東京裁判が行われた際、オランダ代表として判事の席に加わったレ―リンク判事が、カッセーゼなる法学者と東京裁判の是非や意義などについて語り合った『レ―リンク判事の東京裁判ー歴史的証言と展望』を読んでいるところなのだが、非常に興味深い内容なので急いでシェアしたいと思い、ブログに書き込むことにした。
簡単に言うと、レーリンク判事は、裁判そのものがアメリカのやらせみたいなもので、マッカーサーはもちろんヤラセにする気まんまんで、ぶっちゃけ真珠湾攻撃のことさえ日本に償わせればあとはどうでもいいくらいに思っていて、更にキーナンみたいな二流検察官が起訴を担当していたんだけれど、マッカーサーに言われた通りにしかできない男なので、東京裁判はつまんない裁判だし、不均衡だけど、世界平和のための前例や先例を残すという意味では全く無意味とも言えないんじゃない。というような内容だった。
もう少し詳しく掘り下げたい。
レーリンク判事曰く、ナチスドイツの侵略性や犯罪性を指摘して裁判にかけ、個人の悪意を立証して刑罰を与えるのはロジックとしてはわりとシンプルなものであったため、ニュルンベルク裁判はそんなに難しくなかったのだが、東京裁判の場合はどこまでが侵略でどこからが自衛なのかはっきりせず、犯罪性についても部下がやったことについて知らなかったのに責任をとらされるとかそういうのもあって後味はあんまり良くなく、被告人たちの意識では自衛戦争を戦っていたのだから、悪意の立証とかも無理ゲー。みたいなことになっていた。
たとえば山下奉文司令官はフィリピン戦での将兵の残虐行為について責任を取らされて絞首刑になったが、レイテ沖海戦の後のフィリピン戦では山下司令部と戦線では物理的な連絡手段がアメリカ軍の攻撃によって絶たれてしまっていたため、そもそも山下司令官は残虐行為が起きていたことを知らなかった可能性があって、それでも部下の不始末で有罪と断定されることが果たして正しいのかどうか、レーリンク判事は疑問を呈している。
東条英機は証言台で日本にとってアメリカとの戦争は自衛戦争だったと言ったことはまことに正しいとんの判断を示していて、アメリカ側が真珠湾攻撃に対する犯罪性の立証に熱心であったとしても、ハル国務長官は日本が絶望して戦争をしかけてくるのを待っていたふしがあるし、アメリカ側として日本が攻めてきてくれれば正々堂々と戦争できるとジリジリ待っていたにも関わらず、うっかりしていて真珠湾での対応に遅れが出た。日本の外交電報を全部解読しているのだから、日本が戦争の決心をしたことはもちろん分かっていたし、野村大使らがハルに対して宣戦布告するのが遅れたのは交通渋滞があったからだとしている。
パル判事の日本無罪論は有名だが、レーリンクの日本擁護はあまり知られていない。パルの場合はインドが植民地にされているという問題意識、郷土愛、アンチ欧米みたいな感情とロジックが入り混じって日本無罪論にたどり着くのに対し、レーリンクの場合は普通に考えて法理論的に言ってこうなんじゃない?という論法なので、もっと注目されても良さそうにも思える。とはいえ、冷徹なロジカルシンキングと感情をベースにしたロジックの形成の境界の線引きはそこまで簡単ではないので、私のような人文、歴史、政治を中心に勉強してきた人間が法学についてあんまり踏み込んでえらそうなことは言えないのだが、まあ、レーリンク判事の述べている内容に引っかかるものは感じなかった。野村大使が交通渋滞で引っかかったあたりを読みつつ、なら野村大使がハルに電話で「宣戦布告する。書類は後で持っていく」と一言あれば良かったのだろうかとか、東京でグルー大使を呼び出して宣戦布告すれば問題なかったのでは?とか考えてみたりした。だがこういった周辺的なifはレーリンク判事の議論とは関係のないことではある。門外漢なので、思考がそのようにあちこちへ飛んでしまうのだ。
レーリンク判事は、日本を無条件降伏まで追い込み、政治や社会を根底からアメリカの望むものに変革しようとしていたらしき様子について、やっぱアメリカ人ってそうだよな…的な発言もしていたのだが、このあたりにヨーロッパ人のアメリカ人に対する冷めた視線を感じないこともなかった。ヨーロッパ人と話せばわかるが、彼らは本心ではアメリカ人のことが大っ嫌いだ。ファッションセンスと料理に対する感性が絶望的なくせに世界の支配者だと思っているあたりが受け入れられないらしい。アメリカ独立戦争以来の旧世界対新世界の対立は今日まで続いている。私の場合は「お前の英語はアメリカ人みたいで気に入らねえ」みたいに言われたこともある。なかなか根深い。
アメリカは南北戦争の時に南軍は壊滅的な状態まで追い込まれ、南部社会そのものが解体されるところまで追い込んだ。一方が一方を完全に滅亡させる戦争という意味ではローマ対カルタゴみたいな戦争だったわけで、この発想法で日本と戦争したために、無条件降伏にこだわり、無差別爆撃や広島・長崎への原子爆弾の使用まで行ってしまったという感じのことを私は読みながら考えた。そうかも知れない。第一次世界大戦でロシア、ドイツ、オーストリア、オスマントルコの皇帝たちがいなくなったが、いずれも革命によるもので国内的な要因の結果であり、戦勝国が敗戦国の政治体制を解体したわけではない。日本の場合は天皇こそ残ったが、憲法を替えたので、政治体制には革命的な変革が起きた。占領地の法令を変えてしまうことは、むしろ第一次世界大戦後の戦争の法の厳密化の流れの中で忌避されるべきものでもあった。
このようなことを考えると、何が正義で何が間違っているのか、だんだん分からなくなってくる。レーリンクの日本無罪論を振りかざしたところで、中国の人は納得しないだろう。とはいえ、レーリンクの議論も筋は通っている。ちょっと疲れてはきたが、飽くまでも考える材料にするという意味では、東京裁判に対して如何なる考えかたを持っている人であったとしても、この書籍を読むことには価値があるに違いない。

