権力構造の分析は困難であり、単純なものではないのにも関わらず、ロシアによるウクライナへの侵攻の発端となった原因はプーチンのみであると見做し、理解する人間がいるのは何故だ?国際政治学を学んでいないのか?

太平洋戦争が終わってから、GHQは戦争犯罪人の指名作業に入りましたけれども、彼らは日本の複雑な権力構造の理解に注力していきます。たとえば木戸幸一に対する尋問調書が出版されていますけれども、そういうものを読むと、アメリカ側が御前会議にどのような機能があったのか、統帥部にはどの程度の権限があったのか、誰が、どこで、どんな風に権力を使用したのか、或いはしなかったのかというようなことについて、非常に事細かに繰り返し、念押しするようにして木戸幸一に質問していることが分かるわけですけれども、読んでいる側も段々混乱してくるくらいに複雑ですし、人物も入れ替わりますし、慣例・暗黙の了解など、木戸幸一も厳密にどういうものかを説明できないものがいろいろ出て来て、それが日本の意思決定に最終的に大きな影響力を持ち、天皇ですら抗うことができないことがあったということがいろいろと述べられています。取調官が尋問しながら、どうして天皇も政治家も戦争したくないと思っていたのにあれだけの大戦争になったのか訳が分からないと思いながら質問している、その息遣いのようなものも感じられて、非常に興味深いのですけれども、結果、取調官が理解していったことは、真珠湾攻撃・対米開戦はどうも天皇の意思ではないらしいということのようだったのです。木戸は自分が書いていた日記を提出し、その日記の英訳を元に尋問が続けられましたが、木戸日記は東京裁判の起訴状の作成や共同謀議の成立の可否などについて大きな影響を与えたということが、尋問調書を読むととてもよく分かります。

そういうわけですので、おっしゃる通り、プーチンがどういう権力構造の中で意思決定したのか、彼に影響を与えていたのはどんなグループの誰なのか、ウクライナ侵攻を決意させるロシアの内部的要因にはどんなものがあったのか、などのことを分析していく必要はあると思いますけれども、戦後にならないと出てこないんじゃないですかね。



レ―リンク判事の東京裁判に関する議論

東京裁判が行われた際、オランダ代表として判事の席に加わったレ―リンク判事が、カッセーゼなる法学者と東京裁判の是非や意義などについて語り合った『レ―リンク判事の東京裁判ー歴史的証言と展望』を読んでいるところなのだが、非常に興味深い内容なので急いでシェアしたいと思い、ブログに書き込むことにした。

簡単に言うと、レーリンク判事は、裁判そのものがアメリカのやらせみたいなもので、マッカーサーはもちろんヤラセにする気まんまんで、ぶっちゃけ真珠湾攻撃のことさえ日本に償わせればあとはどうでもいいくらいに思っていて、更にキーナンみたいな二流検察官が起訴を担当していたんだけれど、マッカーサーに言われた通りにしかできない男なので、東京裁判はつまんない裁判だし、不均衡だけど、世界平和のための前例や先例を残すという意味では全く無意味とも言えないんじゃない。というような内容だった。

もう少し詳しく掘り下げたい。

レーリンク判事曰く、ナチスドイツの侵略性や犯罪性を指摘して裁判にかけ、個人の悪意を立証して刑罰を与えるのはロジックとしてはわりとシンプルなものであったため、ニュルンベルク裁判はそんなに難しくなかったのだが、東京裁判の場合はどこまでが侵略でどこからが自衛なのかはっきりせず、犯罪性についても部下がやったことについて知らなかったのに責任をとらされるとかそういうのもあって後味はあんまり良くなく、被告人たちの意識では自衛戦争を戦っていたのだから、悪意の立証とかも無理ゲー。みたいなことになっていた。

たとえば山下奉文司令官はフィリピン戦での将兵の残虐行為について責任を取らされて絞首刑になったが、レイテ沖海戦の後のフィリピン戦では山下司令部と戦線では物理的な連絡手段がアメリカ軍の攻撃によって絶たれてしまっていたため、そもそも山下司令官は残虐行為が起きていたことを知らなかった可能性があって、それでも部下の不始末で有罪と断定されることが果たして正しいのかどうか、レーリンク判事は疑問を呈している。

東条英機は証言台で日本にとってアメリカとの戦争は自衛戦争だったと言ったことはまことに正しいとんの判断を示していて、アメリカ側が真珠湾攻撃に対する犯罪性の立証に熱心であったとしても、ハル国務長官は日本が絶望して戦争をしかけてくるのを待っていたふしがあるし、アメリカ側として日本が攻めてきてくれれば正々堂々と戦争できるとジリジリ待っていたにも関わらず、うっかりしていて真珠湾での対応に遅れが出た。日本の外交電報を全部解読しているのだから、日本が戦争の決心をしたことはもちろん分かっていたし、野村大使らがハルに対して宣戦布告するのが遅れたのは交通渋滞があったからだとしている。

パル判事の日本無罪論は有名だが、レーリンクの日本擁護はあまり知られていない。パルの場合はインドが植民地にされているという問題意識、郷土愛、アンチ欧米みたいな感情とロジックが入り混じって日本無罪論にたどり着くのに対し、レーリンクの場合は普通に考えて法理論的に言ってこうなんじゃない?という論法なので、もっと注目されても良さそうにも思える。とはいえ、冷徹なロジカルシンキングと感情をベースにしたロジックの形成の境界の線引きはそこまで簡単ではないので、私のような人文、歴史、政治を中心に勉強してきた人間が法学についてあんまり踏み込んでえらそうなことは言えないのだが、まあ、レーリンク判事の述べている内容に引っかかるものは感じなかった。野村大使が交通渋滞で引っかかったあたりを読みつつ、なら野村大使がハルに電話で「宣戦布告する。書類は後で持っていく」と一言あれば良かったのだろうかとか、東京でグルー大使を呼び出して宣戦布告すれば問題なかったのでは?とか考えてみたりした。だがこういった周辺的なifはレーリンク判事の議論とは関係のないことではある。門外漢なので、思考がそのようにあちこちへ飛んでしまうのだ。

レーリンク判事は、日本を無条件降伏まで追い込み、政治や社会を根底からアメリカの望むものに変革しようとしていたらしき様子について、やっぱアメリカ人ってそうだよな…的な発言もしていたのだが、このあたりにヨーロッパ人のアメリカ人に対する冷めた視線を感じないこともなかった。ヨーロッパ人と話せばわかるが、彼らは本心ではアメリカ人のことが大っ嫌いだ。ファッションセンスと料理に対する感性が絶望的なくせに世界の支配者だと思っているあたりが受け入れられないらしい。アメリカ独立戦争以来の旧世界対新世界の対立は今日まで続いている。私の場合は「お前の英語はアメリカ人みたいで気に入らねえ」みたいに言われたこともある。なかなか根深い。

アメリカは南北戦争の時に南軍は壊滅的な状態まで追い込まれ、南部社会そのものが解体されるところまで追い込んだ。一方が一方を完全に滅亡させる戦争という意味ではローマ対カルタゴみたいな戦争だったわけで、この発想法で日本と戦争したために、無条件降伏にこだわり、無差別爆撃や広島・長崎への原子爆弾の使用まで行ってしまったという感じのことを私は読みながら考えた。そうかも知れない。第一次世界大戦でロシア、ドイツ、オーストリア、オスマントルコの皇帝たちがいなくなったが、いずれも革命によるもので国内的な要因の結果であり、戦勝国が敗戦国の政治体制を解体したわけではない。日本の場合は天皇こそ残ったが、憲法を替えたので、政治体制には革命的な変革が起きた。占領地の法令を変えてしまうことは、むしろ第一次世界大戦後の戦争の法の厳密化の流れの中で忌避されるべきものでもあった。

このようなことを考えると、何が正義で何が間違っているのか、だんだん分からなくなってくる。レーリンクの日本無罪論を振りかざしたところで、中国の人は納得しないだろう。とはいえ、レーリンクの議論も筋は通っている。ちょっと疲れてはきたが、飽くまでも考える材料にするという意味では、東京裁判に対して如何なる考えかたを持っている人であったとしても、この書籍を読むことには価値があるに違いない。



伊丹万作『戦争責任者の問題』を読んで考える敗戦国民の矜持

たまたま、映画監督で伊丹万作という人(伊丹十三さんの親父さん)が『戦争責任者の問題』という文章をは1946年に発表していたことを知り、インターネットで探してみると青空文庫で読むことができたので、どういう内容のものか読んでみた。15年戦争の失敗にどのような意味を与えるかは戦後を生きる日本人にとって簡単には答えの出せない難しい問題だが、私が漠然と考えていたことと同じことが書かれてあったので、私は自分の言いたいことを代わりに言ってくれている人が70年も前にいたのだと知って驚き、感動もしたので、ちょっとここで論じてみたいと思う。

伊丹万作氏は、「自由映画人集団」が文化運動をするというから参加してみたところ、かなり実践的な政治活動グループだと悟り脱退することにしたというのが、この文章の骨幹みたいなもになると思うのだが、興味深いのはその理由である。私は自由映画人集団がどんなことをしていたのかよく知らないので偉そうなことは全然書けないのだが、要するに戦争責任者をあぶりだして徹底的に懲らしめよう、追放しようという運動をしていたらしい。で、伊丹万作氏は、戦争責任者がいるとすれば、その軽重はあるにしても日本国民全員(子どもを除く)に及ぶのだから、他人の責任を追及する前に自分の責任を反省するのが先ではないかという趣旨のことを述べている。

実は私も前からそう思っている。これは私の人生観にもかかわって来るが私以外の誰かが悪い、私以外の何かが悪い、他の何者かの責任だと言っている間、人間は成長しない。自分にも責任があると認めた時、人は自分がどのように行動するかを考え、思慮深くなり、慎み深くなり、他人の貢献するということを考えるようになるのではないかと私は思っている。そのため、一部の戦争犯罪人とか戦争責任者だけに全てを押し付けてしまうのは、日本人にとって良くないと、一人の日本人として思うのだ。敗戦国民の矜持みたいなことを私はよく考える。潔く敗けたのだから、その敗けについて反芻し、新しい未来を切り開く糧にする、みたいなことだ。

もちろん、罪の軽重はあるから、場合によっては重い刑を科せられることはあるだろうし、反省の意思を持っただけで赦されていい場合もあると思う。

東京裁判はそういう意味ではいろいろな意味で微妙な裁判だと私には思える。裁判することによっていつどこで誰が、どんな意思決定をしたのかある程度は明らかにされたと思うが、一方で裁判にかけられなかった人たち全員に対して推定無罪の効果が生まれるし、多分、当時の人々は自分は悪くない。悪いのは他の〇〇だ。と言うことによって心理的な安全を担保することができた。しかし結果として、一部の人たちだけが悪く、他の人たちは反省しなくていいという構造も生まれたように思える。

私は日本が好きだし、日本人に生まれたことを嬉しく思っているが、今日まで続く思想的対立の根底には伊丹万作氏が指摘したような内省の不在があるのではないかという気がしてならない。私はどちらか一方に与したくはないのだが、どちらにも、或いは多方面に及ぶ内省の不存在は前々から気になっていたし、私はそのような議論に疲れてしまうこともあった。だが、日本人の良いところはきちんと内省するとそこから学んで真っ直ぐに道を歩くところにあると思うし、内省は一回すればいいものではなくて常に行われるべきものだとも思うから、そういうところから議論を始めると、もうちょっと何かが融合するのではないかという気がする。私がここで述べている内省の不存在とは、丸山眞夫が指摘した「無責任の体系」とだいたい同じような意味だとも思うので、そういう意味では丸山眞夫みたいな超絶有名人が既に指摘しているのに、そこはみんながスルーするか上手に解釈を変えているのだろう。それはともかく、良い戦争などというものは存在しないと思うので、なぜ悪い戦争をしたのかについて考えることは意味があると思うし、仮にあの戦争を悪い戦争だと思わない人がいるとしても、敗けたことは事実なので何故敗けたのかを考えることも新しい発見につながるのではないだろうか。『失敗の本質』みたいなことは常に考えておいて損はない。人は失敗から学ぶのだから。



『東京裁判を読む』を読む

東京裁判については、今も様々に議論が分かれるものと思います。よく問題にされるのは、東京裁判で問われた「平和に対する罪」が事後法であること、英米法で定める共同謀議が被告人たちの間で成立したかどうかは議論が分かれるところ、「裁判」とうたっているものの、判事と検事が全て戦勝国の人物によって構成されているため、公平性に著しく欠け、勝利者による裁きや復讐になってしまっていること、あたりが多くの場合の論点になるのではないかと思います。

もちろん、私も以上のようなことは問題だとは思いますが、『東京裁判を読む』を読んだ感じでは、以上のような問題があることはあるけれど、それでも裁判としてのフェアさは確保されなくてはならないという意識も働いていたということが分かります。

たとえば「平和に対する罪」ですが、平和に対する罪だけで死刑にされた人はいなかったようです。キーナン検事も事後法であることは認めており、事後法で死刑者まで出してしまうことにはためらいがあったように見受けられます。また、共同謀議に関してですが、共同謀議は関係者が全員一同に会して犯罪を謀議し、同意しなければ成立しないという類のものではないらしく、間接的につながっていればオーケーな場合もあるということなので、必ずしも共同謀議の成立の余地が全くないとも言い切れないという感じのようです。そうは言っても個人的には果たして本当に重光葵や大川周明(途中から外れましたが…)や東郷重徳や東条英機広田弘毅を共同謀議で括れるかかという疑問はやはり残ります。残りはしますが、「法廷で初めて顔を合わせる被告同士で共同謀議が成立するわけがない」という反論はちょっとあまり効果的ではないかも知れません。

A級戦犯という括りに入れられた人たちの中で、残虐な行為に責任があると認められた人は死刑の宣告を受け、そうではない場合にはもう終身刑か有期刑という感じになったようなのですが、疑問は確かに残ります。というのも、A級戦犯の人たちは戦争中に国家の指導者の立場ですから、残虐行為に直接加担するようなことはもちろんなく、仮にそうだとすれば、命令または指揮したとする明白な事実の証明がなされなくてはいけないようにも思えるのですが、たとえば南京事件のようなことについては、広田弘毅や松井石根は残虐行為を止めようとしなかった不作為によって死刑が宣告されています。重大なことについての不作為は確かに見逃すことのできないことではないかとも思えますが、死刑はやり過ぎなのではないか…と思えてなりません。

南京事件が起きたか起きなかったかという議論もよくありますが、松井石根さんが教誨師の花山信勝に対して大筋で認める発言を遺していますので、規模や内容に於いては議論の余地はあるものの、あったかなかったかという議論をするならば、残念ながら「あった」と結論できるのではないかと思います。

東京裁判は勝利者による著しく公平性に欠ける裁判ではあったと思いますが、戦争の全貌が、一般の国民に知られていないこともたくさん明らかにされた面も確かにあるように思えますので、全く意味のない無価値なものかと言えば、そうも言い切れない部分もあるのではないかなあという気がします。もっとも、刑死された方のことを考えれば「しょうがない」で割り切ってしまう心境にもなかなかなれない部分も残ります。

難しいところではありますけれど、東京裁判はその一方で、昭和天皇を訴追しないという点で日米合作の性格も有しており、それについてはウェッブ裁判長が一番気に入らなかった面だったようなのですが、また、一部の戦犯に全責任を負ってもらうことで、国民は免罪されたという部分もあり、そういった部分は大変に政治的な面だと言ってもいいと思いますが、そういうこともひっくるめて正義か不正義か、オールオアナッシングのような議論ではない議論が必要かも知れません。

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