さようなら、ファーストフード

ニューヨークの新感覚で生きる男性が、一か月の間、マクドナルドの商品だけを食べ続けるとどうなるかという実験的な生活を試みた『スーパーサイズ・ミー』は、多くの人に衝撃を与えた話題作であったに違いない。私も一度みてみたいと思っていた作品なのだが、最近、アマゾンプライムビデオで観たので、ここで簡単に内容をシェアしてみたい。

この作品では、フィルム制作者の男性が自ら出演し、一か月の間、マクドナルドの食事だけで過ごすと誓いを立て、マクドナルドの体への影響がいかなるものかを検証するために、無用な運動を避け、徒歩もなるべく避けて、タクシーを使うように心がけ、もし、マックの店員さんから「スーパーサイズにしますか?」と質問された場合は、かならずスーパーサイズで出してもらうというルールを決めて実行している。アメリカのマックのスーパーサイズである。日本ではとてもお目にかかれない超巨大な食べ物なのだが、それを男性がばかばかと食いまくる映像が続く。当初は気持ち悪くて嘔吐することすらあったが、だんだん慣れてきて、マックの食品に快感を感じるようになり、ついにはマックなしではいられない体になり、結構やせ型だったのにしっかり中年太りになって一か月が終了する。マックの超特大を食べ続けたら、自分のお腹も超特大になっちゃったというわけである。マックがいかに健康に悪いかを証明したフィルムとして名高い作品なのだが、私はマックが嫌いとかそういうわけでもないし、マックを憎んでいるわけでもないので、一応軽くマックを弁護しておいてあげたい。

当該男性の主張するように、マックが太りやすいことには異論はない。また執拗に行われる刷り込み的広告宣伝によって巨大マクドナルド資本が人々から健康とお金を吸い上げていることも事実であろう。しかし、男性は運動しない、歩かない、なるべく超特大にするという、マックサイドが想定していない要素を入れ込んで実験が行われている。運動しなかったことの結果までマックが引き受けなければならないとすれば、それはマックがかわいそうというものである。また、男性の彼女も作品に登場するのだが、若くてびっくりするほど美しい女性で且つビーガンなのだが、作品の中で肉よりドラッグと言い切っている。肉を食べると幸福感を得られるが、肉は体に悪いので、ドラッグで幸福感を得た方がいいというわけだ。あれ?なんか話が違う方向に…と思わなくもない。私は今、ビーガン的生活に憧れて努力中なのだが、ビーガン的生活を追求する際に支障となるのは、いかにして幸福感を得るかという問題であり、タバコもお酒もやめた今、わりとこれは深刻な問題になりつつあって、時間をかければ克服できるとは信じているが、先輩ビーガンは実はドラッグで補っていたとすれば結構ショックである。これについては私なりにまた考えて、自分流の克服法を確立したいとは思っているが、いずれにせよドラッグに頼らない解決を模索しなくてはならない。ドラッグ大国のアメリカ人がどう思うかは知ったことではないが、普通の感覚を持つ日本人なら、ドラッグ依存症とマック依存症のどちらかを選ぶとすればマック依存症を選ぶに違いない。だって、ドラッグは違法なんだから。

マクドナルドがアメリカのクリエイターとか、アーティストとかといった人たちからいかに憎まれているかを知るために、もう一つ映画作品を挙げておきたい『ファウンダー』という作品で、やはりアマゾンプライムビデオで観た。アメリカの地方都市でがんばるマクドナルド兄弟が確立したファーストフード店の権利を乗っ取った男がマクドナルドのファウンダー(創設者)を名乗ってバリバリ仕事をして大金を稼ぎ、糟糠の妻を捨てて他人の奥さんを奪って再婚し、人生勝ち組わっはっはで終わる作品で、観ている側としてはなぜこんな中年おじさんのサクセスストーリーを見なくてはならなかったのかと釈然としない気持ちが湧いてきて、消化不良のまま映画が終わるのだが、このような作品がまかり通るのも、要するにマックのような巨大資本は、この映画の主人公のようないけすかない嫌味なおじさんがみんなからお金を吸い取るためにやっているんですよというメッセージが込められているというわけだ。ハリウッドらしいわかりやすい作品であると言える。

私はハリウッドのお先棒を担ぐつもりはないし、ハリウッドも巨大資本なのでは?という疑問も湧くし、巨大資本=悪とも言えないと思うし…といろいろと気持ちがぐちゃっとなってしまうのだが、そういったこととは関係なく、私はそろそろファーストフードを卒業したいと真剣に考えている。それはマックが悪いのではなくて、私が新しい自分になるための方向性としてビーガンを選ぼうと考え始めているということだ。もちろん、完全なビーガンは私には無理だ。魚、卵、牛乳、チーズ、ヨーグルトをやめる自信はない。魚をやめないのだからベジタリアンとしても失格であり、肉をなんとか近い将来やめられるかどうか…という意思薄弱な頼りないビーガン志望者である。

マクドナルドのバーガーがどんなものでできているかを考えてみよう。まずパンである。パンは普遍的な食品で、特に問題はない。そしてハンバーグなのだが、肉はビーガン志望とかでない限り悪い食材ではなく、場合によっては美容と健康のために必須であると語られることもある食材だ。そしてレタス。レタスがだめだという人はいないだろう。ピクルスも同様である。チーズも挟まっているが、チーズが体に悪いとか聞いたことがない。ということは、マックの看板商品であるハンバーガーはむしろいい食事だと言うことすらできるかも知れない。でも私は卒業しようと思っている。

以上までに諸事情をつらつらと書いてはみたのだが、どうしてそこまでファーストフードから脱しようと思っているのかについて述べたい。肉には依存性がある。パンにも依存性がある。私はそういった依存を減らしていきたいと思っている。お酒とかたばこからの依存からは脱することができた。そういった依存から脱することができるのは実にいい気持ちだ。引き続き肉や糖質への依存からも脱却してみたいと思うようになっていて、その先にある新しい地平を今は見てみたいという好奇心がうずくのである。繰り返すがマックは悪くない。私がマックを卒業するのである。あ、最後に湘南台のバーガーキングへ行っておいた方が思い残しがなくていいかも知れない。私は何を言っているのか…タバコもお酒もやめていくと甘いものがほしくなるので脱糖質がうまくいかなくなり矛盾が生じ、葛藤が生まれる。なかなか難しい問題で、今もいろいろ手探りなのだが、ある程度時間が経てば再びタバコを吸いたいとか思わなくなるので、一機に全部やめてしまうのではなく一つずつやめていくのが心身への負担も少なくていいかも知れない。最終的には魚と卵と牛乳をどうするかという問題に直面することになるとは思うが、それは数年後のことになるだろう。



ランドマークプラザの新感覚ラーメン店AFURI

先日、エコールドパリの展覧会を見るために横浜美術館へ行った際、ランドマークプラザで昼食をとろうと思い立ち寄った。横浜でも最もおしゃれで楽しい集客力のあるエリアであるため、いろいろなお店が入っているのだが、以前から気になっていたラーメン店であるAFURIに入ってみることにした。そして、このお店が新感覚のラーメン店であるということに気づいた。

どのように新感覚なのかというと、まずはフレンチカフェバーかと目を疑いたくなるような白を基調とした明るい店内が挙げられる。ラーメン店といえば普通はやや薄暗く、いい意味でぎとぎと感があり、その雰囲気が客を誘うというようなものだが、このAFURIはそれを拒否しているということが私にはよく分かった。新感覚の何かを消費者に提供しようとしているし、お店としては、それが理解できる人にだけ来てほしいという思いもあるのだろうし、今後はそうお客が増えるという確信も持っているに違いないとすら私には思えた。メニューには、ビーガン向けのラーメンもあり、私は食べなかったので、上手に想像することができないのだが、ビーガン向けのラーメンが現実問題として可能なのだろうかという大きな疑問が生まれてくるとともに、自信を持ってメニューに載せている以上、それは実現したのだろうし、そのことについて私は驚嘆した。私もいずれはビーガンになりたいと最近思い始めているので、これは重要な要素なのだ。何年かかけてビーガンになると思う。とてもすぐには無理ではあるが。

厨房には女性のスタッフが目立った。ラーメン店は通常、男の世界だ。体育会系のちょっとこわもてなお兄さんが元気よく声を出してラーメンを作ってくれるのがラーメン店の醍醐味みたいなところがあって、客はお兄さんの指示に全面的に従うという、ややマゾ的要素が強いのがラーメン店である。個人的な信念としては、成功する人間にはある程度マゾ的要素が必要だと思っているので、ここで述べていることは誉め言葉なのだが、AFURIはそこからも脱却しようとしている。カフェレストランみたいな感覚で、ビーガンも安心して入れる新感覚のラーメン店を彼らは目指しているのだ。

さて、おいしいかどうかは重要な問題なのだが、ちょっとぬるかった…そして、やや麺が伸びていた…。ラーメンを食べに入って、ラーメンがぬるくて麺が伸びている時の心理的ショックはかなりのものだ。厨房であたふたしている様子が見て取れたので、もしかするとたまたま私のラーメンだけそうだったのであって、他のお客さんのラーメンはそうではないのかも知れない。ならば偶然なので、仕方がないが、もしいつもそうなのだとすれば、改善できるポイントなのではないかと思う。いずれにせよ、これからの新感覚ラーメン店なのだから、見守りたい。