芥川龍之介‐小説の読者

芥川龍之介がどんな小説を愛するのかについて述べた短いエッセイです。

小説やエッセイを書くには才能と努力の両方が必要だと思いますが、文章を読みこなすのも同じで、才能と努力を必要とします。真に文章を読みこなすことのできる人のことを読巧者と言いますが、芥川の『小説の読者』は、まさしく読巧者とは何かを書いているように思います。青空文庫に収録されているものを朗読しました。

昭和初期に書かれたもので、芥川の最晩年にさしかかろうという時期ですが、それだけに筆致が磨かれて来ているとも言えそうな、鋭いエッセイです。自分の文章を読む人にどこまで真意を伝えることができるかという問題意識を持ちながら書かれたエッセイだとは思いますが、同時に諦めの心境も感じ取ることができます。






芥川龍之介‐教訓談

芥川龍之介がかちかち山という童話を手掛かりに、人の心の恐ろしさについて述べています。
短いですが、迫力があり、芥川が次第にペシミスティックへと心境が変化していく一片を感じ取ることができるように思います。青空文庫に収録されているものを朗読しました。

芥川龍之介は亡くなる直前には多くの厭世的な文章を残していますが、生きている現実感を失い、自分の存在に自信を持てなくなっていくようになった様も感じ取ることができます。この教訓談は、大正11年に書かれたものですから、芥川が亡くなる時期よりはだいぶ早いのですが、既に人の世に対する嫌悪、自己嫌悪を見出すことができます。芥川は自ら命を絶つという悲劇性ゆえに、名前に憂いを帯びているとすら思えますが、漱石の弟子たちの中では、特別大きくその名が知られた人ですし、彼の短文の迫力は今後100年かもっと先まで、日本語が今の形態から変化しても愛され続けることでしょう。






中原中也‐小林秀雄小論

中原中也はさすが大詩人ですから、今回の文章は何を述べているのか細かいところについては、実のところ、ちょっとよく意味が分かりません。他の戦前の文章も時にその意図が測りがたいことはありますが、今回はより深刻です。ただ、分かるのは、小林秀雄のことを深く憎んでいること、しかし、小林秀雄の巨大さも認めていて、秀雄を憎む自分自身を強く嫌悪していること、そういったことがひしひしと伝わってきます。青空文庫に収録されているものを朗読しました。

小林秀雄と中原中也は、長谷川泰子という女性を巡り、命を削るような激しい恋の三角関係に立ち至ったことはつとに有名なことです。純粋でまだまだ世間知らずのところもあり、おそらくは生まれつきあまりにも打算というものを知らなさ過ぎた中原中也は、恋でも文芸でも友人関係でも小林秀雄に敗れていくことになります。中原中也は早世してしまいますが、小林秀雄に敗れたことが命を縮めてしまったのかも知れません。中原中也と小林秀雄の間にいて、双方と人間関係を保ったのが大岡昇平でしたが、中原中也が朝に午後に夜にと一日に何度も遊びに来るのに相当参ってしまったそうです。波状訪問と表現している評論を読んで、そりゃ訪問される側は大変だと思いました。ですが、そうでもしなければならないくらい、中也は依存傾向が強く、すぐに「汚れちまった悲しみに」状態になったでしょうから、周囲はさぞかし大変だったでしょう。ですが、多分、そのぶんお人よしで、繰り返しになりますが純粋で、愛すべき、憎めない人だったのではないかと思えてなりません。




永井荷風‐鴎外先生

永井荷風がいかに森鴎外を仰ぎ見、尊敬しているか、手放しの賛辞が書かれています。鴎外なんて大したことないぜと言っているやつがいたら、そいつ本当に何にもわかってねえという趣旨のことが述べられています。青空文庫に収録されているものを朗読しました。

永井荷風は生家の非常識なくらいのお金持ちぶり、生まれながらのエリート、華やかな留学時代と慶應教授時代というイメージが先行し、更に書くものは女のことばかり、晩年もやっぱり女のことばかりというわけで、毀誉褒貶あるようにも思いますが、その恵まれた前半生をひたすら芸術にささげたわけですから、芸術を見る目は普通ではないわけです。その荷風が全力で敬意を示す芸術家鴎外の凄さを改めて思い知らされます。




佐藤春夫‐永井荷風

佐藤春夫が永井荷風の人となり、その人生を非常に短い文章で端的に表現した名文です。その一言一句からは、佐藤春夫がどれほど荷風に対して複雑な感情を抱いていたかを感じ取ることもできます。青空文庫に収録されているものを朗読しました。

文面では、一応は永井荷風を立てているように見えるものも、実はボロカスです。いいとこのボンボンが異様な女好き。以上。のような感じです。佐藤春夫が谷崎潤一郎とも解決の難しい感情的な矛盾した対立のような共依存のようなわけのわからない関係を築いたりしたのと、まるで別人格であるかのように食客三千人と言われたのとを考えれば、佐藤春夫は随分と自分の消化しきれない感情をもてあましながら生きたのだろうということが見えてきます。今回のものは、永井荷風の人生も、佐藤春夫の人生も理解が深まるお得な内容だと言えそうです。




夏目漱石‐文芸とヒロイック

自然主義的な小さくて情けない「私」を描くことだけが小説なのか?との漱石の問いかけです。人間の真実を描こうとするとき、それは時にヒロイズムになり得るとの考え方が述べられています。青空文庫に収録されているものを朗読しました。

一般的な明治小説に対する理解は自然主義とロマン主義という分け方ですが、漱石はその先へ行こうとしているように思えます。漱石ですから当然といえば当然ですが。明治末頃に書かれたものですから、漱石の健康状態に陰りが見えだしていた時期になります。それゆえに、より直接的に文芸とは何かを端的に追及した名分になっています。




西田幾多郎‐アブセンス・オブ・マインド

人の意識と禅の関係を追求した西田幾多郎が、ぼんやりとうわのそらになってしまう、うっかりしてしまった瞬間について述べたものです。西田の思想が日常のどのような場面に適用され得るかについてのヒントを得ることができるように思います。青空文庫に収録されているものを朗読しました。

アブセンス・オブ・マインドというエッセイは、西洋哲学を日本人の感性でも理解できる、腑に落ちるものにしようともがいた西田の呼吸のようなものも感じられるものです。また、明治以降の日本の学問の蓄積の深さが西田を生んだことへの驚きも否定できません。日常のほんのちょっとしたところから考える、私とは何か、人間とは何かという思考の片鱗を感じ取ることができます。




新渡戸稲造‐「死」の問題に対して

国際連盟で活躍して奥さんも西洋人で英語ペラペラの新渡戸稲造は、『武士道』を書いた人としても世界的に著名な人物だ。武士道といえば葉隠で、葉隠と言えば、武士道とは死ぬことと見つけたりとなるため、新渡戸稲造も死について考察を深めようとしていたことが分かるのが、中央公論に掲載された新渡戸の『「死」の問題に対して』とするエッセイということになる。

彼の教養の深さが示されるのは、ソクラテスとイエス・キリストという二人の西洋の巨人が、私利私欲ではなく大義のために自ら進んで死を選んだということ、そしてルソーもその両者の共通点に気づいていたことへの指摘など、さすが新渡戸稲造とうなってしまうし、興味深い。ついでに言うと、私もソクラテスとイエスの共通点には気づいていて、もしイエスが実在せず、伝説上の人物だと仮定した場合、そのモデルはソクラテスに違いないと何年も前にこのブログで書いている。新渡戸は武士道が死を恐れないとしても、軽挙妄動による死を戒めている。後の東条英機の戦陣訓の登場を牽制しているかのようにすら思える内容で、そのような点からも興味深い。今回、このエッセイを読んで新渡戸稲造先生と私が同意見だということが分かり、嬉しかった。

下の動画は、青空文庫に収められている当該エッセイを私が朗読したものです。