政治家の靖国参拝と政教分離

今さら言うまでもないことですが、日本は憲法で政教分離することに決められています。しかしながら、もしそれを厳密にやるとなると結構難しい問題もはらんできます。

政治家が特殊な宗教に入信しているなどの極端な例を持ち出す必要はなく、むしろ政治家が地元のお寺の檀家さんだったり、あるいは初詣でご近所の八幡神社に参拝したりというようなことは、日本人の一般的な生活の一部と言えますので、そこまで政教分離がーっと言うのはもしかすると少し無理があるのではないかなあと思えなくもありません。小沢一郎さんが熊野詣をしたことがありますが、そういうのもダメなのかと言えば、かえって日本人の生活感覚から乖離してしまうのではなかろうかという気もしてしまいます。

一応、目的・効果基準という概念があるらしく、政治が特定の宗教に対して「宗教的意義を持ち」かつ「援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」をしてはいけないということで線引きがされているようです。

三重県津市で市立体育館を作る際、地鎮祭を行ったことが政教分離の原則に反するのではないかという訴訟が起きたことがありましたが、これについては最高裁で「専ら世俗的行為」にあたるとして訴えが退けられたという判例があるようなのですが、一方で愛媛県知事が靖国神社や護国神社に戦没者遺族援護の一環として公費で玉串料を納めたことは最高裁で違憲だという判断がくだされているそうです。

公費で玉串料を納めたところで判断の違いが出たのではなかろうかという気がしなくもないですが、三重県津市の地鎮祭の件でも神主さんにはお車代くらいはお渡ししているのではないかという憶測は可能のようにも思えますので、そのへんはいいのだろうかと個人的には疑問に思えなくもありません。

さて、地方自治体の長が地元の神社の神主さんと仲良くするとかなら特に目くじらを立てて騒ぎ立てることもないように思えるのですが、総理大臣が靖国神社という論争のある場所に出かけて行くことの是非についてはどう考えればいいのでしょうか。中曽根康弘首相が靖国神社に参拝したことも訴訟で争われましたが、地方公共団体の首長の場合、住民訴訟という手段で問いかけることができるのに対し、国家に対しては住民訴訟という仕組みはなく、国家賠償請求ということになるわけですが、これについては違憲の可能性は絶対ないとは言えないけれど、原告に具体的な被害が出ていないという理由で退けられているようです。

なかなかの変化球のようにも個人的には思えるのですが、靖国神社については靖国神社そのものが政治論争の真っただ中にあるようにも思え、私もどう思っていいのか分からない…と立ち止まらざるを得なくなってしまいます。小泉純一郎さんが「心の問題だから私の自由」というのも一理あると思えますが、かくも政治性の強い論争の的になっている宗教施設に総理大臣が行くことが絶対に正しいのかと議論の刃をつきつけられれば「ぐぬぬ…」ともなってしまいそうな気がします。

私は母方の祖父が戦死していますので、何度か靖国神社に行ったことはありますが、総理大臣とか天皇陛下にも参拝してほしいとかは特に思いません。私個人の意思で行きたい場所に行きたい時に行ければそれで文句はありません。もうちょっと言うと総理大臣と天皇陛下が参拝したとしてもそんなに嬉しくもありません。私には関係のないことなので、どっちでもいいというのが本音です。愛媛県の知事が玉串料を納めたのがよくなかったみたいなので、玉串料は私費でやっていただければオーケーなのではなかろうかとも思います。尤も、天皇陛下の場合、「私費」があり得るのかという素朴な疑問は残るわけですが…。

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小泉純一郎‐功罪

森喜朗首相時代、加藤の乱で加藤紘一さんが失脚し、森喜朗内閣総辞職後にYKKで末席だったはずの小泉純一郎が自民党総裁に当選します。賛否両論ある小泉・竹中改革の始まりです。

細かいことはいろいろ省いて本質的なことを考えてみるとすれば、小泉改革の基本スタンスは小さな政府を理念としており、その理念通りにできるだけ政府のプレゼンスを小さくし、民間に任せられることはこれも可能な限り民間に任せるということに尽きると思います。なぜ民間の方が効率が良くなるのかと言えば、民間では多くの企業が試行錯誤をして最も良いパフォーマンスを出したところが生き残るという「適者生存」の法則みたいなものが働くためで、必然的に大競争社会となり、能力主義となり、勝ち組と負け組の違いがよりはっきりと目に見えるようになります。一方で、能力さえあれば面倒な手続きや前提や前例がいろいろ取っ払われる状態であるために敗者復活がしやすく、失敗から学んで立ち直るというところに人生が期待できるようになるとも言えるのではないかと思います。

不良債権処理が強行されたのも、そもそもパフォーマンスの悪いことをしている企業がお金を還せないのなら、仕方がない。むしろ早く整理して銀行のバランスシートを健全化させた方が広い意味で世の中にためになるとする新自由主義的な発想で行われたものであり、郵政民営化も、上述のような経済原理が働くために結果としては広い意味で国民のためになるという判断が働いたと私には思えます。郵政民営化に関しては小泉純一郎の父親からの因縁も囁かれていますが、個人的な彼の思いがあるにせよ、上のような理論化がなされていることは疑いの余地のないことのようにも思えます。

このあたり、賛否両論あり、どちらが正しいということは簡単には結論できませんが、小さい政府という理念を理解していない、またはその理念を拒否したいという人にとっては小泉改革は単なる弱い者いじめに見えるかも知れません。一方で、小さい政府論者からすれば、その素朴なまでの理念一直の姿勢にある程度の評価を与えることができるということになるのではとも思えます。

大きい政府がいいのか小さい政府がいいのかは、人それぞれの価値観の違いが含まれてくるので、なかなか難しいところというか、議論が埋まって行かない、永遠に議論が尽くされることのない深い溝を感じます。小泉時代の前半では不良債権処理のために多くの人が「情け容赦ない」という目に遭わされ、後半では構造改革と銀行のバランスシートの健全化の効果が表れて好景気に沸きます。ここはもう、どこのポイントをとって議論するかで小泉・竹中改革に対する評価は二分するとしか言えません。小泉純一郎の小さい政府路線はそもそも小沢一郎が日本改造計画で提唱していたものでもあり、小沢一郎からすれば自分がやろうと思っていたことを小泉純一郎がやってしまったという面もあり、この辺りから小沢一郎の政策に関する主張が変節していきます。

外交ではブッシュジュニアに平身低頭していたとも言え、「ポチ保守」とも揶揄されましたが、現実主義だとすれば確かに筋が通っているとも言えます。

印象深いのは日朝平壌宣言で、拉致被害者の人が帰ってきたことで、それまでなんとなく半信半疑でもあった北朝鮮による日本人拉致事件が本当だったということが証明されたことの衝撃は大きかったですが、同時に横田めぐみさんがお亡くなりになったということで話をつけたことなどが批判の対象にもなっています。

政局家として小泉純一郎氏を見るのであれば、奇人変人と言われつつも、実は大事なところはしっかり見極めているということに気づきます。即ち、YKKのメンバーである前に福田系清和会の政治家であるという自覚は常に揺らいでおらず、森政権時代にYKKと清和会が利害相反した時には清和会の政治家としての立場を優先しています。結果としては清和会の支持なくして小泉政権はあり得ませんでしたので、押さえるべきところは押さえておけば後は適当でいいという勘所を知っていたとも言えるかも知れません。小沢一郎の離党騒ぎで主要メンバーの人間関係がズタズタになってしまった田中系政治家との違いが際立っているようにも思えなくもありません。

優勢解散で圧倒的に勝利し、5年の長い政権を終えた後、小泉純一郎は安倍晋三に禅譲し、自民党は麻生・谷垣・福田・安倍の時代に入ります。さらにその後、リーマンショックでいろいろめちゃくちゃになって、民主党時代を迎えることになります。

森喜朗内閣‐加藤の乱

小渕恵三首相が小沢一郎との会談の直後に倒れて意識不明となり、あたふたとしたドサクサの中で、とりあえず、森喜朗が自民党総裁ということに決まり、森喜朗内閣が登場します。

森喜朗首相はおそらく史上最もマスコミとの関係が良くなかった内閣ではなかったかと思えますが、パフォーマンスではなく官邸とメディアはがちで雰囲気が悪かったようです。元々失言の多そうな人ではありますが、更にメディアが悪意の編集を加えて放送することもあり、国民の支持は非常に低く、誰もがストレスフルに感じていたに違いありません。

更に森喜朗内閣不信任決議案の話が持ち上がり、ここでいわゆる加藤の乱が起こります。野党が不信任決議案を出せば加藤・山崎のいわゆるYKKで反乱を起こして野党につき、森内閣を潰すことも辞さないと宣言します。

森喜朗内閣ができあがったことで、恐らく最も悔しい思いをしたのが加藤紘一さんで、このままいけば加藤抜きで政権がバトンタッチされて行き、自分の出番はなくなるという焦りもおそらくは働き、自分にはYKKというある種の超派閥的派閥があるから、その手勢をここで使おうというわけです。

ただし、小泉純一郎はわりと早い段階で福田系の政治家として振る舞い始め、加藤系の議員たちは次々と野中広務によって切り崩されていくという事態に陥ります。

当時の加藤紘一さんのテレビなどでの発言を振り返ってみると、1、森喜朗内閣は倒す 2、自民党は離党しない 3、自分から「自分が首相になる」とはいわない 4、加藤待望論が起きて来るのを待つ という感じだったと思います。あくまでも行間を読むくらいな感じで、忖度、斟酌含みますが、特に4の加藤待望論を待つというのは自分からは絶対言えないですし、同時にそれ以外に加藤の乱を敢えてやる理由も見つかりませんので、この点は異論も出ないと思います。

実際には2の自民党を離党しないが有権者からは分かりにくく、少なくともマスメディアの方から積極的な加藤待望論は起きては来ませんでした。自民党内部からも加藤待望論は出ませんでしたが、これは権力維持を絶対の原則としている自民党にとって、内閣不信任決議案を盾に取るというゲームは危険すぎて絶対に容認しないはずですから、加藤待望論が出て来なくて当然と言えば当然と言えます。

通常なら小沢一郎が手を突っ込んできて何もかもぶち壊しにすることも考えられるのですが、加藤の乱に関する小沢一郎の目立った動きは特にありませんでした。加藤は小沢を危険視していた部分がありますので、小沢の誘いには乗らなかったでしょうし、小沢もあまり加藤紘一のことは好きじゃなかったんじゃないかなあという気もしなくもありません。また、加藤が自民党は離党しないということを大前提としている以上、小沢からの切り崩しは最初から拒絶しているということにも受け取れます。

加藤紘一が自民党を離党しないという原則を打ち出したのは、一つには河野洋平が新自由クラブを作って離党した結果、中曽根内閣に入閣し、結果としてオルタナティブとしての魅力を失って無残な出戻りをしていること、小沢一郎がなんだかんだとかっこいいことを言って飛び出した結果、野党を作っては壊すというある種の無軌道状態に陥ったことを目の当たりにしていることがあったと思います。そういう意味で、自民党を出ないというのは確かに正しいのですが、反逆を宣言した以上、離党しないということが分かりにくく、世論を引っ張り込むことができませんでした。マスメディアは小沢・羽田以来の政局劇場になれば、もてはやしたかも知れませんが、その辺りに加藤紘一の誤算・甘さがあったのではないかとも思えます。

主筋とも言える宮澤喜一が河野洋平の方を自分の後継者として考えており、加藤紘一を引きずりおろすことを狙い、敢えて加藤を引き止めなかったという説もあるようですが、私にはそこは何とも判断がつきません。

森喜朗内閣のことを書くつもりがほとんど加藤紘一さんの話になってしまいましたが、加藤さんは最近故人になられたばかりですので、お悔やみの気持ちも込めて、加藤さんメインで書かせていただきました。

森喜朗内閣が退陣すると、いよいよ賛否両論ある小泉純一郎内閣の時代に入ります。