューもいろいろあるし、ドリンクバーみたいなものもあった。山田うどんは常に進化系なのだ。しかもとてつもなく安い。ありがとう山田うどん。

山田うどんのうどん。麺にこしがあっておいしかった。

山田うどんを出て、すぐ近くのコメダ珈琲店で休憩し、更に南下した。コメダ珈琲店は大抵の場合、接客がいいので、ある程度大きい都市のコメダ珈琲店なら喜んで入るのだが、藤沢市内のコメダ珈琲店である。限界があることは知っている。ややトラウマ的な接客を受け、私は更に南下した。もし星野珈琲店なら、トラウマはこの程度では済まなかっただろうから、コメダ珈琲店には感謝しなくてはいけないだろう。
六会日大前から善行方面へ歩く途中に開けている農地。藤沢市民の経済を支えている。

善行界隈から見た横浜方面の様子。歩けばすぐに横浜市内だ。ベッドタウンの雰囲気は好きだ。

がんばって歩き、いつの間にか善行を過ぎ、気づくと国道1号線の近くで、国道1号線を抜けると雰囲気はすっかり藤沢本町だった。寒さと疲れをいやすため、私は藤沢本町のタリーズコーヒーにかけこんだ。ホスピタリティ溢れる接客に涙が出そうになった。ありがとうタリーズコーヒー。藤沢にはスタバもあれば、コメダ珈琲店も星野珈琲店もあるけど、実は一見ありふれたカフェに見えるタリーズコーヒーの接客が身に染みるとは。藤沢本町のタリーズコーヒーのことは生涯忘れないだろう。




関連動画 稲村ケ崎から江ノ島を臨む

長後の焼き餃子

小田急江ノ島線の長後駅を降りて東口の方から外に出ると、すぐ近くに古久家がある。

老舗の中華料理で、昔は神級にチャーハンがおいしかったのだが、その神様が引退したので、伝説のチャーハンは食べられなくなってしまった。しかし、それでも藤沢市内で最高レベルの中華料理を出してくれるお店であることに違いはなく、神奈川県内でもトップランキングに入るのではないかと思えるほどの味を出してくれるすばらしいお店である。神奈川県には中華街もあるため、中華料理でランク入りするのは至難の業のように思えるかも知れないが、中華街は案外、おいしくないお店も多い。最近は和食のお店ができたり、バーとか増えて中華街らしさが崩壊しつつあるため、ますます中華料理のレベルには期待できなくなりつつあって、実際、最近、屋台の中華まんを食べた時は二度と食べないと誓うレベルになっていた。従って、たとえ中華街のある神奈川県内であろうとも、素晴らしい中華料理屋さんが中華街以上においしいということはあり得る。それが古久家であると言っていいだろう。藤沢市内にチェーン店を持っていて、いわゆるローカルチェーンになっており、世田谷の代一元みたいになっているのだけれど、果たして藤沢市内に何軒あるかはよく分からない。長後駅前の店舗が本店だろうなとは思うのだが、それも、そうじゃないかなという程度の当て推量である。おいしいかどうかが問題なのであって、資本関係はどうでもよく、このお店はおいしいのだから、それでよいのである。

で、このお店で一番人気なのは焼き餃子だ。パリッとしていてジュワーっとしている、日本人が好むあの餃子の味である。中までしっかり熱が通っているため、どこぞのチェーンのように中の方がやや冷めているとか、そういうことはない。少なくとも今まではなかった。餃子は本来、お米と一緒には食べなくていいようにできている。そもそも北京のようなお米の育たない寒冷地域の食べ物で、お米はなくとも小麦を使って餃子の皮を作り、肉を巻いて食べるのだから、餃子さえ食べていれば、肉も炭水化物も問題なく摂取できるようになっている。餃子の餡の部分に野菜をしっかり刻んで入れておけば、野菜も採れるのだから、中華料理らしい完璧なお料理が餃子というわけだ。そのため、本来ならライスを注文する必要はないし、古久家の餃子はかなり本格的で真面目にライスはいらないのだが、餃子が安いので、餃子だけ頼むというのはお店の人に申し訳ない。そのため、ライスも頼んで一度の食事にしている。ライスを頼むとスープをくれるので、これがありがたい。チャーハンを頼んでもスープが出てくるのだが、スープ大好きな私としては実にありがたいのである。

古久家のチャーハンとライス




藤沢本町で義経を祀る白旗神社

湘南地方をてくてく歩けば、この土地が源氏と深く結びついているということに気づくことができる。たとえば江ノ島電鉄腰越駅というところがあるが、義経はかつて、ここで腰越状を書いた。平家を滅亡させた後、京都で後白河上皇から検非違使に任命された義経は、その新しい肩書・地位を土産に意気揚々と鎌倉へと引き上げてきた。そして鎌倉の手前の腰越で頼朝に足止めされている。鎌倉に独立政権を構想していた頼朝は、義経が京都で検非違使の職位を手にして帰ってきたことが鎌倉武士への裏切り行為だと非難したのだ。私にはこれは半分正しくて、半分は言いがかりなのではないかと思える。義経が京都にとどまれば、検非違使の職位を活かした仕事をするかもしれないが、鎌倉に帰ってくれば、その称号は単なる飾りである。外国で名誉市民の称号を受けて帰ってきたらスパイ呼ばわりされる程度の理不尽さが、頼朝にはある。しかし、義経が頼朝の政権構想を甘く見ていたこともある程度は本当なのだろう。義経の心中には、京都で要職を得れば、鎌倉でもいい扱いを受けるのではないかという甘い期待があったに違いない。鎌倉武士の政権にとっては、そのような下心こそ、京都貴族につけこまれる危うい要素なのだ。だがしかし、それなら兄が弟を諭して検非違使を辞めさせればいいことで、何も命を奪わなければならないほどの大事とはとても思えない。そのあたりに頼朝の陰険さのようなものを、もう一歩踏み込むとすれば、頼朝のスポンサーである北条氏の冷酷さをも見えてくるのである。

腰越だけでこれだけ語れるのだ。相模湾沿岸まで範囲を広げれば、更に頼朝の事跡と出会うことになる。小田原の山手の方へ行けば、頼朝が平氏に敗れて逃走した石橋山がある。頼朝は石橋山を下りて真鶴へ逃れ、そこから海路、房総半島へと脱出した。頼朝の人生で最大の危機であったはずだが、彼は徹底して逃げ延びることで難を逃れた。逃げるは恥だが役に立つのである。ましてや体育会系的ロックンロール風のノリで生きる源氏武士であっても、そのあたりをリアリズムで乗り切れるかどうかが生死を分けたと言えるかも知れない。北条氏のゆかりの土地まで探せば、神奈川県は宝の山みたいなところなので、それは楽しいのだが、義経に話を戻す。

そういうわけで義経は腰越から引き返し、京都でしばらく過ごした後、頼朝の追手から逃れて静御前と別れ、弁慶とともに各地を放浪し、東北地方の奥州藤原氏を頼り定住しようとするが、頼朝の恫喝に屈した藤原氏の手によって命を奪われることになる。手を汚したのは藤原氏だが、頼朝がやらせたようなものだ。頼朝はおそらく、義経が怖かったのだろう。頼朝の権力を担保するのは北条氏のパワーしかないが、義経の方が担ぎやすいと判断されれば、頼朝は殺されてもおかしくない。どちらかと言えば義経の方が能天気で、扱いやすく、担ぎやすそうな気もしなくもない。なら、義経を殺そうと頼朝は決心したと考えることもできる。

頼朝はその後800年にわたり日本を支配した武家政治のファウンダーであり、武士道精神が今もある程度日本人の行動様式や思考様式に影響を与えているとすれば(たとえば不祥事が起きた会社の社長が辞任するのは、武士が切腹することで責任を果たすという思考様式に準じている)、頼朝の存在感は半端ないのだが、人気があるのはやはり義経だ。義経は平家を滅亡させるだけの優秀さを持っており、たとえば戦前の軍はひよどり越えを真剣に研究して近代戦に活かそうとした。京都育ちというなんとなく雅なプロフィール、五条大橋での弁慶との対決という、子どもも喜ぶエピソード、静御前との別れという、男女のあや、強い兄に追われる弱気弟に対する判官びいき、歌舞伎の題材になり、能の題材になったのは、こういった義経の様々なアイテムが素晴らしすぎるからで、頼朝にはこのようなアイテムはない。頼朝にあったのは権力だけだった。その権力も、心もとない。頼朝は北条氏の傀儡だったのだから。京都のお寺で育てられた義経は、伊豆で女の子をナンパする以外にやることのなかった頼朝よりも遥かに都会人で教養人で、洗練されていたに違いない。もっとも、その素晴らしい頭脳から生み出される功利主義的戦法は、関東武士の美学に会わず、部下や同僚から思いっきり嫌われてしまったのだから、本当に気の毒だ。

確かに義経は頼朝によって犯罪者として処理されることになった。とはいえ、義経は上に述べたように日本史で一番人気がある人物なのだ。そのままというのはあまりに気の毒だ。で、小田急線藤沢本町駅を降りてすぐ近くにある白旗神社の御祭神が義経というのは、納得できることなのである。源氏の象徴である白旗に笹りんどうの紋章は、一時、大陸騎馬民族にも似たようなシンボルが残されていると言われ、義経ジンギスカン説の根拠とされることもあった。白旗神社で見た笹りんどうの白い提灯は、ここが本物の義経由来の土地だということを表している。歴史をマニアックに愛好するものにとってはなかなかぐっと来る場所である。



鎌倉駅前の銀のすずのアップルパイ

先日、音楽に関係する要件があるので、鎌倉に行った。しばらくは鎌倉に時々行くことになると思う。で、鎌倉駅についた後、約束の時間までどうしようかと思ってふらっと入ったのが、銀のすずというカフェである。確かに入り口は微妙であった。バーンっと大きな写真がある。男の人二人が和装で正座しているのだが、オーナーのご先祖様らしい。で、創業は天保六年となっている。想像だがお茶屋さんだったのだろう。多分。で、それはいい。ただ、大きいバーンという看板は確かにいろいろ考えさせられるものではあった。というのも、たとえば熊本県に行けば漱石が泊まった宿という看板があって、私は少年時代に父親に連れられて旅行した時に一度だけその看板を見たことがあるのだが、漱石の顔がバーンっと大写しになっているものだった。そりゃ、二百十日の舞台になったのはこのお宿なんでしょうけれど、漱石だって生きていれば旅行もするし、旅行すればどこかの宿には泊まるのだから、漱石の人生にちょっとでもかすっていれば、漱石のドアップ看板バーンはちょっといかがなものか、観光客目当てが分かりすぎはしないかという印象を持ったのだ。なので、銀のすずの前に立った時、その看板の存在は、このお店が微妙だということを表しているのだと気づくべきだったのだ。

しかし、疲れていた私は寒かったし雨が降っていたのもあって、あまり考えずに銀のすずに入った。カフェなんて、そんなに変わらないだろう。どこへ入っても大差ないさ。あっちにルノワールがあるけれど、ルノワールは都内にもある。銀のすずはここしかないのだから、一見の価値ありと踏んだのだった。で、あまりフレンドリーとは言えないお店の人に席を案内されたのである。お店の人はフレンドリーでないというよりも、なんとなく慣れていないというか、接客業のプロ意識に欠けている感じがするというか、都内であれば短期のアルバイトでも気合の入っている人に出会って敬服してしまうのだが、そういう気合を感じられないことにやや怪訝な思いがないではなかったが、都内と比べれば神奈川県下はそういう気合の入らない接客業の人は多い。都内と比べればその比率は半端なく高い。神奈川県をdisっているように思われるかも知れないが、私も神奈川県民なので、なにとぞおゆるしをねがいたい。ついでに言うと、星野珈琲店もフレンドリーではないという点で私は行く度になんとなくショッキングなのだが、チェーンのどの店舗に入っても店員さんが迷惑そうにしているので会社の方針なのかも知れない。私に問題がある可能性もあるが、コメダ珈琲店でそのように感じたことはないし、普通そのようなことは感じない。

それはそうと、次にメニューを見てその高さにひっくりかえりそうになった。ケーキセットで2000円前後という強気の価格帯である。今さら雨の晩秋の夜に安いカフェを求めて歩くことは難しいと思ったので、やむを得ずアップルパイのセットを頼んだ。安い方のセットを頼むと、それはエスプレッソの値段だというので、ブルーマウンテンのちょっと高いセットにした。エスプレッソとブルーマウンテンの違いで300円ほどの差があった。普通のカフェでエスプレッソとブルーマウンテンで300円も違わないだろう…。と思っても入ってしまった以上は後の祭りである。しかもお皿が出てくるのはとんでもなく遅い。お店の人はギャルソン的な立場の男の人がたった一人だけで、注文を聞くのもお皿を用意するのも下げるのもこの人がしているのだ。文句を言うのはかわいそうだと本を読みながらじっと我慢。カフェに入って我慢するとはどういうことかと首をかしげたくなったが、とにかく我慢で張学良に関する本を読んだ。私は以前から張学良氏についてはいろいろ関心があったが、この待ち時間の間の読書を通じ、更に深く彼のことを理解し、あ、なるほどと思うところがあったので、それはそれでまたブログに書きたい。近いうちにyoutubeの配信も再開したいので、配信再開の一報は張学良氏についてにしようかとも考えている。(シャア論考にするかも知れないが)

それはそうとして、歴史上の人物について大きく理解を深める程度の待ち時間があるカフェはそれ自体どうなのかとも思うが、私は読書の休憩のつもりでiphoneを取り出し、鎌倉 銀のすず で検索した。あまりの評判の悪さに驚いたが、いちいちもっともだとも思った。お店の人の対応は微妙で高い。鎌倉駅前の立地はそんなに偉いのかといわんばかりの随分な言いようである。星1つ、2つが目立った。分かる。理解できる。お料理もそこまでおいしくないとの評価もあった。銀のすずの名誉のために付け加えると、コーヒーとお料理はすばらしかった。あまりのおいしさに椅子から落ちそうなほどに驚いたのだった。椅子は落ちそうなほどやや微妙だった。なぜ
アップルパイにここまで研究が深まっていながら、インテリアに関する研究は微妙なのか…やはり鎌倉駅前という立地が驕りを生んでいるのかとも訝しんだが、いずれにせよ、繰り返しになるが、アップルパイとブルーマウンテンは最高だった。果たしてあんなにおいしいアップルパイを食べる機会を再び得られるだろうかと思えるほど、人生で最高においしいアップルパイだった。銀のすずのアップルパイは一度は試してみる価値があるのでおおいにお勧めだ。

ネット上では二度と行かないという人の声が多数だった。私ももう一度行くことはないと思う。だが、一度ぐらいは行ってもいいカフェであることは断言できる。