「資本主義国にとって不平等は自然か?」というquoraでの質問に対する私の回答です。
社会主義の国が平等だとする前提を私は信じていませんので、人間は不平等が自然であると言えるのではないでしょうか。ルソーは自然に帰れと言いましたが、彼は原始共産制を信じていました。仮に本当に我々が原始共産制の時代をこの目で見ることができたとすれば、そこで発見できるのは、原始共産制もやはり不平等であったという普遍的な事実ではないかと思います。
「資本主義国にとって不平等は自然か?」というquoraでの質問に対する私の回答です。
社会主義の国が平等だとする前提を私は信じていませんので、人間は不平等が自然であると言えるのではないでしょうか。ルソーは自然に帰れと言いましたが、彼は原始共産制を信じていました。仮に本当に我々が原始共産制の時代をこの目で見ることができたとすれば、そこで発見できるのは、原始共産制もやはり不平等であったという普遍的な事実ではないかと思います。
カントは生涯を独身で通したとそうです。感情的に穏やかな生活を送るためには独身の方が都合がよく、女性には関心を持たないことが一番だと考えていたようです(もっとも、もてなかったので、そういう風に考えたのではないかという邪推は可能です)。また、規則正しく生活することを好み、毎日の散歩時間は決まっていたとも言います。更に言うと、大学の中だけで完結するような人生を送っており、相当程度にストイックな思索に耽る生活を好んでいたことが分かります。ルソーのはちゃめちゃな人生やベーコンの栄達や利得を目指す人生と対比させれば、静かで穏やかで、我々がイメージする哲学者の姿によく当てはまる人物であったのではないかと思えます。
カントが79歳で亡くなる際、最期の言葉は「これでよい」であったと言います。即ち、自分の人生に満足していたということが分かります。
ではなぜ、カントは自分の人生に満足することができたのでしょうか。人は若いうちは恋愛がしたいと思いますし、お金もほしいし贅沢もしたいし、えらくなりたいとも思うものです。カントはそういった世俗的な満足を全て切り捨て、思索によって得られる満足に集中し、それに相応しい成果を挙げたからと言えるのではないかと思えます。信長が桶狭間の戦いで今川義元に集中したのと同じような戦略を人生に対して用いたのではないかという気がします。
カントは観察して得られる結果は観察される客体によって決まるのではなく、観察する主体の認識の仕方や枠組みによって決まると考えました。やはり量子論に近い考え方と言えるように思えます。量子論そのものもカントの影響を受けているのかも知れません。いずれにせよ、そういうことなので、絶対は絶対に存在しないし、経験だけで物は言えないし、思索による論証だけでも物はは言えないと考え、それでも「人」とか「女」とか「甘いもの」とかのワードによって頭の中に浮かんでくる観念が存在することだけは間違いないので、観念論という立場に辿り着きます。
カントは両親が真面目なキリスト教徒であったためか、道徳も重視しており、永遠平和という考え方を持つようになり、それはその後に国際連盟や国際連合の創設の理念に影響を与えたとされています。カントの時代はドイツが大戦争をやりまくって分裂して大変に厳しい時期が続いた後でしたので、余計に平和に対する思いや願いが強かったのかも知れません。また、道徳的でありたいとは私たち個々人の願いでもありますから、カントのそういった様々な思索や人生について憧憬や畏敬の念を禁じえません。尤も、道徳とは何かは正義とは何かと同様にすぐに結論することのできない、難しい部分を含んでいることも確かだと認めなくてはいけないかも知れません。
スポンサーリンク
フランス革命のわずか前の時代まで生きたルソーはなかなかに壮絶な人生を送った人です。幼少期に孤児になり、少年期には労働に従事させられます。現代の人権感覚から言えば児童労働はゆるされない重大な人権に対する挑戦ですので、その点からも同情すべき点の多い人生を送った人と言えます。多少の時期的なずれはありますが、ヴィクトルユーゴ―の『レ・ミゼラブル』を連想させられます。
16歳で労働現場を脱走し、上級社会の夫人に拾われ、学問や音楽の教育を受けることができるようになります。松本清張の『砂の器』を想起させるドラスティックな人生の変化です。しかし、40代を過ぎるまでは社会的に認められることはなく、不遇な時期が長かったとも言えるかも知れません。
彼はそのような人生を送ったからか、人間社会にはびこる不平等を強く批判し、それを『人間不平等起源論』と書物にまとめ、文明が発達する前の自然な状態に帰れば、搾取も階級もない自己保存と惻隠の情だけの人間社会が営まれるようになるため、人々はそこを目指すべきだ、自然に帰れと言う議論を展開します。当時のフランスがまだまだキリスト教の影響の強い時代であったことを考えれば、アダムとイブが知恵の実を食べてエデンの東に追放される前の状態へ帰るというようなイメージがあったのかも知れません。ホッブスが自然状態が「万人の万人に対する闘争」とした点に於いて、自然状態に対する考え方が決定的に違いますが、これは両者の王制に対する考え方の違いなのかも知れません。ロックはより人間に対する信頼が厚かったため、ルソーに近いと言えますが、ロックが人間は理性を働かせることができるから秩序を維持できるのだと考えたのに対し、ルソーは素朴な感情面に於いて人には愛情関係を結ぶ力があるから秩序を維持できるのだとした点では違いがあると言えます。また、ロックが権力の集中を防止するために三権分立を考えていたのに対し、ルソーは人民への権力の集中を考えていましたから、その点での違いもあると言えます。人民への権力の集中というような言い方をすると、社会主義革命を連想してしまいますが、ルソー自身は一定程度の個人財産の所有は容認していますので、共産主義とは若干の違いがあります。あ、ということは、やっぱり社会主義、あるいは社会民主主義といった感じでしょうか。サンダースさんみたいな感じのことを考えていたのかも知れません。
彼の考えによれば、富める者はますます富み、搾取される側は永遠に搾取されるということですので、ピケティが証明したことを既に200年以上も前にルソーが論証していたと考えてもいいのかも知れません。
ピケティは格差社会の解消のためには富裕層に対する資産税を世界で同時に実施するしかない(要するにそれは実現不可能である)としていますが、ルソーの場合は格差のない社会にするためには全ての人々が直接民主制という形で意思決定に参加することによって格差の適正化を目指すべきだと考えました。彼はそのような手法によって確立された意思を一般意思と呼び、ひとたび決められた一般意思に対して人々は必ず従わなければならない、そのように契約するべきだとして社会契約説を唱えるに至ります。
40代で社会的成功に手が届いたルソーですが、当時のフランスのアンシャンレジームを否定する思想であったために危険思想の持ち主として犯罪者扱いをされ、指名手配されるはめになり、放浪生活に入り、不遇のうちに人生を閉じます。なんと気の毒な人物なのかと同情を禁じ得ません。ルソーは社会主義の源流であると同時にブルジョア革命の源流にもなったとも言えますので、大変に重要な人物として位置付けられていますが、メルヴィルの『白鯨』が彼の死後評価されたり、ゴッホの作品がやはり死後に評価されたりということはありますので、真実の天才は或いは死後に評価されるものなのかも知れません。人間の精神が死後も存在するかどうかは古代ギリシャ時代から議論のあるところではありますが、もし唯物論的に死後のなんかないということであれば、自分が評価されたことが全く分からないわけですから、本当に浮かばれません。とはいえ唯物論であれば死後に浮かばれるも浮かばれないもないわけではありますが。エピクロスが「死んだら何にも分からなくなるから死ぬのは怖いと思わなくていい」というのが真実なのかも知れません。個人的には死後の世界はあると思いたいところですが、こればっかりは死んでみないと分かりません。ちょっと脱線し過ぎですのでこの辺で。