終戦直後に行われた戦争犯罪人に対する裁判では、東京裁判にばかり議論が集中しがちですが、同時に多くのBC級戦犯に対する裁判が、各地で開かれていたものの、あまりそれについての議論に触れることはありません。
私の漠然としたイメージでは『私は貝になりたい』的な、勝者による敗者に対する一方的な決めつけ裁判が行われたのではないかというものでしたが、実際にこの本を読んでみると、なかなかそう簡単に判断できるわけでもないということがよく分かります。
B級戦争犯罪人とはハーグ陸戦条約で禁止されているような通常の戦争犯罪を犯した人のことで、たとえば一般市民への残虐行為や捕虜に対する虐待などが入ります。C級の場合、主としてナチスドイツによるホロコーストを裁くことを想定して設けられた概念ですが、日本の場合、それに相当するかどうか議論が分かれるところであり、中国は南京事件をしてC級に値すると主張したようなのですが、結果的にはB級とC級の線引きは曖昧なまま、BC級というくくりで裁判が行われたようです。
難しいのは、多くの場合、上官の命令で行われた残虐行為について、一般の兵隊や下士官などにその責任を問うことができるかどうかという点です。法理法論を説くならば、アメリカ軍による日本各地への空襲や広島・長崎への原子爆弾の投下は一般市民に対する大規模な残虐行為と言っていいはずですから、もし、命令によって行われた日本の兵隊の残虐行為が裁かれるのであれば、アメリカ軍の兵隊も命令に従って行ったそれら残虐行為の責任を問われなくてはいけなくなるという、アメリカにとっても困る状態が生まれてしまいます。
アメリカ側のそのことについては考えていたふしもあるらしく、命令によって行われた場合、或いは組織的に行われたケースに関しては、なるべく命令権者に死刑を言い渡し、命令に従った兵隊に対しては、有期刑でなんとか話をまとめていこうとしたようです。もちろん、「公平な裁き」ということを考えれば、たとえ有期刑であったとしても、アメリカの兵隊は全く罪に問われていないとすれば、不公平なことは間違いがありませんので、それでいいのかという疑問は残らざるを得ませんが、この本を読んで、必ずしも一般に言われているほど、一方的なものとも言い切れなかったということが理解でき、私にとってはそれなりに収穫があったと感じます。
もちろん、捕虜に対する尋問の際、通訳をしていた二等兵が捕虜に対する残虐行為の罪で死刑を宣告されるなど、それはいくらなんでもあんまりだ、かわいそうすぎるという例もないわけではありません。また、栄養失調で捕虜がばたばたと倒れて行った時、日本の兵隊さんも同じく栄養失調でばたばたと倒れていたというようなケース(要するに補給の船が来ないので、捕虜も兵隊も一蓮托生で食糧を得られていなかった)ではそれなりに情状酌量があってもいいのではないかという疑問も残ります。アメリカの捕虜になった日本兵は食事も充分に与えられ、強制的に労働させられることはなかったと聞いたことがありますから、捕虜に対する虐待という点では、日本に分がないとも思えます。
一般市民への残虐行為については、私は日本軍が「現地調達主義」を採用していた以上、現場の兵隊さんは現地人の住宅に入り込んで食糧を略奪せざるを得なくなりますから、そこには構造的な問題があったと言わざるを得ないように思えます。そのようなことを考えると、日本は無理な戦争を無理を承知で無理無理に進めた結果、その手の戦争犯罪が頻発したとも言える気がしますので、どうしても現場の兵隊さんに対しては同情的な心境になることを禁じ得ません。
とはいえ、シンガポールでの華僑虐殺事件などは、急迫性もなく、その必要もないのに明白な意図をもって組織的に行われていた場合もあったようですので、弁解の余地のないものもあったのではないかなあと思います。一方で、空襲の帰りにB29が墜落してしまい、生き延びた搭乗員が現場で処刑されるというケースも多々あったようですが、一般市民を焼き殺しているわけですから、感情面に於いて理解できると同時に、それでもそれは戦時国際法違反になるという板挟み的な心境にもなります。
いずれにせよ、読み進める過程で多くの目をそむけたくなるようなケースが次々と登場しますので、精神的には非常に疲れました。それでももちろん、是非とも読むべき一冊と思います。
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