真珠湾攻撃がいろいろな意味で残念な件

真珠湾攻撃を「政治」「戦略」「戦術」の三つのフェーズに分けて考えてみたいと思います。

まず、政治的な意味で言えば、かくも大失敗な攻撃はありません。連合艦隊の山本五十六はアメリカに痛打を与えてその戦意を挫くとという方針を持っていたと言われていますが、あまりにも唐突な攻撃を受けたためにアメリカではむしろ戦意が高揚し、逆の結果を招いています。フィリピンあたりで小競り合いをしてアメリカの太平洋艦隊をおびき出し、当時であれば圧倒的に連合艦隊の方が強かったですから、そこで艦隊決戦で全滅させていればアメリカも戦意を喪失するというシナリオがあり得ましたが、そういう順序をいくつか飛ばしてしまっているので、政治的には全くの大失敗。狙いを外しまくりというしかありません。

次に、戦略という点から見ればどうでしょうか。戦略的には真珠湾攻撃はアメリカが当面、太平洋で動きが取れなくなることを目指すものです。そういう意味では何といってもハルゼーの空母艦隊を討ち漏らしており、ぶっちゃけ戦略的にはもはやどうでもいい戦艦とか巡洋艦とか沈めまくったわけですが、その無用の長物と化していた戦艦も真珠湾は太平洋の海に比べれば全然浅いのでその多くが引き揚げられて修繕されていますので、真珠湾攻撃の戦果事態が無意味であったと言っても言い過ぎではないかも知れません。当時はシンガポールですら占領できるだけの力があったわけですので、ハワイのそのものの占領も充分に可能だったと言え、やはり、どうせやるのであればハワイ占領を企図しておくべきでした。半年後に「やっぱりハワイをとっておけばよかった」という後悔の念からミッドウェー海戦という更に残念な結果を招くことになってしまいますが、そういう意味では思い切りが悪かった一発殴って逃げ帰るという戦略そのものに欠陥があったと思わざるを得ません。全く残念というか、orzとしか言いようがありません。

では、戦術的にはどうでしょうか。こっそりと太平洋の北側からハワイに迫り、攻めること火の如し、走ること風の如しですので、見事と言わざるを得ず、そのために費やした訓練の成果であり、現場のパイロットの人たちへは敬意の念を抱かないわけにはいきません。ミッドウェー海戦では司令官の判断ミスが大きく影響しますが、それでもそこから反撃してアメリカの空母を二隻沈めていますので、やはり現場が如何に優秀であったかについて思いを致さざるを得ないと思います。

そのように思うと、もしあの時にハワイを占領しておけば、太平洋は西海岸に至るまで日本が制海権をとることができ、相当有利に戦局が推移した可能性を考えると悔やまれてなりません。とはいえ、戦争が長引けば必ずアメリカ有利の展開になることは間違いなかったでしょうから、東条英機が早期講和を全然考えていなかった以上、最終的な結果にはあまり違いはなかったかも知れません。当時のことは知れば知るほどorzです…。

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東条英機内閣‐責任とらされ内閣

第三次近衛文麿内閣がアメリカから受けた経済制裁に対する事態の打開を諦めて総辞職し、その後継首相として指名されたのが東条英機でした。アメリカとはどのみち戦争になるだろうから、対米強硬派の東条英機を首相にして敗戦の責任をとらせるのがいいだろうという見方も存在していたらしく、同時に東条英機が首相になれば陸軍もおさまるだろうという国内政局的な見方も存在していたようです。

登場の前の近衛が貴族院出身、その前の米内が海軍、その前の阿部が陸軍でしたから、衆議院がほとんど積極的な存在意義を発揮することができなかった当時、国内政局的には「次は陸軍」という鼻息の荒い人たちを納得させるという意味合いもあったかも知れません。アメリカと戦争すれば即滅亡くらいの認識はあったでしょうから、そういう時に国内事情で人事を決めていかなくてはいけなかったというあたり、日本帝国が変化できない恐竜になっていたことの証左の一つのように思えてなりません。

個人的にはもし松岡洋右が組閣を命じられたとすれば、ちょっと違ったのではないかという気もします。というのも、松岡は対米強硬派と知られてはいたものの、おそらくアメリカとの交渉での引き際も考えることができた当時としては数少ない知米派ではなかったかという気もするからです。国際連盟脱退の際、それを実際に行ったのは松岡ですが、彼本人はイギリスが示した妥協案に乗るべきだと考えており、にもかかわらず東京では「国際連盟から脱退すれば、その決議に拘束されない」という小手先のレトリックがまかり通り、脱退案が浮上し、訓令として松岡のもとに届けられます。松岡は訓令に従って国際連盟を脱退し、その後はひたすらアメリカに対抗できる勢力を確立するためにドイツやソ連と連携を図るという無理ゲーを無理と承知で進めていくことになったわけですが、日米開戦に至るまでの半年ほどの間、リアリティのある対米外交ができた人間がいなかったという現実を踏まえると、やっぱり実は松岡洋右の方がまだましな結果に導くことができたのではないかとふと思わなくもありません。

いずれにせよ、国内では陸軍をなだめなくてはならず、一方でアメリカもそれなりにふてぶてしいですから、その板挟みでどの政治家が首相になってもうまくいくとはちょっと考えにくく、どうせやるなら東条英機に責任を取らせようと考える人がいたとしても、国内政局という観点に於けるリアリティは充分にありますので、まあ、それまでの経緯をいろいろ考えれば、行くところまで行くべくして行ってしまったということかも知れません。

太平洋戦争では緒戦の勝利で国内は狂喜乱舞し、有利な条件で講和に持ち込むという大事なことを誰もが忘れてしまいます。真珠湾攻撃が鮮やかすぎたためにアメリカは闘志満々で、長期戦になればアメリカの勝利は確実でしたから、講和しようとしてもできなかったかも知れません。太平洋戦争ではじりじり敗け始め、サイパン島の陥落で東条は引責辞任ということになります。

東条内閣の次は小磯国昭が組閣を命じられますが、もはやなすすべはなく、この時に首相に就任したことで戦後にA級戦犯に指名され、終身刑を言い渡されますので、気の毒以外の何物でもないのですが、この時代ことはがっくりする以外の言葉が出てきません。