2019年の政治の見どころは、衆参同日選挙の有無

このところ、安倍晋三首相に揺れを感じます。焦っているように見えるのです。安部さんの究極の目標は憲法改正で、憲政史上稀な長期政権を打ち立てて尚憲法改正ができていないわけですから、もし安倍さんが憲法改正できなければ、私が生きている間に憲法改正が行われることはないと思います。私は今の憲法が自主憲法ではないとは思っていますが、内容はなかなかいいことを書いてあると思っているので、正直に言うと憲法改正がされるかどうかには関心がありません。自衛隊は憲法に明記されていませんが、自衛隊が生まれたのはアメリカの要請があったからで、自衛隊にいろいろな制約がかかっているのも、そういう国際政治上の要請によるものですから、ぶっちゃけ憲法とは関係ないと思っています。仮に憲法に自衛隊が明記されることがあっても、国際政治上の要請から制約がかかるでしょうから、同じと言えば同じなのです。また、今の憲法はそれくらい解釈に幅を持たせることができる憲法だと考えることもできますから、解釈に幅を持たせることができるくらいでちょうどいいのではないかとも思うのです。例えば大正時代から太平洋戦争にかけての時代、「内閣が軍に口出しするのは憲法違反だ」という論法がまかり通るようになり、小さなことでも憲法違反だ、統帥権干犯だと騒ぎ立てて問題にされてしまうようになったことが、結果としては誰もが口をつぐんでアメリカとの戦争まで突入してしまったわけです。ですから、あまり些細なことで騒ぎ立てるのは少なくとも政治とか憲法とかについて考える際にはなるべく避けた方がいい、コップの中で嵐を起こしてコップが壊れたら元も子もないと思っています。

とはいえ、政局はおもしろいので気になります。選挙では苦労する人がたくさんいますから、外野でおもしろがるのはまことに申し訳ないとは思うのですが、やっぱり政局に対しては純粋に興味津々になってしまいます。私は野球を観ないのですが、野球を観るのが好きな人が今年はどこが優勝するかについて喧々諤々するのと同じような感覚です。

で、安倍さんは自分の政治目標を達成するためには、残りの任期中に与党3分の2以上を維持した状態で、与党全体を説得し、国民投票に持ち込みたいに決まっています。できるかどうかは分かりません。私個人に賛成も反対もないです。いずれにせよ、そういうわけで3分の2以上を維持するためには今年の参議院選挙で勝たなくてはいけないわけです。あと半年ですから、すぐに夏の選挙の到来です。小沢一郎さんが人生最後の勝負をかけて野党の糾合を進めています(これを野合と呼ぶかどうかは、それぞれの価値観の問題でしょうね)。安倍さんとしては今回だけは小沢さんに敗けるわけにはいきません。そうなると、中曽根さんの時のように、死んだふり衆参W選挙で圧勝パターンを狙うことは充分に考えられます。もし私だったら、人生をかけた大目標を達成するような場面が来た時、できることは全てやりますから、安倍さんもできることは全てやるはずです。衆参同日選挙になると、政権選択プレッシャーが有権者にかかってくるのでついつい自民党に票が集まりやすくなると言われています。もし安倍さんの立場なら今年やらなければいつやるのかという感じではないでしょうか。

しかし、衆参同日選挙の時に支持率ががたっと落ちてしまうようなことがあると、両方敗けて政権を失うという大きな賭けにもなるわけですから、なんとかして支持率を上げたいという焦りがあの手この手を打っている安倍さんの姿から見えて来るような気がします。ロシアのプーチン大統領と平和条約を結んで二島返還みたいなことが起きればぐぐっと支持率が上がるかも知れないという心境にもなるでしょうし、昨年末から急に不景気になってきましたから、景気対策を打ちたい、できれば消費税の引き上げを更に引き延ばしにしたら支持率上がるだろうか。というような心情も見えてくるように思えるのです。

個人的には消費税は上げないでほしい、できることなら下げてほしい、はっきり言うと廃止してほしいと思っているタイプなので、憲法改正には関心はないですが、安倍首相が消費税引き下げを公約に衆参同日選挙をやってほしいなあと思います。

いずれにせよ、以上のような理由で今年は衆参同日選挙の可能性は充分にあると踏んでウオッチしたいと思います。








政治家の靖国参拝と政教分離

今さら言うまでもないことですが、日本は憲法で政教分離することに決められています。しかしながら、もしそれを厳密にやるとなると結構難しい問題もはらんできます。

政治家が特殊な宗教に入信しているなどの極端な例を持ち出す必要はなく、むしろ政治家が地元のお寺の檀家さんだったり、あるいは初詣でご近所の八幡神社に参拝したりというようなことは、日本人の一般的な生活の一部と言えますので、そこまで政教分離がーっと言うのはもしかすると少し無理があるのではないかなあと思えなくもありません。小沢一郎さんが熊野詣をしたことがありますが、そういうのもダメなのかと言えば、かえって日本人の生活感覚から乖離してしまうのではなかろうかという気もしてしまいます。

一応、目的・効果基準という概念があるらしく、政治が特定の宗教に対して「宗教的意義を持ち」かつ「援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」をしてはいけないということで線引きがされているようです。

三重県津市で市立体育館を作る際、地鎮祭を行ったことが政教分離の原則に反するのではないかという訴訟が起きたことがありましたが、これについては最高裁で「専ら世俗的行為」にあたるとして訴えが退けられたという判例があるようなのですが、一方で愛媛県知事が靖国神社や護国神社に戦没者遺族援護の一環として公費で玉串料を納めたことは最高裁で違憲だという判断がくだされているそうです。

公費で玉串料を納めたところで判断の違いが出たのではなかろうかという気がしなくもないですが、三重県津市の地鎮祭の件でも神主さんにはお車代くらいはお渡ししているのではないかという憶測は可能のようにも思えますので、そのへんはいいのだろうかと個人的には疑問に思えなくもありません。

さて、地方自治体の長が地元の神社の神主さんと仲良くするとかなら特に目くじらを立てて騒ぎ立てることもないように思えるのですが、総理大臣が靖国神社という論争のある場所に出かけて行くことの是非についてはどう考えればいいのでしょうか。中曽根康弘首相が靖国神社に参拝したことも訴訟で争われましたが、地方公共団体の首長の場合、住民訴訟という手段で問いかけることができるのに対し、国家に対しては住民訴訟という仕組みはなく、国家賠償請求ということになるわけですが、これについては違憲の可能性は絶対ないとは言えないけれど、原告に具体的な被害が出ていないという理由で退けられているようです。

なかなかの変化球のようにも個人的には思えるのですが、靖国神社については靖国神社そのものが政治論争の真っただ中にあるようにも思え、私もどう思っていいのか分からない…と立ち止まらざるを得なくなってしまいます。小泉純一郎さんが「心の問題だから私の自由」というのも一理あると思えますが、かくも政治性の強い論争の的になっている宗教施設に総理大臣が行くことが絶対に正しいのかと議論の刃をつきつけられれば「ぐぬぬ…」ともなってしまいそうな気がします。

私は母方の祖父が戦死していますので、何度か靖国神社に行ったことはありますが、総理大臣とか天皇陛下にも参拝してほしいとかは特に思いません。私個人の意思で行きたい場所に行きたい時に行ければそれで文句はありません。もうちょっと言うと総理大臣と天皇陛下が参拝したとしてもそんなに嬉しくもありません。私には関係のないことなので、どっちでもいいというのが本音です。愛媛県の知事が玉串料を納めたのがよくなかったみたいなので、玉串料は私費でやっていただければオーケーなのではなかろうかとも思います。尤も、天皇陛下の場合、「私費」があり得るのかという素朴な疑問は残るわけですが…。

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中曽根康弘内閣‐プラザ合意・ロンヤス・中曽根裁定

鈴木善幸から禅譲を受ける形で、要するに田中角栄のバックアップを受けて中曽根康弘が自民党の総裁に選ばれます。大平正芳首相の時代に福田赴夫とともに田中の盟友である大平を攻撃する側に回っていましたので、今度は田中にくっついて首相にしてもらうのかと風見鶏とあだ名されます。行われた総裁選挙では福田赴夫が中川一郎を出馬されましたが、中川一郎本人はこの時に相当無理をしたらしく、中曽根が勝利した総裁選後に自ら命を絶つという悲劇が起きています。また、中曽根康弘の任期中に日航機事故も起きており、不穏なものも漂う内閣だったと言うこともできるかも知れません。

就任期間は日本の首相としては珍しい5年に及び、行政改革に力を入れ国鉄、日本専売公社、日本電信電話公社の民営化を成し遂げ、外交面ではアメリカのレーガン大統領とロンとヤスで呼び合う仲であることをアピールし、更にはソ連封じ込めには積極的で、日本はアメリカの不沈空母となって場合によっては宗谷海峡や千島列島を封鎖するというようなことまで話し、当時は物議を醸しました。中国に対しても友好的で、中国が作った経済特区に日本の投資を促しています。

経済面では竹下登大蔵大臣がニューヨークで行われたプラザホテルに出席し、ドルの全面安(当時の経済情勢から見て、円も全面高)を容認するプラザ合意が結ばれ、日本はバブル経済へと突入していくことになります。竹下大蔵大臣はその立場上知り得た為替動向に関する情報を利用して首相になるための莫大な資金を手に入れたという噂を聞いたことがありますが、飽くまでも噂なので、本当かどうかは知りません。

この中曽根時代に政治の世界を大きく揺るがしたのは、田中派の竹下登が小沢一郎や梶山清六、橋下龍太郎などの大物を引き連れて新しい派閥を作り、田中派の大半の議員がそちらに流れて行ったという事件です。田中角栄が政権復帰のために大平正芳、鈴木善行、中曽根康弘など他派閥の人物を傀儡首相にしていく一方、田中の子飼いの政治家が首相になることは下剋上を恐れて田中が決して認めなかったことから、竹下登が旗揚げしたもので、佐藤栄作と田中角栄の関係を連想させるものです。

竹下登に裏切られたとも言える田中角栄はそれから完全に酒浸りになってしまい、突然脳梗塞で倒れ、政治活動事態も滞るようになていきます。もちろん、田中の新潟三区は最強鉄板地盤になっていましたので、次の総選挙でも田中角栄は30万票を集めて当選していますが、やがて引退することになります。大変に無念で悲痛な心境だったのではないかと推察します。

田中角栄が倒れたことで、中曽根は自由になったともいわれ、中曽根政権後期では「すでに死にたい。後は引き際」くらいに思われていた人が突如、「死んだふり解散」に討って出、思惑通り300議席という大勝利をおさめ、一年の任期延長を獲得します。

ポスト中曽根という話が飛び交うようになり、竹下登、安倍晋太郎、宮澤喜一の誰かということになりましたが、話し合いで後継首相を決めようと言うことになり、中曽根に裁定が一任されます。中曽根は竹下、安倍、宮沢それぞれに自分が選ばれるのではないかと気を持たせていたとも言われています。竹下は安倍とよく会談を開いており、宮澤喜一は結構、相手にされてなかったみたいです。

中曽根康弘は竹下登を後継者として指名し、竹下登内閣が登場することになります。

鈴木善幸内閣‐護憲と言葉の綾

大平正芳首相の急逝を受けて、新しい後継総裁・首相として指名されたのが鈴木善幸でした。鈴木善幸は元社会党の人で、自民党政治でもあまり目立たない人であったため、アメリカあたりでは「鈴木って誰だ?」と言われたそうです。

鈴木善幸が選ばれた要因としては、田中角栄の影響力を維持することが最大で、今回の場合は大平首相を死ぬまで追い詰めたとも言える福田赴夫や中曽根康弘が次の表舞台に出るわけにもいかず、田中と大平のつなぎ役をしていた鈴木善行が選ばれたのは、本人にとっては正しく青天の霹靂みたいなことだと思いますけれど、自民党が椅子取りゲームに熱中し過ぎて人材が枯渇したという見方もできるかもありません。

鈴木善幸は元々社会党の人で、吉田茂の民主自由党に入って保守系の政治家になります。そうは言っても護憲主義がけっこう強いらしく、「アメリカとの同盟は軍事同盟ではない」という発言が議論を呼び、アメリカからも不審の目で見られるようになっていきます。冷戦の真っ最中ですから、そういったことには確かに敏感になるかも知れません。ただし、鈴木善行は日米安保は肯定する立場でもあり、要するに日本国憲法は個別的自衛権しか認めていないから、アメリカとの同盟を軍事同盟であるとは認めることはできないが、日米安保は肯定するという禅問答みたいなことを言いだしており、ほとんど言葉の綾みたいなもので、要するに現状の変更はしないのだからそれで良いではないかと言うこともできますが、社会党からは発言の矛盾は突かれるだけでなく、そんな細かい事はアメリカ人の知ったことではないので、「軍事同盟ではない」という言葉が一人歩きした感も否めません。

党内融和に図り、各派閥にポストをバランスよく分配するという手法をとったため、それまでの三木、福田、田中の時代に比べれば党内の抗争は静かになり、長期政権すら視野に入ってきましたが、鈴木善幸は自分の再選を否定し、中曽根康弘を後継者として推し、田中角栄のバックアップも得て、中曽根は総裁選に勝利します。政治家としての手腕がどうかとかはともかく、穏やかな良い人だったのではないかとは思えます。