第一次世界大戦から日本陸軍は甘い考えを持つようになったかも知れない

 第一次世界大戦は人類が初めて機械化された兵器が全面的に使用された戦争として有名であり、そのあまりの悲惨さから、戦後は国際連盟の結成など、世界平和を志向する流れが生まれてきます。

 大戦中、イギリスが日英同盟を根拠に日本陸海軍の協力を要請してきます。海軍は要請に応じて地中海に艦隊を派遣し、高い評価を受けたそうですが、一方で陸軍は危険すぎると判断したのか、協力を拒否します。
 一方で山東省にあるドイツの利権はしっかりいただこうという動きは見せていますので、なかなかしたたかと言えばしたたか、義理人情に薄く利にさといと言えば、そうとも言えます。

 少ない犠牲で日本は戦後、戦勝国の一つとして欧米諸国から迎え入れられ、国際連盟の常任理事国の一つとして活躍することになります。
 ただし、あまり時を経ずして満州国問題で日本はその席を蹴り、泥沼の長い戦争から敗戦への道を歩くことになりますので、日本が世界に認められたと手放しで喜べない、ちょっと複雑になる歴史の一場面です。

 当時はヨーロッパ大戦とも言われ、日本にとってはあまり関係のない出来事のように考えられているふしもあり、機械化された戦争の恐ろしさを日本軍があまり理解できていなかったということも、アメリカとの戦争に積極的だった理由の一つに挙げられるかも知れません。

 その点では、時運が伸びているその時期に、少し甘い考えを持つようになってしまっていたのではないかと思うと、やはりいろいろ残念というか、複雑な心境になりますねえ

大正天皇と摂政

 大正天皇は体があまり丈夫ではなかったとも言われています。
 昭和天皇は後に「父は健康状態に優れていなかったので、天皇のような激務には向いていなかったかも知れない」というようなことを述べたそうですが、大正時代もあまり長く続いたわけではないですし、相当にお辛かったかも知れません。明治天皇や昭和天皇の写真を見る機会は歴史が好きな人なら多いと思いますが、大正天皇の写真を目にする機会は自分から求めてグーグル検索をかけるなどをしないとなかなか得られません。

 若い昭和天皇が摂政になり、天皇代理として活躍しますが、ヨーロッパに視察旅行に出かけたり、台湾を訪問したりして、大変活発だったご様子が分かります。

 明治、大正、昭和という三人の天皇を並べてみると、明治天皇は「大帝」と称されることがある反面、実際には政治の意思決定にほとんど影響していなかったようです。当時は明治維新の創業者が多く、彼らが相談してものごとを決めていたので、明治天皇はある意味では言うことさえ聞いていればよく、象徴的な存在としてそこに座ってくれていればオーケー、余計なことは言わないでほしいといったところだったのではないかと思います。大正天皇は既に述べたように、虚弱で政治にかかわることが難しかったようですが、一方で明治創業の大物の数が減り始め、原敬内閣誕生からも分かるように大正デモクラシーのなかなかおもしろい時代へと入っていきます。
 昭和天皇は良くも悪くも政治との関わりの深い人だったと言えます。稿を改めて詳しく述べたいとは思いますが、摂政時代から政治に関わったことで見識が深まり、自分の意見も持てるようになったことと関係するのではないかなあとも思えます。

大正時代の女性解放運動

 大正時代は女性解放のための言論が大きく発達した時代です。
 平塚らいてうなどの女性が雑誌『太陽』や『青鞜』で様々な議論を展開します。
 そこで一つ大きな論点となるのが、女性は誰と性行為をするのが正しいのか、というものです。
 当時、婚前恋愛は珍しく、結婚は親同士、家同士、ということになりますから、大抵の場合、自分の意思で相手を選ぶことができません。平塚らいてうのような人たちは好きな人を自分で選ぶことが男女関係のあり方の大原則だと主張します。現代から考えれば当然のことですが、当時としては社会秩序への挑戦たとも受け取られたようです。

 大変興味深いのは、ある女性が某雑誌に「貧困のために、お金と引き換えに処女を失った悲しみ」を訴える内容の記事を投稿した時の論争です。多くの女性論者たちがこの記事を強く批判しました。普通に読めば同情するべき点の多い内容のようにも思えるのですが、女性は性行為の相手をお金で選ぶことは最低なことだ、貧困に耐えて貞操を守らなければならない、との議論が行われました。貧困もまた女性が解放されるべき重要なテーマですが、それはそれとして、彼女の選択は許容されないとの考えが強かったようです。

 今日も女性の貧困は重要な社会的問題の一つとして論じられることがあります。このようなことは今後も論じられていくでしょうけれども、より一人でも多くの人が幸福な人生を得られるよう、それぞれに努力したいものです。

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