渋谷の北海道スープカレー

北海道は何を食べてもおいしい奇跡の土地である。日本各地においしいところはある。だが、しかし、北海道のように新天地でおいしいものがどんどん生まれてきたという力強いロマンのあるところは、他にない。北海道こそ日本の近代史の本質を物語る運命を背負ってきた土地であるとすら言えるだろう。

北海道の歴史と言えば、アイヌの人々だ。一万石扱いで北海道全体の管理・開墾・交易を扱ってきた松前藩は、アイヌの人々を奴隷的労働状態に追い込み、縄張りを奪うなどして利権を拡大したとされる。正式な「アイヌ史」のようなものは勉強したことがないので、私の知識ではこの程度のことしか言えないのだが、日本が植民地を拡大していた時代、台湾の原住民に対して、或いは満州地方の漢民族に対して似たようなことはなされてきたと言ってしまってもさほど間違ってはいないだろう。なし崩し的に領有していったという手法に着目すれば、沖縄で行わたこととも通底すると言えるだろう。

台湾では霧社事件のような身の毛もよだつ反乱暴動が起き、その鎮圧も苛烈であったとされているが、北海道でそのようなできごとは聞いたことがない。アイヌと和人の抗争ということになれば、平安時代のアテルイあたりまでさかのぼらなければならないのではないだろうか。そのようなわけで、アイヌの人々の平和を愛する様子は尋常ならざるほど徹底しているのかも知れない。ああ、アイヌの人とお話がしてみたい。アイヌ資料館が八重洲と札幌にあるはずで、いずれは八重洲のアイヌ資料館にも足を運ぶ所存だが、最終的には札幌のアイヌ資料館に日参してようやく見えてくるものがあるのではないかとも思える。二週間くらい時間をとり、最初の一週間は図書室でひたすら資料を読み込み、二週目はできればアイヌ語の基本くらいは勉強してみたい。教えてくれる先生がいるかどうかは分からないので、飽くまでもそういう空想を持っているというだけなのだが。

いずれにせよ、その北海道はとにかく食事がおいしいのである。海の幸も陸の幸も本州のそれとは段違いに味が濃い。かつて北海道のホッケは食用には向かないと言われたが、今では日本人の主たる食材の一つだ。ホッケは実に美味なのだが、そのホッケですら食材の人気ランク外になるほど、北海道の味は充実しているのである。しかもサッポロビール園があって、対抗するようにアサヒビール園がある。私はもうそのようなビール飲み放題的なところへはいかないが、北海道の食のアミューズメントがいかに充実しているかを議論するための材料として言及してみた。

さて、スープカレーだ。北海道はサッポロビールがおいしく、函館・札幌・旭川のラーメンは伝説的なおいしさで、当然魚もうまいのだが、そこに被せるようにスープカレーもうまいのだ。私は函館に一週間ほど旅行したことがあるのでよく知っている。どうして普通の地方都市にこんなにおいしいものが次々と普通に売り出されているのかと、北海道の底力に驚愕したのである。その北海道のスープカレーが渋谷で食べられると知り、私は小躍りした。ヒカリエのすぐ近くにそのスープカレー屋さんはあった。イカスミ風味もあったのだが、まずはプレーンで頼んでみた。十二分に辛い、たっぷりのスパイスが食欲を刺激するし、スープなので、ごくごくいけてしまう。奇跡の味である。北海道へのリスペクトとともに、ここに書き残しておきたい。尚、この時は人におごってもらったので、おごってくれた人に感謝である。

精神科医の樺沢紫苑氏が、北海道のスープカレーを流行させたのは自分であると豪語する音声ファイルを聞いたことがあるが、本当なのだろうか…今も確信を持てずにいる。



アイヌ文化‐60のゆりかご

過去に何度かアイヌの子守歌である「60のゆりかご」の動画を学生にみせたことがあります。アニメーションがとても素敵で個人的に好きだということもあるのですが、哀切を帯びつつ温もりと優しさがある響きもとてもいいので、自分が楽しむという目的も含んで学生にも見せています。

アイヌの人々がどこから来たのかということについては、だいたい、ツングース系の人々で、シベリア方面からやってきた人たちなのではなかろうかということで、それが通説になっているのではないかと思えます。

アイヌ語に関する知識は全然ないのですが、60のゆりかごを繰り返し聞いてみたところ、日本語に比べて子音で終わる音節が多いように思え、音韻論についてはほとんど勉強したことはないのですが、過去に韓国語をかじってみた経験から言えば、韓国語にも子音で終わる音節が多く、アイヌ語との共通点ではなかろうかと思えます。中国語は声調の必要上、母音で音節が切れる場合が多いですが(北京語に限ります。他の福建語とかになったらどうかとかは全然分かりません)、音韻と民族に関係が深いとすれば、中国語圏の人々が長江エリアを起点に広がったのに対して朝鮮半島の人々はシベリア方面から南下してきた人々ではなかろうか、アイヌの人々はどこかで朝鮮半島の人々と分岐したのではないかという気がしないでもありません。民族的にはコーカサス系に属するというのを読んだこともありますが、幅を広めにとって議論するとすれば、フィン族やハンガリーの人々と祖を同じくするのかも知れません。

戦前の文献で、アイヌ語と東北弁との語彙の共通点に関して論じているものを読んだことがありますが、生活圏が近接している以上、語彙の相似は祖を同じくしていなくとも起きるのではないかとも思えます。一方で音節や語順の変化はそう簡単には置きませんので、仮に言語学的なアプローチをするとすれば、やはり日本人とは祖を同じくしないのではないか(長い長い歴史を遡ればアフリカのイブに辿り着くという説はとりあえず脇に置きます)と思えます。

19世紀、日本とロシアが国境を策定するにあたり、アイヌの人々の意思は無視されており、そこは残念なところではありますし、明治に入ってからは差別的な法律によって縛られていた面が否定できませんので、それについても日本人としては恥ずかしい、申し訳ないという心境にもなります。

ただ、最近はアイヌ文化振興法が作られ、アイヌの人々がそのことに誇りを持ち、自分たちの受け継いだものを大切にして、更に広めていくことへの道も開かれているようです。アイヌ文化交流センターが東京と北海道にあるようなので、一度機会を見つけて訪れてみたいとも思います。どうせなら北海道のアイヌ文化交流センターに行った方が、旅行もできていいかも知れません。北海道は魚がおいしくサッポロビールもあるので好きです。