ナチズムと民主主義と女性

改めて述べる必要もないほどよく知られているように、ナチスは第一次世界大戦後に作られた世界的にも最先端の民主国家のドイツで大統領と議会と有権者の支持を得て誕生した独裁政権だ。当時の世界最先端とは、女性が参政権を得ていたという意味だ。そのため、一方に於いて平然と人命を奪う一方で、女性に対して務めて紳士的な姿勢を貫くという、どう解釈していいのか分からない、しかしそれだけに業の深い集団であったと言ってもいいだろう。

たとえがゲッベルスの妻マクダは理想的なドイツ人妻を最期まで演じきった。ゲッベルス夫妻の子だくさんは偶然ではない。ドイツ民族を産めよ増やせよのメッセージを国民に与えるために意図されたものだった。ゲッベルス夫妻の子どもたちはフォトジェニックであるがゆえに宣伝に利用され、映画館で上映された。夫妻の子どもたちはベルリン攻防戦が終わる直前に親によって毒殺されたことを知っている我々現代人がみれば、子どもたちのフォトジェニックさがかえって重苦しく見えてしまう。

ゲッベルスは浮気性だったことで知られており、マクダは離婚を真剣に考えたと言われているが、ヒトラーが仲裁して離婚は避けられた。ヒトラーが女性たちからの支持を得るために自身が独身を貫いた一方で腹心のゲッベルスには温かい家庭イメージを守り抜かせる必要があったからだ。ワイマール憲法下で女性の支持を得ることは確かに必須だったに違いないが、同時に女性の人気を得たいという幼稚な男性性をナチズムに感じるのは、このような小細工やこざかしい演出を様々な場面で見出すことができるからだ。

ゲッベルスのオフィスには多くの女性た働いていたが、その中の一人が晩年にインタビューに答えた内容から、ヒトラーとゲッベルスが女性からの支持を得るためにどれほど苦心していたかを見出すことができるだろう。
ナチスは民族主義と労働者の味方という分かりやすいメッセージを発信して支持を獲得した。本来ならドイツの資本家や旧貴族階級はナチスの敵でなければならなかったが、両者は共産主義を共通の敵とみなして結びついた。首相指名権を持っていた大統領のヒンデンブルクはヒトラーという若造が危ないやつだと気づいてはいたが、バカだとも思っていたので上手に手のひらで転がせると思ったし、共産党が政権を獲るよりはましだと思ったらしかった。結果としては何もかもめちゃくちゃになったのだが将来のことを知ることは不可能だ。ヒトラー本人も自分の最期は予見できなかったに違いない。

ドイツ民族を増やすという危ない民族主義は、金髪で碧眼という「理想的アーリア人」を増やすという方向性で動き出し、ヨーロッパの占領地ではSSの将兵と各地の金髪碧眼の女性が子どもを作るというプロジェクトが進行した。興味深いのは女性に意に沿わない性交渉がもたれたのではなく、将兵たちと選ばれた現地の女性たちとの間で合コンパーティが開かれ、女性も納得づくで子どもづくりが行われたことだ。もちろん、当時のナチス占領下でナチス将兵に交際を求められた際、断ることは困難だった可能性はあるため、どこまでが女性の本意だったのかを判断することは簡単ではない。だが、少なくとも体裁としてはパーティで知り合い同意の上で一対の男女になり、理想的なアーリア人の子どもの大量生産が図られたのである。そのようにして実際に生まれた子どもたちは、戦後になって自分の出自を知らされないまま成長するケースが多く、実際のところが完全に解明されているわけでもないようだが、父親がSSであるということを理由に酷い目に遭わされたケースもある。

19世紀の後半から20世紀の前半にかけて、世界は産業革命と市民革命という二つの近代化の両輪によって大きく変化し、人々は伝統的な生き方から近代的な生き方へと変貌するために戸惑い、努力し、失敗したり成功したりした。ナチズムはそのような近代化の過程で迷う人々の心の隙間に入り込み、残念ながらとことん成長してしまい、人類に大きな傷を残して破滅していった。民族の理想的な特徴を持つ人間を増やすために合コンパーティを開くということはばかげているし、それによって生まれた子どもが酷い目に遭わされるというのも人間の尊厳に対する重大な挑戦であるため、許容されてはならない。それらのことは21世紀の現代人には許容できない。2018年最後の日の今日、私はナチズムのようなことはある程度の条件が整えば今でも起こり得るということを考えつつ、私は現実世界に大した影響力を持っているわけでもなんでもないが、たまたまそういったものをいろいろ見て年末を過ごしてしまったので、私なりに慎ましくストイックな年越しをしようと思う。