カール・マルクスの思想はどういった点が現実的に不可能なのでしょうか?

「カール・マルクスの思想はどういった点が現実的に不可能なのでしょうか?」とのquoraでの質問に対する私の回答です。

不可能ではないと思います。お金の再分配だけで全てを説明しようというわけですから、強制的に、不都合な人間は銃殺しまくってでも、一人一人の持ち分を名目上の金銭で平等にすることは可能です。問題なのは、経済のパイを広げることについてあまり深く考えていないため、成長戦略を立てるのに向かないこと、資産だけで人間の幸福を計測するため、その他の格差、心の豊かさみたいなことや、個性などを無視してかえって人間を不幸にするという副作用があると私は考えています。私個人の価値観では、たかが名目上の資産の分配のために私の個性が殺されかねないそのような仕組みには恐怖を感じます。しかし、そのような副作用があってもいいから、そのために少々の粛清が行われてもいいから、場合によっては徹底的な粛清を行ってでも名目上の資産を平等にしてほしいと願う人が多数派なら、マルクス主義を原理原則とした社会は実現可能と思います。私は嫌ですけど。



資本主義国にとって不平等は自然か?

「資本主義国にとって不平等は自然か?」というquoraでの質問に対する私の回答です。

社会主義の国が平等だとする前提を私は信じていませんので、人間は不平等が自然であると言えるのではないでしょうか。ルソーは自然に帰れと言いましたが、彼は原始共産制を信じていました。仮に本当に我々が原始共産制の時代をこの目で見ることができたとすれば、そこで発見できるのは、原始共産制もやはり不平等であったという普遍的な事実ではないかと思います。


2016年一番のニュースはフィデルカストロが亡くなったことではないかと思う件

そろそろ年末ですので、ちょっと2016年を振り返ってみようかと思うのですが、だらだらと振り返ってもしかたがないので、どれか一つに絞るとすれば、フィデルカストロが亡くなったことではないかと思えます。しかもアメリカとの国交回復を見届けての逝去ということで、逝去のタイミングがドラマチックです。

カストロが亡くなったというニュースが発信された時、フロリダのキューバ難民とその子孫は喝采を挙げたと言います。稀に見る凶悪な独裁者が死んだというのです。一方で、キューバは世界で最も成功した共産主義国家として賞賛もされ、キューバは世界で最も自国民に愛される指導者であるかのようにも言われてきました。

キューバ革命の主役を張ったカストロとゲバラは2人とも実にフォトジェニックで彼らの肖像写真はドラマチックで、絵になります。文句なしに普通にかっこいいと言っていいと思います。更にキューバでは教育と医療は全て無料で受けることができ、食料も米やコーヒーが無償で手に入ると言います。あるいは本当に理想的な平等国家なのかも知れません。

随分前にキューバは大変貧しい国だという内容のビデオを見たことがありますが、歩いてる人はみんなTシャツ短パンで、年中それでいけるのですからあんまり貧しそうには見えず、ロハス感に満ちており、人々の顔は幸福そうに見えましたが、外国のカメラクルーが来たのが珍しいので浮かれていただけかも知れません。行ったことがありませんからそれ以上のことは分かりません。

ただ、私にはカストロとゲバラがフォトジェニックでかっこいいという事実が共産主義の本質、またはその限界を示しているようにも思えます。共産主義の絶対的な基本理念は革命です。永久革命論があるくらい、ずっと革命的でなくてはいけません。革命は熱狂を必要とします。常に熱狂する、熱狂し続けることは通常の人間にはできません。そのため、革命はオルグし煽動する者を必要とします。そのため、共産主義のリーダーはかっこよくなくてはいけません。或いはかっこよく見えるように参加者の心理を操らなくてはいけません。

かっこいいリーダーがかっこいい言葉で人々に呼びかけるからこそ、大衆は多少の矛盾には目をつむり、熱狂に身をまかせ、バチスタ政権であろうとニコライ二世であろうと打倒のために動き出し、広場を埋め、道路を埋め、軍隊に諦めさせ、古い権力を追放するところへと向かいます。ロシア革命がソビエト連邦で如何に浪漫に溢れた英雄的な行動であったと考えられているかは、『戦艦ポチョムキン』のような映画を観れば理解できます。繰り返しになりますが、それができるだけの演出力とある種のモテる力をリーダーには求められるわけです。カストロとゲバラはその能力には普通の人の千倍くらい長けていたのではないかという気がします。

カストロに対する批判にも、賛美にも、それぞれに誇張やねつ造があるでしょうから、実像が分かるのは今後の研究に拠るのかも知れません。

いずれにせよ、世界で最も成功した共産主義国のリーダーが、アメリカとの国交回復のしばらく後で亡くなったという一連の流れは、世界の歴史の重要な部分が幕を閉じた、フランシスフクヤマの言った「歴史の終わり」が更にその完結度を高めたというように思え、多くのことを象徴するメルクマールのようにも感じられます。

2017年はその一旦完結した「歴史」が再び動き出し、これまでの私たちの思考の枠組みを超えた世界が待っているのではなかろうか、そういう分岐点に今、立っているのではないだろうか、というようなことが去来します。良いお年をお迎えください。

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