このところ、とある情報機関の機関紙を追いかけているわけですが、同機関紙の昭和13年2月11日付発行の号では、仏領インドシナの華僑についての動向・情勢が報告されています。この機関紙では東南アジア各地の情勢を毎回報告しているわけですが、昭和14年に陸軍省に宛てて当該情報機関が東南アジア華僑の分布図を送っていたことから察するに、将来的には東南アジア各地の占領を想定していたことが分かりますから、そのための準備として各地の調査員を送り、報告書を上げさせていたと考えることができます。ただ、調査員が特別に諜報活動をしていたらしいフシは見当たりませんので、公開情報と現地に行った雑感でまとめた感じのものです。
で、今回の号では仏領インドシナについて書かれていますが、前半ではざっくりとした一般知識、たとえばナポレオン三世の時代にフランスの統治下に於かれたとか、高温多湿で雨が多いとか、そういったことが述べられ、次いで華僑の動向が述べられています。当初、インドシナでの排日運動は「微温的」だったものの、次第にエスカレートしていったであるとか、現地の新聞は外信をそのまま流しているから日本に不利だが、最近は少しましになったとか、居留する日本人は少ないので「隠忍自重」するしかないとか、そういったことが書かれてありました。
私はとある情報機関の公開情報を追いかけているわけですが、陸軍には陸軍の、海軍には海軍の情報機関もあったでしょうから、最終的には閣議まで上がってくるものもあったのではないかと思います。もっとも、最上部の閣議が情勢分析を誤ったから日本帝国は滅亡したと言ってもいいわけで、そのように考えると、これら調査員の報告がどのように役に立ったのだろうかとため息をつきたくなってしまいます。また、調査員もなるべく楽観的、楽天的に報告書をまとめる傾向が強いように感じられ、そのような全体的、大局に対する甘さがどうしても目立ちます。当該の報告では各国による日本非難が影響を与えているとも指摘していますから、世界的に厳しい目で見られていたことは事実なわけで、そこを力で押し返そうとしたところに問題があったと言わざるを得ないのではと思えます。
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