国際連盟で活躍して奥さんも西洋人で英語ペラペラの新渡戸稲造は、『武士道』を書いた人としても世界的に著名な人物だ。武士道といえば葉隠で、葉隠と言えば、武士道とは死ぬことと見つけたりとなるため、新渡戸稲造も死について考察を深めようとしていたことが分かるのが、中央公論に掲載された新渡戸の『「死」の問題に対して』とするエッセイということになる。
彼の教養の深さが示されるのは、ソクラテスとイエス・キリストという二人の西洋の巨人が、私利私欲ではなく大義のために自ら進んで死を選んだということ、そしてルソーもその両者の共通点に気づいていたことへの指摘など、さすが新渡戸稲造とうなってしまうし、興味深い。ついでに言うと、私もソクラテスとイエスの共通点には気づいていて、もしイエスが実在せず、伝説上の人物だと仮定した場合、そのモデルはソクラテスに違いないと何年も前にこのブログで書いている。新渡戸は武士道が死を恐れないとしても、軽挙妄動による死を戒めている。後の東条英機の戦陣訓の登場を牽制しているかのようにすら思える内容で、そのような点からも興味深い。今回、このエッセイを読んで新渡戸稲造先生と私が同意見だということが分かり、嬉しかった。