台湾映画『遠い道のり 最遙遠的距離』の喪失の交錯

これまで台湾映画の中で、特に印象のいい、素敵な映画だと思います。台湾映画では珍しいパターンの映画かも知れません。過度に美化せず、過度に深刻にならず、登場人物たちの喪失感について想像する余地を観る側に与えてくれているようにも感じられます。大変好感が持てました。

主たる登場人物は3人で、一人は番組撮影などの音声のスタッフをしている人で、仕事を首になり、恋人にも立ち去られてしまい、台東地方へ傷心の旅に出ます。

もう一人は心療医で、少々歪んだ性格の持ち主ですが、妻から離婚を言い出され、ある日、仕事を放棄してやはり台東地方へとふらっと出かけてしまいます。

もう一人は広告会社で働く女性で、上司と不倫の関係にありますが、やはりある日仕事を放棄して台東地方へと放浪の旅に出かけます。

要するに3人とも今の生活に耐えきれなくなり、心の状態を調整する必要にかられて日常生活を放棄したわけです。台東地方の美しい自然と都会の生活に疲れた3人のコントラストがよく映えます。台東には一度行ったことがありますが、あの地方の自然には原始的なのにやわらかな感じの美しさがあると私は思います。

音声技術者の青年は旅先で自然の音を録音し、それを元彼女のところに送ります。そんなことをしてもどうなるわけでもないですが、そうせざるを得ないのです。しかし元彼女は既に引っ越していて、次にその部屋に引っ越してきたのが広告会社で働いていて上司と不倫関係になっている女性です。

彼女は時々送られてくる郵便物を自分宛ではないと知りつつ封筒を開けてしまい、音声を聴きます。美しい自然の音、鳥の鳴き声、波の音などが入っています。封筒からどこの宿に泊まっているかが分かり、彼女は職場を放棄して台東地方へと出かけ、差出人の宿や録音されたと思しき場所を捜し歩きます。

心療医の方は美人局に遭いますが、音声の青年に助けられ、二人は行動をともにします。医師はその職業的技術を生かして失意の青年にカウンセリングを行いますが、一方で彼自身を救う術を知りません。40ぐらいのいい大人の男が、少し精神が歪んでいて自分を持て余している感じがとてもいいです。何歳になっても自分を持て余してしまうのが人間なのかも知れません。やがて二人は別れてそれぞれの方角へと去って行きます。

女性は貯金がほぼ尽きた状態になってしまい、今さら職場に戻るわけにもいかず「さて、どうしたものか」と思いつつ海岸に辿り着きます。すぐ近くに音声の青年が歩いています。その後で二人が言葉を交わすかどうか、コミュニケーションを取るのかどうか、それともただの通りすがりで終わるのか、分からないまま映画は終わります。さりげないけれどドラマチックな終わり方で、いい余韻を残してくれます。

広告会社で働いている女性は桂綸鎂がやっています。この映画では押しつけがましくない、さりげない感じで好感がもてます。

三者三様に喪失と向き合う姿が描かれ、自分がその立場ならどう思うだろうかと考えさせられます。音楽が少なく、無駄に音がないために、時々挿入される音楽が印象深くなります。原住民の音楽も入っていて、音楽とダンスに優れていることはよく知られている人たちですから、そのドラマチックな音の響きも楽しむことができます。

台湾にはこんないい映画もあるのかと、静かな驚きを得ました。いい映画だと思います。

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周杰倫の監督主演映画『言えない秘密』は、台北のちょっといい感じの郊外になる淡水エリアの芸術学校が舞台になっています。

父親が同じ学校の音楽の教師で、周杰倫を自分の勤務する学校に転入させます。そしてそこで桂綸鎂と出会います。

二人はすぐに両想いになりますが、ある日を境に桂綸鎂が来なくなり、周杰倫は「なんで?なんで?」と煩悶します。父親と話し合うと、20年前に起きたできごとを話してくれます。当時から同じ学校で勤務していた父親は、ある女学生(桂綸鎂)が20年後にタイムスリップして出会った男性を好きになってしまったと打ち明けられるのです。周囲は桂綸鎂は精神に変調にきたしたと心配します。

そのタイムスリップの話が本当で、まさかその相手が自分の息子(周杰倫)だと想像もしていなかった父親は、桂綸鎂に会えなくなってすっかり落ち込んでしまった息子のことを心配します。

この父親がかっこいいです。香港の俳優さんです。黄秋生という人です。インファナルアフェアに出てます。音楽教師という役ですので、ピアノもうまい、ギターも弾ける、社交ダンスも知っています。それらは全て過去に私が挑戦して挫折したものばかりです。顔もいいし、そのようにギミックも使えるというのはとてもうらやましいです。男はやはり手が器用でなくてはいけません。私は不器用の典型ですが、手が器用で料理も楽器もできる男性が理想だと思っています(ああ、ため息)。20年前の再現映像はちょっと無理に若作りしてコントみたいになっていますが、そういうことは映画の愛嬌みたいなもので、工夫しているなあというところが面白いので、そこはそれでいいと思います。

全体としては周杰倫がどれだけナチュラルリア充かということを表現しているだけの映画と言ってもいいですが、周杰倫が好きな人にはたまらないでしょうし、桂綸鎂が好きな人も多いと思うので、どっちかが好きな人にとっては大丈夫な映画だと思います。個人的には桂綸鎂です。

最後は父親から20年前の出来事を話されて真相を知った周杰倫が古くなって破壊される校舎に入り込み、破壊作業に敢えてぶつかっていくことで、タイムスリップして桂綸鎂と再会します。むしろその後の方が心配ですが、物語はそのようにしてハッピーエンドを迎えます。

奇怪なハッピーエンドと言えば、奇怪なのですが、アジア映画はそういうのが多いです。むしろ韓国映画の方がもっと弾けた感じになっているようにも思えます。台湾映画は「実はあっけないことだった」というエンディングが多いですが、この映画では行けるところまで行こうよ、と言っている感じでちょっと異色かも知れません。香港映画は理路整然としたものが多くて分かりやすくて観やすいような気がします。

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台湾映画の最近のものとしては日本でも話題になりましたし、台湾でも大変にヒットした映画です。台湾の中西部にある彰化という都市を舞台にした物語で、原作者の九把刀の自伝的作品ということで知られています。ただただ、ごくごく、普通の青春映画なのですが、この映画がヒットした背景には台湾の人口ボーナスがあるかも知れないとも思います。

中華圏では急激な少子化が進んでいますが、台湾も同様で、今の30代後半より上の世代が多いのに対し、現在の大学生や高校生は非常に少なく、早いペースで人口減少社会に入っていく、或いはすでに入っていると言えます。この映画では90年代の高校生から大学生までの世代を描いていますので、台湾のベビーブーマー世代が自分の青春を投影するのに適した感じになっているように思えます。

内容的にはひたすら青春男女の物語で、特別に取り上げなくてはならないような事象は存在しません。どうぞ、青春。よろしく、青春。ありがとう、青春です。

彰化の中高一貫私立を卒業して、仲間たちのあるものは台北の大学に進み、あるものは留学をこころざし、あるものは台南の大学へ行き、とそれぞれバラバラになります。台北だけに偏らないところは結構いいと思います。ただ、実家を離れて台北に進学して就職した人たちがたくさんいますので、そういう人たちはうまく自分を投影できるだろうと思います。

主人公の男性がやたら裸になりますので、そういう観点から楽しさを感じる人もいるかも知れません。多分、作る側もある程度はそれを狙っているようにも感じられます。

主人公の男性は同級生のヒロインを好きになり、ほとんど両想いなのですが、行き違いでうまくいきません(いろいろなことはありますが、大体他の台湾の青春映画とほとんど同じようなことが繰り返されている感じと思います)。やがてヒロインは全然関係ない男性と結婚し、そこに同級生が集まるという結末になります。

主人公の男性は確かにヒロインの恋人になることはできませんでしたが、真実に愛するのであれば、そこで嫉妬するのではなく、彼女の結婚を心から祝福すべきだという結論で終わります。まことに美しいことで結構と思います。

この映画は、仲間とのじゃれあい、曖昧ではっきりしない青春特有のもやもやが主題ですが、やがてみんな大人になり、それぞれの道を歩むという意味では、人生を扱っているとも言えます。韓国映画の『チング』をあそこまで深刻に描かなかったらこの映画みたいになると思います。

主人公の男性のナレーションが若干甘ったれた感じになってますが、この世代は日本で言えば、いわゆる新人類みたいな感じの世代になりますので、その雰囲気に合っているのかも知れません。



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いかにも「青春」していて、青春だけを描いた、いい映画です。いい意味できらきら感があります。

主人公の男性は、ある日突然恋人に振られます。呆然自失、何故、こんなことになったのか分からない。自我崩壊でほとんど寝たきりみたいになった彼は新たな人生を見つけるために印刷屋さんで働きます。印刷した商品の配達先には予備校があります。印刷した模擬試験の用紙を配達するのです。

予備校でアルバイトしている女の子と出会います。何気ない会話を繰り返します。互いに好きになってもいいけれど、彼はまだ前の彼女のことを忘れることができない、友達以上、恋人未満な関係が続きます。

恋愛ものですが、ただただキラキラしていて、いやらしいものがありません。奥ゆかしいデートとかもありません。ファミリーマートの近くに座り込んで話し合ったり、バイト中に言葉を交わしたり、とてもかわいい感じの友達以上恋人未満です。

アルバイト。将来は未定。安価な感じの服だけどおしゃれ。若さだけで生きている。そういう青春の雰囲気が詰まっていて、いい気分で観ることができる映画です。

台北市内の撮り方も私はいいと思います。台湾映画では台北を「ハイセンスで大人のきらびやかな大都会」風に撮ろうとする作品が多いです。『GF,BF(女朋友。男朋友)』、『失魂』、『海角七号』などの映画ではそういう位置づけになっているように思います。ですが、実際の台北を見てみると、そういう印象はあまり受けません。どちらかと言えば重苦しくて、いろいろ雑な感じで、良くも悪くも汚れた感じがします。

この映画ではそれをそのまま撮影しています。私は個人的にはそういう撮り方の方が台湾人の青春を描くのには相応しいのではないかなあという気がします。雑な街であるからこそ、若い人がとにかくがんばって、まだ自分の人生がどんなものか分からないけど、とにかく歩いて働いて勉強して、いろいろ試してみる。そういう雰囲気を感じることができるような気がします。日本で言えば、六本木や銀座だけで東京を表現されると「ちょっと違うなあ」と思うような感じではないかと思います。下北沢や下高井戸三軒茶屋あたりの少しくたっとした感じも東京です。そんな印象をこの映画からは受けることができました。

個人的な見解ですが、ヒロイン役の簡嫚書さんがかわいいです。驚くほどかわいいです。そういう人が重苦しい台北でがんばって歩いているのが大変栄えるのではないかなあという気もします。

アルバイト、失恋、安い感じだけどおしゃれな服、予備校、紙ヒコーキと「青春」を想起させる記号に満ちています。ただ、「ああ、青春だなあ」と思って観られる映画です。人の嫌な部分を敢えて描かないことで清潔感のある清涼剤みたいな映画になっています。

主人公の働いている印刷屋さんのおじさんがいい味を出しています。台湾語でいろいろ面白そうなことを言っているのですが、北京語しかできないので何を言っているかは分かりません。捨て猫を拾うやさしいおばさんも出てきます。「青春期」と呼ばれる比較的短い時間を過ごした後に、そういったおじさんやおばさん、つまり大人になっていくということを暗示しているように思います。そういうのも、更に青春の希少さのようなものを観客にメッセージとして送っているように思いますので、中年になってから観ると更にぐっと来ます。

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この映画には三人の男女が登場します。一人はお金持ちの息子で顔がいいです。もう一人は普通です。もう一人はかわいくて勝ち気な女性です。

高校生の時、三人は親友です。時代は1980年代。戒厳令が解かれていない時代です。言論や表現の自由がなく、学生たちは自費で政治的メッセージを書いた雑誌を発行しますが、そういうことは厳しくしかられます。学生たちは一方で政治に関心がありますが、もう一方で恋愛に関心があります。男2人に女性1人ですから、実に曖昧な何とも言えない微妙な関係です。彼女はお金持ちの顔のいい息子と付き合います。残った普通の男性は置いていかれた感を拭えませんが、それでも3人の友情は続きます。女性の役は桂綸鎂がしています。個人的には台湾の女優さんではこの人が一番美人だと思います。個人的な見解です。

大学に入ったころ、台湾はいよいよ本格的に民主化していきます。学生たちが中正記念堂に集まり、議会の解散を求める座り込みのデモをします。日本の学生運動と同じく、ある種のトレンドみたいなものだったと思いますから、3人とも当然のように参加します。政治的な主張はともかく、やはり大学生は青春の時代です。恋愛も大切です。お金持ちの息子は桂綸鎂と付き合いながら、学生運動で知り合った他の女性とも付き合います。二股です。残された普通の男性はやはり置いていかれている感じです。ただ、桂綸鎂はこっちの普通の男性のことも好きみたいです。「なんなんだあんた」と思わなくもありませんが、金持ちの息子の方も二股していて、それでもつきあっていて、友情も続いていて、この辺りはちょっと理解できないと思わなくもありません。

やがて3人は大人になり、社会人になります。90年代後半で、台湾経済がいよいよ本格的に発展し始めたと言っていい時期と思います。都会的で、発展した台北が描かれます。台湾映画では台北を「都会」という記号で表現することが多いですが、都会を描くのは難しいと私はよく思います。都会はだいたい同じだからです。映画で「都会」をテーマにしようとすると、高級なレストランとか、びしっとおしゃれなスーツを着ている人とか、夜のお店でお酒を飲んで騒いでいる場面とか、そういうのが登場します。そういうのは見飽きてしまってどうでもいいです。そんなの描いておもしろいのかなあと個人的には疑問に思います。ただ、台湾映画では「大都会台北」は重要な要素なので、そういうのはよく出てきます(同じ意味で、田舎も素朴な農村とか雄大な自然とか見飽きていますので、もうちょっとひねらなくてはおもしろいと思えません。『失魂』は素朴なはずの田舎の老人が実はめちゃめちゃ恐かったので新鮮に思いました)。

お金持ちの息子は結婚して子どももいますが桂綸鎂とは不倫関係を続けています。かなりただれた感じで「なぜ俺はこんなただれたものを観ているのか」という疑問すら湧いてきましたが、一応、最後まで見ないといけません。桂綸鎂はお金持ちの男の子どもを妊娠します。しかも双子です。どうしようか、となりますが、お金持ちの息子は一緒に外国へ行こうと提案します。しかし、本気で今の家庭と生活を捨てるつもりはありません。そに気づいた桂綸鎂はもう一人の男性と一緒になり、男性は生まれて来た子どもを自分の子どもだという気持ちで育てます。うーん、なんかよくわからんけどこの男は偉い!と思える映画でした。

映像はフィルム感があっていいです。最近は大体デジタルです。デジタルはきれいですから、悪いとは全然思いませんが、フィルム感があるのもまたいいものだなあと思います。台湾ニューシネマの雰囲気を感じることができます。

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とてもよく準備され、考えられ、研究されて作られた映画と思います。台湾映画ではあまりない作風で、かつ成功していると思います。

台北の日本料理店で働く息子が精神に失調をきたし、倒れ、台湾中部と思しき山奥に実家に帰ります。精神に失調をきたしたというよりはまるで狐憑きのような変わりようです。山奥の小さな家の中で、息子が姉を殺害します。それを知った父は姉の遺体を隠し、息子を小屋に閉じ込めます。姉の夫が探しに来ますが、父が殺害し、車と一緒に埋めてしまいます。警察が捜査に来ますが、完全にサイコな息子が小屋の窓から攻撃して、刑事を殺害してしまいます。そして逃亡するという何とも気持ちの悪いだけの物語です。

父と息子は互いに憎悪していますが、相手が嫌がることならなんでもやります。相手を困らせる目的でいろいろなことが互いに嫌がらせをやり合います。他に他人の目のない深い山奥です。人が殺されても死体が出ない限り、もう分からない、行方不明だ、そういう場所です。美しい自然というよりは濃密な森の中です。亜熱帯の深い森で、ナウシカの腐海みたいなところです。父と息子は互いに憎悪しているにも関わらず、決して互いを見捨てません。互いに自分が自分でいるために、相手を必要としている、自己への憎悪を互いに投影し合っているように私には思えます。

小さな山小屋という舞台設定で、父と息子の人間関係にフォーカスして描くというのは大変実験的ですが、関係性は違うとはいえ『砂の女』を連想させます。

カメラワークに凝っています。ちょっと古典的な台湾映画では長回しやロングショットが好まれているように私は思いますが、この映画ではむしろ近距離で、接近して普通の人なら見たくないものをみせるという感じです。時に美しい自然の景色が挟み込まれ、映画の残酷な内容との対比が生まれ、森とはまことに恐ろしい場所だと、岩井志摩子さんの『夜啼きの森』もこんな感じかといろいろと感じることができる作品です。

この映画で怖いのは果たして狐憑きみたいになってしまった息子の方でしょうか、それとも明確な意思を持って完全犯罪を冷徹に繰り返す父の方でしょうか。一見、息子の狂気に恐怖を感じますが、むしろ冷静に犯罪を徹底して行い続ける父親の方が恐ろしい存在のように思います。かくも強い意思を持って父は何を守ろうとしたのか、という疑問も湧いてきます。

彼が守ろうとしたものは、「家」かも知れません。儒教的家父長制の価値観が日本よりも遥かに強い台湾では、「家」を守ることは至上命題です。しかし、そんな「家」はとうに崩壊しています。妻を殺し、娘は息子に殺され、憎み合う男二人が残ったところで、それはもはや家と呼ぶことのできない、あんまり見たくない何かです。

台湾に限らず、21世紀の中華圏は変化があまりに速く、今を生きる人たちの心が追い付いていないのではないかなあ、それはとてもしんどいことなのではないかなあと観察していて思うことがあります。核家族化が進み、伝統的な「家」は各地で綻んでしまっています。この映画の深いところに流れているのは、そういう、もはや失われてしまったもの、再び戻ってこないもの、しかしまだそのことを受け入れられていない、そのために人の心が狂っていく。そのようなことをこの映画は実は物語っているのではないか、そのような気がします。

ちなみに、狂気の息子の役は『被偷走的那五年』の心優しき夫の役をしている人です。ついでに言うと、お姉さんの夫の役をしている人は『寒蝉効応』でどうしようもない教授の役をしている人ではなかろうかと思います。

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ロックバンドのボーカリストが女の子とつきあったり二股かけたりするというだけの物語で、ほとんど観るべきところがありません。出演している人はだいたい普通、演技は大根、台詞はクリシェでストーリーもクリシェです。

ただ、中国文化の表現という観点から言えば一見の価値ありと思います。登場人物には中国の伝統的な衣装を研究するサークルに入っている人が登場したり、民族衣装を着て現代音楽に合わせて舞踏を披露したり、更にカンフーの動きを連動させる場面もあり、見応えがあります。

あと、タイトルを日本語に翻訳するとすれば『雨の音が聴こえる』ということになるのですが、雨の場面がとても美しいです。個人的な見解ですが、台北の雨は時に息を呑むほど美しいです。この映画でも梢にかかる雨の雫、雨に濡れつつ街を行く人々などの姿に映像美を感じることができます。ホースで雨を降らしている場面もありますが、実際に雨が降っているところを撮影していると思える場面もあり、そういう場面はとてもきれいです。

登場人物の女性がシンガポールに手術に行く場面があり、一部、シンガポールの街並みが入ります。シンガポール観光気分をほんの少し味わうことも可能です。

それら見るべき場面は最後の30分くらいにだいたい全部入っていますので、そこだけみてもokな映画ではないかと思います。ビビアン・スーが出演していて、いつまでも若いことに驚きます。それはビビアン・スーという人の努力の素養によるものですから、素直に尊敬したいと思います。

「作詞」にこだわりがあり、中国語の詩作がいくつか作品中で紹介されます。私にはその良し悪しをよく評するほど中国語に対する造詣はないのですが、監督さんが周杰倫の作詞をずっと続けてきた人だということですので、中華圏の人の現代の詩に対する感性を知るには得るところのある映画だと言えるかも知れません。

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映像がきれいで、幸福な場面は本当にこの上なく幸福に、悲しい場面もまた本当にこれ以上ないというくらいに悲しい場面になっており、よくできたいい映画だと思います。

映画の冒頭はハネムーン中の幸せそうな主人公の若い男女、美男美女が楽しそうにしている様子です。「リア充か…うらやましいなあ」と思います。しかし次の場面では女性が病院で目覚めます。自分ではハネムーンに行ったところまでしか記憶がないですが、実はそれから5年経っており、交通事故で記憶喪失になった彼女はその間のできごとを思い出すことができません。少しずつ、糸を手繰るように証言を集め、夫が浮気をしていた可能性があったこと、そのことで自分が自暴自棄的になり、不倫をしてしまっていたことを思い出します。きっかけは交通事故ですが、そのことによって忘れたいこと、嫌な記憶を全部忘れてしまった、人生の空白にしたいものを本当に空白にしてしまったという感じです。夫以外の人とのアフェアが記憶に残っていない、自分だけがそれを覚えていないというのは『去年マリエンバートで』から想を得たのかも知れません。

謝罪する彼女の姿、泣きそうになりながら謝罪を受け入れ、やり直そうという夫の様子は大変にうまいです。繰り返しますが美男美女ですからとても絵になります。そうして再び二人は人生を歩むはずでしたが、事故の影響で脳が打撃を受けており、血栓ができているため、じょじょに脳が委縮する、認知症と同じ症状が彼女に現れてきます。手術すれば治るかも知れませんが、成功率は僅かに2割、むしろ進行を食い止めるために薬を飲んだり運動したり、本を読んだり日記を書いたりといったことを医者に薦められます。

ですが、彼女の症状は更に進行し、少しずつ日常生活に支障を来すようになっていきます。その中で彼はいいアイデアを思いつきます。一旦は離婚したものの、もう一度プロポーズするのです。そのプロポーズの場面の幸せそうなこと。職場や医療関係者、友人たちの暖かい祝福、演出が心を打ちます。カメラワークもうまいこともあり、厳しい事情を観客は理解していますから、その中での幸福であり、更に繰り返しますが美男美女ですのでぐっと心を打ちます。

夫の新しい人生をやり直すために彼女は夫に黙って手術を受ける決心をします。手術はおもわしい結果をもたらさず、彼女は首から下が完全に麻痺した状態になってしまいます。夫が毎日のように彼女の体を撫で、少しずつでも回復するようにと心をくだきますが、むしろ彼女の身体は少しずつ崩壊へと向かっていきます。前述のプロポーズの場面があまりに素敵なために、その対比がどうしても涙を誘わないわけにはいきません。結果的に二人は『カッコーの巣の上で』的な結末、或いは竹中直人さんの『くちづけ』的な結末を選びます。ここは賛否が分かれるところかも知れません。

映画の前半と後半が全然違う話になっているので、そこに若干のひっかかりが個人的には残りましたが、それ以外がとてもよくできていて感情移入でもできますので、いい映画だと思います。

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私個人の印象ですが、台湾はわりと格差社会のように思います。いわゆる中産階級の層が日本に比べれば薄く、とてつもなくお金を持っている人が多く、というか一部の人にかなりの富が集中しており、一方でその日の生活に暮らしに困るという人の割合も日本よりは少ないように感じます。

今はバブル頂点をちょっとピークアウトした感じですが、バブルによって利益を得るのはそういう不動産を気軽に売り買いできるだけの元手のある人で、その他大勢は地価の高さに正直参った…と思っているという印象です。

この映画の主人公の男性はいわば「負け組」に属しており、家がなく、奥さんは出て行き、子ども二人(兄と妹)を賃金の安い労働でどうにか育てています。住まいはどこぞのビルの屋根裏みたいなところで、公衆トイレで体を洗います。自然と涙がこぼれてきて、自暴自棄になってしまいそうな衝動を常に抱えています。

娘がいつもカルフールでうろうろしているので、カルフールで働いている中年の女の人が「この子はお風呂に入っていない」と気づき、髪を洗わせ、どうにか救う方法はないかというようなことを模索し始めます。

最後は男性が子どもを連れて舟に乗り、どこか遠くへ連れて行こうとします。この世ならぬあの世へと子どもも道連れにするのではないかという不穏な空気が漂います。カルフールの女の人がとっさにかけつけ、子どもたちを救い出し、男は一人舟に流されていきます。

この映画で最も話題になったのは、おそらくは、廃墟となったビルの中で分かれた奥さんの後ろに男性たちが立ち、時々ウイスキーを飲みながら、じっと佇む場面です。台詞なし、ほぼ動きなしで20分くらいそれが続きます。私個人はなぜこんなひどい場面をみせられなくてはならないのかと精神的に強い疲労を感じましたが、ごく個人的には「能」を意識しているのではないかと思わなくもありません。能の上演では出演者がじっと佇み、ほんの僅かな動きで心境や環境の変化を表現します。もしかするとそれと同じことをしようとしたのではないかなあという気がしなくもありません。ただ、能のそういう場面は「序」「破」「急」の序でされる場合が多く、この映画の場合は逆にある種のクライマックスとして(最終的に奥さんがその場を離れて行き、男が人生を放棄することを決心する場面として)扱われているので、「ここに来て動きを止めないでくれ、頼むから次の場面に行ってくれ」と懇願したくなる気持ちが私の中で大きくなり、そういう意味でショッキングでした。もう一回観たいかと問われれば、「いや…もういい…」と答えると思います。

実に平凡な感想ですが、やっぱり男は甲斐性がないとだめなのか…と思うと同時に我が身を振り返り、ため息が出たのでした。

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実際に会った事件から取材した映画です。台東の芸術系の大学で音楽を教える教授が、とある学生に性行為を強要し、学生は心理的外傷から自傷行為を行うようになり、それがきっかけで裁判に発展します。

倫理的にはアウトであり、アカハラと認定されて大学を追われることは必至ですが、この映画では法的な責任をどこまで問えるが焦点になります。というのもまず第一に、台湾には姦通罪がありますので、既婚者である教授が学生というそういう関係を持つのは姦通罪に問わ得るのですが、裁判はそっちではなく、女学生に対する行為の強要について争われます。

女子学生は一度目は不本意で合意は成立していなかったが、その後複数回、自ら望んで教授と行為に及んでおり、それは愛されているかを確認するためだったという主旨の証言をします。これは通常、公判維持が難しいケースです。

この映画では公判維持という観点からの法廷技術の問題を扱うだけでなく、人の心の内側に分け入ろうとしています。当該の女学生はそもそも訴訟を望んでおらず、自傷行為をきっかけに真相に迫った他の教師が「義憤」にかられて台北の弁護士を探し、訴訟へと持ち込ませます。ですが、女学生の証言が「(自分の心境について)分からない」と返答する場面が多く、いわば芥川龍之介の『藪の中』、黒澤明監督の『羅生門的』な真相はよく分からない…という展開を迎えて行きます。ここまで来ると、問題は果たして正義はどこにあるのか?という疑問を持たざるを得なくなります。法廷の正義、女学生にとっての正義、教育現場の正義、そしてそもそも公判維持が難しいところをそれでも訴訟を続けようとする台北の女性弁護士と彼女に頼み込む大学関係者の正義がそれぞれに微妙に重なり、或いは微妙にずれているために、簡単に判断が下せない、軽々なことが言えない様相が見えてきます。

台東の美しい景色が繰り返し映し出され、同時に海辺の開発に対する反対運動も描かれます。これもまた、それぞれの正義の衝突を示すものです。

当該の音楽教授は他の女学生たちともそういう関係があったということも知られ、その後心不全で死んでしまいます。社会的にも家庭的にもおしまいで、ということは経済的にもおしまいですし、メンツ的にも喫茶店に行けなくなるくらいの丸つぶれですので、こういう場合に心不全ということになれば自ら命を絶ったということもあり得ます。映画ではそうは描いていませんが、実際はそうだったとしてもまったく不思議ではありません。

日本の映画でしたら更に複雑な要素を加えて、そこに逆転ホームラン的な要素も盛り込んで観客に驚きをカタルシスを与えるというのを狙うと思うのですが、この映画ではそのようなことはありません。ただ、そういうことがあったということだけを観客に提示して、終わります。どう感じるか、どう考えるかは観客に任せるというわけです。いい終わり方だと思います。

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