日中戦争1 日中戦争前史‐北京議定書

日中戦争は言うまでもないことですが、1937年に突如として起きたものではありません。そこへ至るまでに何十年もかけて蓄積された圧力のようなものが存在します。

以前、学生から「一体、いつから日本が中国に侵略していくようになったのか?」という趣旨の質問をされた時に、はて、どこから話せばいいのだろうかと考え、私はやっぱり北京議定書から始めるのがいいのではないかと考えるようになりました。

日清戦争から始めても決して間違ってはいないとは思います。ただ、日清戦争はその後の日本の浸食とは性質がやや違うように思います。日清戦争が起きた時、中国は既にアヘン戦争を経験した後の時代で、欧米からの浸食を受けてはいましたが、それでも東アジアの覇権国だという位置づけに違いはありませんでした。日本は新興国の挑戦者であり、両者が朝鮮半島に対する影響力を巡って争ったわけですから、覇権争いの戦いだったと言えます。

一方で、日中戦争は日本側から一方的にフルボッコをかましていこうという戦争をして、まあ、最終的には日本がフルボッコされたわけですけれども、いずれにせよ、日本がいつから中国をフルボッコにして利権を得ようと言うようなことを始めたかということをずっと辿って考えてみると、1900年の義和団の乱がその始まりなんじゃないかという気がします。義和団の乱はわざわざ説明する必要はないと思いますけれども、日本と欧米からどんどん浸食されている中国で、排外的な勢力が叛乱を起こし、普通だったら清朝がそれをなんとか取り締まるはずなんですが、清朝の西太后なんかはこれは外国人をやっつける好機だと思って列強に宣戦布告してしまうという、かなり行き当たりばったりで無計画な戦争状態が中国内部で始まってしまいます。

列強は一致して事態の収拾に臨み、清朝の皇帝と西太后とかは父祖の地である熱河まで避難して、取り敢えず列強が義和団の乱を抑え込んで、清朝とも講和しようという流れになります。『北京五十日』という古い映画があって、この映画でこの一連の事件のことを描いていますが、伊丹十三さんが日本軍の指揮官をやっているんですが、今思い出すと、中国人に対する偏見丸出しで、あんな映画を本当に作っていいのかという疑問もわいてくるんですが、それはともかく、この講和の際に、列強の兵力が中国に進駐すること、海岸地帯の租界から北京まで外国人が安全に通行できるように、そういった辺りにも外国の軍事力が進駐することなんかが決められるんですね。

これが、中国に対して侵略的に日本が入っていった第一歩なんじゃないかなと思いますし、当時、学生にはそんな風に説明しました。

その後、対華21か条要求とか、九か国条約とか、張作霖事件とか、満州事変とか、そういうのが折り重なって複雑怪奇な状態になっていくんですが、それはまた次回以降について考えてみたいと思います。