鳩山一郎内閣‐55年体制の確立

鳩山一郎が公職追放された時、吉田茂は「鳩山さんの公職追放が解ければ政権をあなたに返す」と言質を与えたと言われていますが、実際にサンフランシスコ条約で日本が主権を回復しても吉田茂は自身の政権を継続させる方向を模索します。しかし疑獄事件で不人気となり、総辞職へと追い込まれました。

鳩山一郎が後継首相の座につき、盟友といわれた三木武吉が自由党と民主党を合併させる保守合同を成し遂げ、自由民主党が誕生します。自民党の党是には自主憲法の制定が明確にされており、議会の3分の2以上の勢力を得て改憲することを目指していましたが、いわば、彼らの悲願とも言える憲法改正は今日まで為されていないのは周知の通りです。一方、左派と右派に別れていた社会党も合併し、自民党と社会党の二大政党制的な状況が生まれ、その後数十年、これが続くことになります。

鳩山政権ではアメリカの占領状態を完全に終わらせる(外国の軍隊が完全にいなくなる)ことを目指し、日米安保条約の破棄と日米相互防衛条約の締結をアメリカに打診しますが、ダレスは「日本に自主防衛できるわけねえだろ」と一蹴されたと言われています。この経験から、後に岸信介が日米安保条約の改訂の方向へと進んで行くことになりました。

外交ではソビエト連邦を訪問してフルシチョフの会談し、日ソ共同宣言を出すことに成功し、サンフランシスコ条約に参加していなかったソビエト連邦と平和条約の締結のないまま国交を回復させます。領土問題はあいままなままとされ、後のプーチン訪日鰻の香りで銭を獲る外交へと21世紀まで懸案が引き継がれてきました。日ソ共同宣言では平和条約を結べば歯舞色丹は引き渡すということになっていますが、日本側としては国後択捉も返してほしいということで、平和条約を結べば国後択捉は固定化してしまうという懸念から、積極的に踏み切れない面があるようにも見えます。ロシア側としては歯舞色丹のような小さな島だけでもお情けだくらいに思っているでしょうから、敗戦国にとって領土問題はなかなか難しいことだと我々は何十年も思い知らされ続けていると言ってもいいかも知れません。

鳩山一郎政権の時代、原子力の導入もやっており、その背後には正力松太郎の陰もちらつき、更にその先には多分CIAもいたでしょうから、米ソ間で多元外交をやろうという鳩山一郎の意思を見出すこともできますし、日米相互防衛条約を拒否したダレスの本音は「日本に自立させたくない」というところだったと見る方が実情には近いものだったのかも知れません。

鳩山一郎内閣の次は短命の石橋湛山内閣が引き継ぎます。

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