聖徳記念絵画館に行ってきた

明治天皇の人生を日本画40枚と西洋画40枚で表現した聖徳記念絵画館は、知る人ぞ知る近現代史探求のおすすめスポットだ。ここでは3つの観点から、日本近現代史を理解・考察するための材料を得ることができる。まず第一は建物だ。大正中期に建設が始まり、大正末期、昭和が始まる直前に完成している。従って、日本近代がいよいよ成熟しようとする時代の息吹がこの建物には宿っていると言っていいだろう。どういうことかというと、明治時代の和洋折衷建築は木造が中心で、昭和の近代建築は鉄筋コンクリートみたいになっていくのだが、大正期は石を多用しており、昭和に近づけば近づくほど、コンクリートの要素が大きくなるが、この建物のような場合だとそのあたりの流行の変化を取り入れつつ、石もコンクリートも用いているわけで、日本郵船の横浜支店よりはやや古いと思うのだが、やや古い分、石の分量が多いというあたりに着目すればより興味深く観察することができるだろう。アイキャッチ画像では建物の中心部分のみ撮影している。検索すればすぐ出てくるが、多くの場合、この建築物は正面から撮影されており、左右対称のシンメトリーに注目が集まる。実際に行ってみて、正面から印象を確認してみるのもいい経験になるはずだ。

日本郵船歴史博物館の天井
日本郵船歴史博物館の天井

さて、次の楽しみ方としては、当然、絵の内容である。明治天皇の前半生は日本画で描かれており、生誕、元服、即位などの様子が宗教画の聖母子像の如くに神々しくかつ具体的に描かれている。これらの絵が描かれたのは後の時代になるものの、記憶している人が多くいる時代に描かれたものであるため、その記録性は高い。中には徳川慶喜が二条城で大政奉還をしたときの絵、教科書に出てくるあの有名なやつとか、勝海舟西郷隆盛の江戸薩摩藩邸での会見の様子を描いたものとかもあってとても興味深い。

徳川慶喜と大政奉還
徳川慶喜が二条城で大政奉還の意思決定をしている時の様子を描いた絵

実際に二条城に行ってみると、その時の様子が人形で再現されていて、それはそれでおもしろいが、かえってリアリティを損ねており、実感が伴わない。一方で、この絵の場合、実際の記録や関係者の記憶を集めて再現しているため、当時の様子を想像しやすい。司馬遼太郎は『最後の将軍』で、将軍という高貴な人が陪審と顔を突き合わせることはないから、慶喜は別室にいたとしているが、この絵を見る限り、思いっきりみんなの前に登場しているし、相当に情報収取して描いているに違いないのだから、おそらくこのような感じであったと考えて差し支えないのではなかろうか。慶喜が大政奉還したその日に薩摩・長州・岩倉グループによって討幕の密書を得たが、幕府が消滅したのでそれが実行できなくなったと言われていて、慶喜の智謀の深さを示すエピソードになってはいるが、当日は薩摩の重役小松帯刀が二条城に来ていて、積極的に大政奉還賛成を唱えたという話もあるし、小松帯刀は病死さえしなければ新政府の重鎮、場合によっては総裁にすらなっていたであろう人物だということも考えると、どうも慶喜によるフェイントで薩長立ち尽くした説にはなんとなく信用できない面があるのではないかという気もしてくる。こういったことは記録的な面で信憑性の高いこの絵画をじっと立って見つめることで気づいてくることなので、その一事をとってみても、実際に足を運ぶことには大きな意味があると言えるだろう。

西郷隆盛と勝海舟の会見は三田の薩摩藩邸で行われたため、三田に近い田町駅には両者のレリーフを見ることができる。このレリーフは聖徳記念絵画館の絵を参照して作られたものに違いない。西郷隆盛の顔は写真の顔によく似ており、一部に流れる西郷隆盛の写真は別人説を吹き飛ばす威力を持っている。繰り返すがここの絵は記録性を重視しているため、描き手は登場人物の顔について、相当に情報収集しているに違いなく、顔を見て知っている人からも情報を得た上で描いているのだ。田町駅のレリーフはそのうち写真を撮ってくるのでしばしお待ち願いたい。

さて、3つ目の楽しみ方だが、それはなぜ、このように明治天皇の人生を記録することを目的とした美術館が存在するのかについて推理することだ。実際に訪問して見てみれば分かるが、明治天皇の人生を辿るということにはなっているが、その辿り方はあたかも福音書のイエスの生涯を描く宗教画の如くにドラマチックで威厳に満ちており、記録性と同時に物語性も重視して描かれた絵が並んでいる。

伊藤博文や山形有朋のような元勲たちは、明治天皇を新しい日本という神聖な物語の主人公に置くことによって、新しい日本神話的帝国を建設しようとしたことと、それは無縁ではない。伊藤たちは新しい神話を必要としていた。それは古事記・日本書紀をベースにしていはいるが、西洋のキリスト教の如き原理原則・プリンシパルを堅持することのできるパワーを持つものでなくてはならず、それだけの説得力を持ち合わせるのは、彼らの持つカードの中では明治天皇しかなかった。従って、新しい都市である「東京」では、明治天皇の神話をもとに国民国家の首都になる必要があったため、皇居・明治神宮・靖国神社などの神聖スポットを建設することにより、近代東京が天皇の首都であるとする演出の舞台になっていったのだと理解することができるだろう。皇居に行った時、近代天皇制は徳川の遺産の上に近代的官僚制度が作り上げた幻影みたいなものだという印象を得たが、幻影を担保するために周辺諸施設が建設されたと考えても間違っているとは言えないだろう。一応、誤解のないように申し述べておくが、私は近代天皇制度は支持している。

いずれにせよ、以上のような理由で近代日本を理解するのに、非常にお勧めなのが聖徳記念絵画館なのである。



代々木の学金ラーメン

学金ラーメン店は気づいたときには既に存在していたので、相当な歴史のあるラーメンのお店なのだと勝手に解釈している。ただ、以前はなんか名前が違ったような気もするが、或いは考え過ぎで、最初から学金ラーメンだったのかも知れない。私の頭の中では、当初「九州ラーメン大学」みたいな名前だったのが、いつの間にか、学金ラーメンになったように思えるのだが、人間の記憶なので頼りにならない。無意識のうちに記憶は編集されてしまう。

いずれにせよ、私がこのラーメン店に入るのは実に数年ぶりのことなのだが、とても混んでいて人気のほどがよく分かった。なぜかくも人気があるのかと問えば、それは兎にも角にも美味しいからで、九州ラーメンの豚骨味は東京ラーメンを圧倒し、日本全国を席捲しているようにすら見える。

九州ラーメンなのだから、言うまでもなく麺は細麺であり、細麺である以上、麺の硬さは普通よりも硬めが理想であると言える。もちろんバリカタ、ハリガネを注文する猛者もいるが、短時間でささっと食べ終えるのが原則だとすれば、スープを吸って柔らかくなるのを待つ時間が長すぎるのもまたあまりよろしくないのではないかという気がする。従って、麺の硬さはやや硬い状態で注文する、「硬め」がやはり理想なのだと個人的には考えている。

さて、今回は「らーめん」を注文したのだが、お店の券売機には一番売りたい商品として「学金ラーメン」が大きく前面に押し出されていた。やや高いが、具の豊富さに私は圧倒されそうになった。とはいえ、麺とスープを楽しむのがメインであるのだから、具の多さに誘惑される理由はないと私は思い定め、決心し、お値段的にお得な「らーめん」にしたのであり、決してお金がないとか、貧しいとか、けちったとか、そのようなことではないのである。繰り返すが、決してそのようなことではない。

いずれにせよ、長年代々木の一番いい場所で営業している学金ラーメンは称賛と尊敬に値するのだから、今回、訪問した記念にこのブログでも称賛と敬意を表したい。



品川駅構内の和風スープストック

品川駅構内、ecute近く、立ち食いお寿司屋さんのお迎えにある和風スープストックのファンは多いはずだ。あっさりとしていながらダシが濃いという、和風料理の理想の姿がある。しかも、たとえばご飯は雑穀で、さらっと粉チーズがのっているなどという感動的な新しい味の演出もある。いい意味で手ごわく、感動的なまでに尊敬の対象であると言える。

上の写真は博多風のおかゆだが、柑橘系のにこごりを入れることであっさりすっきりとした、今まで知らなかった新しい味を提供してくれている。凄い。おかゆの中のつみれもただものではない。味が濃く、かつ、あっさりしている。凄い。本当にすごい。とにかくすごいのだ。リピしなかったらおかしいと、私はついつい思うのです。店員さんのフレンドリーさも普通ではない。日本の普通の食堂で店員さんは別にフレンドリーでなくても良くなってどれほど経つだろうか。しかし、ここは間違いなく経営の判断による教育なのだと思うけれど、店員さんはトップレベルにフレンドリーだ。フレンドリーかどうかはトリップアドバイザーのような世界的観光口コミサイトでも、ユーザーが重視するポイントの一つで、世界中の人がお店の店員さんがフレンドリーかどうかは気にする。何も日本だけの現象ではないのである。そして日本は店員さんフレンドリー大国だったが、最近は別にそういうこともなくなった。日本企業は今空前の人手不足が続き、誰でもいいから店員やってが身についてしまい、難しい教育をしてアルバイトの人に辞められると困るので、こういうことになったのではないかと思う。が、品川駅の和風スープストックはそうではない。凄いなあと思うのだ。

そうそう、いずれはお迎えの立ち食い寿司屋さんも食レポしたい。




ソフィア・コッポラ監督『ロスト・イン・トランスレーション』の、わりと共感してしまう恋

ビル・マーレイがアメリカ人俳優として日本のテレビcmに出演するために招待され、新宿あたりの超高級ホテルで中期的に滞在した時、同じホテルに若いアメリカ人の夫婦も滞在しており、ビル・マーレイと若い夫婦の奥さんとが微妙な関係になっていくという、一瞬、なにそれ…と思いそうだが実はわりと共感できる爽やかな内容になっている映画だと私には思えた。

若い夫婦の旦那は優秀なカメラマンで仕事のために日本の来たのだが、忙しくて奥さんはわりと放っておかれている。しかも旦那の知り合いのモデルみたいな女の人も同じホテルに宿泊していて、仲良くバーで飲んだりするけれど、奥さんとしてはちょっとおもしろくない。

一方、ビル・マーレイは大スターで、年齢的にもいい中年のおっさんなのだが、日本滞在がそんなに忙しいというわけでもなく、結果、若奥さんとビル・マーレイが一緒にあちこちででかけたりして、だんだん怪しい関係を予想させる展開になるのだが、両者は怪しい関係になることを選ばないというところが、好印象なのである。酔っぱらった若奥さんをベッドで寝かせた時、よっぽどいろいろ考えたけど、やっぱりやめておこうというビル・マーレイの態度に好感を持たない人はいないだろう。

で、ビル・マーレイがいよいよ日本を離れるという時になって、二人はホテルのロビーで握手をして別れる。空港までのハイヤーに乗っている途中、彼は若奥さんが都内を一人でぶらぶら歩いているのを見かけてしまい、車を一旦止めさせて、後ろから声をかける。二人は強く抱きしめ合い、キスをする。キス以上の関係にはならないのだが、両者はキス以上の愛情関係があることを確認し合い、満たされた心境で本当に別れるという流れになる。既婚者が配偶者以外とキスするのは本当だったらダメなのだが、それまでのギリギリ、もう一歩踏み出しそうで踏み出さないのをジリジリと見せられている観客としては、おー、そうか。そういう形で成就したのかと祝福したい心境になってしまい、ついつい共感してしまったのである。そういう恋は、ある。

東京が舞台で、日本人もいっぱい出てくるが、全てはこの二人のすれすれの恋のだしみたいな感じに使われており、別に日本を舞台にしなくてもいい内容なのだが、おそらくソフィア・コッポラが日本で遊んだ時によほど楽しかったのだろう。「東京ライフをパリピでリア充イエーイ」感があふれている。多分、ソフィア・コッポラが同じような感じで遊んだのがいい思い出になったに違いない。

私は東京が大好きだし、東京は楽しい場所だともちろん思うが、一点のみ、ソフィア・コッポラと私の間に東京の楽しみ方に関する認識の相違がある。私と彼女の間で認識の相違があるからと言って、誰にも問題はないのだが、一応、私が個人的に所有しているブログなので、認識の違いについて述べておきたい。ソフィア・コッポラの描いたパリピでリア充でセレブな東京生活は確かに楽しいに違いない。だが、私は言いたい。東京のいいところは、金がなくても楽しいという点だ。かつて世界一物価の高かった東京は、今や先進国では最も物価の安い都市であり、にもかかわらず、最も品質の良いものが手に入る都市であり、手に入らないものはない。つまり、東京は世界一コスパの良い国なのであって、安くておいしいもの、安くていいものが溢れている。そして日本人の所得水準は世界最高ではないが、今でも世界最高級だ。こんなに素晴らしいことはない。繰り返すが、東京は金がなくても楽しいところが魅力なのである。

さて、最後にもう一つ、ビル・マーレイについて少しだけ考えたい。中年男の鑑である。ゴーストバスターズで女子大生を誘惑しようと目論む科学者の役をしていたが、以前、テレビ局スタッフを口説き落とそうとやっきになるお天気レポーターの役をしている映画を観たことがある。そして、今回は若奥様とギリギリな恋をする。要するに恋愛が似合う中年男なのだ。恋が似合う中年男はこの世で最も魅力的な存在のように私には思える。見習いたい。



東京都議会選挙は都民ファーストの会が圧勝するような気がする(予測)

ただいま、2017年の6月30日です。7月2日の東京都議会選挙の投票日まであと2日となりました。

選挙で苦労している人たちに対して申し訳ないので、あんまり辛辣な書き方や上から目線な書き方は避けたいと思いますが、なんとなく、都民ファーストの会が圧勝するような気がします。どこかのメディアがそう言っているとか、そういうことではなくて、なんとなくそう感じるのです。

というのも、私自身が都内を歩くときに街宣車が通ることに気づくと、つい「あ、都民ファーストの会かな」ということがふと頭に浮かぶのです。おそらく私だけではなく、多くの人が同じ感覚を持つのではないでしょうか。私個人が小池百合子さんを応援しているとか、していないとかいうのは関係ありません。選挙についてブログで書く以上、不公平なことはしてはいけないと思いますので、敢えてどこかに肩入れするようなことは避けたいという思いもあります。ただ、「あ、都民ファーストかな」という感覚をつい抱いてしまうということは、都民ファーストの会に対して興味津々で、応援したいかどうかは関係なく、印象がめちゃめちゃ強いということだけは確かと思えますし、強く印象に残っているということは投票行動にも影響するのではと思えます。

東京都知事選挙では小池百合子さんが勝つだろうと予想し、そのことについては個人的な満足はあるのですが、イギリスのEU離脱については予想を外し、トランプ大統領の誕生の件でも予想を外していますので、今回も戯言の範囲にはなってしまいますが、まあ、一応、予測して、近く結果が出ますから、予測を当てたか外したかを確かめたいと思います。

豊洲と築地は共倒れ。海産物の流通は決定的に変化する。

築地市場の豊洲移転がいまだにかまびすしく議論されています。北朝鮮のクライシスがだいたい回避されたという雰囲気に世の中的にもなってきましたから、再び世間の目が豊洲移転にシフトしたという印象があります。

果たして築地と豊洲がどちらがいいのでしょうか?移転派の主張は、築地の建物は古くて地震に対して弱い上に、衛生面での管理も問題があって、しかも土中にはアメリカがビキニ環礁で水爆実験をした際に被ばくしたマグロが埋まっているため、豊洲のように新しい設備のところへ移転するべきだというものです。一方の築地残留派の意見としては、築地という名称にはブランド力があり、豊洲は地下水が汚染されているので、安全性に問題がある。仮に水道水を使うから豊洲の地下水が汚染されていても関係ないとしても、安全と安心は違うという論理で攻めているといったところでしょうか。

記事のタイトルで豊洲と築地は共倒れとしているものの、仮にどちらかに軍配を上げるとすれば、豊洲に軍配を上げていいのではないかと思います。豊洲の最大の懸念は地下水の汚染なわけですが、水道水を使うのであれば、関係ないのであって、安全だったら安心していいではないかと思えますし、新どんなにしい頑丈な建物の方が衛生面でも耐震面でも安心できるのではないかと、わざわざ土木の専門知識を持ち合わせていなくても、一般論として言えるのではないかと思えます。

尤も、「築地は問題が多い!」という人が登場しなければ誰も問題があるとは思わなかったと思いますし、環状二号線と通したいという目的がまずあって、そこで築地に物言いがついたような気がどうしてもしてしまいますので、果たして本当に築地がダメなのかどうかという疑問は残ります。衛生面に問題があるとしても、今まで問題なく築地が機能してきたわけですから、衛生面の問題は無視していい程度のことなのではないかとも思えるのです。

そうはいっても、ここまで「築地市場は汚い」キャンペーンが張られると、なんとなく築地という名前を聴いても以前のような魚河岸ロマンのようなものは既に失われてしまっており、「築地直送」の貼り紙を見ても却って萎えてしまうため、消費意欲を刺激しなくなっていますから、築地ブランドはもはや過去のものになっています。築地ブランドを守るべきという意見も私は理解できるのですが、既に築地ブランドは失われてしまっています。消費者は築地直送と書かれてあったら、なんとなく買いたくないと思うのではないでしょうか。

では、一方で今後、豊洲に移転後に豊洲ブランドが確立されるのかと考えてみても、なかなかそうはいかないかも知れません。豊洲に関しても「汚染がひどい」キャンペーンが張られてしまいましたので、「豊洲直送」は消費者のマインドを刺激しません。

ということは一連の騒動の結果、豊洲、築地の共倒れという結果を招くのではないかと思えます。豊洲にマンションを買った人は一喜一憂でしょうから、大変お気の毒ですが、できれば私も豊洲のマンションに住めるといいなあと思うタイプですので、豊洲にマンションを持っている人のことは、築地から豊洲への移転があろうとなかろうと、うらやましいなあと思います。

それはさておき、消費者のニーズがあれば、物言いがつこうとつくまいと成立はしていくはずですが、もはや豊洲にも築地にもニーズはなくなっていくのではないかと思えます。北海道なり高知県なり静岡県なりからの産地直送が普通になり、スーパーも扱う魚は産地直送。お寿司屋さんも産地直送。一般消費者もクール宅急便で産地直送になるのではないか、情報インフラが発達した今、敢えて築地か豊洲に一旦集積して再配送するというモデルはもう必要なくなるのではないかという気がします。築地も豊洲も通さない新しい流通モデルが発達し、近い将来、そちらに軸足が移るのではないか、それが主流になるのではないか思えるのです。

とすれば、東京都政は現在、足の引っ張り合いに終始したまま大事なことを決めることもできず、何かを前に進めることもできず、東京オリンピックのための準備も遅々としたままで、ずるずる沈んでいく過程にあるのではないかという悪い想像が働いてしまいます。

東京は日本の玄関であり、象徴であり、顔であり、中心なわけですから、東京には発展し続けてもらわないと困ります。しかし、築地・豊洲の議論一つとってもこのありさまですので、ため息をつくしかありません。

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三軒茶屋のいきなりステーキで400グラムのステーキを食べた話

ステーキをがっつり食べたい、他に何もいらないという人にとって、三軒茶屋のステーキ屋さんである『いきなりステーキ』は正しく理想的なお店と言って良いのではないかと思います。

好きなだけ肉が食べられる、余計なものを省いて、ただただ肉に集中して食事ができるというこのお店のコンセプトは正しく私のような人間のためにあるのではないかと思えてなりません。

今回は二度目の来店ですので、前菜的なサラダは注文せずに、文字通りいきなりステーキの注文です。400グラムのステーキをお願いしたところ、レアがお薦めということでしたので、レアでいただくことにしました。

ただ、表面をさらっと焼いただけのレアの場合、400グラムのステーキですと分厚過ぎて中が結構冷たいです。その日は相当に冬の厳しさが残る時期でしたので、窓際に座る私の前のステーキくんみるみるうちに冷めてしまい、冷たい生肉をぐにゃぐにゃとしがむような感じになってしまいました。

しかし、このお店では「プレート再温めは遠慮なくお知らせください」と書いてありますので安心です。頼んで温めなおしてもらいました。するとちょうどいい、焼き加減的にも暖かさてきにもちょうどいい感じのステーキ君が私の前に帰ってきてくれ、私は幸福なうちに食事を終えることができました。感謝です。素晴らしいです。ステーキイエスです。







夏の都議会選挙は築地の豊洲移転が争点化される

小池百合子さんが築地市場を視察しました。何も今さら視察しなくても小池さん自身プライベートでも何度も訪れているでしょうから、ほんのちょっと様子を見に行くような視察で何か新しいことが分かるのかという疑問は残りますが、先日安倍首相と会見したことも合わせると、ざっくりとですが小池さんの狙いが見えて来るような気がします。

小池さんの描こうとしている絵は自民都連を「既得権勢力」と位置づけ、その利権の目玉は築地の豊洲移転にあるということを攻撃材料に夏の都議会選挙を戦おうという構図のものではないかと推察できます。

小池さん的には将来国政に自民党員として復帰するビジョンを持っているはずですが、先日安倍首相と会見したことで国政レベルでは自民党と手打ちが済んだと見ることができるかも知れません。

その上で、都連のドンに照準を合わせ、築地から豊洲に移転させる真の狙いは築地に新しい道路を通すためで、道路利権を握る都連のドンがごり押ししているのだ。という論法で攻めたて、土壌に不安のある豊洲には移転させない都民ファーストという路線で推し進めようと言うことではないかと私には思えます。

国政レベルで手打ちが済んだとすれば、後は都連のドンの首をとり、その実力を認めさせ、オリンピックが終わったら適当なところで自民党議員として国政復帰という道筋が浮かび上がってきます。問題は果たして小池さんの思い通りにさようにやすやすと物事が進むかどうかですが、やはり近く行われる千代田区長選挙がその試金石となるに違いありません。小池さんが現職を推す一方で、自民党からは与謝野馨さんの甥御さんが出馬されるという話になっています。

千代田区は面積も狭く、ドーナツ化でかえって人口が少ないと言えるような地域ですが、小池・現職タッグvs与謝野晶子の子孫が競い合うということになれば大変に見応えのある、展開が気になる選挙になりそうに思えます。どちらが勝つにせよ、その勝ちっぷりのようなもの、票差のようなものにも注目したいと思います。

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小池新党の戦略を推察する

小池新党が話題になっています。今年の東京都知事選挙に40人候補者を立てるという話がある一方で、正式な発表なまで憶測があちこちで飛び交っているという話もあります。小池さんは今、いろいろな意味で候補者と選挙区を慎重に選んでいるはずです。

まず最初に、小池百合子さんは今、なんと言っても自分の手勢を必要としています。橋下徹さんがあれほど注目を浴びたのも、維新という独自の集団があったからで、もし与党相乗り的なところに乗っかっただけだったとすれば、今では過去の人になっているはずです。

そういう意味ではまず第一に、手勢確保という意味で、とにもかくにも当選者をたくさん出さなくてはいけません。

難しい点は、都議会では公明党などが小池さんを支持してるため、公明党と競り合うような候補の立て方は厳しいということ、その他、民主党など、今後、連携できる可能性のある政党とは競り合いたくないという面がある一方で、小池さんは自民党とも実は決定的な対立を避けたいと思っているに違いないという点です。

小池百合子さんの将来ビジョンはやがて国政に復帰し総理大臣の座を狙うというものに違いなく、過去の非自民政権がずだぼろになっていったということを考えれば、自民党員として首相になる、または自民との連立で首相を目指すというのが妥当な線だと言っていいと思います。

そのため、都議会選挙で自民党と競り合いになる選挙区が出てくることはやむを得ないにせよ、決定的に双方が感情的に受け入れることができないような選挙戦はやりたくないはずです。

小池さんが現在も自民党に党籍を残している理由は以上のような点があるからに違いなく、小沢一郎さんや加藤紘一さんのようにその時は注目を浴びても結局は放浪政治家になったり落選したりしている様を考えれば、自民党は権力保持の脅威になる人物は決してそのままにはしておかないということがありますから、そうはならないようにという慎重さが必要だと小池さんご本人もよくよく察しているのではないかと思います。

仮に都議会選挙での立候補者が40人だとして、おそらくは少数精鋭全員当選を目指す布陣で行くでしょうから、もし40人全員が当選したとしても過半数に届かない半端な数字です。どこかと組まなくてはいけませんし、まず組む相手としては公明党が念頭にあるには違いありません。自民党は公明党の協力がなくては国政選挙がやれませんので、小池さんが都議会で公明党と握手し続ける限り、小池さんと決定的に敵対することはできないという読みも働いているかも知れません。

私が個人的に小池百合子さんに肩入れする理由はありませんが、もし自分が小池さんだったらどう動くかと考えた場合、やはりなんのかんの言って数が力になります。竹下登さんも手勢を大勢持っていたからこそ総理大臣になれたのです。小泉純一郎さんみたいに派閥の足し算で首相になるというのはちょっとレアなケースではないかとも思えます。とすれば、取り合えずは小池新党で何がどうであれ、誰がどうであれ、必勝を期す以外にはなく、そのためにはあんまり「ここに立てると〇〇党が…」と考えるのはもしかするとあまりベストな思考法ではないかも知れません。

築地の豊洲移転の話と東京五輪に関わる頭の黒い〇〇〇の話は若干賞味期限が切れている気もしなくはありませんし、前回の都知事選挙では既存のものを批判することができましたが、今度は自分が権力の側に立っての選挙です。どういう風になるか、見届けたいと思います。

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第二次山本権兵衛内閣

第二次山本権兵衛内閣の最大にして焦眉の急でもあったことが関東大震災対策です。前任の加藤友三郎首相が病没したことをうけ、次の人選が模索されている中での不測の事態を受けて急いで組閣が行われました。

この内閣で内務大臣兼帝都復興院総裁を担当した後藤新平は30億円の復興予算を打ち上げ、物議を醸します。大正9年の一般会計が13億円とかそれくらいですので、30億円は今で言えば、国家予算が100兆円くらいですので、200兆円くらいという感じかも知れません。とてつもない金額で、公債、外債で何とかするという手段はあったかも知れないのですが、こういう時に公債という手段をすぐに発案しそうに思える高橋是清も反対意見で、予算は大幅に削られ、最終的には6億円に足りないくらいの規模のものになってしまいます。それでも当時としてはかなりの金額だったのかも知れません。

時々、関東大震災の余波が経済的な発展の遅延という形で現れ、満州にフロンティアを求める遠因になったという説明を読むことがありますが、実際には関東大震災の結果、東京はよりモダンな都市に変貌し、30年代には相当に成熟した都市文化を形成していきます。当時は大阪の方がモダン度は高かったようなのですが、30年代になれば全然大阪に負けてないくらいのところまで行っていたとも言えそうなので、飽くまでも結果としてですが、東京は一機に世界都市にステップアップすることになりましたから、関東大震災とその後の日中戦争を経済的な観点から結びつけるのはいかがなものか…と思わなくもありません。経済という意味ではその後の世界恐慌と昭和恐慌が日本人の不安をより強める要因になったと思いますが、高橋是清がうまくやっていますので、やはり経済的な理由だけで昭和の日本の拡大主義を説明するのは無理があるのではないかという気がします。

ただ、心理的な衝撃は大きく、もはや海外に新天地を求めるしかないのではないかという心境になった人、あるいはそう信じた人は多かったかも知れません。昭和恐慌も不安を輪にかける形になり、海外志向、または拡大志向が強くなるというのは理解できそうな気もします。谷崎潤一郎の場合は関東大震災で「こんなところには居られない」と考えて関西に移り住み、結果として『春琴抄』と『細雪』という代表作と書くことになります。近代文学で関西を最も美化した作品と言ってもいいように思えます。『細雪』を読んで関西で暮らしたいと思うようになった人は多いのではないかと私は想像しています。谷崎は他にも関東と関西の美食の違いのようなものを書いていて、和食の関西の勝ち、洋食は関東の勝ちと結論しています。

いずれにせよ、関東大震災の復興のために奮闘した第二次山本権兵衛内閣ですが、裕仁摂政宮がアナーキストの青年に襲われる虎ノ門事件が起き、その責任を負う形で総辞職します。摂政宮は慰留したそうですが、それでも辞意は固かったとのことです。アナーキストの青年が摂政宮を襲撃しようとした背景には、関東大震災後に大杉栄が甘粕正彦大尉に殺害される(陰謀論もあるようですが…)など、官憲による社会主義者やアナーキストへの弾圧があり、復讐心と義侠心の混在したような心境で虎の門事件を起こしたのではないかと思えます。

第二次山本権兵衛内閣が終了した後は、清浦奎吾がリベンジマッチで内閣を組織することになります。

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