台湾の沖縄人【台湾研究】

台湾は比較的日本人が多く暮らす土地だが、その中でも沖縄の人は独自のコミュニティを持っていて、それ以外の日本人のコミュニティとはやや雰囲気が異なる。私は海外での沖縄人の足跡に出会うと、ついつい憧憬や尊敬の念にかられ、大きな物語性を沖縄の人たちに見出そうとする心の動きの癖みたいなものがあるので、台湾の沖縄人コミュニティについても、同じような心の癖の角度から見ることになり、結果としてやや独特の雰囲気を持つコミュニティが存在するかのように見えるだけなのかも知れない。いずれにせよ、私が沖縄の人に独特の雰囲気があるなどと述べる場合は、沖縄の人への敬意を込めているつもりなので、もし、変な誤解をされたら撤回するが、できれば暖かく見守っていただきたい。

沖縄の人々の近現代史を考えれば、日本人社会の一員であることを強制されつつ差別も受けるという非常に難しい立場にたたされる場面が多いということに気づく。たとえば目取真俊さんが『神うなぎ』のような小説で、日本軍が守り切れなかった沖縄の村をアメリカ軍と交渉することで救った人物がスパイ容疑でリンチに遭うという深刻な物語を書いたが、これもまた沖縄の人への微妙な差別感情が日本軍人の内面に存在したからこそ、起き得たことではなかろうかとも思えてくる。たとえば東京でアメリカ軍と交渉する日本人がいたとして、スパイと即断して殺されることは考えにくい。飽くまでも日本軍が守り切れなかったので、現地住民はやむを得ずアメリカ軍と交渉することで治安を維持しようとしたのだから、落ち度は日本軍にある。

そのように複雑な沖縄の人々の立ち位置ではあるが、それは海外に行っても構造的なものが引き継がれてしまう。星名宏修先生の『植民地を読む』(法政大学出版局 2016)に収められている「植民地は天国だったのか―沖縄人の台湾体験」でも、その難しい立ち位置であるがゆえに、独特の苦難と経験があったことが述べられている。沖縄の人々は台湾に渡って後も一方に於いて日本人内部の階層の下部に置かれ、屈辱的な立場でありつつ、台湾人に対しては支配者の側として振る舞うことを求められたため、それだけでもアイデンティティクライシスを起こしそうなくらいに悩ましかったにもかかわらず、日本の敗戦によってそれはさらに複雑化した。台湾人や外省人からは、時として沖縄人は日本人ではなく漢民族の末裔として扱われ、一般の日本人よりも厚遇されたが、時として敗戦国民とみなされて挑戦的な言葉を浴びせられたりもしたし、場合によっては植民地支配に対する復讐の対象にもなった可能性も当該の著作では指摘されていた。沖縄の人は薩摩の侵攻を受けて植民地みたいにされてしまい、明治維新後も大久保利通によって強引に日本領に組み込まれたため、沖縄アイデンティティ的には被害者の面が強いはずなのだが、一方で、台湾のような植民地では加害者みたいに扱われるという複雑で悩ましいことがあったというわけなのだ。なんか私も書いていて、言葉のメビウスの輪をやっているような心境になってきてしまった。

世界中のどこに行っても沖縄の人は独自のコミュニティを持っている。私がアメリカに留学していた時も、そのコミュニティの結束の強さに驚いたことがあったし、南米でthe Boomが人気になったのも、多くの沖縄人が南米に渡り、沖縄文化を大切に受け継いできたからだ。サイパン島には日本人慰霊碑だけでなく沖縄人慰霊碑も別に立っている。

都内でも、たとえば上野公園の桜を見に行けば、日本各地の県人会が場所取りをしているが、沖縄の場合だけ宮古島島民会とか、石垣島島民会みたいにより細かなエリアに分かれていて、地元の結びつきが深いことがうかがい知れる。

そのように絆が強い理由はやはり、文化的な違いがあるからというような理由でヤマトから差別的な待遇を受けたからかも知れず、と考えると、ヤマトンチュの私は沖縄の人にはついつい優しくなってしまう。以前も沖縄の学生が実家へ帰る飛行機がどうこうと言い出したので、「レポート出したら帰っていいよ」と特別扱いしたことがある。沖縄の人なのだから、それでいいのだ。