ゴジラと戦後

『ゴジラ』は大変に有名な日本の怪獣映画シリーズですが、実は戦後の日本人の心理を非常に巧みに表現した映画としても知られています。特に1954年に公開された『ゴジラ』の第1作は、戦争が終わってからまだ9年しか経過していない時期でしたので、戦争に対する日本人の心境というものがよく表現されており、映画そのものが第2次世界大戦のメタファーであるとすら言えるかも知れない作品です。

まずは1954年版の『ゴジラ』第1作のあらすじを確認し、それから、この作品のどの部分がどのように日本人の戦後の心理と関係しているかについて考えてみたいと思います。

この映画では、まず、数隻の船が原因不明の事故で沈没するというところから始まります。日本ではこのような事故がなぜ起きたのかを解明しなければならないということで、大きな話題になるのですが、そのようなことをしているうちに、今度は巨大な生物が日本領のとある島に上陸してきます。その巨大生物は島の人々を襲い、建物を破壊するわけなのですが、東京から科学者たちが送られ、科学者たちはその生物の写真を撮ったほか、生物が通った後に大量の放射性物質が残されていることを発見します。このことから、権威ある科学者は、太平洋で核兵器の実験が何度も行われたことにより、海底生物が突然変異を起こしたのだと結論します。そして、その島には古くからゴジラと呼ばれる巨大生物の伝説があったため、目の前の突然変異生物をゴジラと呼ぶことにするのです。

最初は船を襲撃し、その次に島を襲撃したゴジラは、いよいよ東京に上陸します。このことは大変に有名ですから、多くの人が知っていると思いますけれども、銀座の建築物を破壊したり、国会議事堂を破壊したりする場面はとくに有名なのですね。

ゴジラには武力攻撃が加えられ、一旦ゴジラは海へと帰って行きます。ゴジラが再び上陸してくる前に、ゴジラを倒さなくてはなりませんから、ある若い科学者が発明した、生命体を破壊する新兵器を使用し、海底にいたゴジラはそれによって苦しみ出し、海面に浮上して、悲しそうな最期の叫び声を上げて絶命していきます。若い科学者は自分が作った新兵器が悪用されることを恐れており、それを回避するため兵器の資料を燃やして捨てますが、自分の頭脳の中にも作り方が残っていて、自分が作り方を知っているわけですから、自分自身が消滅しなければならないと考え、海の中のゴジラとともに死ぬことを選ぶというものです。ターミネーター2のラストみたいですよね。

ではこの映画のどの部分が戦争とつながっているのでしょうか、まず1つには、ゴジラが核兵器の影響で誕生したということがあります。これは単に、戦後に何度となく行われた核実験への批判が込められているというだけではなく、太平洋戦争末期に、日本の広島と長崎に対して原子爆弾が使用されたことへの激しい批判も込められています。映画の中で、「せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた」という台詞を述べる女性が出てきます。この一言だけでも、観客は、ゴジラの存在そのものが、広島と長崎で使用された原子爆弾のメタファーなのだということに気づかされます。

ゴジラは東京の広いエリアを破壊しますが、避難した人々は燃える東京の街を見つめて涙を流し、若い男性がなんども「ちくしょー!」と言いますが、これは、私はもちろん当時のことを経験していませんけれども、間違いなく、東京大空襲の記憶をよみがえらせる場面であることは議論するまでもありません。1954年ですから、観客の大半は戦争の記憶を抱えており、当時であれば、誰かに解説されるまでもなく、その場面が東京大空襲を思い出したに違いないのです。また、ゴジラが海へと帰って行った後の東京では怪我人があふれ、ゴジラが残した放射線を浴びてしまった子どもが出てくる場面もありますが、これもまた、原子爆弾を思い出させるものであり、当時としては、非常に生々しい場面として受け取られたであろうと思います。

さて、ここまでの段階でゴジラはアメリカ軍、或いは原子爆弾のメタファーであるとの見方ができることは、まず問題なくご理解いただけると思います。ですが、ゴジラが背負っているものは、それだけではありません。ゴジラは太平洋で戦死した日本兵たちのメタファーでもあると、これまでにも多くの批評家が指摘しています。以下にそれについて、できるだけ簡潔にご説明したいと思います。

日本兵のメタファーであるゴジラは、戦後の復興を楽しむ日本人たちに、戦死した自分たちの存在を忘れさせないために東京湾から上陸してきます。この時、ゴジラは復興している銀座を破壊し、政治の中心である永田町の国会議事堂も破壊しますが、決して皇居へと進むことはありません。

ゴジラの最期の姿も、日本兵たちを思い出させるのに充分な演出がなされています。一つはゴジラという黒い巨大な物体が一度は海面に浮上するものの、再び沈んで行くわけですが、その姿は戦艦大和の沈没を思い出させるとの指摘があります。また、ゴジラの最期の叫び声が非常に悲しいものであるわけですけれども、ゴジラは東京を破壊したにもかかわらず、このような声を出して死にゆくわけですが、これは観客がゴジラを憎むことができないような演出なわけですけれども、ゴジラは多くの戦後に生き残った日本人に対して見せる、戦死した日本兵の姿だと理解すれば、観客がゴジラを憎まず、ゴジラの死に苦しみを感じるように意図したものであると考えることもできるということなのです。

この映画の音楽は日本人の多くが聞いたことのある、迫力のあるものなのですが、重低音で、音が次第に大きくなっていくのですけれども、これはゴジラが次第に東京へと近づいてくることへの恐怖を表現していると言えるのですが、同時に、ここまでに述べたような、激しい恨みを抱いた日本兵の足音であるという解釈が可能であり、そう思って聞くと、更に、この音楽の持つ重みのようなものが感じ取れると思います。

この映画作品は全体として、平和を訴えるものであり、映画の最後の場面で、老いた科学者が今後も第2、第3のゴジラが現れてくる可能性を指摘しているのですが、これは、戦争が繰り返されることへの批判であると受け取ることもできます。

今回はゴジラで考察してみましたが、日本の戦後のあまりにも多くの小説や映画は戦争と関係しており、極論すると、敗戦という非常に大きな経験をした日本で制作された作品の大半は、戦争の記憶から完全に自由になれない時代が長く続いたと言うことも可能です。もしまた機会があれば、違う作品でも論じることができればと思います。ありがとうございました。



大日本帝国の魚雷は、最高クラスの性能で、大和クラスの戦艦も沈められる性能でした。駆逐艦は、高速で装備も充実していた敵の巡洋艦と渡り合えた実績もありました。なぜ、巨大戦艦ばかり作ったのでしょうか?

当時、世界最強イギリス海軍が世界最大戦艦プリンスオブウェールズを持っていて、それがシンガポールにあったわけですね。日本としては、そういう超おっかないプリンスオブウェールズに勝つにはどうすればいいかということに戦々恐々となってしまうわけです。で、方法論の一つにはゼロ戦で包囲して魚雷を撃ち込んで沈めるというのがあったわけですけど、結果としてそれで勝ったわけですが、本当にそれで勝てるかどうか自信がない。なので、別の方法論としてプリンスオブウェールズに対抗できる戦艦を持つというのも選択肢としてはあった。日本はゼロ戦も大和も準備してどんな風になったとしても勝てるというところまで準備を整えたということだと思います。



戦艦大和は何時から無用の長物になったのか

 現代では戦艦大和は無用の長物だったという評価が定まっているように思えなくもありません。戦争の主役は飛行機と空母に移行したため、大和がいかに巨大で射程距離の長い大砲を載せていたとしても飛行機に対しては無力だったというものです。また、そのような時代の変化に気づかずに巨大戦艦大和と武蔵を建造した日本海軍のナンセンスさを指摘するようなものもあります。

 しかし、世界一の巨大戦艦を造ったのは日本海軍ですが、飛行機と空母の時代を創ったのも日本海軍です。真珠湾攻撃は言うまでもないことですが、マレー沖でイギリスの巨大戦艦プリンスオブウエールズを撃沈したのもまた、飛行機の時代の到来を告げるものでした。
 そういう意味では、日本海軍が時代の変化に気づかずに無駄なものを造ったというのは正しい評価ではないように思えます。

 しかしながら、大和の運用という点では考えるべき点が多かったかも知れません。大和が実戦に投入された例としてはミッドウェー海戦で後方にいたほか、レイテ沖海戦、それと最期の沖縄特攻作戦あたりでしょうか。レイテ沖海戦では栗田長官という想定外の要素がありましたのでこの稿では論じませんが、ミッドウェー海戦は日本の今後に大きな影響を残したという意味で、遺憾のない大和の使い方があったのではないかという気がしてしまいます。また、最期の沖縄特攻ははっきり言えば大きな意義があると言えるものではなく、大和の乗員だった吉田満さんが戦後に書いた『戦艦大和ノ最期』では、乗員の若い士官たちが自分の死を日本の新生に役立てるという言葉で自分をなんとか納得させようとする場面もあります。

 若い有為な人物たちを、ほぼ連合艦隊のメンツのためだけに死なせてしまったというのは大変残念なことです。鎮魂。

関連記事
ミッドウェー海戦の辛いところ
レイテ沖海戦をどう見るか

スポンサーリンク