とある情報機関の機関紙の昭和14年12月11日付の号で、ポール・アインチヒという人物の『次期対戦の経済学的研究』について言及されている記事がありましたので、ちょっと紹介してみたいと思います。ポール・アインチヒという人物について検索してみたところ、彼はルーマニア出身で後にフィナンシャルタイムスの記者になり、英国に帰化した人物のようです。で、当該の記事に曰く
先づ「英国は戦闘には敗けるかも知れないが、戦争にはきっと勝つであらう」と云ひ又、「ナチス・ドイツの恐るべき戦闘力に、たとひファシスト・イタリーの援助があったにしても、民主主義国が必ず勝つといふことは、戦争の結果が大いに経済的理由によって左右されるものである限り、疑ひに一点の余地もない」と断じまして最後に左の如く結んでおります。
「若しも第二次世界大戦が始まるならば、それは必ずや長期戦になるであらうが、長期戦に於ては経済的理由が勝ち負けを決する極めて重要な要素であるから、英吉利のやうな金準備が豊かであり、之によって豊富な食料品や原料品を得られる国は、独逸のやうな金が少く又、食料品や原料品の乏しい国に対し、必ず最後の勝利を得る事が出来る事は、前大戦の時と同じである」と言うて居るのであります。
と紹介しています。後の歴史の展開を知っている我々から見れば、ポール・アインチヒのドイツ必敗の予言はその理由も含めて完璧に的中したということが分かりますが、当該記事の筆者は、「必ずしもそうとは思はない」としながらも、「近代戦」が経済戦であることは認めています。次いでアドルフ・ヒトラーの著作である『我が闘争』の内容を紹介し、ヒトラーがドイツが第一次世界大戦で敗けたのは、銃後の国民が節約に徹しなかったからだと述べているとして、日本も蒋介石との長期戦に勝つためには、国民が隠忍自重し、我慢を重ねて贅沢をせず、節約して経済戦に勝たなくてはならないとしています。当時の段階は、英米の蒋介石政権への肩入れは明らかで、何せ世界の大国であるアメリカとイギリスが蒋介石に存分に援助を与えているわけですから、経済戦の面でも昭和14年の段階で、緒戦で連勝しながらも実は日本の側が窮していたわけで、当該記事の著者もその事情ははっきりしすぎるくらいによく分かっていたようで、筆致からは焦燥感のようなものを感じ取ることができます。当時の日本はすでに経済戦でも敗けていて、国際世論は日本に味方せず、東南アジア華僑も蒋介石支持でしたから情報戦でも敗けていたと言わざるを得ないように思えます。また「大東亜共栄圏」という理念も、要するに植民地をたくさん持っているイギリスは何かと有利なので、日本もそうしたい、或いはそうしないと世界に追いついていけないという焦燥感と表裏一体、不離不足だったということ、イギリスみたいになるためには、遅れてきた日本のような帝国も経済ブロックを持たなくてはいけないという、切実さのようなものも感じ取れます。
結果としては日本帝国は植民地の維持だけでも大変で、更に満州国や汪兆銘政権への援助で手いっぱいになり、太平洋戦争が始まると占領地が広すぎてどうしていいか分からないというところまで追い込まれていきますから、石橋湛山の言うところの「小日本主義」が正しかったと言えますし、戦後の日本が繁栄したのも、小日本主義に徹したからと言えるようにも思います。いよいよ昭和15年、アメリカとの開戦前夜の息詰まる危機感と焦燥感のある記事がどんどん出てくるはずですから、日本人の私としては歴史に関心があるという意味では、多少わくわくもしますが、同時に日本帝国の滅亡へのまっしぐらを辿るわけですので、何ともやりきれない心境にもなってしまいます。
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