村八分の文化の名残だと思います。たとえば武士は失敗すると切腹することで過ちをチャラにしてもらい名誉を維持されるということになっていたわけですが、江戸時代、東海道中膝栗毛でも分かるように、町民たちは道徳倫理のために命まで差し出すつもりはなく、弥次喜多の無茶し放題を爆笑しつつ共感するようなメンタリティを持っていたわけですね。つまり江戸時代は武士・町人・農村で価値観や行動規範がばらばらだったと言えると思います。
ところが明治に入り、徴兵制度が始まると、全員にあたかも武士であるかのような厳しい倫理観を持つことが求められるようになっていきます。ですが大半が農村出身者ですから、士道に背いているとみなされると農村的感性で村八分にしてしまう。たとえば捕虜になって帰ってきた人は帰還兵として遇してもらえなかったりするわけです。戦後の援護の手続きをするために役所に行くと露骨に後回しにされ、抗議すると、だってあなたは捕虜だったじゃないかと言われてしまったりしたそうです。
で、戦後になると徴兵もないですし、農村も少なくなって、みんな都市部でモダンな生活を送っているはずなんですが、規範から逸脱すると村八分という感性は21世紀になっても根強く残っており、SNSが発達したために、逸脱した人物がいると国民を挙げて村八分にするという現象に至ったのだと思います。