江ノ島でロコモコを食べて思う、日本とハワイの近代史

最近、江の島に行きまくっている。天気のいい日は江ノ島でしょう。当然。という思いこみが炸裂してしまい、とにかく晴れると江ノ島である。お天気のいい日はとにかく日光をたくさん浴びて、抑うつの改善に努めるのが、最近の習慣になっている。とにかくたくさん歩くし、おひさまの光もたくさん浴びるのだから、精神的にも肉体的にもいいことづくめである。健全な精神と肉体は、当然のごとく健全な人生を生み出すに違いないのである。児玉神社にも行っているので、神頼みも含んで入念な健全ライフだ。

さて、江ノ島に通い詰めていると、ハワイとかマイアミとかイタリアとか、欧米の海沿いの地域を意識したお店作りをしているところがわりと多いということに気づく。私もハワイに行った時、江ノ島みたいだと思ったので、依頼、ハワイに行かなくても江ノ島で充分に楽しいというのが私の信念になっている。以前、伊豆に行った時も敢えてハワイに行かずとも伊豆で充分と思ったのだが、最近は伊豆まで行かなくても江ノ島で素晴らしいと思うようになり、どんどん近場で満足できるようになっている。小田原があって、箱根があって、大磯があって、江ノ島があって、鎌倉があって、横浜があるのだから、神奈川県はかなり最強である。

話を戻すが、江ノ島周辺にはハワイをイメージしたお店がちらほらある。おいしそうだし、とても楽しそうなので、そのことについて異論はないというか、お店のコンセプトには激しく同意である。先日、小さな子供たちが江ノ島へ向かう道中、ハワイ!ハワイ!と大声でのたまわっていたが、江ノ島とはそういう土地であって、実にありがたい。

で、最近、小田急片瀬江ノ島駅近くでロコモコを食べた。もちろん、おいしくて満足なのだが、ロコモコはハワイ名物で、日本人移民によって楽しまれるようになったと言われている。お米を炊いて、その上にハンバーグと目玉焼きをのせ、デミグラスソースがかかっているのだから、正しく味の和洋折衷であり、洋食に慣れた現代日本人にとっても申し分のないおいしい食事なのである。

このように思うと、ロコモコのような料理も含んで、ハワイへ行く必然性はなく、本当に神奈川県民最高と思ってしまい、神様に感謝したくなる日々だ。

ハワイはアメリカ合衆国に編入される前は独自の王朝が存在し、アメリカの浸潤を受けていたころにはカラカウア王がフリーメイソンに加入するまでして王朝を守ろうとした。カラカウア王は、頭脳明晰・開明的な君主として知られており、相当に広く世界各地を回ったらしい。日本で言えば、徳川慶喜と同じくらい新時代に敏感で、岩倉使節団同様に世界を回り、明治天皇と同じくらい歴史に対するインパクトがあり、一人で何役もこなす超人みたいな王様であったと言える。逆に言えば人材不足が深刻だったのかも知れない。人口が少ないのでやむを得ない。ハワイ人に問題があるのではなく、人口が少なくならざるを得ないという、絶海の孤島の自然条件が関係した事情だと言うべきだろう。で、このカラカウア王は日本を訪問した際、取り巻きを振り切って極秘で明治天皇に会うという離れ業をやり遂げている。正式な会見では語り得ない日本・ハワイ同盟を持ちかけたのだ。日本の天皇家の人物とハワイ王家の人物の婚姻関係を成立させ、日本にはハワイから極東にかけての大連合の盟主になってもらう。そしてハワイ王朝をアメリカからの浸潤から守ってもらうというのが、その骨子で、実現していれば日本は太平洋岸の国防についての心配が格段に減るというメリットがあった。

もちろん明治天皇は断っている。第一に、明治期のアメリカは日本にとっての最大の友好国で、太平洋岸の国防について心配する必要はなかった。第二に、明治天皇には国策決定の権力はなく、とりあえずこういったことは伊藤博文に決めてもらわなくてならないから、仮に明治天皇に決断を迫るとすれば、断られるに決まっている。カラカウア王にとっては気の毒ではあるが、明治日本独特の国内ポリティクスの事情があった。第三としては、仮にハワイ・日本の婚姻同盟みたいなものが成立すれば、ハワイを獲る気まんまんのアメリカと事を構えることになりかねない。もしカラカウア王が伊藤博文に直談判したとしても、伊藤はやはり断っただろう。というわけで実現したらちょっとおもしろいことになっていたかも知れない同盟話は実現しなかった。

大正から昭和にかけての日本の軍人や政治家たちの間で、上述のエピソードがどれくらい知られていたかは分からないが、仮に知っていたら大いに残念がったであろうことは間違いないように思える。第一次世界大戦後のベルサイユ体制で日本は世界の五大国に数えられるようになり、その後の軍縮条約で日本は三大国の一角を占めるようになった。軍縮条約で問題になったのは、日本が対英米に対して保有できる軍艦の量が六割から七割(艦船の種類によって異なる)程度に抑えられてしまい、これでは海上防衛に不安が残ると国内では条約批准が紛糾した。浜口雄幸や犬養毅が襲われたのも、この海軍軍縮問題が原因だし、統帥権干犯というとんでも憲法論があたかも有力な説であるかのように語られるきっかけになったのも、海軍軍縮条約を政治家が決めてくることは統帥権干犯だとする言いがかりだった。ちなみにこのような言いがかりで浜口を論難したのが犬養で、犬養も同じ言いがかりで襲われたことを振り返ると、歴史とはえてしてブーメランになるものである。historiajaponicaも他山の石とし、言葉を大切にしなくてはならない。

日本は保有できる艦隊の量こそ限定的になってしまったが、アメリカは日本に近いところに海軍基地を作れなくなるという交換条件があったので、一番得したのは実は日本だとも言われた。いい話である。しかし、海軍は困った。アメリカを仮想敵国にして軍備増強を目指していたのに、アメリカが基地を増やさないのなら、一体誰を仮想的に訓練すればいいのか分からなくなってしまう。アメリカはもうちょっと脅威でいてくれるくらいの方がちょうどいいのに、なんとなく穏やかなお兄さんになってしまったからだ。

これだけなら呑気な話で済むのだが、そんなことをしている間にカリフォルニアでは排日移民法が成立してしまい、日本人は人種差別だと怒った。ハワイでも日本人移民のデモがあったりして(ドウス昌代の『日本の陰謀』に詳しい)、太平洋では日本人が大勢進出したゆえに差別される場面も増えるという、簡単に説明できない、難しい事態が生まれるようになった。

もし日本・ハワイ同盟が実現していたら、ハワイで日本人が差別されると騒ぎになることはなかっただろう。更に、太平洋戦争が始まる直前のころには、険悪な日米関係を理由に、サンフランシスコを母港にしていたアメリカ太平洋艦隊はハワイの真珠湾に母港を移転した。東南アジアを占領したらアメリカの太平洋艦隊がすぐに出てくると確信した山本五十六が真珠湾攻撃を決心し、宣戦布告の最後通牒はワシントンの日本大使館員たちが油断していたせいで英訳の打ち込みが間に合わず、日本は国際法違反をした悪いやつということになってしまった。日曜日の朝に真珠湾攻撃をしかけ、その最後通牒を30分前にハルに手渡せとする訓令もかなりの無理ゲーのように思えるので、大使館の職員の人たちも気の毒である。

仮に日本・ハワイ同盟が成立していたら、ハワイがアメリカに編入されることもなかったのだから、太平洋艦隊が真珠湾を母港とすることもなかったし、ハワイやフィリピンにアメリカ海軍がいなければ山本五十六が乾坤一擲の後先考えない真珠湾攻撃を思いつくこともなく、日本側の安心は大きいもので、アメリカと戦争しなければ日本は滅びるという妄想にとらわれることもなく、太平洋戦争も起きなかったかも知れない。

歴史にifは禁物というのは嘘である。ifを考えるからこそ、ターニングポイントが分かり、歴史に対する理解は深まる。カラカウア王は今でもハワイで人気のある、尊敬されている人物だと私は勝手に思っているのだが、日本人としてもカラカウア王には敬意を表したい。



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ミッドウェー海戦がいろいろな意味で残念な件

連合艦隊の山本五十六長官は、真珠湾攻撃に成功した後、はて…と困ってしまいます。その後のプランをあまりよく考えていなかったからです。

まずはっきりしていることはハワイの真珠湾基地は生きているということ、そしてアメリカの空母艦隊も無傷だということでした。

もしアメリカの空母艦隊を殲滅し、ハワイも獲ることができれば、太平洋全域の制海権を握ることができるようになり、長期的にはアメリカが盛り返してくることは分かっているとしても、その後の緒戦で勝利を重ねやすくなりますから、アメリカの戦意を挫くいい一手になる可能性があります。

とにかく押せるだけ押しまくって、講和に持ち込むしかありませんので、よしハワイを獲ろうと、アメリカの空母艦隊も今度はおびきよせて一機に叩いてしまおうということになり、見方によっては真珠湾攻撃以上に皇国の荒廃この一戦にありとも言えるミッドウェー作戦を立案します。

作戦の内容はまず第一波がミッドウェーを空爆し、続いて上陸部隊が同島を占拠。そのうちアメリカの空母艦隊が出てくるので見つけ次第に殲滅し、裸の同然のハワイまで駒を進めるというものでした。

ところが、机上演習をやってみると、アメリカ空母艦隊が想定よりもかなり速くミッドウェー海域まで出てくることがわかってきます。本来であれば、ミッドウェーのようなあってもなくてもいいような小島を叩くよりも、ほいほいと出てきてくれたアメリカ空母を先に撃つということに作戦の順番を変えなくてはいけませんが、動かす艦船が多すぎることで負担に感じたのか、机上演習ではアメリカの空母はもっと後からやってくるという風に設定を変更し、演習が続けられます。敵の弾が自分の艦船に当たるかどうか、当たっても沈没か大破か小破か無傷かということは時の運ですので、演習でも設定のしようがなく、そういう時はサイコロを振り賽の目で受ける被害の程度を決めていきます。その時も、演習中に甚大な被害が出る目が出たときは、違う目が出たことにして、沈没する目が出たとしても大破だったことにするみたいな感じで演習の内容が操作されたといます。要するに予め策定した作戦が望む結果が出せるように、演習の内容を改ざんしていたと言えますので、もはやこれは演習でもなんでもなく、官僚的な辻褄合わせをしているだけだったと言うしかありません。

実際の戦闘では、敵空母艦隊を発見するために飛ばした哨戒機が、敵の真上を飛んでおきながら雲の厚みに阻まれて視認することができず、敵の空母は来ていないと報告を上げています。また敵に発見され敵空母が近いということが分かってから、当初ミッドウェー爆撃用に搭載されていた爆弾を外して空母を狙うための魚雷に交換するの90分かかっており、その時間的なロスによって敵から先制攻撃を受けるという悲しい結果を迎えています。机上の演習の方が正しかったのです。敵空母の動きは速かったのです。こういう場合はまずは第一波を飛ばして敵空母の甲板に爆弾を落として穴を開けて、使い物にならないようにしてから第二派が魚雷で沈めるのがいいのですが、司令官がテンパってしまい、そういう判断ができなかったのです。

更に不可解としか言いようがありませんが、戦艦大和が最新鋭の傍受システムで敵空母の居場所を知っておきながら、敵に大和の実力を知られることを恐れて最前線の艦隊にその事実を知らせなかったという話も残されています。「何のための大和なんじゃい」と突っ込む気力もないほどに残念な要素に溢れています。

そのような劣勢でも敵空母を二隻沈め、日本空母を二隻守った現場のパイロットの優秀さに驚くしかありません。凄い、訓練って凄い。と思います。ですが、作戦を立案する人たちが全体にゆるんでしまっていた、日本海海戦の時のような絶体絶命一発勝負のような緊張感を失っており、ついでに言うとあまりに強い不安や恐怖に押しつぶされて判断を間違えていたように思え、返す返す残念でこの時代のことはとにかくガックリするしかありません。

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真珠湾攻撃がいろいろな意味で残念な件

真珠湾攻撃を「政治」「戦略」「戦術」の三つのフェーズに分けて考えてみたいと思います。

まず、政治的な意味で言えば、かくも大失敗な攻撃はありません。連合艦隊の山本五十六はアメリカに痛打を与えてその戦意を挫くとという方針を持っていたと言われていますが、あまりにも唐突な攻撃を受けたためにアメリカではむしろ戦意が高揚し、逆の結果を招いています。フィリピンあたりで小競り合いをしてアメリカの太平洋艦隊をおびき出し、当時であれば圧倒的に連合艦隊の方が強かったですから、そこで艦隊決戦で全滅させていればアメリカも戦意を喪失するというシナリオがあり得ましたが、そういう順序をいくつか飛ばしてしまっているので、政治的には全くの大失敗。狙いを外しまくりというしかありません。

次に、戦略という点から見ればどうでしょうか。戦略的には真珠湾攻撃はアメリカが当面、太平洋で動きが取れなくなることを目指すものです。そういう意味では何といってもハルゼーの空母艦隊を討ち漏らしており、ぶっちゃけ戦略的にはもはやどうでもいい戦艦とか巡洋艦とか沈めまくったわけですが、その無用の長物と化していた戦艦も真珠湾は太平洋の海に比べれば全然浅いのでその多くが引き揚げられて修繕されていますので、真珠湾攻撃の戦果事態が無意味であったと言っても言い過ぎではないかも知れません。当時はシンガポールですら占領できるだけの力があったわけですので、ハワイのそのものの占領も充分に可能だったと言え、やはり、どうせやるのであればハワイ占領を企図しておくべきでした。半年後に「やっぱりハワイをとっておけばよかった」という後悔の念からミッドウェー海戦という更に残念な結果を招くことになってしまいますが、そういう意味では思い切りが悪かった一発殴って逃げ帰るという戦略そのものに欠陥があったと思わざるを得ません。全く残念というか、orzとしか言いようがありません。

では、戦術的にはどうでしょうか。こっそりと太平洋の北側からハワイに迫り、攻めること火の如し、走ること風の如しですので、見事と言わざるを得ず、そのために費やした訓練の成果であり、現場のパイロットの人たちへは敬意の念を抱かないわけにはいきません。ミッドウェー海戦では司令官の判断ミスが大きく影響しますが、それでもそこから反撃してアメリカの空母を二隻沈めていますので、やはり現場が如何に優秀であったかについて思いを致さざるを得ないと思います。

そのように思うと、もしあの時にハワイを占領しておけば、太平洋は西海岸に至るまで日本が制海権をとることができ、相当有利に戦局が推移した可能性を考えると悔やまれてなりません。とはいえ、戦争が長引けば必ずアメリカ有利の展開になることは間違いなかったでしょうから、東条英機が早期講和を全然考えていなかった以上、最終的な結果にはあまり違いはなかったかも知れません。当時のことは知れば知るほどorzです…。

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