ある白人男性がいるとします。彼は大学に行きませんでした。仕事は配管工です。収入は低いです。収入は低くても奥さんは高校時代のガールフレンドで、互いに浮気は一切なく、週末になると高校の時の友達が遊びに来てくれて毎週末はピザパーティです。
ある日、バスで彼の隣に黒人男性が座りました。
黒人男性は大学を卒業してホワイトカラーの仕事をしています。ですが上司から人種差別を受けていて、収入も同僚より少し低くされています。これも差別です。それでも隣の白人男性よりも遥かに高い収入を得ています。一度職場の女性に恋愛感情を抱いたことがありますが、自分が相手にされるわけないと思って最初から諦めています。週末は更なるスキルアップを目指して資格の勉強をしています。本心では遊びたいですが、自分を差別する白人たちを凌駕するためには知識やスキルを身に着けるしかないと決心してがんばっています。
その隣に中国人男性が来ました。彼は家がお金持ちで有名大学を卒業しニューヨークでファンドのマネージャーをしています。収入はとてつもない金額です。ですが、彼は寄宿舎で何年も同級生にイジメられた経験があって、今もその心の傷を抱えていて生きていて、どんなに収入があってもその傷が癒えることはありません。人を信用することができず、結婚もしていません。週末は最高級のホテルで一人静かにコース料理を楽しみます。
さて、この人達の何に関する格差を埋めればいいのでしょうか?
もし、金銭に関する格差だけを問題にするのであれば、その人はその他環境に関する格差を無視する偽善者です。
もし、金銭で環境が買えるのだから、大抵の場合はお金さえあれば自分の意志で環境を変えていけると言う人がいれば、そうできなかった少数者を切り捨てる薄情者か或いは細部について考えることを放棄している怠け者です。
そういうわけですので私は行政やお上が格差是正をするのではなく、可能な限りルールを削減し、自由に、その人の意思と才覚でやりたいようにやることが結果として人類全体の幸福度の総和を最大化できるのではないかと考えています。格差是正を議論すること自体がナンセンスだと思います。