深く考えたことはないですが、華人社会では赤の他人にチャリティするという価値観は根付きにくいと思います。血縁、紹介、コネを頼るのが普通なので、たとえば大都会で「李おじさん」が会社経営をして成功している場合、親戚の息子さんとか、その親友とか、田舎の帰省先のご近所の息子さんとかが「李おじさん」を頼って都会に出てきます。で、李おじさんは後見人となっていろいろ面倒を見てあげることになり、助けてもらう側はその恩義に応えるために一生懸命働くというようなことになります。やがて自分が年を取れば、若いころに助けてもらったみたいに後続を助けます。血縁にそういう人がいない場合、誰かと義兄弟の契りを交わし同じようなネットワークを作ります。大袈裟なものだと秘密結社になります。そういうわけですから、ネットワークがないと生きていけないのが普通であり、大抵の人は何らかのネットワークに所属しているため、そこで助けてもらえるのが普通であり、もしネットワークが全くない人物がいたとすれば、それは本人のそれまでの生き方が反映されていますから、自業自得と思われて見捨てられます。台湾映画の蔡明亮『郊遊-ピクニック』という映画でそれがとても良く表現されていると思います。
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台湾ドキュメンタリー映画『日常対話』を通じて考える、虐待の過去と向き合うとは
映画の主たる内容
黄惠偵監督の母親であるアヌさんは、台湾での葬儀に呼ばれる道士という特殊な職業についている人だ。そして同時に夫から激しいDVを受けた過去を持ち、またレズビアンであもる。一見、普通の明るいおばあちゃんのように見えるアヌさんは非常に複雑な人生を送ってきたのだということが、映画が進むにつれて次第に明らかになって行く。観客が強い衝撃を受けずにいられないのは、黄監督とアヌさんが、彼女たちが日常生活で使うダイニングテーブルを挟んで向かい合う場面だろう。黄監督は涙をぬぐおうともせずに、父親から性的な虐待を受けていたと告白する。監督は母親に命じられ夜ごと父親の寝室へと行き、性的虐待に耐えなくてはならなかった。アヌさんは「知らなかった」で押し通した。
私の過去とアヌさん
人は誰でも多かれ少なかれ、心の傷を抱えて生きているはずだ。映画でDVを続けた夫のことが語られた時、私は私自身の父親のことを思い出さずにはいられなかった。私は父と過ごしたことがほとんどないのだが、父は帰ってくると深酒を煽り、母に対して執拗な暴力を加え続けた。ギャンブル狂で、借金がかさみ、暴力団員からの借金の取り立ても執拗に続いた。アヌさんの夫は家族に見捨てられ自殺したのだが、私の父は肝臓を悪くして死んでいる。私は幼少期から、自分が父親と同じような人間になるのではないかとのある種の恐怖とともに生きた。母からは私が父の血をひいているという理由で罵られた。それは今も続き、母はメールで罵ってくる。アヌさんは恋人たちに対して、自分の娘のことを「養子だ」と話していたことが映画で語られるが、もしかすると私の母と同様に、自分の子どもは夫の血を引いているために、その存在を受け入れがたいという気持ちがあったのではないかと私には感じられた。
アヌさん自身のことも、私には母とオーバーラップして見えざるを得なかった。あまり人に話したことはないが私は姉から継続的な虐待を受けていた。このことを過去に数人のごく親しい人に話したことがあるものの、あまりよく理解してもらえなかった。おそらく、姉から弟への虐待というものは一般的に語られる虐待の構造と合わないため、うまく想像してもらえないのではないかと考えている。私が母に対して、なぜ姉から私を救ってくれなかったのかと問い詰めた時、母は「知らなかった」で押し通した。母は私が苦痛で顔をゆがめ、茫然自失している姿を見ている。だが、現場を見ていないから知らなかったと言うのである。私は、私の母も、アヌさんも、逃げ切ろうとしているという点で共通しているように見えてならなかった。やや執拗になって申し訳ないが、アヌさんが恋愛に対して積極的に生きてきたことも私には母とオーバーラップするものだった。黄監督はアヌさんが恋愛に対して積極的であるにもかかわらず、家族に対してはあまり深く関わろうとしていないことにもどかしさを感じてる。私の母は、私が初めて社会人として勤務した職場近くのアパートの鍵を持っていて、ある時私が帰宅すると、母は私の知らない男性との性行為の最中であったということがある。アヌさんがそこまで酷いとは思わないが、何かが壊れてしまっている点が共通しているような気がしてならなかった。
性被害を受けたとある女性とアヌさん
私は、私の学生だった女性にこの映画に関する意見を求めてみた。彼女は以前、私に対し、彼女がレイプされたことがあるとの経験を語ってくれたことがある。彼女は熱心に、繰り返し、そのことについて語った。私は彼女の語る内容を理解する努力は続けたが、一、二度聞いただけでは深く理解することはできなかった。何度も繰り返し耳を傾けることによって、ようやく少しずつ理解は深まって行った。飽くまでも私の理解だが、彼女が私に訴え続けたことは、そのことによる心の傷は生涯続くもので、被害者は苦しみ続けるということだった。彼女のアヌさんに対する評価は厳しいものだった。アヌさんはレズビアンであるために、本当は男性のことが好きではないのかも知れない。しかし、社会的な圧力のために一度は結婚し、娘を生むところまでは耐えた。だが、それ以上、夫の要求にこたえることができないために、彼女は自分の娘を差し出したのではないかと言う見立てを彼女は私に述べた。尚、このことをブログに掲載することについては、彼女から了承を得ている。
生きることの難しさ
もしアヌさんがあのダイニングテーブルの前でシラを切らなければ、私はもっとアヌさんのことを好きになれただろうと思う。人は過去の過ちを受け入れ、反省するならば、いわゆる悔い改めというプロセスを経るならば、救済され赦されなければならないと私は思うからだ。
アヌさんを断罪すればそれで良いというものではもちろんない。アヌさんは多くを語らなかったが、簡単には語れない複雑な事情もあるはずなのだ。おそらくアヌさんはその多くを墓場まで持っていくつもりなのではないだろうか。
人は誰でも完全ではない。私は私が受けた被害について述べたが、私が加害者にならないとは限らない。人は誰もがアヌさんの立場になる可能性と黄監督の立場になる可能性の両方を秘めているに違いない。
アヌさんと黄監督の今後の人生がどのように展開するのか、私は知りたい。監督はいずれ、アヌさんとの関係をある種の高みへと昇華させてくれるのではないかとの期待が私にはある。また映画作品にまとめられる日が来れば、映画館に足を運びたい。
台湾近現代史19 漫画日米戦争
台湾が日本の領土だった時代、台湾通信社というところがあり、そこが『台湾』と題した定期刊行物を発行していたようです。台湾国立図書館のデータベースで検索してみると、「台湾通信社」というキーワードで600以上の記事が登場しますが、昭和の初期に刊行され、その後しばらく運動していたことが発行日の日付等から確認できます。台湾通信社について詳しいことは私も知らないのですが、昭和9年11月20日付の記事にちょっとおもしろいものを見つけました。
映画の上映会の宣伝なのですが「本社の台湾軍慰問映画会」とされています。台湾通信社(おそらくは国策会社)が台湾の日本軍の兵隊さんに楽しんでもらおうと映画会を企画したというわけです。場所は台北山砲隊に於いてと記されていますが、果たして台北山砲隊がどの辺にあったのかみたいなことはさっぱり分かりません。台北市内や周辺で山砲をぶっ放す必要性は多分なかったでしょうし、野戦の準備とかも別にしていなかったとは思いますが、満州事変以降、中国での戦争が常態化しようという時期でしたので、おそらくは台湾経由で上海へ行かされる兵隊さんもそれなりにいたのではないかなあと思います。この会社では満州軍慰問映画会も開いていたようなので、台湾軍であろうと満州軍であろうと関東軍であろうと上海派遣軍であろうと要するに日本陸軍ですから、おそらくは宣伝方面で陸軍に協力する目的を持った会社だったのだろうと推察できます。
で、上映会の映画の内容なのですが『松岡洋右氏演説、日本人なればこそ、漫画日米戦争』の音声映画となっており、随分と勇ましい内容のものであったであろうことが想像できます。個人的には漫画日米戦争というタイトルがやたらと気になります。一般的には昭和9年の段階では日本人がアメリカと戦争することは想定していなかったと考えられていると思いますし、政策決定のレベルに於いてはアメリカとの戦争は空想の段階に過ぎなかったに違いありません。「漫画日米戦争」の中身がどういうものかはさっぱり分かりませんけれど、映画という娯楽のレベル、そして多分に宣伝性を持つレベルに於いては漫画であれ何であれアメリカとの戦争が既に人々の念頭に浮かんでいたということの証左と言えるのではなかろうかと思います。
日本が国際連盟を脱退したのが昭和8年ですから、この上映会はその翌年のことになります。松岡洋右がアメリカとの対抗軸を作るためにドイツやソ連との連携・同盟の可能性を探っていた時期にあたりますから、こういう上映会をするのにも冷静な目で見れば宣伝戦略が行われていたと見ることができますし、もうちょっと感情的な言葉を用いるとすれば、ずいぶんと焦っている様子を感じることもできると言えるかも知れません。
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楊徳昌監督『ヤンヤン夏の思い出』の日常と寸止めと日本人
エドワード・ヤン監督は私の個人的に一番好きな台湾映画の監督です。エドワードヤン監督にはまって中国語の勉強を始めたと言ってもいいかも知れません。『牯嶺街少年殺人事件』がつとに有名ですし、日本でもファンが多いと思いますが、双璧と言ってもいいのが『ヤンヤン夏の思い出』ではないかと思います。
台北で暮らす普通の(実際にはちょっと上流というか、なかなかのプチブル)人々の何気ない生活の中に宿る悲しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、辛いこと、不安に思うことが徒然なるまま感たっぷりに描かれています。台北市の街をそのまま撮影していて、詳しい人ならどこで撮影しているかも分かると思うのですが、その日常感というか普通感というか、映画を観ているのか実際に街を歩いているのか分からなくなってくるくらいなのですが、故意に何かを映そうとしていない感がかえって良いようにも思えます。
台湾映画では恋愛はつきものですが『ヤンヤン夏の思い出』では、哀しい恋がこれでもかと繰り出されます。付き合うか、どうだ、付き合うのか?付き合わないのか?と観客はやきもきしながら観るしかないのですが、どれも「寸止め」で消化不良になるというか、その消化不良を楽しむというのが台湾映画の観方なのではないかと言うこともできるのではないかという気もします。
ヤンヤンは登場人物たちが人間模様を織りなす家庭の一番年齢が低く、彼自身が何かをするというわけではなくて、いわば日常の悲喜こもごもの「目撃者」という立場なのですが、ヤンヤンの普通で無垢な少年ぶりにも人気が集まる理由の一つがあるのではないかとも思えます。
イッセー尾形さんが主役の呉念真の会社とパートナーシップを模索する日本のゲーム会社の人として登場しています。台湾で日本人がどんな風に見られているかが、この映画のイッセー尾形さんの雰囲気から垣間見ることができます。この映画でのイッセー尾形さんは、神のように自信を持って未来を予測し、ブッダのように鳩を手なずけ、天使のようにソフトで、ピアノが弾けて、最後に「やっぱりできない」と申し訳なさそうにする呉念真に寛容な赦しの言葉を与えます。ちょっと軽く人間離れしているというか、そういう風に描きたいというか、ちょっと神話化した方がしっくりくると信じられているという感じです。実際の日本人が本当にそういう人ばかりかということは重要ではなくて、そんな風に台湾では描かれるというのは大変興味深いいことのように思えます。
個人的にはイッセー尾形さんの都市生活カタログの記憶喪失になった男が記憶を回復して接待に行くことを思い出す話とか、試験監督員の話とか、おもしろおかしい日本人の姿が好きなのですが、イッセー尾形さんが都市生活カタログ的おもしろおかしい日本人も、『ヤンヤン夏の思い出』的な神ってる日本人も、『太陽』の昭和天皇もできるという事実に改めて尊敬の意を強くしてしまいます。ああ、『沈黙』では竹中采女の役をしている(予告編で見た限りでは)ですので、本当に何でもできる人です。
さて、台湾映画に於ける日本人に戻りますが、そういう神ってる日本人の描かれ方は『非情城市』でも、ソフトでちょっとお公家さんぽい日本人女性がそういうのを背負っていて、『海角7号』でそういうのがある種の頂点を迎え、『セデック・バレ』で悪魔になり、『KANO』で名誉回復の軌跡を辿っています。南京事件関連の映画も台湾では上映されますので、台湾人の日本人に対する複雑な感情がなんとなく見えて来る気がします。
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侯孝賢監督『黒衣の刺客刺客聶隱娘 』の映像美
侯孝賢監督はたとえば『非情城市』で本省人の心の機微を描こうとし、『童年往事』では本省人の心の機微を描こうとしてきた人で、ストーリーそのものよりも何気ない仕草や台詞にリアリティを持たせるということを追及した人です。
ところがこの映画ではそういったものを全部捨て去り、様式美の世界に浸りきった作品になっています。
主人公の女性が舒淇で、育ての親に剣術を完璧に仕込まれた超一流の刺客で、仕事に情を持ち込んではいけないことは承知しているものの、情に深く、しかしそれを顔に出さず、言葉も少なく、多くのことを背中で語ろうとしています。日本で言えば座頭市、西洋の映画で言えば『レオン』です。
中国の武侠小説の世界を作ることを目指しているように思われ、私は全然武侠小説に詳しくないですが、中国版の『サスケ』とか『椿三十郎』みたいなものだと勝手に推量しています。
映像がとてもきれいです。ストーリーが極限まで単純化されていますので、物語の流れや心の機微を描くということは一切捨てて、ただただ美しい画面を作りこむということに情熱が捧げられています。本当にきれいです。
時代は唐の末期なのですが、古代中国と言えばやはり山です。長安は海から遠く離れた内陸の都ですので、中国の古の人たちは深山幽谷を好みました。この映画も山の景色が素晴らしいです。ほとんどトレッキングの世界です。それから貴族的な素晴らしい建築の映像。奈良時代の建築を見ているような錯覚を起こしそうですが、これに関しては唐の方が本家です。
妻夫木聡が鏡師の役で出ていますので、中国語の台詞は大丈夫だろうかと思って観ましたが、台詞はほとんど無いに等しく、素朴で優しい好人物になっています。
敵役は『牯嶺街少年殺人事件』の主人公の張震がしていますが、端整でひたすらかっこいいです。羨ましいです。舒淇が老けてないのも見事です。
以前の侯孝賢さんの作品とは全く違います。こういうものも作れるのだと証明した映画ではないかと思います。まあ、私はそもそも『ラストエンペラー』に感化され、このような美しい中国に憧憬を感じて中国語の勉強を始めた類の人間ですので、こういう映画は文句なし。観れて満足です。敢えて言えば、このような映画を作った動機を知りたいですが、もしかすると中国に帰りたくても帰れないもどかしさを抱えた外省人が、ようやく故郷に回帰したという位置づけができるかも知れません。「どうだ、これが我々の真の世界観だ。まいったか」という感じかも知れません。おそれいりましたと言いたくなるほどとにかく映像が綺麗です。何度でも繰り返し観ることができます。
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仮に、もし、映画を観る目的が現実とは違う夢の世界に入り込むことだとすれば、侯孝賢監督はその真逆を作りこむことに熱心な人であり、この人の作品はもしかすると他人に薦められないかも知れないと思うことがあります。侯孝賢さんは常にリアリティを追及し、映画の画面がまるで実際に自分の視界でその現場を見ているかのような錯覚を起こしてしまう映像を作り上げています。
特に『憂鬱な楽園』はそれを極めきっているというか、単に酷い日常を見せられているという気分に私はなってしまいました。主人公の男性は40歳くらいで食堂を経営しています。私生活は結構ガチでヤンキーだという設定になっています。
私は食堂を経営して、ちゃんとやれているだけで充分に素晴らしい職業人だと思うのですが、主人公はその現実に満足しているわけではありません。上海でレストランを開くという夢を持っていますが、資金をなんとかしなくてはいけません。土地の売買の分け前の話にばかり主人公は熱中していきます。
主人公は上海へ行きたくて、主人公の恋人はアメリカへ行くことを計画しています。日本の話題も出てきます。その他、友達の親類はカナダに行っていて、要するに台湾から出たい、というのがこの映画の主旨のようなものですが、なかなか出られない、ちょっと穿った見方をすれば、潜在意識のレベルで土地と深く結びついているのでそこから逃れることができない、そういうメッセージが込められているように思います。中国語のタイトルが『南國再見,南國(南国さよなら、南国)』からも分かるような、こんな毎日は送っていられねー、やってられねー、おさらばしてー。という身も蓋もなくぶっちゃけたやりきれない感じが伝わってくるように思います。
映像はガチでリアルな台湾で、街もきたないですし、食べ方もきたないですし、素行というか挙動がいちいちださくて、着ている服もださいです。なぜ自分はこんなものを観ることに時間を使っているのかと、観ながらだんだん後悔の念が湧いてきます。
ただ、私はここで台湾をディスりたいわけではありません。侯孝賢さんが『童年往事』で外省人を描き、『非情城市』で本省人を描き、その先に『憂鬱な楽園』に行きついたということが気になるのです。
『憂鬱な楽園』の主人公の父親は外省人で、ばしっとした外省人風中国語を話します。主人公は台湾風中国語で、台湾語も普通に使いこなします。この映画はほぼ全編台湾語で展開していますので、私も字幕に頼らざるを得ませんでしたが、要するに外省人の息子は台湾化しているわけで、どれほど上海にレストランを開きたいとかの夢を持っても、心と体は台湾人になっていて、繰り返しになってしまいますが、土地と深く結びついているので、とても違う世界は羽ばたいていけるという風には見えません。ということは『童年往事』で描かれたことをもう一度なぞっている、ただし、世代は一つ下の世代になっているのだということに気づきます。
『非情城市』で登場するようなまっとうで誠実な本省人も『憂鬱な楽園』には登場しません。出てくるのは利権に関心のあるおっさんか喧嘩っぱやい若者か、大人になりきれない40男(主人公)など、碌でもない、全然見たいと思わない人たちばかりです。
私は個人的に日本時代の台湾が美しかったなどと言うつもりは毛頭ありませんが、侯孝賢さんが時代と共に変化する人々の変化も捉えているように思えて「今の台湾ってこんなところだ。やってられねーと思うだろ?」と言っているように思えますし、それでもなおこの土地を愛しているというメッセージもあるのだと受け取ることも可能かも知れません。この映画は日本の資本も入っている合作映画ですが、外国資本が絡む映画でよくこんなの作ったなあと、いろいろな意味で監督の腹の内に関心してしまうのです。
ただ、音楽はもしかすると好きな人もいるかなあと思います。要所要所で中国語のラップが使われています。音楽に詳しい人なら、そこに注目するのではないかなあと思います。音楽がどういう感じなのかをチェックするためだけに一回観てみるのもありだと思います。
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侯孝賢監督『童年往事 時の流れ』-外省人の家族物語
侯孝賢監督個人の生育環境を強く反映した作品です。蒋介石の国民党が台湾にわたってきた時に、家族全員で台湾にわたってきたとある家族の物語で、主人公の少年は広東生まれの台湾育ちです。
おばあちゃんは故郷の中国の話ばかりを孫たちに聴かせます。おばあちゃんもお父さんもいずれは中国に帰還するという前提で台湾での生活を送ります。このような人たちが数百万単位で一挙に出現したというのは、世界的にも稀有なことかも知れませんし、東アジアの近現代史を理解する上で知っておくべきことの一つのように個人的には思います。また、そういう外省人の背負っているものを知識としてでも知っておかないと台湾映画を観ても何のことかわからないことが多いので、台湾の作品を観たり、語ったりする上でも押さえておくべきことのように思います。
家族は終戦後に日本人から接収した畳の家で暮らしています。お父さんは肺を悪くしていて、映画の中盤に入るまでに亡くなってしまいます。お母さんは喉に腫瘍が出来てしまい、台北の病院へ行きますが、舌を切除する手術をしなくてはいけないと告げられ、手術を拒否し、家に帰ってきます。
主人公の息子はどうしているのかというと、仲間の少年たちと徒党を組み、不良生活を送っています。喧嘩ばかりしています。台湾の映画を観ると、少年期を描くには岸和田愚連隊みたいな要素をどうしても入れないと気が済まないのかと突っ込みたくなることもあるのですが、いずれにせよ、祖母や父の世代が一言では語り尽くせないものを背負っていて、中国への夢を抱えたまま時間が止まってしまっているのに対し、主人子の少年やその兄弟姉妹たち、子どもたちは台湾で成長し、台湾の風景を自分の自分の故郷として受け入れ、台湾人になっていくということが、地元で岸和田少年愚連隊風の生活を送る少年の姿から感じ取ることができるように思います。
侯孝賢監督のバイオグラフィーを日本語に翻訳する仕事を請けたことがありますが、そこでも監督は、もはや大陸に還れることはないということがはっきりしているのに、それを受け入れることができない大人たちと、台湾人として成長する子どもたちの対比みたいなことを言っていました。
やがてお母さんが病で亡くなってしまい、しばらくしておばあちゃんが老衰で亡くなります。おばあちゃんは畳の上で寝ていて、安らかに眠るようにして死んで行きます。ただ、気づくと亡くなっていたという感じで、息を引き取ってからどれくらい時間がたったか子どもたちにもよく分かりません。ご遺体を扱う業者の人来たときに、畳がいろいろな分泌物で濡れているのを見つけ、「おばあちゃんを放っておいた不孝者」という目で子どもたちを見ます。そこが言わばこの映画の最もジーンと来るところというか、ぐっとくるところというか、見せ場みたいなものになっています。静かな見せ場です。
侯孝賢監督の初期の作品で、この作品では外省人の物語を表現し、その後、本省人の目から台湾の風景を捉えなおそうとして有名な『非情城市』を作ることになります。『童年往事』と『非情城市』の両方を観ると、監督の作品世界をよりぐっと理解することができると思います。
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多分、個人的には台湾映画の中で『牯嶺街少年殺人事件』がベストに入ると思います。デジタルリマスター版で観ると、映像が綺麗で、しかもちょっとばかし古い映画ですからフィルムの質感もあって、作品の世界にひきこまれる、とても凄い映画だということが改めて分かります。
ただ、四時間ありますから、やっぱり長いです…。内容も濃いですから、かなりエネルギーを使いますので、観終わった後は消耗している自分に気づきます。
最初に観た時と違い、内容も知っているし、結末も知っているからかもしれないのですが、結末へ向かいみんなの心の調子が崩れていく、色々なものが一歩一歩、少しずつ、しかし着実に狂っていく姿が描かれていることが理解できます。
実際に起きた殺人事件を基にしているということですが、映画ですからとても綺麗に描かれていて、真相はこんなものではなかったのだろうと思いますが、十代のきらきら感とやり場のないエネルギーのバランスの取り方の困難さのようなものが伝わってきます。
映画の終盤で殺されてしまう女の子の内面に魔物がいるということもよく分かります。是非善悪とかそういうことではなくて、男のいろいろなものを狂わせてしまうものを生まれつき備えている、エドワードヤン監督はこの少女をそういう感じに描きたかったのだろうと思います。はっとするような美しい女の子です。
子どもだけではなく、大人の生活にも狂いが生じて行きます。大人と子供ではパワーが違いますから、或いは大人の生活の狂いが子どもに影響して、事件に発展してしまったのかも知れないと考え込まされます。
主人公の少年の両親は外省人で、国民党と一緒に台湾に渡ってきましたが、何の因果で知らない土地で暮らさなければならないのかという嘆きがあり、どのみち中国へ帰れないという深い諦めがあり、日本人から接収した家に住んで、希望がなく、追い詰められた空気の中で生きています。外省人の心情について日本で語られることはあまりないように思いますので、外省人の心中をうかがい知るというだけでも一見の価値のある作品のように思います。独裁、密告、戒厳令の時代で、お父さんは意味不明の疑いをかけられて長時間の尋問を受け、最終的には釈放されますが、心の中の何かが壊れてしまい、お父さんの大切にしていた上海で買ったラジオも壊れてしまい、職場も失います。
そういう鬱屈した行き場のない息苦しさの逃げ場を主人公の少年は女の子に求めようとします。しかし、それは「愛」とは違う何かであって、時に女の子たちはそれを敏感に感じ取り、主人公の前から立ち去って行きます。
引いた目で見れば、女の子に振り返ってもらえないことによって生じるストレスに耐え切れず、事件を起こしてしまったわけですので、大変に幼稚です。ただ、それをここまで美しく撮ってしまうことについて、演出の勝利と言う以外の言葉は見当たらない気がします。
映画の中に、映画関係者が登場します。主人公の少年が「映画は嘘を映してるじゃないか」と言い捨てる場面があります。映画関係者は言葉を失い立ち尽くします。全体に暗くて重苦しいて作品ですから「これは映画ですよ。作り物なんですよ」ということを観客に思い出させる必要を感じて挿入された場面なのではないかと思わなくもありません。
台北市内がとても汚い街に見えますが、リアルです。台湾映画には台北を綺麗に撮ろうと努力している作品もありますが、むしろリアルに撮った方が人間のエネルギーを感じられ、その分、美しいと感じられる気がします。人の心の機微、ひだ、あやが細かく描かれています。この作品を観てしまうと、それ以降の台湾映画はこれと同じものをもうちょっとマイルドに作ろうとして上滑りしているという印象すら抱いてしまいます。凄い映画です。
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侯孝賢監督『非情城市』の日本人と外省人と内省人とラジオ
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李安監督『ウエディングバンケット』の「父」とアメリカ
侯孝賢監督『非情城市』の日本人と外省人と内省人とラジオ
この映画では、冒頭から昭和天皇の終戦の詔勅のラジオ放送が流れます。そのラジオ放送を背景に子どもが生まれるという場面になっています。日本帝国の滅亡が宣言されているその瞬間、新しい命が生まれて新しい時代を生きることになるわけですが、その子供が果たして本当に幸福に生き抜くことができるのか?という問いかけがなされているように感じます。
この映画の主題は戦後すぐのころに台湾で国民党系の外省人と内省人との間で起きた228事件とその後に続いた白色テロですが、侯孝賢監督は外省人の息子ですから、果たしてそのような人物に真実に内省人の内面を描くことができるのかという議論がされたこともあったようです。
私は何度か繰り返してみているうちに、侯孝賢監督本人が台湾は自分の故郷であることを認め、それを受け入れ、時間をかけて丹念に内省人の内面を観察し、よく考え、自分の良心にも反しない姿勢でこの映画を作ったのだということを感じ取れるようになった気がします。
228事件とその後の白色テロは主として国民党という新しくやってきた権力による不当な弾圧であることは言うまでもないことですが、同時に外省人が内省人に狙われるケースがなかったわけではなく、言い方はよくないのですが、ある種の殺し合いのような様相を呈していたとの話も私は聴いたことがあり、この映画の中ではトニーレオンが耳が聴こえずに話ができない内省人という設定で登場しますが、トニーレオンが外省人狩りをする内省人に「外省人だ」と判断されて襲われそうになるという場面も短いですが挿入されています。228事件を語るにあたり、そのことを省略することはできないと侯孝賢氏は考えていたのではないかと私は想像します。
全編ほぼ台湾語の作品で、主役で招かれた香港人のトニーレオンは当初は台湾語の台詞を話す予定でしたが、どんなに練習しても台湾語がうまくならず、やむを得ず話せない人という設定に変更したそうです。
結果としては、背中で語る、表情で語る、動きで語る、声なき声で語るという味になっていてより印象に残る、ぐっとくる演出になっていると思えます。
この映画をみて「詰まらなかった」という日本人に多く会いました。228事件とその後の白色テロについて多少なりとも知識がないと何のことかわからない映画です。詳しいことを分かるように説明してくれる映画ではありません。事情を知らない人が観ても「つまらない」と思うのは自然なことだと思います。私も最初に見たときは228事件のことは知りませんでしたから、「退屈だ」としか感じませんでした。
作品中、浙江なまりと思しき中国語で戒厳令について述べるラジオ放送が何度か挿入されます。北京語を覚える前はこの場面の意味がよく理解できなかったのですが、北京語を覚えてからこの放送を聴いてみると、浙江なまりというのは一つのポイントになっていて、いかにも他所から来た人が台湾人を支配しているというのがより生々しく伝わってくるというのが理解できます。1945年から1949年までの時代を扱っているので、蒋介石本人のラジオ放送ではなく、当初の行政長官だった陳儀によるものと思います(蒋介石も陳儀も浙江省出身なので、どちらも浙江省なまりが強かったようです。蒋介石の音声を聞いたことがありますが、いわゆる北京語の発音とは随分違ってなまっているなあという印象を受けたことがあります)。このラジオ放送は映画の冒頭の昭和天皇のラジオ放送と同じ役割を果たしており、政治的な意思決定は全て台湾人の声ではなくそれ以外の土地の人の声で宣言され、しかも相手は電波ですから台湾人には指一本触れることができないということへの無力感を象徴するものであるように思えます。
映画の終わりの方で、トニーレオンと恋人が結婚し、子どもが生まれます。侯孝賢監督は1947年生まれですので、その赤ちゃんに自分を擬しているのではないかなあと思えなくもありません。
映画に歴史の真実を映すことはできません。映画の役目は人の心の中の真実を映すことではないかと私は思います。ですので、この映画だけで実際の228事件について語れるようにはならないと思いますが、台湾でなぜこのような映画が物語られたのかを考える意義は大いにあるのではないかと思います。
この映画では一人の日本人女性が登場します。戦争中にお兄さんが特攻隊で戦死したらしいことが暗示されています。凛した感じの穏やかな女性なのですが、やがてこの女性は引き揚げていきます。私は日本人の女性が登場することには彼らの心象風景を知る上で大きな意味を持つのではないかと思います。『海角七号』でも登場する主要な日本人は女性です。「日本人=女性的な穏やかさ」という心象風景が持たれており、それ故に『海角七号』はかくも台湾人の心を捉えたということも可能なのではないかという気がします。
『海角七号』『セデックバレ』『KANO』の三部作はセットで観ないと制作者が何を言いたいのかというのがよく分からなくなってしまうのですが、『セデックバレ』では「警察官」と「日本軍」というお決まりの悪い男たちがぞろぞろと登場し、『KANO』で永瀬が優しくて大きな愛で台湾の若い人を包み込むという流れになっており、台湾人が日本人をどのように見て何を期待しているのか、通して観るとよく分かってくるように思えます。
付け足しになりますが、『非情城市』の最後の最後の方では、トニーレオンが白色テロでどこかへ連れ去られてその生死すらわからなくなってしまうことが観客に告げられます。そして残された家族が食事をしている場面で終わるのですが、食事をする場面はそれだけで多くのことを物語る難しいと言えば難しい、やりやすいと言えばやりやすい場面のように思います。『ゴッドファーザーpart2』の一番最後の場面が雑談しながら食事する家族の姿であり、あの短い時間で多くのことを語っています。映画の食事場面は実におもしろいというか、重要というか、見逃せない場面と言えるかも知れません。
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アメリカには言うまでもないことですが、中国人も台湾人も韓国人も日本人もごまんと暮らしています。アメリカという土地柄ですから、様々なところから人が集まっているのは当たり前と言えば当たり前ですが、そこからどういうドラマが生まれるかということになると、たとえば李安監督の『ウエディングバンケット』は実によく分かるというか、よく捉えているというか、アメリカとは何かみたいなことを考えるのに適しているように思えます。また、素直におもしろいと思える映画です。さすが『少年パイ』の監督です。
主人公のウェイトンはニューヨークで暮らす台湾人で、第二次世界大戦後に台湾にわたった外省人の系統の人です。第二次世界大戦後、まず台湾に渡って来た人たちはあんまり性質の良くない半分ごろつきみたいな人たちだったらしいのですが、1949年に蒋介石と一緒にわたった人たちは、国民党の主流、近代の中国の本体そのもの、モダンチャイナのエスタブリッシュメントの人たちです。お金持ちで、教養があり、「本物の中国人」を良くも悪くも背負っています。最近は外省人と本省人の混血も進んで、あんまりそこまで思っていない人も多いと思いますが、この映画が公開された1993年では、まだまだ抗日戦争と国共内戦を経験して台湾にわたった世代が元気な時代です。
主人公のウェイトンの両親もそういう国民党のエスタブリッシュメントの一端にいる人です。中国人にとって子孫繁栄は第一ですので、ウェイトンにもしかるべき人と結婚して孫を作ってほしいと願っています。
しかしウェイトンは同性愛でニューヨークに白人の男性の恋人がいます。ウェイトンは不動産事業で成功しており、恋人はカイロプラクティックの仕事をしています。
ウェイトンの運営する物件の一つに上海人の女性が暮らしていますが、仕事を失い、グリーンカードがないので、もう帰ろうかとも考えています。
そこで一計が案じられます。ウェイトンと上海人の女性がニセの結婚をし、ウェイトンはとりあえず両親を安心させることができ、上海人の女性はグリーンカードが得られ、しかも夫婦になったら税制面でもメリットがあるという「うまい」話が考え出され、ウェイトンの両親がニューヨークに来て、みんなで公証人役場に行って簡便な書類上の婚姻関係を成立させるのですが、その日の夜に食事に行った中華レストランのオーナーがなんとお父さんの元部下で、「ぜひ、うちで盛大に結婚式をおやりになってください」という展開になっていきます。
中華圏の結婚式ですから、それは豪華というか、騒々しいというか、冠婚葬祭で大騒ぎするのが中華圏の文化ですから、見ているだけでお腹いっぱいになるくらいの盛大な披露宴が行われます。ゴッドファーザーの冒頭の結婚式が連想させられます。ゴッドファーザーとこの映画の違いはビトーコルレオーネがマフィアのドンだというだけで、後は同じ構図と言っていいかも知れません。ウソの結婚式なのに、女性の方はだんだん感動してきて、涙までこぼしそうになります。
しかし、その披露宴があまりに盛り上がったために、白人の恋人がだんだん受け入れがたいという心境になっていきます。私は異性愛者なので、同性愛の人の心境を完全に理解することはできませんが、「恋人を独占したい」という欲求は同性愛と異性愛に違いはないのだろうと思います。
ウェイトンと結婚した女性はおそらくある程度無理をして妊娠に至ります。白人の恋人としては更に精神が持ちません。しかも歴戦のお父さんは倒れて病院へ送られて、てんやわんやになります。病院の廊下でウェイトンはお母さんに真相を話します。お母さんは「それでも孫だけは…」と泣きます。しかし、女性は「私には私の将来がある」と中絶を考えています。
ぐっと引き付けるドラマ性があります。終盤で、歩行がうまくできなくなったお父さんと白人の恋人が背中を並べてニューヨークの海を眺める姿が秀逸です。そこでお父さんは白人の恋人に「あなたは私の息子だ」と言ってお金を私ます。まとまったお金を渡すのは中華圏の流儀です。白人の男性が「知ってたんですか?」と言うと「見ていれば分かる」とお父さんは答えます。そりゃそうです。少しでも観察力のある人なら、しばらく見ていれば気づくはずです。全てに気づいた上で、黙って受け入れるという「父」の姿が描かれます。私は父親とほとんど暮らしたことがありませんので、そういう「父」についてよく分からないのですが、この映画では、言うなれば、アメリカという新世界と歴史を背負った中国的家父長制が如何にしてバランスが保たれるかを試しているところがあるように思えます。
中絶のために病院へ行く途中ウェイトンが「これから手術でつらい思いをするから何か食べた方がいい」と車を降りてハンバーガーを買ってきます。食べている途中で女性の気が変わり、ウェイトンと白人の恋人と女性と新しく生まれてくる赤ちゃんとの四人で新生活をするのはどうかと提案します。白人の恋人も同意して、八方丸く収まります。ウェイトンは恋人を失わずにすみ、女性は永住権を手にし、お父さんお母さんは孫が約束され、赤ちゃんの命も保たれます。
最後、台湾へ帰る飛行機に乗るために空港で歩くお父さんお母さんの背中がいろいろな語ります。背中はかくも多くのことを物語るのかとあらためて気づかされ、すごいものだ、面白かったと感動の吐息をつきました。音楽にも凝っていて、文句なしにとてもいい映画です。おもしろいです。
コーエン兄弟の『ディボースショー』という映画を思い出し、次の展開は離婚で財産分与で…ともよぎりましたが、それは考え過ぎかも知れません。
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