最近、あちこちの、いろいろなラーメン屋さんを訪れてみて、自分なりのとある結論にたどり着いてしまった。それは、おいしいラーメン店はあんまり多くないということだ。これは世界一のラーメン大国である日本のラーメン店がおいしくないはずがないと信じていた私にとって、かなり驚愕すべき結論なのだが、やむを得ない。実感に基づく結論なのだから。少々、海外生活が長かったことがあって、日本のラーメン店はやや疲れる。店員さんが早口なので、何を言っているのかよく分からないときがあるし、そもそも最初の訪問では麺の硬さとか普通でお試しするに決まっているのに、硬めにしないなんて素人…という目で見られた日には、私としてもやや受け入れがたい心境になる。
それよりも、何よりも、日本に帰ったらいろいろなラーメンを食べ歩きたいと念願していたのだが、私の味覚が変わってしまったのか、それとも期待が過大過ぎたのか、おいしいラーメン店は想像していたほど多いわけではなく、ラーメンの食べ歩きはお金と時間の無駄であり、健康を害する可能性が上がってしまうという悲しい結論に達してしまったのだ。
たとえば、藤沢駅近くの横浜家系ラーメンは味が濃いだけで、麺も良くなく、おいしくなかった。
鎌倉の某歴史ありそうなラーメン店も、申し訳ないがおいしくなかった。
このほか、二子玉川の高島屋の裏の某九州ラーメンも伸びていておいしくなかった。果たして10年前、訪れた際、こんなにおいしくなかっただろうか…と過去の思い出を再点検しなければならないような心境になった。足を運ぶラーメン店が多ければ多いほど、がっかりすることが多くなってくる。要するにリピートすべき真実に嬉しいラーメン店は限界があるということだ。悲しいが、だったら、今後は、もう新しいラーメン店を開拓するのはやめておこうと私は思うようになった。
おいしいラーメン店は存在する。下高井戸の大であったり、湘南海岸の一風堂などは素晴らしいラーメン店だ。今まで一度もブログで書いてはいないが、長後駅近くのラーメン店も素晴らしい。だが、そういうお店は少ない。全体の二割程度ではなかろうか。過去、タバコをやめ、お酒をやめた私は、ここで宣言する。ラーメンも卒業であると。ありがとうラーメン。そしてさようなら。
ラーメンの名誉のために述べるとすれば、私がビーガンとか菜食主義に関心が向き始めているので、肉と合う食事に関心が向かなくなりつつあることもあるかも知れない。だとすれば、ラーメンが悪いのではなく、私が悪い。今後は菜食や発行食など、健康生活に関する話題を多く扱っていきたい。そのうち肉を食べなくなると思うが、魚をやめるまでは少し時間がかかるかも知れない。繰り返す。ありがとう、そしてさようなら、ラーメン。