西郷隆盛さんの敬天愛人という思考の境地になぜなれたのでしょうか?自殺未遂、2度の島流しなどを経験してなれた境地なのでしょうか?どんな人間も汚い事をしてくる人間も平等に愛せる境地になぜなれたのですか

西郷隆盛は徳川慶喜を本気で殺すつもりでしたから、おっしゃっているような博愛の人物とはちょっと違うかなと思います。明らかにサイコパス傾向があり、目的のために手段を択ばない人物ですから、倒幕を目標にすると本当に実現してしまうという底知れぬ恐ろしさがありますけれど、この目的達成思考で「利他」を目標にした場合、普通では考えられないような大きな愛を発揮するのではないかというように私は西郷のことを捉えています。島流しにされている最中、漢籍を読むなどして、利他の概念・理想を知り、サイコパス的に徹底して実践したんじゃないかなと思います。