江戸時代、平和且つ安定的に経済発展を遂げた時代であったため、武士階級だけでなく市井の人々の間からも思想家が登場してきます。
有名な人物としては、石田梅岩という人物を挙げることができると思います。農村の出身者ですが、長く商家に奉公した経験があるため、農民の生活と商人の生活の両方を知っていた人と捉えていいのではないかと思います。彼は『都鄙問答』で、商人が利益を追求することは、武士が碌をもらうのと同じであるから、商人を「金のため」だけに生きているという観点から軽蔑することは妥当ではないとする論陣を張りました。
梅岩が晩年に開いた私塾では性別も問わず、授業料を受け取らず、紹介状もいらないという姿勢で臨んでいたということですから、身分の格差のようなものに対しては激しい反発心を持っていたのではないかと想像できます。もっとも、自分の身分に満足する、即ち足るを知るというような意味のことも説いていたとのことですので、身分制度そのものを否定していたわけでもないようです。或いは、身分制度を否定するといろいろ厄介なことになったでしょうから、自分の身を護る必要性もあったのかも知れません。
東北地方で生きた安藤昌益という人物は、戦後になったカナダ人外交官ノーマンに評価されてその名が知られた人で、武士や神社仏閣の人々のことを、農村から搾取する階級だとして厳しく批判しています。なんとなくフランス革命のアンシャンレジームを想起させられます。一時、農民一揆をある種のプロレタリア革命のようなものとして位置づけようとした学問研究がよく見られましたが(最近は「学会」に関心がなくなってしまったので、今どんな議論がされているかはちょっと分からない部分もあるのですが…)、そういう研究がしたい人には、安藤昌益の研究をするのが適切ではないかとも思えます。
それから、今風に言えばインフラ投資を充分に行うことで人々の生活を向上させたという意味で、二宮尊徳を忘れるわけにはいきません。田畑の開墾をやりまくって表彰されるに至るわけですが、生産性の向上が経済発展に不可欠だと考えるとすれば、二宮尊徳は鑑みたいな人と持ち上げても差し支えないかも知れません。もっとも、全国の小学校に二宮尊徳の像が建てられたことに対してはなんとなく懐疑的な気持ちにもなってしまいます。二宮尊徳の思想をつきつめれば、銅像を建てる金と時間があるのなら、それを生産性の向上に充てなさいということになるのではなかろうかとも思えるからです。
いずれにせよ、江戸時代にはいろいろな人があり、いろんな出来事もあり、それでいて近代史ほどセンシティブではないので、楽な気分で読んだり語ったりできる話題ですから、いろいろちょうどいいような感じがして、いいものだなあと思います。
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