立って食べるお寿司をあなどってはいけない話

私の知る限り、都内には立ってお寿司を食べるお店二軒ある。このお店に共通しているのは、人通りの多い、競争の激しい、維持費のかかる場所で営業されているということだ。

前にもこのブログで書いたことがあるけれど、お寿司は難しい。客の立場としても難しいし、お店を出す側としても難しいだろう。ちょっと寂れたところのカウンターのお寿司より、断然人通りの多い回転ずしの方がおいしい。やはりいかなるサービスも何かに安住してしまって進化を止めてしまうと魅力をなくしてしまうものなのかも知れない。地方の寂れたお寿司屋さんだと、常連のお客さんが飲みに来ることで稼いでいるので、肝心のお寿司は明後日の方向になってしまっていて、一見の客がうっかり入ってみようものなら、トラウマ的にがっかりすることになる。地方とは限らない。都内や横浜でも、安住してしまっているところはがっかりな場合が結構ある。お店の看板とか店構えとか、そういうのを見るとそのあたりもだいたい分かる。

それはそうとして、立って食べるお寿司の場合、個々の客が場所を取らない。無駄に長居しないので客の回転がいい。結果、より安い値段でよりよいお寿司が提供できるというモデルになるらしく、私の知る二軒の立って食べるお寿司屋さんはどちらもとてもおいしい。

一軒は品川駅構内の立って食べるお寿司屋さんで、ここは通勤とか仕事中とかで立ち寄る人を当て込んでいるため、結構みんな味にはうるさい。居酒屋だったらごまかせるところが、昼間に来るのでそうもいかない。ネタはみずみずしく、シャリも硬すぎず柔らかすぎず、ちょうどよいのである。要するにおいしい。ちなみにここではしめは葉ワサビだ。

もう一軒は渋谷にあって、やはり商業の激戦区なのだから、当然のごとくレベルを維持している。近くには有名チェーンのお寿司屋さんもひしめき合うのだが、こちらの立って食べるお寿司屋さんは客一人あたりのスペースが少なくていいことと、みんな長居しないので回転が良くなるため、小さな店舗で充分に営業できているらしいように見受けられる。ただ、働いている人がころころ変わるので、内実はちょっと厳しいのかも知れないが、お寿司を食べてがっかりしたことは一度もない。しめに赤エビを食べて頭をあぶってもらってお味噌汁にしてもらえるのは人生で何度も味わえるわけではない至福の時間になるのである。

渋谷の立って食べるお寿司屋さんで出していただいた、赤エビの頭の炙ったのを入れたお味噌汁。香ばしくてすばらしい。

お寿司屋さんに行って卵焼きを注文すれば、お店のレベルが分かるというある種の都市伝説がある。お寿司屋さんの板前さんは、この都市伝説に従って、まずは卵焼きを注文する客をひどく嫌うらしい。卵焼きはテリー伊藤の実家みたいな仕出し屋さんに頼めばいいわけだからお店で焼いているとは限らず、というか明らかに自分のところで焼いていない感じのお店も多いため、卵焼きでお店の味のレベルを測るというのはそもそも無理があるように思える。卵焼きが好きなら別にいいが、そうでなければ敢えて注文する必要なく、好きなものを頼んで食べればいいのではないかという気がする。好きなものを頼んでおいしくなかったら正々堂々と出て行けばよいのだ。個人的にはお寿司はネタももちろん大切だが、相当程度にシャリによって決まってくるのではないかと思う。硬すぎず柔らかすぎず、お酢の加減やシャリの切り加減など。これを細かに言い出すときりがないようにも思えるし、毎日大量にお寿司を握る板前さんの立場からすれば、そこまで考え抜いていられるかともお考えになられるかも知れない。当然オーバーワークにならない範囲で。ということにはなるが、いずれにせよシャリを食べれば一口で全部分かってしまうのである。

新鮮なネタを客にも見えるように透明なガラスの冷蔵庫に入れて保存し、必要に応じて取り出して握るというスタイルは、冷蔵技術なくしては考えられない。従ってお寿司は近代的な食品であり、伝統的食文化などという人をみると全然わかっていないのだなという気にもなる。とはいえ、お米もネタも思いっきりお酢につけて長持ちさせるという手法は江戸でも大阪でも行われていたし、どうもこれに関しては大阪が発祥とも言われているようだ。そういうのは伝統的食文化と言えるはずなので、大阪のバッテラとか、奈良の柿の葉寿司みたいなのがその範疇に入るのかも知れない。





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品川駅構内の和風スープストック

品川駅構内、ecute近く、立ち食いお寿司屋さんのお迎えにある和風スープストックのファンは多いはずだ。あっさりとしていながらダシが濃いという、和風料理の理想の姿がある。しかも、たとえばご飯は雑穀で、さらっと粉チーズがのっているなどという感動的な新しい味の演出もある。いい意味で手ごわく、感動的なまでに尊敬の対象であると言える。

上の写真は博多風のおかゆだが、柑橘系のにこごりを入れることであっさりすっきりとした、今まで知らなかった新しい味を提供してくれている。凄い。おかゆの中のつみれもただものではない。味が濃く、かつ、あっさりしている。凄い。本当にすごい。とにかくすごいのだ。リピしなかったらおかしいと、私はついつい思うのです。店員さんのフレンドリーさも普通ではない。日本の普通の食堂で店員さんは別にフレンドリーでなくても良くなってどれほど経つだろうか。しかし、ここは間違いなく経営の判断による教育なのだと思うけれど、店員さんはトップレベルにフレンドリーだ。フレンドリーかどうかはトリップアドバイザーのような世界的観光口コミサイトでも、ユーザーが重視するポイントの一つで、世界中の人がお店の店員さんがフレンドリーかどうかは気にする。何も日本だけの現象ではないのである。そして日本は店員さんフレンドリー大国だったが、最近は別にそういうこともなくなった。日本企業は今空前の人手不足が続き、誰でもいいから店員やってが身についてしまい、難しい教育をしてアルバイトの人に辞められると困るので、こういうことになったのではないかと思う。が、品川駅の和風スープストックはそうではない。凄いなあと思うのだ。

そうそう、いずれはお迎えの立ち食い寿司屋さんも食レポしたい。




品川駅構内のサザコーヒーで将軍珈琲を飲んだ話

品川駅は楽しい場所です。お蕎麦屋さんもあります。本屋さんもあります。カフェもあります。食べ物もいろいろ売っています。特にサザコーヒーが私は大好きで、売っているコーヒーチョコレートも好きですが、先日立ち寄って将軍珈琲を飲んでみました。少し値段が高いかも、とも思いましたが、とても濃い味です。徳川慶喜が幕末に飲んだものと同じコーヒーだということなのですが、濃くて苦い、味のしっかりしたコーヒーです。私はコーヒーについてよく知らないので、それ以上の感想なり分析を述べることができないのですが、確かにおいしい、また飲みたいコーヒーだということは間違く言えると思います。幕府とフランスが組んでましたから、フランス風になるらしいです。

徳川慶喜直系の御子孫の方が将軍珈琲をプロデュースしていらっしゃるということは以前から知っていたので、一度飲んでみたいと思っていたのですが、たまたまサザコーヒーにたちよることで、小さいながらも夢が実現した感じです。

明治維新後、徳川家は宗家の他にいわゆる御三家、御三卿があり、それぞれに御子孫の方がいらっしゃいます。徳川慶喜は後に徳川慶喜家の創設が認められ、今も御子孫の方がいらっしゃいますが、こちらの御子孫の方は独身を貫いていらっしゃるので、徳川慶喜家はいずれ断絶に至ると言われています。歴史のある家柄が消えてしまうのは少し寂しい気もしますが、時代の流れでそれぞれの人が自分の人生を自分の好むように生きるとすれば、そういうこともあると思います。徳川宗家の御子孫には若い方がいらっしゃるそうですし、尾張徳川家は徳川家の子孫の家の中ではもっとも裕福にお暮しになっていらっしゃるそうです。紀州徳川家を現在継承していらっしゃる方は独身を貫いていらっしゃるので、近い将来、紀州徳川家もなくなると見られています。ただ、「徳川家の子孫」を見つけようとすれば、松平姓の方たちを含めれば数百人になるそうですし、多くの大名家とも血縁関係がありますので、それらを辿って行き、女系男系関係なく含めればとてつもない数の方がいらっしゃるに違いありません。人は祖先を辿って行けば必ずどこかで共通の祖先がいますし、全人類の全ての源は10万年くらい前にアフリカにいた「イブ」と呼ばれる女性に辿り着きます。そういう意味では人類は全員、血縁があると言えなくもありません。そう思うと、人種や民族が違うからという理由で反発するのはやはりよろしくありません。

サザコーヒーで飲んだ時は使用されているコーヒーカップとお皿もとても素敵でした。コーヒーカップを見るのもコーヒー屋さんでコーヒーを飲むときの楽しみの一つです。サザコーヒーさん、ありがとうございます。

将軍珈琲の5杯分入ったパックを買って帰りました。800円で、少し高いかも知れないのですが、がっつり濃いコーヒーを飲みたい時にはこれはいいと思います。

将軍珈琲
将軍珈琲

品川駅にはスープストックもあります。感激です。




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