憲法と歴史

戦後日本では改憲か護憲かで何十年も論争が続いてきたわけですが、それらの議論が必ずしも実りのあるものではなかったようにも思え、憲法論争には「つきあっていられない…」と思うこともありますが、それはそうとして今回は憲法を歴史という観点から考えてみたいと思います。

それぞれの国にそれぞれの憲法があるわけですが、どの憲法もその国の歴史的背景を前提にして編まれていると言われます。そのため、憲法を理解するためには歴史に関する理解が必要だともよく言われるわけです。

たとえばイギリスの場合、王が重税を課すという大問題がありました。マグナカルタとか革命などを何度も経てその都度、王の権力は制限されるようになり、課税に関する議論は議会がするように転換していきました。やがて現在のように「君臨すれども統治せず」という不文律におさまっていくわけですが、そこへ至るには王の課税する権利を段階的に制限していった歴史があるということを理解してようやくイギリスの「書かれざる憲法」に触れることができるのかも知れません。

フランスの場合も王が重税を課すというのが大問題になりました。ルイ14世あたりが派手に戦争をやっては負けるを繰り返し、戦費はひたすら国民への課税で賄い、ルイ16世の時代になると課税できる対象がなくなるという深刻な事態に陥ります。最後は免税特権を持つ貴族への課税を検討し、大反発を招き、結果としてはルイ16世は王侯貴族の中で孤立状態でいわゆる大革命を迎えます。ロシア革命が成功した背景には軍が皇帝を見棄てたという伏線がありますが、ルイ16世の場合も味方を失い、裸の王様状態になっていたと言えます。そのような歴史的物語を背景にしているため、フランスでは王権そのものを否定することが重要な理念の根幹をなしていると言ってもいいかも知れません。

アメリカの場合もやはりイギリス本国からの課税が深刻な問題だと受け取られていました。「代表なくして課税なし」という有名な言葉がありますが、イギリスの支配から脱して、自分たちの税金の使い道は自分たちで決めるという独立独歩の精神がアメリカ建国の理念と言えます。ボストン茶会事件はつとに知られていますが、現代よく論じられるティーパーティー運動はそのようなアメリカの歴史の物語を前提としているため、賛同者が集まったのだと言えるようにも思えます。

さて、日本の場合ですが、伊藤博文が憲法を書く際に大変に困ったのは日本の天皇とヨーロッパの王権とは似て非なるものだということだったと言います。江戸時代の天皇に徴税権などというご立派なものはく、幕府から賄い金をもらっている状態でしたので、平安時代ならまだしも今さら天皇の徴税権云々などというのは全くのナンセンスです。そういう事情から古事記の記述に照らして「万世一系」という理念を用いて天皇を規定し、憲法を書いたと言われています。憲法が歴史的経過を前提としているものだとすれば、そのあたり、伊藤も相当に知恵を絞ったのだとも思えます。

さて、現行の日本国憲法ですが、そういう意味ではこの憲法も歴史的経過を前提としていると言っていいのだろうと思えます。即ち、過去の戦争の反省から不戦の誓いをするということがその出発になっています。国を挙げて大戦争を始めた挙句ぼこぼこにやられたというのは紛れもない日本独特の歴史的背景であり、そういう意味ではなかなか正しい主張が書かれた憲法のようにも私には思えなくもありません。

さて、しかしながら、実態と合わない場合は改憲すべき。という意見もあるでしょう。例えばイギリスの立憲君主制はこれからも形を変えていくものと想像できますし、王室の人物の不品行が酷い場合、国民の意思で王制が廃止されるということも、実際にはそんなことは起きないとは思いますが、選択肢としては存在しているわけですから、その辺りのことも含んでいろいろと変化していくことで現実に柔軟に合わせて、結果的には王制が続いていくということになるように思えます。アメリカの場合も奴隷制度を廃止するために憲法の修正条項が加えられました。その後、その修正条項の理念に合わせて白人以外の人にも教育を受ける権利や政治に関わる権利が認められていったわけですから、アメリカ人が深く考え、市民とは何かを問い直し、憲法の精神に合わせて少しずつ変化していったと捉えることもできるのではないかなあと思います。更に言えば、憲法に限らず法律は条文に書かれていないことはコモンセンスで埋めていくということが多いです。日本の場合もコモンセンスで埋めていくということでいいのではないかなあと思わなくもありません。コモンセンスも変化していきますから、柔軟にやっていくということが求められるようにも思えます。

ついでに述べるとすると、「マッカーサーがおしつけた憲法だから反対だ。自主憲法が必要だ」という意見があるのも尤もなことです。「幣原喜重郎がマッカーサーに平和憲法を提案したから現行憲法はおしつけではない」という意見には賛同しかねます。憲法の内容がいいか悪いか以前に、幣原喜重郎とマッカーサーが国民の知らないところで密約したという話ですので、だからいいんだとはちょっと思えません。

そうは言っても前文なんかなかなかいい感じな内容なじゃないかともおもったりします。




幣原喜重郎内閣‐平和憲法を書いたのは誰か?

終戦直後に登場した東久邇宮稔彦王内閣は、当初こそ皇族首相による指導力を期待されていましたが、かえって共産主義革命を煽りかねないという不安が頭をもたげ、短命で総辞職します。続いて木戸幸一主導で首相指名されたのが幣原喜重郎でした。久しく政界から遠ざかっていましたが、過去の親英米協調外交路線が評価されての政界復帰となります。

幣原喜重郎首相時代、やはり最大の注目点は新憲法です。新しい憲法は果たして誰が書いたと考えるべきでしょうか。当時GHQに示された松本烝治案がマッカーサーによって拒否され、マッカーサー三原則に基づいてアメリカ軍の法律チームが新憲法草案を書き、日本の議会で多少の修正が行て現行憲法になったと言われていますが、一方でマッカーサー三原則の一つである非武装平和主義は幣原喜重郎の方からマッカーサーに提案し、それをマッカーサーが受け入れて同三原則が作られたとも言われています。

仮に幣原喜重郎が発案者であったとすれば、「アメリカ人が書いた憲法を押し付けられた」という歴史観は正しくないということになり、日本人が自発的に考え出した憲法だという議論をすることは可能です。ただ、一方で、国民の知らないところで幣原とマッカーサーが個人的に話し合って「密約」したとすれば、それをして日本人の総意と解釈することも難しいことのように思えます。更に言えば、マッカーサーの同意を得なければ自由に作れなかったという意味で、制限下に作られた憲法であることは議論の余地がないのではないかとも思えます。

一方、70年変更して来なかったことは日本人がその憲法に同意しているからだという議論があり、またその一方で、改正のハードルが高すぎて憲法が改正できないようにマッカーサーが仕組んだのだという陰謀論めいた議論もあります。

私個人の意見ですが、アメリカでは憲法の修正には議会の3分の2以上の賛成と4分の3以上の州の賛成を必要としていますので、日本の議会の3分の2以上の賛成と国民の過半数の賛成は必ずしもハードルが高いというわけでもないように思えます。日本がこれまで憲法を変えて来なかったことの背景には別の要因があるのではないかと思えます。

私個人の経験から言いと、アメリカ人はわりと天真爛漫ですので、そこがアメリカ人のいいところなのですが、あんまり細かいことは気にせず、憲法を書いたのはアメリカ人だが、それを保持し続けているのは日本人だから、日本人は自分の意思で現行憲法を使っているのだと思っている人が多いように感じます。一方で、中華圏の人は現行憲法には敗戦国の日本に対する懲罰的な意味が込められており、それを変更しようとすることは日本人が過去の反省を忘れる歴史修正主義だというように認識している人が多いように感じます。アメリカ人と中華圏の二種類しかサンプルがなくて申し訳ないのですが、中華圏の人とこの手の議論をする場合は相手が感情的に反論してくることが多いので、そういうことはなるべく議論しないようにしています。

永久平和の理想も確かに尊いものですから、現行憲法が悪いとは私は必ずしも思いませんが、現実と乖離している面があるのもまた確かかも知れません。法律に書いていないことは慣習なりコモンセンスで埋めていくのが法律の基本ではないかと私は思っていますので、安全保障や国際貢献に関しては必要に応じて対応することにして、わざわざ感情的な議論を引き起こす憲法改正のような手続きに出なくてもいいのではないかと私個人は考えています。

それはそうとして、幣原喜重郎内閣では第22回衆議院総選挙が行われ、それは婦人参政権もあるという画期的なものでした。その結果は日本自由党が第一党で、日本進歩党が第二党というもので、過半数を獲る政党はなく、幣原喜重郎は日本進歩党に近く、紛糾が生まれ、総辞職に至ります。幣原喜重郎の次は、いよいよ吉田茂の登場です。