イギリス東インド会社と江戸幕府

イギリス東インド会社は16世紀にイギリスによって設立された国策会社ですが、短期間ではあるものの、江戸幕府が施政する日本と貿易を行っていた時期がありました。

1611年、当時のイギリス国王ジェームス1世の国書をともにジョンセーリスが来日し、徳川家康と謁見し、家康の許可も得て平戸にイギリス商館が開かれ、リチャードコックスが商館長として仕事をすることになります。

リチャードコックスの在任中、平山常陳という人物がカトリックの宣教師を乗せた朱印船をマニラから日本に向けての航海中にイギリス・オランダの商戦艦隊の襲撃を受け、平戸に曳航されるという事件が起きており、江戸幕府は既に切支丹に対する禁令を出していたことから、その後の切支丹迫害に拍車がかけられていくことになります。

この事件からは1620年の段階では、ヨーロッパのカトリック系国家と新教系国家の間の東洋貿易に関する覇権争いが激しく、同じ新教の国であるイギリスとオランダの船が協力してカトリック系の排除に動いているということが分かります。イギリスとオランダとの間の貿易競争も激しかったようですが、少なくともカトリックに対する態度としては一致していたという理解の方がより真相に近いかも知れません。

1623年にはオランダ人がインドネシアのアンボイナのイギリス商館を襲撃し、商館員が全員殺害されるというアンボイナ事件が発生します。この事件をきっかけに、平戸のイギリス商館は閉鎖され、ヨーロッパの対日貿易はオランダ独占するという状況になります。

1673年にイギリス船籍のリターン号がチャールズ2世の国書を携えて長崎に入港しますが、チャールズ2世がカトリックの国であるポルトガルのカタリナ王女と結婚していることを問題視し、通商を拒否し、イギリスは対日貿易からは完全に締め出されることになりました。

江戸幕府はオランダ商館長からのオランダ風説書によってチャールズ2世とカタリナ王女との結婚を知っていたということですが、飽くまでも政略結婚だと思えば、カタリナがカトリックの国の出身者かどうかは江戸幕府にとってはあまり関係なさそうにも思え、どうでもいいような気もしますし、対日貿易の独占を狙うオランダが、カタリナ王女との結婚をことさらに大袈裟に取り立てて徳川幕府を煽ったという一面もあるのではないかという気がしなくもありません。一方で、カトリック宣教師たちは実に熱心かつ勇敢に日本に渡ってきていますので、カタリナ王女を通じてイギリスに渡りがつくのなら、それをツテにしてやはり日本上陸を狙う可能性も確かにあり、カトリックを「完全に排除したい」と考えるならば、江戸幕府の判断は妥当なものだったのかも知れません。

その後、イギリスはインド経営に軸足を移すようになり、日本からインドネシアまでのラインはオランダが握るようになりますが、情勢はゆっくりと逆転してゆき、19世紀に入るとナポレオンがオランダを自身の版図に組み入れることによってオランダに対するハプスブルク家の影響力が排除されるようになり、反ナポレオン勢力がイギリスにオランダの海外植民地の接収を依頼し、イギリス船籍のフェートン号が長崎に姿を現すというフェートン号事件が起きます。

1600年代は戦国時代の名残もあってか江戸幕府は強力で、イギリスの船を一方的に拒絶することができましたが、フェートン号事件では防衛担当の藩兵や長崎奉行所の役人が右往左往しており、時代の変化を感じさせられます。

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徳川家康と三浦按針
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イギリス人航海士のウイリアムアダムスは、ロッテルダムでオランダ船籍のリーフデ号に乗り込み東洋への航海に出発します。しかし、他国船に襲われたり、寄港先で現地人に襲われたりして人員が減少していき、残り少ない乗組員たちとともに、彼は豊後の国、今の大分県に漂着します。

関ケ原の戦いの少し前の時期、徳川家康が彼と面会し、西洋事情をいろいろと問い質します。ウイリアムアダムスを江戸に招き三浦按針という名前を与え、250石の知行も与えて彼を外交・技術顧問として重宝したようです。この他にも同じ船に乗っていたオランダ人航海士のヤンヨーステンにも名前を与え、江戸で屋敷を与えたといいます。ヤンヨーステンは耶揚子という名前を与えられ、今の東京駅の八重洲口の「八重洲」は耶揚子がなまったものであると伝えられています。織田有楽斎の屋敷があったから有楽町というのと同じ感じです。他にもリーフデ号の船長だった人物も徳川家康に仕えたと言われます。

ヤンヨーステンと船長はオランダに帰国するための航海でなくなってしまいますが、三浦按針は日本に残り、50歳以上まで生きて日本で亡くなります。当時としてはわりと普通の年齢で、充分に生きて死んだということができるかも知れません。
イギリス東インド会社のクローブ号が貿易を求めて平戸に来た際、三浦按針には帰国するという選択肢もあったようですが、彼は日本に留まりました。その心境というものは想像するしかありませんが、知行も与えられて専門家扱いされていたので、日本の居心地がそこまで悪いというわけではなかったのかも知れません。

三浦按針は日本人女性と結婚し、息子のジョセフと娘のスザンナをもうけたとされており、息子のジョセフは二代目三浦按針として貿易などをやっていたようです。ただし、ジョセフの晩年については知られておらず、その後、子孫が続いたかどうかも分かっていません。日本がヨーロッパとの貿易を制限する方針をとったことで、ジョセフはあまり活躍の場を得ることができなくなったのかも知れません。アンボイナ事件により、イギリス東インド会社の劣勢が決定的となり、ヨーロッパの対日本貿易はオランダが独占するようになっていきますので、そのこともイギリス人の血を引くジョセフの人生に影を落としたのではないかとも思えます。子孫がいるという噂もあるようですが、何代も続くうちに見た目も普通の日本人なのかも知れません。また、子孫の方がいらっしゃるとしても、ご本人もそのことを知らないとかそういう感じかも知れません。

薩摩による琉球侵攻

薩摩藩が琉球に使節を何度か送っています。1602年に仙台藩の領域に琉球船が漂着し、帰還が許されましたが、その感謝の使節を送るようにと徳川が薩摩藩経由で要求するものの、当時の折衝担当者の謝名利山はことごとく無視したことで、日本側に「琉球征伐」の口実を与えることになり、徳川家康の承認のもと、薩摩藩は兵を南下させていきます。

1609年、樺山久高を司令官とする薩摩軍は同月に奄美大島に上陸しこれを制圧。次いで徳之島、沖永良部島、その他奄美群島を順番に制圧し4月中に沖縄本島北部の今帰仁に上陸します。琉球王朝からは長年日本で仏門を学んだ僧侶の菊隠が和平交渉の使者として送られてきますが、この段階では薩摩軍は講和にのるつもり一切なかったように見受けられます。薩摩軍は那覇港が封鎖されていることを知り、陸路首里城に接近し、再び講和が話し合われ、事実上の琉球王朝の降伏という形で事態は収拾されます。

以降、薩摩藩が琉球王朝を支配し、その後、尚王家は王の代替わりの時に江戸へ謝恩使を送り、将軍の代替わりの時には慶賀使を送ることになり、事実上の朝貢とも受け取れる状態になるのですが、琉球王朝は清王朝への朝貢を続けたため、日清両属状態となり、国際法的には下関条約で日本への帰属が確認されるまでは曖昧な状態が続いたとも言えます。また、太平洋戦争が終わった後は、原則として日本が武力で手に入れた領土は放棄することがサンフランシスコ平和条約で確認されていますので、果たして沖縄は真実にはどちらに帰属するのかというのは現今にあっても曖昧と言えば曖昧なままとも言えなくもありません。

それ以上のことは個々人の信条や感情の問題になりますで、「こうでなくてはならない」という議論をすることはできないと思いますが、私個人としては琉球は主権国家としての資格を有していたと思いますので、そういう観点から議論がなされるのがいいように思います。元々琉球という王国があって、そのうえで現在、沖縄の人が日本に帰属としたいと思うか思わないか、または独立したいと思うか思わないかという議論がなされるのがいいのではないかと思えます。

私は沖縄が好きで、命の洗濯をするには沖縄の海を見るのが一番なのですが、私は日本人なので沖縄の人が日本に帰属することを選んでくれるといいなあという希望があります。個人的な希望です。

琉球王朝は幕末にもペリーの上陸があり、事実上の占領に近い目に遭わされていますので、位置的にたいへん気の毒なことだとも思います。日本の近代のキリスト教布教史はペリーと一緒にやってきた聖公会の宣教師から始まると考える人もいますので、そういう点から見ると、幕末日本よりも先に西洋のパワーの洗礼を受けた土地ということができるかも知れません。

ここ何年も年に一度は沖縄に行っています。パスポートなしであんなにいいところに行けるというのは実にありがたいです。沖縄には感謝しています。

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北方領土悲観説

プーチン来日を控え、北方領土が還ってくるかも、歯舞色丹に限って言えばかなり期待できるかもという話が流布する昨今ですが、実はそんなにうまい話になるわけないという悲観論も流布しているようです。

私にはどうなるかは判断する材料はありませんが、悲観論について少し考えてみたいと思います。というのも、通常、一旦奪われた領土が交渉で戻ってくるというのは、まず考えられない超レアケースだからです。

沖縄、小笠原、奄美が還って来たのは、日米安保によって東アジアでのアメリカの軍事的なプレゼンスが維持される、悪い言い方をすれば日本に対する事実上の占領状態(日本中に米軍基地があるわけですから…)が続くというのが前提で、それでもかなりのレアケース、ノーベル平和賞獲っても全然不思議ではない事例だったと思えます。

香港が速やかに中国に返還された時、イギリスは当初九龍半島だけを返還して香港島は維持する構想を持っていたものの、鄧小平さんが場合によっては戦車を出す構えで臨み、ようやくイギリスが99年租借の約束を守ったと言われています。

日本がプーチンさんに対して「場合によっては戦争する」という構えを見せることはもちろんあり得ないですし、私もそのようなことは望んではいません。結局のところ、端的に言ってお金で買えるかどうかという話になるわけですが、当然、先方はできるだけ高く売りたい、一番いいのは鰻の香りだけで銭を取りたいと考えるに違いないので、あんまり期待するなということらしいです。この方が筋の通った常識的な話のように思われて、寸土でも還ってくると考えるほうがむしろ不思議なことにも思えてきます。

ここまで来ると陳腐とは分かっていますがいわゆる「交渉力次第」ということになってしまいますので、全く判断の仕様がありません。

北方領土が還ってくれば解散総選挙で空前の勝利ももちろん考えられますし、第三次補正予算が組まれることになれば「返還の見込みアリ→勢いで解散か」という話にもなるようですが、このところそういった話題が流布しては火消しされるの繰り返しで、腹の内が読めません。

私の個人の感じで言えば、安倍さんは前回の参議院選挙でダブルにしなかったことが悔やまれていて、それ以上のタイミングでないとせっかくとった圧倒的多数を失うのが惜しいという心境もあるのではないかと思います。というのも普通に考えて支持率が好調な時に衆参ダブルで安定多数任期延長は定石ですので、そこを敢えて外したウルトラCというのはちょっと考えにくく、それこそ「北方領土返還」くらいの離れ業が必要というか、自分でハードルを上げてしまっていることになってしまったように見えてしまうのです。想像です。印象です。推量です。憶測です。ごめんなさい。

私は北方領土を還してもらうのはロシアに長期租借して99年後を狙う(島民の人は希望次第で早期に帰れるよう特別な措置をとる)のが一番現実的なのではないかと思いますが、私が勝手にそう思っているだけです。すみません。

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プーチン来日後の衆院解散を想定してみる

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安倍首相の支持率は概ね高い数字が出ています。就任以降、周到かつ慎重に仕事を進めていることの結果を出しているように思います。安倍さんのことが好きか嫌いかは別にして、周到に準備をして大きなポカが出ないように注意をしていることは誰もが認めるところではないかと思います。

安倍首相の選挙に向けての戦略としては、外交面でウルトラCを出し、ばーっと人気が上がったところで解散を打つ、ということを想定しているように見えます。拉致被害者の方が少しでも帰国して、そこで解散するというのを考えて来たように思います。もし、拉致被害者の方が帰国すれば、政局的に安倍さんにとって有利なことはもちろんのこと、政治信念という意味でも安倍さんの本望でしょうし、国民としても歓迎する人が当然たくさんいると思います。

ただ、残念ながらその方面での進展はありません。一方で、成果を挙げていると思えるものも多く、安倍政権の外交の現状は

1、アメリカのオバマ大統領は安倍首相のことを話しのできる相手だと認めている(ただし、退任が近い)
2、韓国の朴クネ大統領も安倍首相とは話しができるようになったと考えている(ただし、退任が近い)
3、中国とは対立が鮮明化している(賛否別れると思います)
4、ロシアのプーチン大統領と仲が良い(ただし、アメリカはいい顔をしない)
5、中央アジアを訪問したり、インドとの距離を近づけたりと多元的な外交をしている

ざっくり言って上述のようなところだと思います。更に付け加えるならば、オバマ大統領の広島訪問は、これも賛否あるとはいえ、私は自分が生きている間にあのような光景を見る日が来るとは思いませんでしたし、「訪問したから、なんなの?それで被爆者は救われるの?」という疑問を持っていた一方で、やはり感動しました。それが参議院選挙で勝利したことの一因になったことは敢えて論じるまでもないことと思います。また、もうちょっと付け加えると、フィリピンの新しい大統領が、おそらくは大アジア主義的な発想法を持っている人であるため「アメリカ人は嫌いだが安倍とは仲良くしようぜ。もちろん中国とも仲良しだ」というスタンスで外交で臨んでいるように見え、これは想定外のちょっとどう考えていいのかよく分からない不確定要素と呼べるもとも思えます。

いずれにせよ、今、支持率は高いですから、仮に今解散しても充分に自民党は勝つと思えます。自民党が好きか嫌いかは関係なく、ちょっと引いた目で見てもそう思えます。自民党がいいというよりも、民進党の両院議員総会の様子を見ても分かるように、ほぼ空中分解に近く、民進党所属議員の中に「もう、民進党のことはどうでもいい」と思っている人が結構いるように見受けられ、安倍政権としては敵失に助けられているという部分もあるかなあと個人的には感じます。そういうあれやこれやを含めて、いつ解散しても良く、先日の参議院と同日選挙をやっても勝っていたと思いますが、安倍首相は憲法改正を最終目標に入れていますので、そのためにはどうあってもせっかく手にした衆議院の3分の2の議席を減らすわけにはいかず、これまた慎重に、ちょうどいい解散の時期を見定めている状況だろうと思います。あまり慎重になりすぎると任期満了の追い込まれ解散になってしまいますので、そうなる前に解散したいわけですが、プーチン大統領訪日で北方二島先行返還で話を収めて人気を高め、解散してもう一回大勝ちするというシナリオがあちこちから聞こえてきます。

さて、問題は交渉相手はかなり手ごわいということです。日本側としては「四島の主権が日本にあることを認めるなら、二島先行返還で、択捉国後はゆっくりと話そう」という姿勢らしいですが、その見返りとして相当に高く売りつけてくる、或いは二島返還で問題は終了させようとしてくるなどのロシア側の反応が予想されます。また、クリミア併合以後、ロシア締め付けを続けてきたアメリカの反応も心配しなくてはいけないように思います。今後の東シナ海でどのような動きになるかは、日米がどれだけ協力を維持できるかによって変わってきます。そういう意味では、ロシアとは日本は先抜けして仲良くするけど、東シナ海のこともよろしく、がどこまで通じるかという疑念も湧いてこないわけではありません。

それやこれや、見守らなくてはいけない要素が沢山あります。そもそも本当に二島が帰ってくるかどうかも分かりません。子どもの時から「北方四島」という言葉を聴かされてきましたので、二島だけでも帰ってくるとは心情的には信じることがうまくできません。また、二島だけで済ましてしまおうとされたら、却って良い結果とも言えなくなってしまいます。

そうは言っても二島返還が現実化するとなれば「まさか、そんなことが生きているうちにあるなんて」的なお祭りムードになるでしょうから、その後選挙ということならば自民圧勝ということになることでしょう。そういうシナリオで行くかどうか、行けるかどうか、しばらくは見守りたいと思います。二島返還で、残りの二島は長期租借というところまで漕ぎつけることができれば凄いと思います。

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