海部俊樹内閣‐神輿

宇野宗佑首相が短期で辞任し、竹下・金丸・小沢ラインが目を付けたのが海部俊樹でした。若さのわりに当選回数が多く、早稲田の雄弁会では竹下登の後輩だということが理由になったと言われています。自民党幹事長だった小沢一郎は「神輿は軽くて〇ーがいい」と言ったと言われており、そういう意味完全に傀儡でしたが、国民の人気は高く、衆議院選挙も乗り切っています。

とっちゃん坊やでかわいらしい顔と真面目そうな雰囲気が人気呼び、学生時代から政治家になりたくて夢を叶えたという感じがするので、私も印象は悪くないです。選挙で勝てる顔なわけですから長期政権になってもおかしくないですが、政治改革法案で紛糾します。田中角栄のロッキード事件のイメージを自民党はまだ色濃く残しており、更にリクルート事件が追い打ちをかけて来た時期ですから、「政治改革」が時代の合言葉のように言われていましたが、中選挙区制度だった衆議院を小選挙区と比例代表に変えるという飽くまでも選挙制度改革に過ぎず、自民党の結党以来の党是である憲法改正に必要な三分の二を確保するためには選挙で大量に勝てる可能性のある小選挙区制にすることは以前から議論されていたことでもあり、ご時世に乗っかって政治改革の名の下に長年の懸案を解決しようとしたという面も一部の人にはあったのではないかとも思えます。

しかし、選挙区の区割りの変更は現職議員の地盤を直接脅かす可能性があるため、自民党内での反発は激しく、小此木委員長が廃案に持ち込むという結構心ない方法で潰されたため、海部俊樹首相は「重大な決意」という言葉を発します。首相が「重大な決意」と述べれば解散を連想させますし、内閣の目玉の法案が潰されたとなれば、解散の理由としても充分とも思えますが、やはり竹下・金丸・小沢ラインが不賛成で解散すら打てないという状況に追い込まれ、海部内閣は退陣することになります。

海部内閣時代には湾岸危機→湾岸戦争が起きており、アメリカは日本からも自衛隊を出すようにと求めて来ますが、当初はそれを拒否。人を出さないのなら金を出せと迫られ、小沢一郎主導で一兆二千億円が支払われます。更に、戦闘が終わった後のことですが、自衛隊の掃海艇が派遣されます。小沢一郎がバリバリ親米の時代で、当時の小沢は憲法9条に第三項を加えればオーケーだとする加憲論者でした。当時、小沢一郎は剛腕幹事長と呼ばれ、全盛期を迎え注目されていましたが、その後の変節・転向の展開を思えば、振り返ってみても何となく白けてしまいます。

海部首相の次は宮澤喜一政権です。