とある情報機関の発行していた機関紙の昭和14年9月21日付の号では、台北の放送局から南洋向けのラジオ放送の内容について議論しています。東南アジア在住の日本人たちからは、台北の放送局が東京よりも近い分、ラジオ放送の聴取もしやすいものの、台北からの放送は各国語の宣伝内容になっているため、日本語以外の放送が多く、英語の他にマレー語や福建語などの放送になると何を言っているのか分からないから、ずっと同じ放送局に周波数を合わせ続けるのは心理的に無理があり、じっと我慢して日本語の放送が始まるのを待つのが苦痛であるらしいということのほか、各国語で放送するということは、それらの言語を使う人々に対して「日本は正しい戦争をしている」とのプロパガンダをしたいわけですが、そういった対象の人々にとっても事情は同じで、自分の理解できる言語が放送されるのをじっと待つより、他の放送局の周波数を選んでしまうということで、悩んでいたようです。また、当時、ラジオはまだまだ貴重品だったため、東南アジアでラジオ放送を聴けるのは白人、日本人、お金持ちの華僑あたりに限定されざるを得なかったようなのですが、白人たちはそれぞれの母国のラジオ放送を聴くようにしていて、日本のラジオ宣伝には関心を示そうとしないとも嘆いています。当該の記事には
一帯に白人は日本の南進策を曲解して白人を追払はんとして企図してゐる如く考え、本邦の放送をも聴く事は余り好まないらしい。同方面の新聞なども日本の放送プログラムの掲載を中々肯んじない様子も見え可成不利な立場にある。併し南洋には尚六百万に及ぶ華僑が頑張ってゐるのであるから、支那事変処理の側面工作として、之等華僑の善導の為にも対南洋放送は如何なる犠牲を忍んでも有効に実施して行かなくてはならない。
と述べられています。昭和14年の段階で、欧米諸国は日本の東南アジアに対する野心に警戒心を持っていたということが分かりますが、当該記事ではそれを「曲解」と表現しています。実際には、太平洋戦争ではアジアの白人からの解放が日本の戦争の大義名分として使用されたわけですから、「曲解」ではなく、日本が東南アジアに南進しようとすることに警戒するのは正しい理解と言うべきではないかという気がします。また、日本側の宣伝放送があまり効果を挙げていなかったということも当該記事から見えてくるのですが、やはり宣伝戦、電波戦で日本は既に敗けており、ちょっと大げさな表現をするなら、太平洋戦争を始める前から残念ながら日本は敗けていたと言っても過言ではないかも知れません。
当該の号では、最近のニュースとして、ソ満国境の戦闘、東郷・モロトフ会談で停戦協定成るという短い文章も掲載されていましたが、この「戦闘」はノモンハン事件のことです。ノモンハン事件は、日本軍が現地師団のみで対応しようとしたのに対し、ソ連軍は極東主力を投入したため、確かに日本の兵隊さんは相当に成果を挙げたらしいのですが、結果としては全滅に近いボロ敗けと言っていいものでした。それについては詳細を述べようとせず、東南アジア向けのラジオ放送では成果が挙がらないと嘆いているわけですから、その後の歴史の展開を知っている21世紀を生きる日本人としては、読んでるこっちが嘆きたくなってきます。今後も当面は当該の機関紙を追いかける予定です。
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