西ローマ帝国がオドアケルによって滅ぼされた後、力の空白を埋めようとするかのようにヨーロッパ各地で諸王国が乱立するようになります。たとえばイタリア半島には東ゴート王国、イベリア半島には西ゴート王国(設定的にクラリス姫のご先祖のご先祖)、ブリテン島には七王国、北アフリカにはヴァンダル王国、ブリテン島にはいわゆる七王国(『忘れられた巨人』の時代)というように、旧西ローマ帝国の版図は砕けたガラスのようにバラバラになります。
彼らの多くはフン族の大移動によって西へと押し出されたゲルマン民族の人々で、後のイギリス、フランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国の基礎になる世界を作っていった人たちですが、そこへ至るのはまだ少し先のことであり、これらの小王国は3つのスーパーパワーによって圧倒され、整理されていく運命を辿ります。3つのスーパーパワーとは、1、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)、2、ウマイヤ朝、3、フランク王国の3つです。1は古典的正統派であるのに対し、ウマイヤ朝は中東世界から力の空白を見つけて張り出してきた新興勢力と言え、3のフランク王国の場合はそもそも世界政治のプレイヤーと認められていなかった人々が時代の変化の波にのって力を蓄えた、新興勢力中の新興勢力と言ってもいいのではないかと思います。
西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルですが、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)皇帝ゼノンと対立します。ゼノンは東ゴート王テオドリックにオドアケル征伐を命じ、オドアケルはラヴェンナに追い詰められ、降伏するも殺されるという末路を辿ります。その東ゴート王国もテオドリックの死後に混乱が生じ、ビザンツ皇帝ユスティニアヌス一世によって滅ぼされます。
東ゴート王国と親戚関係にあると言ってよい西ゴート王国はアフリカづたいに海を渡って北上したウマイヤ朝によって滅ぼされ、混乱は新しい帝国による新世界秩序の形成によって収拾されていきます。ヨーロッパ中央西寄りの辺りではフランク王国が伸長し、ブリテン島も七王国もウェセックスによるイングランド統一がなされ、現代のイギリスの母体になっていきます。イングランドは小王国を併合して作ったことや、バイキングやノルマン人の微妙な力関係が影響し合う土地であったため、現代のような明確に「自分はイギリス人だ(またはイングランド人だ)」というような意識が発達するまでは時間がかかったとも言われています。
このようにしてビザンツ、ウマイヤ、フランクによってヨーロッパが分け合われ、イギリス独自の歴史構造を持つにいたりますが(イギリスEU離脱騒動の際、イギリスはヨーロッパかヨーロッパではないのかという議論がなされたのは、以上のようにヨーロッパ大陸とは歴史に関するパラダイムの違いがあるからとも言えます)、ビザンツ帝国、ウマイヤ朝はやがて勢力を衰退させ、フランク王国は分裂し、歴史の舞台から去っていくことになります。『薔薇の名前』のような中世ヨーロッパ本番がいよいよ始まります。