『この世界の片隅に』と『瀬戸内少年野球団』

『この世界の片隅に』の評判があまりにいいので観てきました。多くの人が言っているように、映画が終わった瞬間、この映画をどう理解していいのかが分からなくなってしまいます。凄かったことは間違いないのですが、明確な「泣かせどころ」があるわけではなく、すずさんの心の変化に気づくことはいろいろありますが、「ここが見どころ」というものがあるわけでもなく、でも感動的で、私の場合は涙が二すじほどすっと流れました。隣の席の人はほとんど号泣です。

時代背景は太平洋戦争ですから、「戦争もの」に区分することも可能ですが、空襲のシーンはもちろんあるものの、空襲がメインというわけでもありません。実はギャグ満載であり、「戦時下の銃後の生活をメインにしたギャグ漫画映画」に『今日のねこ村さん』なみのほのぼのした感じが加えられ、『じゃりン子チエ』を連想させるちょっとコミカルな感じで描かれる人々、確信犯的なすずさんの天然キャラが全部入れ込まれているにもかかわらず、全く無理を感じず、原子爆弾という重いテーマも、それは重いことなのだと感じることができる、普通に考えればあり得ないような映画です。すずさんの声は確かにのんさん以外にはあり得ず、私にはこの映画のために彼女は生まれてきたのではないかとすら思えます。

戦時下の日常をたんたんと生き、生活の窮乏もたんたんと受け入れる人々の姿が静かで圧倒的です。時々ポエティックな場面があり、それはすずさんの心の中で起きている現象を表現しているのだと私は思いますが、それ以外の場面が極めてリアルに描かれているために、三文詩人のような安さは生まれず、ポエティックな場面を文字通り詩的に受け取ることができます。ギャグもしかりで、ギャグの場面以外がめちゃめちゃしっかりしているので、ギャグを入れ込まれてくると笑うしかなくなってしまいます。そして静かに一人また一人と大切な人がいなくなっていく現象に薄ら寒い恐怖も覚えます。これは原作も読まなくてはいけなくなってしまいました。

個人的には私の祖父が連合艦隊の人で呉で終戦を迎えていますので、私の祖父もこういう光景を見ていたのだろうかという感慨もありました。

終戦のラジオ放送の場面では、一緒に聴いていた人たちが「そうか、敗けたのか」と、これもまた淡々と受け入れる中、すずさんだけが号泣し、「最後の一人まで戦うつもりじゃなかったのか。なぜここであきらめるのか」と叫びます。周囲の人からは「はいはい(あなたは天然だからすぐ感情が昂るのよねえ)」といなされますが、私はあのラジオ放送ですずさんみたいな感じた人は実は意外と多かったのではないかと想像していて、戦後、それを口にするのは憚られていてあまり語られなかったのではないかというようなことを、ふと思いました。

さて、物語は戦後も少し描かれますが、アメリカ軍の兵隊からチョコレートをもらったり、配給でアメリカ軍の残飯ぞうすいをもらったりして、がらっと変わった新しい日常を、人々はまたしても淡々と受け入れます。

アメリカ軍が来て、チョコレートをばら撒いて、人々が敗戦の傷から少しずつ立ち直って生きる姿は『瀬戸内少年野球団』を連想させます。この作品では敗戦があったとしても、それでも今を生きる人々のたくましさを感じることができると同時に、ヒロインの女の子のお父さんが戦争犯罪人で処刑されるなど、戦争に敗けるとはどういうことかをじわっと観客に問いかけています。

『瀬戸内少年野球団』の風景は、屈辱的ではあるけれど、それが戦後日本の出発点で、後世の人にもそれを忘れないでほしいという願いをこめて制作されたものだと私は思いますし、私は世代的にぎりぎりどうにか、そういう貧しかった日本の印象を記憶の片隅には残っていて、この映画のメッセージ性にぐっとくるところがあったのですが、『この世界の片隅に』は『瀬戸内少年野球団』より少し前の時代から時間的シークエンスを描いており、その描こうとしたところは実は同じものなのではないかという気がしてきます。

もし、これら二つの作品を連続して観ることができれば、ある意味では現代日本の原風景とも呼びうるものを感じることができるのではないかなあとも思えます。

国策映画『サヨンの鐘』のコロニアルな愛

1938年、台湾の宜蘭地方に赴任していた日本人巡査に召集令状が届き、地元の人たちが歓送会を大いにやって入営することになります。その際、見送りの人たちの中に台湾の原住民のサヨンという少女が川に渡してある橋で足を滑らせて帰らぬ人になってしまいます。

この実際にあった出来事はその後大いに美化され、愛国宣伝の材料になっていきます。西城八十が『サヨンの鐘』という歌の歌詞を書き、古賀政男が曲をつけますが、大いに流行し、松竹、満州映画協会、台湾総督府が協力して『サヨンの鐘』が映画化され、昭和18年に公開されます。

映画の冒頭部分は台湾ののどかな風景、原住民の人たちの生活が描かれます。実際に台湾の村でロケをしたからだと思いますが、大変にリアルな印象を受けます。人間関係の描写もうまくできており、もしこの映画の内容が「日本人に恋心を描く植民地の少女」になっていたとすれば、ばかばかしくて見ていられないのですが、映画の中で出征する日本人巡査は「武田先生と呼ばれて下の名前すら明らかにはされず、登場する場面も少なくて、いい人ではありますが、あんまり前に出てくるわけではないので、現代の我々の視点からみてもギリギリセーフと言えるのではないかと思います。サヨンが感極まって「武田先生バンザーイ」と叫びますが、あんまりいやらしい感じではなく、素直にエールを送りたくなったから送るというように見えるので、人間愛的な絆を表現しており、さらっとした感じですので、観るに堪えない宣伝映画という感じにはなっていません。

あくまでもポストコロニアル研究の一環になると思ってこの映画を観たのですが、後半では李香蘭が本物のサヨンに見えてきて、サヨンの死への哀悼の感情が生まれてきてしまい「ああ、いい映画じゃないか」と素直に思ってしまいました。私が単純すぎるのかも知れません。

昭和18年の封切りですから、既に太平洋戦争はガダルカナルの段階に入っており、さすがにまだ敗色濃厚というわけではないですが、映画の随所に散りばめられた愛国メッセージは、プロパガンダとはこういうものだという教材になるのではないかと思えます。

日本語をよく使い『海行かば』をも歌う原住民の人たちの姿は、皇民化が成功していることの証左であると言わんばかりであり、日本人はいい人たちであり、現地の人たちとの関係も良好であるとのメッセージがぎっしりと詰まっています。

どのような題材を如何にして描くかは、時代によって様々です。『サヨンの鐘』と『セデック・バレ』を見比べるだけでも、いろいろなことが見えて来るのではないかという気がします。『サヨンの鐘』に登場する日本人は、現地の人を「教化」はするけれども、その人間関係にはあまり深く立ち入らないという姿勢を貫いており、その背景には霧社事件が踏まえられているようにも思え、満州映画協会が絡んでいますので、五族協和とはかくあるべしという思想も読み取れるかも知れません。

私は日本の帝国主義を弁護する気は全然ないですが、当時の映画の作り手がどういうことを考えていたかを知ることで、当時の世相のようなものを理解する手がかりにはなるはずで、そういう意味では一見の価値ありと思います。

スポンサーリンク

アメリカ映画『シンレッドライン』とナウシカとキリスト

ガダルカナル島の戦いを描いたアメリカ映画である『シンレッドライン』は戦場のヒロイズムを完全に拒否する内容の映画です。そのうえで、人間が殺し合う中で、人は如何にあるべきかを問いかける内容になっています。

主人公の男性はガダルカナルと言う南の島に来て、その自然に魅せられ、自然を愛し、土地の人々をも愛しています。また、部隊の仲間を愛し、敵(日本兵)を憎むと言うことがありません。基本的には自然や子どもと戯れることを好みますが、戦場に立てば率先して危険な任務を引き受けます。嫌味を言う上官にも反感を持ちません。

戦場では人間性が失われていくことが常だと思います。私は戦場に行った経験がありませんから、想像するしかないですが、普通の感覚、善良で良識を持つ市民の意識はバランスを失い崩れて行くとしても、不思議ではないだろうと思います。

ガダルカナル島に上陸し、見えない日本軍からの攻撃に怯えて前進するアメリカ兵の姿はまるでベトナム戦争の映画を観ているのではないかと思うほど、恐怖と苛立ちに満ちています。オリバーストーンの『プラトーン』は私には多少悪趣味なところがあると感じられるのですが、『シンレッドライン』ではそういう印象は受けませんでした。

多くの戦友が死に、死闘を超えてようやく日本軍のトーチカを陥落させた時、投降する日本兵を殺害するという明らかな国際戦時法違反の場面もありましたが、これもヒロイズムを拒否する制作者の姿勢を示すものだと思います。日本兵がバラバラと出てくるところはちょっとカッコ悪いと言うかどんくさい感じがして、『グレムリン』が日本兵をイメージして作られたという話を思い出したりもしましたが、後半ではわりとちゃんとしていて、喜怒哀楽を持つ普通の人間として、または感情的にならずに降伏を勧告するまともな軍人として日本兵が描かれており、憎むべき敵を倒してやっぱりアメリカ最高だぜ、映画を観るなら『インディペンデンスデイ』か『トップガン』だぜ的なものとは完全に一線を画しています。

主人公の男性は戦友が死に行く時に微かな笑顔をみせます。優しい表情で看取る、寄り添うという感じです。捕虜になって落胆する日本兵に対しても同様の優しい表情を向けます。憎むということがありません。

斥候として3人1組で前進した時に日本軍に発見されます。1人が撃たれて倒れたとき「自分がここで食い止めるから、急いで部隊に帰って知らせるように」と残りの一人に促します。そして今にも死にそうな戦友に寄り添います。

私はここまで観て、ああ、ナウシカと同じなのだと感じました。勇敢であり、自己犠牲的であり、死に行く者や弱い者に限りない優しい眼差しを向ける。男女の性別の違いがあるだけで、その理想とするところ、制作者が描こうとしているものは同じなのだと感じることができました。

最後は一人で日本軍に取り囲まれます。降伏を勧告されますが、彼は銃を取り、その当然の結果として撃ち殺されます。これはイエスキリストを象徴していると考えるのが妥当ではないかと思います。諸々の人間の罪と弱さを全身で引き受けて、死んで行きます。自分の命で贖います。

しかしながら、主人公の彼は福音書に書かれているようなイエスキリストとは違い、奇跡を起こすことはありません。無力で、ただ目の前に存在する自然と人を愛し、人間の罪を命で贖う姿は遠藤周作さんのイエスキリストイメージとも一致するように思えます。

最後の方で、上官役のショーンペンが、「自分の目で見ることによって創造している」という主旨のことを言います。「見えるものは全て自分が創造しているもの」と言い換えてもいいかも知れません。ユーミンの「目に見える全てのことはメッセージ」にも近いものだと思います。「天国はあなたの心の中にある」という聖書の言葉にも通じる考え方であり、もうちょっと敷衍するとすれば、ある意味では形而上学的であり、さらに踏み込んで言えば宗教というボーダーを超えた人間学的な要素があり、心理学的な要素もあると言えると思いま

大変に深い映画です。戦場で燃えさかる火がとても美しく映し出されます。人の死んで行く姿と南国の美しい自然の対比があります。また、主人公の男性の深い優しい表情は、演技であれができるのはほとんど詐欺師に近いのではないかと思えるほど美しく、普段でもあんな感じだとすれば、本物の神様なのではないかと思ってしまいそうなほどに神々しいです。繰り返して見るべきとてもいい映画だと思います。『わが青春のマリアンヌ』の主人公の男の子も鹿とか犬とか寄ってくる神様キャラですが、どっちがより神様キャラかと問えば、『シンレッドライン』の勝ちと思います。

スポンサーリンク

原田眞人監督『日本で一番長い日』の阿南惟幾と昭和天皇

太平洋戦争がいよいよ終わる少し前、鈴木貫太郎内閣で陸軍大臣になった阿南惟幾の言動は二律背反するところがあり、相当に苦しんだと思います。

閣議では、陸軍の立場を代表して強硬論を唱えます。強硬論と言っても「絶対戦争続行、一億玉砕ある可し」みたいな感じではないです。ただ、ポツダム宣言の内容に異を唱えます。武装解除と戦争犯罪人の処罰は日本人の手で行う、天皇の地位の保全をもっと確実にしてほしいというものです。

鈴木首相が終戦への決心を固めていて、閣内がポツダム宣言受諾に傾く一方、陸軍省の部下たちに対しては「大丈夫、戦争は継続だ」みたいなことを言っています。確信犯的に使い分けをしているのが分かります。

阿南陸相がポツダム宣言受諾に絶対反対を貫けば、閣内不一致で内閣総辞職です。今なら首相が意見の合わない大臣を辞めさせて、他になり手がいなかったら首相がその大臣も兼任するという荒ワザもできます(海部首相は衆議院の解散を本気で考えた時にその手を使おうかと本気で考えたそうですが、竹下・金丸が解散させてくれなかったという話がありますが、「憲政」の建前で行けば、海部首相が筋が通っていると思います)。

戦前は首相の人事権は現代ほど強くないです。阿南陸相が「辞める」と言ったら内閣総辞職です。ソビエト連邦が北から攻めて来ています。アメリカが三発目を落してくるかも知れません。一刻を争います。広田弘毅さんの時代に陸海軍大臣現役軍人制が復活していますから、内閣は軍に好きに弄ばれる恐れもあります。なので、関係者は阿南陸相が辞めたりしないだろうかとびびっていましたが、そういうことにはなりませんでした。

ポツダム宣言の受諾が決まり、阿南陸相も同意して、これでようやく戦争が終わるわけですが、陸軍の一部がクーデターを起こして終戦阻止を図ります。もちろん、失敗したことは誰でも知っていることです。

阿南陸相は8月15日の早朝、終戦の詔勅が放送される前に自決します。阿南さんは陸相に就任した時から、これは自分が死ぬしかないと思っていたかも知れません。敗軍の将になること必至ですし、終戦の経緯では部下にも嘘をついて話をまとめようとしています。いろいろ不本意なことをやって、最後は死ぬのですから、辛いと思います。そういう意味では武士社会の自分で死んだら名誉回復というのは凄い仕組みです。今の価値観とは合いません。ただ、生きているといろいろ恥ずかしい思いもします。死にたくなることもあります。死んだら名誉回復できる社会なら、死んじゃおうかと思って、それを選んでしまうかも知れません。阿南さんのことはわりといい感じで語られることが多いです。早々に自決したからです。一方、くずくずと引き伸ばしてから自決した軍の偉い人の中には悪く言われている人もいます。そういう意味では安易に人を死に追いやる仕組みです。しかし、死ぬことで自分を通せる、名誉だけはなんとかなるという所に情けを感じなくもないです。余談になりますが、「死ぬ気になったらできる」という精神論や根性論がありますが、あれはいざいよいよとなったら切腹しなさいという意味ですので、部活とかで安易に言ってはいけません。

原田眞人監督はこれまでにいろいろな作品を通じて「戦後」を考え続けてきた人です。私には『日本のいちばん長い日』は、過去の作品の集大成のように見えます。その作品が阿南さんの切腹というのが意味深な気がします。

この映画ではもっくんが昭和天皇をしています。上品で、物静かで、ロイヤルな感じで、かっこいいです。やさしくて、おだやかで、周囲への思いやりがあり、知識人です。発言に重みがあるのに、わざとらしくありません。いろいろな人が映画で昭和天皇の役をしていますが、本木さんの昭和天皇は群を抜いて「神々しい」と思います。本木さんの声で録音された終戦の詔勅は、実際の放送と同じところで言葉が詰まったりしています。声の感じやそのつまり方から昭和天皇の心境が読み取っているように思えます。

実際の昭和天皇は多弁な人だったのではないかという印象が私の内面に勝手にあります。『昭和天皇独白録』で「〇〇という人物は〇〇だ」みたいなことをたくさん話しているので、そういう印象がついてしまったのかも知れません。『昭和天皇独白録』は天皇の戦争犯罪人指名を防止するための、ある種の弁明のために終戦直後にインタビュー形式で録取されたものですから、普段の昭和天皇の言動と同じではないかも知れません。

あと、この映画では建物が美しいです。阿南陸相の官邸とか、首相官邸とか、皇居(多分、京都御所で撮影した)とか、とても美しいです。どこで見つけたんだろうと思います。原田眞人監督は建物を非常にエネルギーを使って選んでいるのだと思います。『自由恋愛』でも建物がきれいだなあと思いました。『魍魎の匣』や『クライマーズハイ』でも建物がとても雰囲気に合っています。

スポンサーリンク

太平洋戦争開戦と駐ドイツ大使

 太平洋戦争は開戦ぎりぎりまで日本の政治家たちは本当にやっていいのかどうか悩みぬいたということは有名な話です。
 当然、勝つ自信はありませんし、もし勝てるとしてもその根拠は日露戦争でも勝てたからという既に神話の領域に達しつつある過去の成功例しかなかったと言って良いでしょう。

 ただ、日本がアメリカに勝てないとしても、ナチスドイツを頼みにするという発想は根強くあったようです。当時はドイツがソビエト連邦と戦争中でモスクワまであと少しというところまでドイツ軍が迫っていました。もしドイツがソビエト連邦もイギリスも倒すことができれば、アメリカは日本に妥協するだろうという甘い観測があったようです。

 では、本当にドイツがそこまで完全勝利できるのかどうかについての情勢分析はヨーロッパ各地の外交官からの電報をもとに行われました。ベルリンにいた大島駐ドイツ大使からはアドルフヒトラーは必ず勝てるという電報が何度も届きます。大島大使はヒトラーから事前に対ソ連開戦を教えてもらった実績があり、東京では大島大使がもたらす情報は信憑性が高いと考える人が多かったようです。しかし、モスクワを目の前にしてそれまで破竹の勢いだったドイツ軍の前進が止まってしまいます。ヨーロッパ各地の日本の外交官からはヒトラーは必ずしも優位であるとは言えないといった趣旨の電報も入り始めます。

 結果としては東条内閣は開戦を決意するのですが、最後の最後に背中を押したのは大島大使の電報であったと言えるかもしれません。
 真珠湾攻撃が行われたその日にドイツ軍は退却を始めます。よく、もし真珠湾攻撃が一週間遅かったら、ドイツ軍の退却を知った東条内閣は開戦を決意しなかったのではないかとも言われます。
 私ももしかすれば、それで開戦にならずに済んだかも…と思わなくもありません。ですが当時、関係者の心の中には「一度アメリカと戦争がしたい」という密かな願望が深いところに潜んでいたような気がしてなりません。ですので、いろいろと工夫をして開戦を回避しても、いずれは太平洋戦争が行われたのではないかとも思えます。

戦艦大和は何時から無用の長物になったのか

 現代では戦艦大和は無用の長物だったという評価が定まっているように思えなくもありません。戦争の主役は飛行機と空母に移行したため、大和がいかに巨大で射程距離の長い大砲を載せていたとしても飛行機に対しては無力だったというものです。また、そのような時代の変化に気づかずに巨大戦艦大和と武蔵を建造した日本海軍のナンセンスさを指摘するようなものもあります。

 しかし、世界一の巨大戦艦を造ったのは日本海軍ですが、飛行機と空母の時代を創ったのも日本海軍です。真珠湾攻撃は言うまでもないことですが、マレー沖でイギリスの巨大戦艦プリンスオブウエールズを撃沈したのもまた、飛行機の時代の到来を告げるものでした。
 そういう意味では、日本海軍が時代の変化に気づかずに無駄なものを造ったというのは正しい評価ではないように思えます。

 しかしながら、大和の運用という点では考えるべき点が多かったかも知れません。大和が実戦に投入された例としてはミッドウェー海戦で後方にいたほか、レイテ沖海戦、それと最期の沖縄特攻作戦あたりでしょうか。レイテ沖海戦では栗田長官という想定外の要素がありましたのでこの稿では論じませんが、ミッドウェー海戦は日本の今後に大きな影響を残したという意味で、遺憾のない大和の使い方があったのではないかという気がしてしまいます。また、最期の沖縄特攻ははっきり言えば大きな意義があると言えるものではなく、大和の乗員だった吉田満さんが戦後に書いた『戦艦大和ノ最期』では、乗員の若い士官たちが自分の死を日本の新生に役立てるという言葉で自分をなんとか納得させようとする場面もあります。

 若い有為な人物たちを、ほぼ連合艦隊のメンツのためだけに死なせてしまったというのは大変残念なことです。鎮魂。

関連記事
ミッドウェー海戦の辛いところ
レイテ沖海戦をどう見るか

スポンサーリンク

神風特攻隊のこと

日本軍が特攻を採用するのはレイテ沖海戦からで、もっとも本格的に行われたのは沖縄戦の時のことだということはよく知られていると思います。

 若い、これから日本を再建しなくてはいけない男性たちが特攻により戦死しましたが、飛行機を運転するというのは特殊技術であるため、ある程度学歴のある、より将来的に活躍してもらわなくては困る若者がパイロットとして養成されました。

 私の親戚にも特攻隊員として戦死した人がいますが、きっとその人は勉強ができる優秀な人だったのだろうと、その人のことを考えるたびに思います。

 レイテ沖海戦が行われた当時、優秀なパイロットもまだ生き残っていて、アメリカ機と空中戦ができるくらいの腕の持ち主が特攻で失われてしまいましたが、戦争が大詰めを迎えるころには、即席の養成になり、敵艦に体当たりするための急降下だけを何度も練習して出撃する人が多かったそうです。

 そのため、敵艦に辿り着く前に発見され、撃ち落されるというケースもかなりあったと言われています。

 沖縄戦の前半では、それでも戦果は高く、実際的な戦果以外にもアメリカ兵への心理的なショックは相当に強かったそうです。沖縄戦が後半に入るころにはアメリカ軍は沖縄海域全域に周到なレーダー網を構築したことで日本機の発見が容易になり、戦果はあまり上がらなくなりました。

 特攻作戦を指揮したのは宇垣纒司令でしたが、彼は1945年の8月15日の午後、終戦の詔勅ラジオ放送を聴いた後、特攻をしています。2000人近い若者に自殺攻撃を命令した以上、最後は自分も彼らの後を追うと決心していたと言われていますし、そうでなければこのような作戦の指揮を執り続けることは人間としてできなかったのではないかとも思えます。

 宇垣司令が特攻する時、20人ほどの特攻隊員が同行したそうです。その心境を全く理解できないということはありません。ついさっきまで覚悟を決めていた人が、戦争は負けで終了。では帰宅。とはいかないと思います。

 とは言うものの、戦争中ならまだしも、戦争が終わった後に特攻するというのは意味のないことです。宇垣司令はそのことで批判されることもあるようです。

真珠湾攻撃の辛いところ2

 真珠湾攻撃は戦術的には完璧だったとよく言われます。ハワイの北方からゼロ戦が飛来し、アメリカ側が成す術もないうちに太平洋艦隊を撃滅させ、颯爽と去って行った。そういうイメージが定着していますし、それは事実だとも思います。

 しかしながら、ある意味では不徹底に終わってしまい、戦略的にほとんど意味のない攻撃になってしまったことも残念ながら事実のように思います。

 真珠湾攻撃は二度行われ、第三派はありませんでした。二度の攻撃のうちにアメリカ太平洋艦隊の艦船は破壊されましたが、三度目の攻撃で港湾施設を破壊しなかったことが、様々な意味で痛恨だったという指摘もされています。

 まず多くの破壊された艦船が引き揚げられ、修繕され使用できるようになりましたので、敵の戦力を殺ぐという目的が不徹底でした。更に言えば、真珠湾が軍港として使用し続けることが可能だったため、アメリカ海軍の太平洋にとってはオペレーションが段違いに楽になります。

 しかし三度目の攻撃が容易に行えたかと言えば多少なりとも疑問はあります。二度の攻撃の間にゼロ戦250機のうち、約50機が生還していません。アメリカ側の迎撃はよくがんばったとも言えるかも知れないですが、その後の展開がどうなるかまだまだ読めない、ましてやアメリカの空母艦隊がどこにいるか分からないという状態では戦闘機を過度に消耗することはやり方を間違えれば自空母艦隊の全滅につながりかねません。

 連合艦隊関係者にとっては、空母艦隊がその時たまたま真珠湾にいなかったことが最も痛恨だったのではないかと思います。海の戦争は戦艦よりも空母と飛行機だということを証明したのは日本ですが、それをしてアメリカの空母艦隊が無傷のまま残ったということは山本五十六をして苦悩させます。
ハワイを占領しておけばよかった…という後悔もあったと言われ、それが後のミッドウェー作戦へとつながっていきます。

関連記事
真珠湾攻撃の辛いところ1
レイテ沖海戦をどう見るか
ミッドウェー海戦の辛いところ

真珠湾攻撃の辛いところ1

 真珠湾攻撃は宣戦布告前の攻撃だったとして、今も批判の対象にされることが良くあります。
 日本側の当初の予定では当日の朝に攻撃開始のほんの直前に野村吉三郎駐アメリカ大使が手交することにしていたそうですが、前日の人事異動に伴うパーティ、暗号電文の解読のための時間の浪費、タイピストの休暇など、不運が重なってしまい、攻撃している真っ最中の手交になってしまったと言われています。

 日清戦争、日露戦争ともに宣戦布告前から戦争を始めてしまっていますので、必ずしも日本が国際法を遵守する体質を持っていなかった面も否定はできないところですが、つきつめると当時の大使館員の仕事の甘さは日本人としては辛いところにならざるを得ません。

 真珠湾攻撃を描いたアメリカ映画の『トラ・トラ・トラ』では、日本が意図的に宣戦布告の通知を遅らせたのではないということを描いていますが、当時の日米関係は大変に蜜月で、日米友好ムードが盛り上がる中、日本側の弁明も取り入れられることになったのだろうと想像できます。
 その後作られた『パールハーバー』では、そのような同情的な部分は一切挿入されていませんが、それもまた時代の流れによるものなのかも知れません。

 歴史認識はその時々の時勢、流れ、外交関係などによっていかようにも変わってしまうものです。

 ソビエト連邦が満州国境を越えて軍を進める直前、日本の駐ソビエト大使に対して宣戦布告がなされています。大使が急いで大使館に戻ると電話線が切られていたそうです。電話線を切るのはどうかと思いますが、日本もあの時、アメリカから来た外交官を呼んで宣戦布告すれば、あのような失態にはならなかったのでは?と時々思うのです。

関連記事
真珠湾攻撃の辛いところ2
レイテ沖海戦をどう見るか
ミッドウェー海戦の辛いところ

幻のオーストラリア決戦

 ミッドウェー海戦で敗北した後、日本軍はオーストラリア決戦を画策するようになります。オーストラリアに上陸し、陸上決戦で連合国軍を破り、日本優位の印象を強く与えて講和に持ち込むというのが狙いです。

 オーストラリア攻略のための前進基地がガダルカナル島であり、そこに飛行場を建設することでオーストラリアを爆撃することが可能になる、更に言えば、オーストラリア東海岸地帯の制空権と制海権を抑えれば、アメリカとの連絡が途絶えるため、日本軍にとっては好都合だというものです。

 しかしながら、よく知られているようにガダルカナルの戦いでは当初こそ日米の拮抗が見られたものの、半年に及ぶ戦いの末に日本軍が撤退するという展開に至ります。仮にガダルカナルの戦いで勝利し、オーストラリア決戦に持ち込むことができたとしても、結果としてはオーストラリア人に恨まれるだけになったでしょうから、ある意味ではこれで、現代の日本人にとっては傷が浅くて済んだという気がしなくもありません。

 もし本当にオーストラリア決戦が行われていたらどうなっていたでしょうか?オーストラリア軍は特段の脅威になるとも思えませんので、日本軍が勝った可能性は十分にあります。しかし、どのみち補給不足に陥ることは確実で、現地調達が行われ、それは地元の人たちの目から見れば明白な略奪行為ということになり、いい結果を生むことになるとはちょっと思えません。というかかなり思えません。

 ガダルカナル戦が行われたころはアメリカの反撃態勢が整いつつあったころとも言えますので、シンガポール陥落の時ならともかく、1942年後半の段階でオーストラリア攻略に成功して講和に持ち込むという発想自体が甘いのではないか…という気がします。

 戦争はその行為自体が否定されるべきものです。もし、仮にその価値観に関する議論を省略して、どうすれば勝てたかということを検証するとしても、太平洋戦争に関して言えば、やはり始めてしまったこと自体がまずかったと結論するのが妥当では….と思えてしまいます。