社民党はいつ失敗したのか

ちょっと長く政治ウオッチをしている人にとっては、わりと当たり前の内容になるとはおもうのだけれど、今、社民党消滅が現実的な日程に入っているぽいので、一応、私も長く政治ウオッチをしてきた一人として、節目のためにもまとめておきたい。キーワードは、土井たか子、小沢一郎、村山富市、そして福島瑞穂だ。もしかすると辻元清美についても語るべきなのかも知れないのだが、私はかの御仁についてあまりよく知らない。語り得ないことについては沈黙せよとウィトゲンシュタインは書いた。従って、辻元清美については触れない。

社民党の前身は社会党で、長い間、戦後日本の非自民として求心力を維持してきた。55年体制が確立されて以来、自民党が議席3分の2を獲得するのを防いできたのが社会党だと言っていいだろう。自民が280前後くらいの安定多数を得続けて来たなか、社会党は100前後で推移し、政権はとれないものの、無視できないだけの勢力を常に保ち、自民党が嫌いな人たちへの受け皿となっていた。社会党が存在しなければ、自民党はあっさりと憲法を改正していただろうから、今のような護憲対自主憲法という不毛な政治対立もなかっただろう。社会党が現実的な左翼・リベラルを堅持し続けたので、共産党は安心して極端な理想主義を打ち上げ続けることができたのだと言うこともできるだろう。自民党が資本家と地主の利益を代表し、社会党は労働者と弱者を守るために戦い続けて来た。読書が好きな人、映画が好きな人は素朴に弱い人の味方をすることに共感する人が多い。そういう人から見て、社会党は魅力的な政党だったはずだ。

社会党が特にその存在感を発揮したのが土井たか子の時代だったと私がここで述べて、異論を唱える人は少ないと思う。土井たか子は様々な意味でインパクトの強い存在だった。今ではそこまでではないが、当時、女性が党首になるというのは、凄いことだった。時代が変化しているということを彼女は自分自身によって証明していた。多くの人が憧れたし、今も、土井たか子を心の中の理想としてがんばっている人は多いはずだ。そして何よりも、参議院で自民党を過半数割れに追い込んだことは、その後の日本の政治史に強い影響を与え、今日もその影響下にあると言っていいだろう。以後、自民党は20年にわたり参議院の単独過半数を回復することはなかった。衆参のねじれは政治の意思決定を致命的に鈍らせることになった。そして自民党は公明党であれ、どこであれ、他党の協力を得なければ、政権を維持できない政党になった。今は衆参ともに自民が単独過半数を握っているが、それでも他党の選挙協力なしにそれは無し得ない。自民党はアメリカからの要求の受け皿として機能しているが、アメリカからの種々の要求に対し、「政権与党の理解を得るのが難しい」というカードを手にすることになった。自民党は必ず、公明党の同意を得なければならない。アメリカのためのポチ度数のようなものは下がった言えるだろう。功罪あるが、土井たか子がそれを成し遂げたという、そのメルクマール度、エポックメイキング度は忘れられることはないに違いない。

土井たか子が自民党を過半数割れに追い込んだ、あの参議委選挙の時、確かにいろいろなことが追い風になっていた。自民党は竹下時代に消費税を導入し、当時は3パーセントという、今の10パーセントに比べれば可愛いものだったが、日本人の消費の足を引っ張り、日本経済を頭打ちにし、日本人の生活水準を明白に押し下げる第一歩が踏み出されていた。更にリクルート事件で竹下退陣があり、自民党の評判は最悪だった。更に加えて、次の首相が宇野宗佑である。宇野氏自身にオーラがなかっただけではない。誰がどう見ても、竹下復権までのリリーフであり、多くの人が宇野宗佑首相に納得しているわけではなかった。小沢一郎が竹下と金丸信に首相になれと説得されて、何が何でも嫌だと断ったのは、宇野宗佑みたいになりたくなかったからだ。宇野氏はもはや亡くなられているので、故人のことを悪く言うことは気が進まない。死者への敬意は大事にしたいので、具体的なことは述べないが、これから参議院選挙という時期に、宇野氏個人のスキャンダルが持ち上がり、宇野氏が選挙演説に行くとかえって負けるから来ないでほしいくらいの感じになった。宇野氏は気の毒である。竹下時代のリクルート事件と消費税という負の遺産の責任を引き受けさせられ、且つ、スキャンダルにしても、まず間違いなく意図的な狙い撃ちだった。彼は引責辞任するためだけに首相になったようなものだ。まあ、そういうわけで、土井たか子は運が良かった。敵失があまりにも凄まじかった。土井たか子も他界している。故人に敬意を表すという意味で、やはり、その功績により光を当てたい。55年体制という、アメリカの軛みたいな構造を叩き壊す、その始まりみたいなのは、やはり土井たか子の功績なのだ。

参議院で過半数を割った自民党は慌てた。当時の感覚としては、うまく説明できないが経済は底なしに悪くなり始めていて、国民に説明できない、にもかかわらず次の選挙があるし、どこから何に手を付ければいいか分からない。というあたりだったに違いない。自民党は党内の改革を模索するようになったが、30年間単独政権を続けていたため、変革のダイナミズムを失っており、何を改革していいのか分かる人はいなかった。党内の慣習とか人間関係の壁はあまりに厚く、動かしがたかった。マスメディアは、自民党には自浄作用がないと書き立てた。宇野退陣の後、その中で、宇野の次に首相になった宮澤喜一は相当な人材だったと私は思っている。当時の日本にとって宮澤喜一がいたことは救いだった。功罪あるし、評価は半ばすると思うが、少なくとも住専に公金を入れれば日本経済は復活するとする彼の見立てはかなり正確だった。だが、やはりマスコミが騒いだ。マスコミはまだ、日本が衰亡へのがけっぷちを歩いていることに気づいていなかったのだ。このような不毛なすったもんだが続く中、テーゼとアンチテーゼをぶつけ合って、ジンテーゼ、アウフヘーベン!イエス、高須クリニック!みたいな男が日本の政治の世界にパラダイムシフトを起こした。小沢一郎である。一応、ことわっておくが、宮澤喜一も故人であるものの、歴史の評価に耐え得る人物であると私は思うので、手心を加えるようなことはしない。その方が、より、宮澤に敬意を払っていることになるだろう。で、小沢である。

小沢は宮澤喜一に難癖をつけて、社会党が出した宮澤喜一不信任決議案に賛成すると脅しをかけた。宮澤喜一はサンデープロジェクトに出演し、生放送で田原総一朗に対し政治改革を必ず実現すると約束させられてしまった。日本の政治は、明らかに悪い意味でマスメディアのポピュリズムに浸食されていた。政治改革という言葉は濫用され、何をどうすれば政治改革が実現したことになるのか、誰にもよく分からなかったが、議論は選挙制度改革に矮小化され、宮澤は選挙制度改革の法律を成立させると田原に約束したのである。この法案については、特別委員会が設けられたものの、自民党内にも反発は強かった。政治家は長い年月をかけて地元の票を耕し続ける。選挙制度が変更されれば、これまでの票田開発は場合によっては無に帰するかも知れず、次の選挙で勝てるかどうかの保障もない、みんな嫌がっていたのだろう。宮澤の知らないところでクーデターが進み、委員長が廃案を宣言することで、この選挙制度改革は立ち消えになった。宮澤は田原総一朗との約束を守れなかった、嘘をついたと喧伝され、小沢がそれに乗った。小沢はおもしろい男だし、戦略的思考は匹敵するもののいないくらいの幅の広さを見せるが、いざ実行するとなると、その戦術はせこい。宮澤の知らないところで起きた、どちらかと言えば宮澤も被害者みたいな現象を宮澤の責任だと触れて歩き、社会党と協力し、小沢は一機に全てを手に入れようと画策したわけだ。小沢は政界全てを丸ごと呑み込もうとしたし、一時的にはそのような状態になった。小沢が宮澤を脅していた時、小沢の入っていた竹下派では小沢につくかどうかで人心が揺れていた。小沢は宮澤を脅してはいたが、真実の敵は宇野の次に宮澤を首相に指名した竹下だった。竹下派の議員たちは、竹下に忠誠を誓うか、小沢と新時代を作るか、どちらの方が現実味があるのか、或いはお得かについて悩んでいた。役者は竹下の方が上だった。小沢は衆議院竹下派の半分くらいを抑えていたし、もっといけそうだったが、参議院竹下派まで手が回らなかった。小沢と竹下の間で、参議院には手を突っ込まないとする紳士協定が結ばれたと言われているが、結果としては竹下は参議院竹下派を丸々自分の陣営に引き込み、小沢を孤立させた。小沢と心中してもいいという議員だけが残った。それでも40人ぐらいいた。羽田孜もいたし、奥田敬和もいた。自民党はリクルートと先の参議院選挙で傷つきまくっていたから、小沢一郎に希望を託せると思った人はそれなりにいたのだ。

宮澤喜一に対する不信任決議案は、小沢一郎とその仲間が社会党についたことで可決し、宮澤は総辞職ではなく解散総選挙を選んだ。もし、宮澤が総辞職をしていれば小沢は自民党内に残り、羽田首班内閣を成立させようと動いただろう。だが、総辞職になってしまったために、小沢一派はすぐに旗幟鮮明にする必要があった。自民党の首相に不信任の投票をしておいて、自民党に残ったまま選挙戦は戦えない。小沢は新政党を作り、羽田が党首になった。新政党は躍進したが、細川の日本新党の方が凄かった。細川一人で始めた日本新党は三十人以上の議席を獲った。小沢・羽田・細川連合に公明党や社会党など、非自民・非共産が全て糾合され、自民党は衆議院での過半数を失った。もちろん、結党以来初めてのことだ。宮澤の名誉のために述べておくが、自民党は一議席増やしている。しかし小沢たちが抜けたので、過半数には全く届かなかった。宮澤は気の毒なのは、宮澤以外の要因で政権の運命が決まったことだ。政治制度改革法案は宮澤の知らないところで廃案になり、その責任は宮澤が負わされた。選挙では議席を増やしたのに、小沢たちが抜けたことで、敗戦の責任を問われた。宮澤は辞任し、河野洋平が総裁になった。もちろん、河野洋平は首相にはなれなかった。

非自民の議員たちを抱え込んだ小沢は、人心糾合の策として細川護熙を首相に選ぶことにした。羽田を選ぶことが筋だが、羽田は地獄の底まで小沢と行動をともにするしかない。半面、細川は三十人以上の議員を持つだけでなく、新党さきがけとも気脈を通じていた。彼らに自由に動かれるのは困る。なら、首相にしてしまおうというのが小沢の考えだ。この時、密かに恨みを抱いたのが社会党だっただろう。この段階で、自民を除けば社会党が最も大きな政党だったし、小沢とも協力関係を築いているのだ。なぜ、社会党の党首を首相に選ばないのか?との疑問は持ったはずだ。小沢は初めから社会党を相手にしていなかった。おそらく、本音では嫌いだったのだろう。細川連立内閣は、バラバラの複数の政党の集合体だったから、いつ潰れるとも知れぬ不安定な状態だった。小沢は統一会派を作ることで、この不安定な状態を解消しようとしていた。それは小沢が自民党から渡辺美智雄を迎えるというもので、渡辺派議員の数が魅力だった。渡辺派を抱き込めば、社会党は必要ない。小沢が構想する統一会派には社会党は含まれていなかった。社会党議員は激高し、反発した。このころ、金銭スキャンダルで追い込まれ始めていた細川は予算を通していない段階で嫌になってしまい、首相の職を放り出した。小沢は羽田を次の首相にした。当時としては、他に駒がなかった。

羽田首班内閣が誕生したものの、この政権は足元から崩れようとしていた。羽田を支える政党の一つである社会党が仲間外れにされたことに憤慨して、小沢とたもとを分かとうとしていた。手打ちが模索され、社会党の要求を小沢は受け入れることにした。社会党はメンツの問題として羽田内閣を一旦総辞職させるよう要求した。このある種の詰め腹的儀式が行われれば、我々は一度は損ねた心境を回復し、気分よく小沢に協力する。というわけだ。羽田の総辞職は飽くまでも儀式だから、次の首班指名では、当然、羽田に投票すると社会党は約束した。しかし、話はこのようには進まなかった。

羽田辞任後に改めて行われた国会での首班指名はテレビでも生中継されたが、中継を見る日本人の多くが、何が起きているのか理解できなかったに違いない。自民党と社会党が協力し、自社連立で非羽田・小沢政権を作ろうとしていた。自民と社会が手を結べば、小沢は少数派だ。たった一日で、テレビの中継が行われている中、権謀術策が繰り広げられた。自社連立で社会党党首の村山富市が彼らの首相候補になった。テレビの前にいた市民は、こいつら本気か?と耳を疑った。つい先日まで、自民と社会とはあれほど激しく争い、罵りあい、不倶戴天の敵であるかのように批判し合っていたではないか。あれはやらせだったのか?政治はプロレスなのかと。小沢は自民党を切り崩すために、海部を起用した。もはやプロレスなのだから、何でもありなわけだ。中曽根は思想信条の問題として社会党党首に投票することはできないと記者会見した。社会党内部でも自民党と連立することによしとしない意見はあったようだが、赤松が「社会党の首相を誕生させよう」と説得し、村山富市が首班指名されることになった。海部や中曽根の離脱もあって、自民党からは村山指名しなかった議員もある程度いたが、秘密投票なので、はっきりとは誰がそうしたのかは分からない。海部は善戦したが、村山が勝った。日本中で、何が起きているのか分からない人が大勢いた。私もそうだ。

村山は自衛隊の行進にも出かけて行ったし、社会党本部の前にあった、消費税反対の看板は撤去された。阪神淡路大震災で後手後手に回ったことで、村山への批判は強まった。社会党に投票していた人たちの多くが、自民党の政策をそのまま受け入れる姿勢を示した社会党に再び投票するわけにはいかないと考え始めた。社会党の終焉は誰の目から見ても明らかだった。本当に社会党が終焉する前に手を打つ必要があった。細川護熙が「黒衣に徹する」と新党の立ち上げに動いていた。新しい政党は民主党だ。非自民・小沢抜きが細川の提唱していたもので、菅直人とか鳩山由紀夫とかが参加し、このまま社会党に残っていては生き残れないと、多くの社会党議員、たとえば赤松とかが民主党に飛び移り、生き延びた。社会党にとどまった人たちは、政党を社民党に変え、自民党とは手を切り、孤高の政党を目指せるかどうか、やれるだけやろうと決心したに違いない。私はこの段階で、社民党にとどまった人たちのことは、その志に於いて、見るべきものがあると思う。その中に福島瑞穂がいて、彼女は長く党首を務めた。

福島瑞穂は、原点に立ち返り、護憲を貫いた。だが党勢は回復しなかった。非自民に投票したい人の票が割れたことは大きいだろう。今思えば、福島瑞穂の時代に、もう一歩、ビジョンが見えることを有権者に語り掛けていれば、社民党はもうちょっとなんとかなったかもしれない。たとえば山本太郎は小沢一郎に拾い上げられて気づくと、日本で一番目立つ政治家になっている。たとえば山本太郎を社民党に引き込んでいれば、いろいろ違ったかも知れない。ただ、山本太郎は、社民党に入るより令和新選組の方がやりやすいと考えた。それくらい社民党は魅力がなかったのだろうか。福島瑞穂の時代は結構長かった。巻き返すための手段はいろいろあったのではないだろうか。気の毒である。

こんなに長くなるとは思わなかった。手が痛い。私は政治信条としては自由を強く支持するので、あまり社会党とか社民党とは相性は良くない。しかし、今、消滅しようとしているあの政党のことを考えた時、彼ら、彼女たちに、巻き返しのタイミングはなかったのだろうかというようなことを思うようになった。そして書いてみたら、そのタイミングが見えるだろうかと思ってはみたが、具体的に、こうすればよかったというのは見当たらなかった。社民党を悪く書くために書いたのではない。同情して書いた。ソ連の消滅とか、いろいろ社民党にとって追い風にならないことは続いた。小泉純一郎の時代があったのも、社民党にとっては不運だったかも知れない。小泉は最盛期には支持率90パーセント越えだったし、このような時に社民党が党勢回復するなど考えにくい。小沢の政党は自民には勝てなかったが、他の野党の議席を奪い続けていた。

ああ、これ以上長くなると、本当に私が倒れてしまうので、終わります。私は社民党への善意でこれを書いた。社民党の方々、支持者の方々にはご理解願いたい。
ご批判がある場合はコメント欄でお願いします。誹謗中傷、またはスパムと判断しない限り、コメントは承認します。



平成がどんな時代だったかと振り返ってみると、小沢一郎さんの時代だったような気がする

平成という時代が始まった時、日本は史上最もいい時代を迎えていて、平成元禄という言葉が使われたりしました。この時、首相は竹下登さんで官房長官が小渕恵三さん、小沢一郎さんは官房副長官でした。辣腕と言われ、頭が良くて度胸が良くて顔が怖くて能力がある、要するに尋常ではない人物と評されていたわけで、田中角栄さんが「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と評したそうです。今思うと、羽田孜さんが凡人で、小沢一郎さんが陰謀家、梶山さんは何をやるかわからないやたけたな人物だ、みたいな意味だったようにも思えます。

竹下登さんがリクルート事件で失脚した後は、竹下・金丸・小沢ラインと呼ばれる権力構造の中で、竹下さんの傀儡の政治家を小沢さんが操り人形にして首相するみたいなことが起きます。かつぐ神輿は軽いのがいいみたいなことを小沢さんが発言したのも、このころだったと思います。そう表現された海部さんは屈辱的だったのではないかと想像します。

小沢さんは首相指名権を事実上握るぐらいのところまでの実力者になり、なんとか指名を勝ち取りたい宮澤喜一さんから「大幹事長」と持ち上げられます。スーパーエリートの宮沢さんが平伏した時が、今から思えばあの人の一番の花だったのかも知れません。竹下さんと金丸さんは小沢一郎さんを首相に選ぼうと説得したこともあったのですが、小沢さんは絶対にやらないと固辞しました。自分が首相を傀儡にしているので、そんな風な首相に自分はなりたくない、自分は本格政権を作るんだと強い意志を持っていたのではないかなと想像します。

宮澤喜一さんはお気の毒だったと思うのですが、宮沢政権期に政治改革が議論され、政治改革が選挙制度に矮小化され、宮沢さんはテレビで「やる」と言って現場に裏切られて「嘘つき」と言われ、それを口実に小沢さんとその仲間が造反勢力になって、内閣不信任案の賛成に回り、宮沢内閣不信任が決議されてしまいます。今振り返ってみれば、小沢さんと竹下さんの感情的なもつれが要因だったようです。政治的な抗争という意味では竹下さんの方が小沢さんより上手で、衆議院竹下派は小沢系と非小沢系で二分されたものの、双方の紳士協定で参議院には手を突っ込まないと合意していたにもかかわらず、竹下さんが参議院を取り込んで、竹下派内の抗争は竹下さんの勝ちでゲームが進みました。

しかし一方で政権は自民党を飛び出した小沢さんが非自民を糾合して細川護熙内閣を作り上げます。羽田首班内閣でいくのかと思っていたら細川首班だったため、当時は大きな驚きが広がりました。宮沢政権不信任決議を受けて行われた解散総選挙で自民党は実は議席を増やしていましたが、小沢さんが引き抜いた人たちの分を補うことができず、自民党結党以来初めての非自民政権が生まれたわけです。野合とも言われましたが、時代が変わったと思って私は大きく影響を受けてしまい、しばらくは小沢さんの熱心なファンでした。政治のニュースも「小沢出せ、小沢」と思って観ていました。

ただ、細川さんが途中で嫌になって辞めてしまい、羽田首班で乗り切ろうとしたものの社会党外しが裏目に出て羽田内閣総辞職、改めての首班指名ではあろうことか自民社会連立政権が誕生し、小沢さんは野党へ。新進党を作ってみたり、壊してみたり、自由党を作って自自公連立みたいなこともやりましたが、やっぱり途中でダメになるを繰り返します。

よく見てみると小沢一郎さんと協力した政治家はみんな途中でダメになっていってしまいます。細川さんは政治の世界からドロップアウトして趣味人になってしまいましたし、羽田さんも半端に首相を辞めてしまうことになり、小沢さんと組んで政権を作った小渕さんも倒れてしまいました。他にも小沢さんと協力関係を結んでダメになっていった人を数えるときりがないですし、数えるだけ辛くなるので、ここではこれ以上は踏み込みません。

自民党には小沢アレルギーと呼ばれる現象が起き、絶対に非小沢の政党になったわけですが、野党でも非小沢の動きが生まれ、非自民小沢抜きの民主党が作られます。小沢さんの自由党は選挙の度に順調に議席を伸ばしますが、自民の力は堅調で、民主党が自由党に追い詰められると言う現象が起き、民主党の方が折れる形で小沢自由党と合流、小沢党首で新民主党が活動します。小沢さんという人の人生の浮き沈みの激しさ、周囲を振り回すやたらとでかい引力、関わった人間が次々とダメになっていくという不思議な力に私は驚愕もしますし、魅力も感じますし、でも、やっぱり限界も見えてしまいます。関わった人が次々とダメになるということは、小沢さんが周囲に無理をかけまくり圧迫しまくる人物だということを示しているのではないかと思います。みんな疲れて倒れていってしまうのです。そして途中で気づいた人たちは離れて行ってしまいます。

小沢さんの政策に関する考えには一貫性がなく矛盾だらけで、突き詰めるとやたらと派手な政局屋さんでした。今年の参議院選挙が小沢さんの最後の正念場みたいに言われています。もう一勝負するらしいです。私は一時、かなり小沢さんに注目していましたが、一、小沢ウオッチャーとしても疲れてしまいました。それでも過去三十年、小沢一郎さんを中心に政局が回っていた時期が相当あったというのは確かです。平成の始まりのころに注目を集め出し、平成の終わりとともに活躍を終えようとする小沢一郎さんが平成の主役の一人だったと言っていいと思いますし、やや誇大な表現かも知れませんが、平成は小沢一郎の時代だったと言っても言い過ぎではないように思います。








2019年の政治の見どころは、衆参同日選挙の有無

このところ、安倍晋三首相に揺れを感じます。焦っているように見えるのです。安部さんの究極の目標は憲法改正で、憲政史上稀な長期政権を打ち立てて尚憲法改正ができていないわけですから、もし安倍さんが憲法改正できなければ、私が生きている間に憲法改正が行われることはないと思います。私は今の憲法が自主憲法ではないとは思っていますが、内容はなかなかいいことを書いてあると思っているので、正直に言うと憲法改正がされるかどうかには関心がありません。自衛隊は憲法に明記されていませんが、自衛隊が生まれたのはアメリカの要請があったからで、自衛隊にいろいろな制約がかかっているのも、そういう国際政治上の要請によるものですから、ぶっちゃけ憲法とは関係ないと思っています。仮に憲法に自衛隊が明記されることがあっても、国際政治上の要請から制約がかかるでしょうから、同じと言えば同じなのです。また、今の憲法はそれくらい解釈に幅を持たせることができる憲法だと考えることもできますから、解釈に幅を持たせることができるくらいでちょうどいいのではないかとも思うのです。例えば大正時代から太平洋戦争にかけての時代、「内閣が軍に口出しするのは憲法違反だ」という論法がまかり通るようになり、小さなことでも憲法違反だ、統帥権干犯だと騒ぎ立てて問題にされてしまうようになったことが、結果としては誰もが口をつぐんでアメリカとの戦争まで突入してしまったわけです。ですから、あまり些細なことで騒ぎ立てるのは少なくとも政治とか憲法とかについて考える際にはなるべく避けた方がいい、コップの中で嵐を起こしてコップが壊れたら元も子もないと思っています。

とはいえ、政局はおもしろいので気になります。選挙では苦労する人がたくさんいますから、外野でおもしろがるのはまことに申し訳ないとは思うのですが、やっぱり政局に対しては純粋に興味津々になってしまいます。私は野球を観ないのですが、野球を観るのが好きな人が今年はどこが優勝するかについて喧々諤々するのと同じような感覚です。

で、安倍さんは自分の政治目標を達成するためには、残りの任期中に与党3分の2以上を維持した状態で、与党全体を説得し、国民投票に持ち込みたいに決まっています。できるかどうかは分かりません。私個人に賛成も反対もないです。いずれにせよ、そういうわけで3分の2以上を維持するためには今年の参議院選挙で勝たなくてはいけないわけです。あと半年ですから、すぐに夏の選挙の到来です。小沢一郎さんが人生最後の勝負をかけて野党の糾合を進めています(これを野合と呼ぶかどうかは、それぞれの価値観の問題でしょうね)。安倍さんとしては今回だけは小沢さんに敗けるわけにはいきません。そうなると、中曽根さんの時のように、死んだふり衆参W選挙で圧勝パターンを狙うことは充分に考えられます。もし私だったら、人生をかけた大目標を達成するような場面が来た時、できることは全てやりますから、安倍さんもできることは全てやるはずです。衆参同日選挙になると、政権選択プレッシャーが有権者にかかってくるのでついつい自民党に票が集まりやすくなると言われています。もし安倍さんの立場なら今年やらなければいつやるのかという感じではないでしょうか。

しかし、衆参同日選挙の時に支持率ががたっと落ちてしまうようなことがあると、両方敗けて政権を失うという大きな賭けにもなるわけですから、なんとかして支持率を上げたいという焦りがあの手この手を打っている安倍さんの姿から見えて来るような気がします。ロシアのプーチン大統領と平和条約を結んで二島返還みたいなことが起きればぐぐっと支持率が上がるかも知れないという心境にもなるでしょうし、昨年末から急に不景気になってきましたから、景気対策を打ちたい、できれば消費税の引き上げを更に引き延ばしにしたら支持率上がるだろうか。というような心情も見えてくるように思えるのです。

個人的には消費税は上げないでほしい、できることなら下げてほしい、はっきり言うと廃止してほしいと思っているタイプなので、憲法改正には関心はないですが、安倍首相が消費税引き下げを公約に衆参同日選挙をやってほしいなあと思います。

いずれにせよ、以上のような理由で今年は衆参同日選挙の可能性は充分にあると踏んでウオッチしたいと思います。








小池百合子と石破茂と小沢一郎と渡辺美智雄と加藤紘一

2017年秋の選挙期間に突入しましたから、選挙で苦労している人に対して申し訳ないので、揶揄するでもなく、嘲笑するでもなく、真面目に小池百合子と石破茂と小沢一郎と渡辺美智雄と加藤紘一という題で考えたいと思います。

小池百合子さんは選挙後に石破茂さんの首班指名を模索したとの話が飛び交っています。私がもし石破茂さんと親しい関係であれば、断るように進言すると思いますし、多分、石破さんサイドは断っていると思います。自民党でもうあとひきなんだけれど首相になれないという人を引き抜こうとした例としてぱっと思い出すのが小沢一郎さんが渡辺美智雄さんを引き抜こうとした時のことです。一時期、渡辺美智雄さんは乗り気だったようなのですが、小沢さんとの会談予定の前日、眠れないために睡眠薬を使用した渡辺さんが朝起きれずに会談に遅刻。小沢一郎さんは予定通りに現れないのならそれまでよとピーターパンのステージを見に行ったということがありました。

小沢一郎としては渡辺派の人数が欲しかったし、渡辺美智雄さんとしては、自民党を割って出てでも首相になりたい、健康状態がよくないので今しかないという追い詰められた状態でしたが、互いに利害は一致していたとも言えます。しかし、小沢一郎がピーターパンを優先したことや、渡辺派からついてくる議員があまり多くないということで、相互の関係がぎくしゃくし始め、渡辺さんも意欲をなくし、この話はお流れになったと記憶しています。

小池百合子さんは石破茂さんに同じ手口で仕掛けたということになりますが、最近の小池さんは策士策に溺れる感が強く、今回の選挙では希望の党は必ずしも有利とも言えないようです。

さて、首相になりたくて反乱を起こした人物と言えば加藤紘一さんです。森喜朗首相の不信任決議案に賛成する構えを見せ、加藤紘一待望論が出たらそこに乗るようにして首相になるつもりだったのが、果たせませんでした。涙を拭おうともせずに自派の議員たちに敗北を告げる場面は今も鮮やかに脳裡に浮かびます。この時、「あんたが大将なんだから、あんたが行けと行けばみんな行くんだ」と励ましたのが谷垣禎一さんでした。

日本の議会制民主主義でやっかいなところは、建前では政策を同じくするものが集まって政党を作ることになっていながら、現実には権力を得るための合従連衡、個利個略が優先されてしまうことです。加藤紘一さん、渡辺美智雄さんにはある種の悲劇性がありましたが、それも政策よりも権力を優先しようとしたからとも言えます。いっそのこと党議拘束というのをなくしてしまえば、そのような悲劇も少しは減るのではないかという気がします。

安倍首相は現段階で解散を打ちたくても打てないように見える件

政治的なイベント、または外交的なイベントがあれば、すぐに解散説が出てきます。たとえば、森友学園問題では、証人喚問の終わり、出るべき話はだいたい出尽くした感があり、これを境に解散か?というような観測もなかったわけではありません。内閣支持率は概ね好調で、森友学園問題で騒ぎになってからは少しは下がりましたが、現状では回復が見られます。尤も、森友以前までほどには回復していませんから、同じやるなら今の時期は外してもう少し様子が見たいというところはあるはずです。

外交で得点して解散への流れを作りたいと安倍首相が考えていたことはまず間違いないと思いますが、プーチン訪日は実際的には空振りみたいなもので、北方領土で一機にという感じではなくなってきました。また、北朝鮮で開戦前夜(?)の空気が漂う現在、邦人保護の観点からみても米韓合同軍事演習が終わるまではとても解散している場合ではありません。外交的にはこつこつと小さく積み重ねてきた点は正当に評価されるべきと思いますから、概ね高い支持率はそのことも反映しているかも知れないですが、前回のように大きく勝てるという見込みが立つほどの感じでもなし…。というところではないかと思えます。

経済に関しては、金融緩和がそれなりに効果を上げていると思える一方で、日銀頼みの感が強く、もう一歩、抜け切れていない様子であり、失業率が史上最低レベルにまで下がったという事実は正当に評価されるべきと思いますが、21世紀バブル、21世紀元禄という感じにはほど遠く、長い目で見ると悲観したくなる材料が山積みですので、選挙で大勝利の確信を立てられるところまで来ているとも言い難いところがあります。個人消費は伸びておらず、明らかに消費税の増税の影響を引きずっていると思えますから、長い目で見るとずるずると衰退していきそうにも思えてしまい、なんとかしてくれ…。とついつい思ってしまいます。せめて東芝が救済されれば、ちょっとは明るいニュースになるようにも思うのですが、外資に買われる可能性の方が高いように思え、どうしてもぱっとした感じにはなりません。リフレ派の論客の片岡剛士さんが日銀の審査委員に就任する見込みですので、黒田総裁就任以降のリフレ政策は維持される、或いは更に深堀りしていくことが予想できますが、日銀頼みになってしまっているところが軛のようになっているとも思えますから、もう少し明るい材料がほしいところです。

しかし、安倍さんが憂慮する最大の要因は自民党の若手の議員の人たちが枕を並べて討ち死にする可能性が高いというところにあるそうです。確かに育児休暇をとると言っておきながら、不倫をしていた国会議員、重婚疑惑の国会議員など、たるんだ感じのスキャンダルが多く、20世紀型の大金を集めていたとかの話に比べれば小粒なスキャンダルとも言えますが、小粒なのに品がないという関係者であれば絶望したくなるような話題が目立っており、党の執行部であれば「このメンバーでは戦えない。外交で得点して何とか、粗を隠せないか…」という心境になるのではないかと想像できます。

2017年秋の解散説がありましたが、最近では2018年解散説まで出ています。勝てる目算が立つまではぎりぎりまで待つというわけです。追い込まれ解散になる可能性もあるけれど、それまでにいいニュースを発信できるかどうかということに賭るということらしいです。

自民党の支持率は4割近くあり、小選挙区中心の日本の選挙制度から考えれば上々と言えますし、民進党の支持率は全く上がらないというか、下がり気味であり、通常であれば自民党は楽勝とも言えますが、最近は当日になって誰に投票するかを決める人も多く、そのあたりの有権者の気まぐれの恐ろしさをよく知っているからこそ、メンバーのたるみを危惧していると言えそうです。小池百合子さんが手駒をどれくらい揃えてくるかによって今後の流れは変わってきますから、そういう意味では東京都議会選挙には注目せざるを得ません。ただし、小池さんは最終的には自民党と組む形で、細川護熙さんの時のように、少数与党ながら首班指名を勝ち取るというあたりを狙っていると思われるものの、自民党は正解遊泳型の政治家を絶対に認めないという空気も持っていますので、そのようなある種の伝統を小池さんが打ち破るかどうかは見届けたいところです。豊洲移転問題のもたつき、東京オリンピックの準備のもたつきが指摘される中、小池さんの演説力で乗り越えるのかどうかは日本の政治の将来を占う重要な材料になるように思えます。

最後に、安倍さんにとって恐るべしは小沢一郎さんかも知れません。前回の衆議院選挙でも、東北地方では自民圧勝という結果を得ることができず、小沢一郎王国が奥州藤原氏の如き強靭さを持っていることをうかがい知ることができましたが、解散時期が遅くなればなるほど、小沢さんに合従連衡の時間を与えることになります。小沢さんは党名を自由党というかつての政党名に戻しており、そこに心境の変化、心構えを見ることができます。

安倍さんとしては憲法改正可能な議席を維持したいという思いがあるでしょうけれど、上に述べたような各種不安要素を並べてみると、次も前回と同じだけの議席を確保できる見通しは必ずしも高いわけではなく、仮に現状に大きな変化が生まれないまま解散総選挙ということになれば、憲法改正はあきらめざるを得ないという結論にも至りかねません。私個人は無理をして憲法改正をする必要はないと思っていますから、3分の2以上の議席をとれるかどうかにはあまり関心はないのですが、憲法よりもまずは経済で、消費税の据え置き、できれば減税、可能なら撤廃(日本は一挙にバブル期なみの好況に恵まれることになると思います)で選挙をやってもらえないものだろうかと願う次第です。

スポンサーリンク


政治家の靖国参拝と政教分離

今さら言うまでもないことですが、日本は憲法で政教分離することに決められています。しかしながら、もしそれを厳密にやるとなると結構難しい問題もはらんできます。

政治家が特殊な宗教に入信しているなどの極端な例を持ち出す必要はなく、むしろ政治家が地元のお寺の檀家さんだったり、あるいは初詣でご近所の八幡神社に参拝したりというようなことは、日本人の一般的な生活の一部と言えますので、そこまで政教分離がーっと言うのはもしかすると少し無理があるのではないかなあと思えなくもありません。小沢一郎さんが熊野詣をしたことがありますが、そういうのもダメなのかと言えば、かえって日本人の生活感覚から乖離してしまうのではなかろうかという気もしてしまいます。

一応、目的・効果基準という概念があるらしく、政治が特定の宗教に対して「宗教的意義を持ち」かつ「援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」をしてはいけないということで線引きがされているようです。

三重県津市で市立体育館を作る際、地鎮祭を行ったことが政教分離の原則に反するのではないかという訴訟が起きたことがありましたが、これについては最高裁で「専ら世俗的行為」にあたるとして訴えが退けられたという判例があるようなのですが、一方で愛媛県知事が靖国神社や護国神社に戦没者遺族援護の一環として公費で玉串料を納めたことは最高裁で違憲だという判断がくだされているそうです。

公費で玉串料を納めたところで判断の違いが出たのではなかろうかという気がしなくもないですが、三重県津市の地鎮祭の件でも神主さんにはお車代くらいはお渡ししているのではないかという憶測は可能のようにも思えますので、そのへんはいいのだろうかと個人的には疑問に思えなくもありません。

さて、地方自治体の長が地元の神社の神主さんと仲良くするとかなら特に目くじらを立てて騒ぎ立てることもないように思えるのですが、総理大臣が靖国神社という論争のある場所に出かけて行くことの是非についてはどう考えればいいのでしょうか。中曽根康弘首相が靖国神社に参拝したことも訴訟で争われましたが、地方公共団体の首長の場合、住民訴訟という手段で問いかけることができるのに対し、国家に対しては住民訴訟という仕組みはなく、国家賠償請求ということになるわけですが、これについては違憲の可能性は絶対ないとは言えないけれど、原告に具体的な被害が出ていないという理由で退けられているようです。

なかなかの変化球のようにも個人的には思えるのですが、靖国神社については靖国神社そのものが政治論争の真っただ中にあるようにも思え、私もどう思っていいのか分からない…と立ち止まらざるを得なくなってしまいます。小泉純一郎さんが「心の問題だから私の自由」というのも一理あると思えますが、かくも政治性の強い論争の的になっている宗教施設に総理大臣が行くことが絶対に正しいのかと議論の刃をつきつけられれば「ぐぬぬ…」ともなってしまいそうな気がします。

私は母方の祖父が戦死していますので、何度か靖国神社に行ったことはありますが、総理大臣とか天皇陛下にも参拝してほしいとかは特に思いません。私個人の意思で行きたい場所に行きたい時に行ければそれで文句はありません。もうちょっと言うと総理大臣と天皇陛下が参拝したとしてもそんなに嬉しくもありません。私には関係のないことなので、どっちでもいいというのが本音です。愛媛県の知事が玉串料を納めたのがよくなかったみたいなので、玉串料は私費でやっていただければオーケーなのではなかろうかとも思います。尤も、天皇陛下の場合、「私費」があり得るのかという素朴な疑問は残るわけですが…。

スポンサーリンク


小沢一郎とドナルドトランプ

今さら感は多少ありますが、ドナルドトランプさんが大統領になると予想できた人はかなり少なかったはずです。私もCNNをウオッチする限り、とてもトランプさんが勝とは思えませんでした。しかし、インターネット上では確かにトランプさん支持の声は高かったことも感じました。しかし私はまさか…と思い、インターネット上での声を無視していました。今思えば自分の不明を恥じるしかありません。

なぜ私がインターネットでのトランプさん支持の声を無視していたかと言うと、過去に小沢一郎さんがインターネットでは極めて多くの支持の声を得ていながら、実際的には菅直人さんに対して敗北したという事象があったからです。

そのころ私はインターネットでかくも高い支持を得ている小沢一郎さんが菅直人さんを圧倒すると考えていました。しかし実際には小沢さんは政治的に菅直人さんに敗北しています。その経験からネット上の支持不支持は現実に反映されているとは考えにくいと判断するようになりました。

さて、トランプさんですが、ネットで検索する限り、基本的にはトランプ支持の声が圧倒的に高く、ネットだけを見ている人にとってはトランプ勝利に見え、CNNを見ている人にはヒラリーさん勝利に見えたはずです。今、FOXは明らかにトランプさんを後押ししていますが、選挙期間中はややヒラリーさん寄りだったように記憶しています。

上記のことから言えることは、小沢一郎さんと菅直人さんが敵対していた時にはネットの声と実際が乖離していたのに対して、トランプさんとヒラリーさんが戦っていた時にはネットの声が実際に近くなっていたということです。

なぜ小沢一郎さんのケースとドナルドトランプさんのケースで違いが出たのでしょうか。アメリカの方が日本よりもインターネットが発達していたからと理解するのは必ずしも正しいとは思えません。日本のネット依存率のようなものはアメリカとさほど変わらないのではないかと個人的な実感としては思います。しかしながら、時間軸が数年ではありますけれど、差異があります。小沢一郎さんと菅直人さんが内ゲバで争っていたのは2011年から2012年あたりのことです。それに対してドナルドトランプさんとヒラリークリントンさんが競い合ったのは2016年。僅か4年の違いですが、この4年の間に世の中が大きく転換し、いわゆるテレビマスメディアからネットメディアへと人々の関心が移動したために、小沢一郎さんがネットで支持を得ていた時とトランプさんがネットで支持を得た時とでは読解すべき方向性に変化が生じたという理解ができるのではないかという気がします。

ということは即ち、今後は日本の大手メディアがCNNを通じて得た情報よりも自分でネットで英語のサイトをいろいろ閲覧して得ることができる情報の方がより信頼できるということが言えるのではないか、ここ数年で一挙にそういう方に変化したのではないかという気がします。飽くまでも私がそういう気がするというだけですが、ネットでなんでも検索できる時代ですから、それだけ自分で英語のサイトも読めるようになるよう訓練しないと先を読めないということなのかも知れません。或いは今後はやたらめったら英語に強い日本人が英語のサイト情報を日本人にネットで伝えるというのが通常になるかも知れません。もちろんAIが充分に発達すれば英語を理解しない人でもAIが自動的に翻訳してくれますから、英語の能力すら必要ではなくなるかも知れません。

以上、ざっとした感想ですが、何かご参考になることがあれば幸いです。

スポンサーリンク


菅直人内閣‐…..

沖縄の米軍基地辺野古移設問題で進退窮まった鳩山由紀夫首相が退陣し、民主党トロイカ体制で無傷だった菅直人氏が首相に選任されます。菅直人首相は就任直後から反小沢色を鮮明に打ち出しており、その様子を見る私の頭の中には「内ゲバ…」という言葉が何度となく去来しました。

小沢一郎は民主党が非自民の最後の牙城と認識していたため、菅直人の攻撃に対して当面はじっと我慢を続ける腹でしたが、途中でとうとう我慢できなくなり、菅直人内閣不信任決議案を自民党に持ちかけ、自民党+民主党小沢系議員+鳩山系議員で不信任決議案を通過させるというシナリオを描きます。ところが菅直人氏が「近いうちに」後継に譲るとの声明を出し、近いうちにとはどれくらいの長さなのかという曖昧さを残しつつも、それを理由に小沢は兵を引きます。微妙な駆け引きですが、当時、鳩山系が必ずしもまとまっておらず、ほとんど有効な票として期待できなかった他、小沢系だけでは自民党と共同しても過半数には届かなかったように見えますので、小沢一郎としても本当にやって失敗してしまうよりは、菅直人と妥協して民主党政権を存続させたというストーリーに切り替えざるを得なかったのではないかという気がします。不信任案が可決されれば民主党を潰す覚悟で菅直人が解散に出るであろうことも、民主党議員の中で不安を生んだという面もあるように思えます。みんなで心中するよりは…という感じだったのでしょう。

結果、菅直人不信任決議案は緊張感のないまま投票が行われ、賛成が過半数に届かず否決されることになります。森喜朗は「小沢さんと何かをやると必ずおかしなことになるから、私は気が進まなかったんだ」という主旨のことを述べています。

菅直人の不人気の要因としては尖閣海域で日本と中国の船が衝突した件について動画を隠しておきながら、後から海上保安庁の職員の人が動画をyoutubeにアップロードしたことにより真相が国民に伝わり民主党が訴えていた「情報公開」が全然逆のベクトルに向いていたことがわかってしまったというこがあったかも知れません。仙石官房長官が「動画が流出した件について中国に説明しなければならない」と発言したことも、当該の動画については外に出さないという密約があったことを想像させるもので、こういうことも不人気の要因になった可能性もあります。

更に大きいのは東日本大震災での対応が後手後手に回り、どうもいろいろ隠しているらしいという雰囲気になってしまい、それも不人気に輪をかけたように思えます。

菅直人首相は「近いうちに」と言葉を濁して延命するつもりだったようですが、「発言通りに早く辞めろ」という圧力が強まり、菅直人内閣は総辞職し、仙石さんにかわいがられていたと言われる野田佳彦氏が後継首相に指名されることになります。


鳩山由紀夫内閣‐善意の人ではあったと言える

麻生太郎首相の行った衆議院選挙で民主党が圧勝し、鳩山由紀夫内閣が登場します。発足当初、国民からは熱狂的に歓迎され、国際社会からも大いに注目され、アメリカのオバマ大統領も鳩山さんにはとても友好的な感じでした。

地球温暖化対策の二酸化炭素の排出削減に対して積極的で、リベラルのいい面が出ているようにも思え、私も鳩山由紀夫さんには肯定的な意見を持っていました。

小沢一郎さんへの非難が大きくなる中、小沢さんに対しては「首相にしていただいた」という恩義を感じているという主旨の発言をして、簡単に人を見捨てないというようにも見えて、個人的にはそこも好印象です。

しかし、沖縄の米軍基地辺野古移設問題に対して「最低でも県外」と発言したことが基でいろいろなことが空転していきます。別の基地の予定地を何とかしなくてはいけないのですが、別の土地がさっぱり決まらず、見つからず、周囲も天手古舞のききりまいで鳩山由紀夫首相は総辞職を表明することになります。オバマ大統領の周辺からも「鳩山はルーピーだ」という言葉も日本に漏れ伝わるようになり、政権末期はかなり無惨です。一年持たなかった政権ですから、熱狂から辞職まではあれよあれよという間の急転直下な印象すら与えます。

民主党は小沢一郎、菅直人、鳩山由紀夫の「トロイカ」体制で引っ張って来られた政党ですので、小沢一郎が資金問題で前に出られない、鳩山由紀夫が「一丁あがり」で、順当に菅直人政権が登場し、民主党は内ゲバの時代へと入っていくことになります。


福田康夫内閣‐大連立構想

第一次安倍晋三内閣が総辞職すると、自民党の後継総裁に福田康夫が勝利し、福田康夫内閣が登場します。福田康夫さんは元々政治家になるつもりのなかった人で、50歳を過ぎてから突如福田赴夫の後継者として政治家になった人ですが、小泉純一郎政権で官房長官を担当し、突如辞任したことから、総理大臣候補として取り沙汰されるようになっていきます。

安倍晋三さんが首相になる際にも福田待望論は起きたのか起こしたのか何とも言えませんが、いずれにせよそれまでとは違った路線を打ち出そうとしていたように見受けられます。自身の任期中に衆議院選挙もあり得るという状況だったため、その辺りのプレッシャーは強かったかも知れません。

参議院では民主党が圧倒的だったため、ねじれを解消する目的で民主党党首の小沢一郎と大連立構想をまとめようとします。一旦話はまとまったものの、民主党内部から猛反発が起き、小沢一郎は大連立を断念。電話で福田さんに断念する旨を伝えたと言われています。

小沢一郎は民主党内部が自民党との連立に大反対だったことを受け「自分への不信任だとみなす」として代表辞任を表明しますが、鳩山由紀夫らの懸命な説得で留任を表明します。徳川慶喜ばりの瀬戸際交渉とも言えますが、過去に竹下金丸が小沢一郎をさんざん説得しても首相を受けなかったことを考えると、鳩山由紀夫の説得を受け入れた分、小沢一郎は丸くなったということもできるかも知れません。

福田康夫は内閣を改造し、この改造内閣で総選挙に臨む可能性もありましたが、改造後一か月ほどで総辞職を表明します。果たして福田内閣は何だったのかという疑問は残らなくもありませんが、小泉政権でかくも強さを見せつけていた自民党が小沢民主党にかなり圧迫されるようになり、自分の手では解散総選挙は打てないという考えが福田さんにはあったのかも知れません。

衆議院の任期満了が近づく中、政権は麻生太郎に譲られます。麻生太郎は選挙をさせられた首相みたいに言えるかも知れません。