シャア・アズナブル論考⑥‐保身と虚栄のシャア‐サイド6を中心に

シャア・アズナブル論考も六回目になった。シャアは映画版での神格化が凄まじいため、ファンはついついシャアに理想を求めてしまいそうになるし、みればみるほどシャアが好きになる。私もそうだ。十代のころから何度となく繰り返しガンダムを見て、シャアのビッグファンになった。しかし、映画版とテレビ版ではシャアの在り方は全く違うし、真実のシャアのファンなら、やはりテレビ版の矛盾や卑小さを抱えているシャアをきちんと理解してこそよりその深みを味わえるというものではないかと思える。

さて、シャアは小心者であり、行動の動機は保身と虚栄に多くを負っている。テレビ版では特にそうだ。それは様々な場面で発揮されているが、今回は分かりやすくサイド6でのシャアに絞って論じたい。ドレン大尉のキャメルパトロール艦隊が全滅した後、シャアはホワイトベースとは距離を取りつつ追跡し、サイド6に入る。サイド6はララアが登場し、アムロとシャアが運命的な出会いを果たす場でもある。この辺りまではテレビ版とアニメ版は共通している。違っているのはシャアのビヘイビアーのようなものだ。一応、映画版の方がより流通しているだろうと勝手に判断して映画版の方を確認しておきたい。

映画版では、サイド6でわりと自由に過ごすシャアはコンスコン艦隊を見殺しにし、ララアに対するセリフもわりとクールで、自信に満ちた英雄的将校のイメージが相応しい感じになっている。いいところだけ切り抜かれたような感じだ。

しかしテレビ版ではシャアが矛盾に満ちており、保身と虚栄に飲み込まれた人物だということが、かなりはっきりと分かるように描かれている。たとえばサイド6に入港した後、シャアはサイド6の官僚カムランから様々な注意事項を直接口頭で伝達される。ホワイトベースのブライト艦長も同じことをされているのだが、ブライト艦長はひたすら低姿勢でカムランからの注意事項に同意する様子が描かれる。ブライトが常識的な人間であることが強調されていると言っていいだろう。一方で、シャアは「知ってる」「兵には言ってある」「ご苦労」とカムランに対しては完全に上から目線であり、注意事項に耳を傾けるのを面倒がる中学生みたいな態度に終始している。もちろん、その方が人間としてはおもしろいが、ここで描かれているのはシャアが文字通り成長しきれていない人物だということだ。更にララアにはデレデレであり、まるで初めて恋をした人物みたいだ。声のトーンが一オクターブ上がっており、やたらと優しい。映画版のクールさはない。池田秀一さんは冨野さんにシャアとララアの関係をきちんと問い合わせたうえで録音に臨んだそうなのだが、この声はそういったことをきっちり踏まえた上での声なのだ。映画版ではララアに対してもクールでかっこいいのだが、テレビ版にそのようなことの片鱗はうかがえない。サイド6とはいえ、仕事中に若い女にうつつをぬかす不真面目男がシャアなのである。

更にテレビ版ではコンスコンから説教される場面まである。映画版では考えられないことだが、コンスコンに呼び出されたシャアは言い返すことすらできず、沈黙してお小言に耐えるのである。若き将校のシャアと超ベテランのコンスコンの様子は、大企業の新入社員と部長の関係性の比喩であるとすら言うことができるかも知れない。コンスコンはシャアを一通り説教した後でホワイトベースにやられてしまうのだが、コンスコンの人生最後の言葉は「シャアが見ているのだぞ」だった。シャアに説教したかしなかったかで、コンスコンのこの一言の意味は微妙に違ってくる。映画版であれば、それは見栄っ張りなコンスコンがシャアに見られることによって見栄が更に刺激され、コンスコンは満たされぬ虚栄心とともに散ってゆくことになる。しかしテレビ版ではコンスコンはシャアに説教しているのである。しかもテレビ版の場合、シャアはわざわざザンジバルに乗って戦場を見物に来ている。さっき説教した相手が最期を見物に来たのだから、コンスコンの言葉は虚栄心によるものというよりも、シャアに説教しても何も通じなかったことへの無念さから来ているようにも見えるのだ。説教が通じていたなら、苦戦している味方を助けるだろうから。

ここで注意したいのだが、サイド6の国際法上の立場と、ジオン公国の実力との関係性をシャアが上手に利用しているということだ。サイド6でのシャアの振る舞いから分かることは、シャアはサイド6の法を全く尊重していないし、カムランのような官僚のこともバカにしているということだ。シャアはカムランに対して「だいたい、ジオンがサイド6を支援しているから、お前ら安全なんじゃねえか」という趣旨のことを言い放つ。一方で、コンスコン艦隊に対しては、サイド6が中立サイドであることを強調し、域内での戦闘をコンスコンにさせまいとやっきになる。コンスコン艦隊は文明人なのでサイド6の国際法上の立場を尊重し、域内での発砲は決してしないのだが、シャアはその様子を見て「ああ、よかった。もうちょっとで国際問題になるところだった」とかなり白々しいことを言う。シャアが法律をどうでもいいと思っていることはカムランに対する態度で明らかなのだから、シャアはここでは国際問題という大義名分を持ち出して、コンスコンの動きを抑制しようとしていると理解することができるだろう。なぜシャアがそんなことをするのかと言えば、ホワイトベースがまかり間違ってコンスコンに打ち取られたのでは自分がかっこ悪くて仕方がないからだ。テレビ版では宇宙に舞台がうつってから、シャアとマクベがキシリアの寵愛を得るための競争関係に陥っている様子が描かれるが、キシリアに対して自分の有能さを証明したいシャアとしては、ここでコンスコンにホワイトベースが打ち取られるようなことがあると、メンツが丸つぶれになってしまうのである。結果、シャアはコンスコンの戦争中の様子を高見の見物をして最終的に見殺しにしているのである。俺に説教したやつがやられやがったざまみろ。とすら思っていそうに見えるくらい、シャアが卑小な存在に見えてしまうのだが、その分、人間らしくもあるしおもしろい。考えようによっては、シャアはガルマを謀殺することによりドズルに追放され、キシリアのようなパワハラ上司にひろわれて汲々とし、コンスコンに説教されるのだから、友人を殺したつけを全力で支払うはめに陥ってしまったのだとも言えるだろう。部下のマリガンがドン引きするのも理解できるというものだ。そんなシャアにはセイラもドン引きなのだが、若さゆえの過ちとはそのようなものなのかも知れない。シャアのように半端に優秀なのが一番苦労なのである。

テレビ版のシャアと映画版のシャアの両方を理解してこそ、作品理解が深まり、より楽しめることができるだろう。




備考※ アイキャッチ画像は皇居を見学した際、休憩所で買ったガンダムコーヒーの缶の表面の絵です。知的財産権の観点から、敢えて缶全体を撮影せず、後ろの背景も入れ込むことにより、当該缶コーヒーは私の知的財産ではないこと、私が消費者として缶コーヒーを購入したことが分かるようにしています。

シャア・アズナブル論考①‐若さゆえの過ち

機動戦士ガンダムは一方に於いてアムロとホワイトベースクルーの成長と団結の物語を描いているが、もう一方に於いてシャア・アズナブルの栄光と転落を描いている。特にテレビアニメ版では顕著だ。しかし、後にリリースされた映画版の影響力があまりに強いため、シャアは偶像化され、完璧な人間の見本のように扱われ、圧倒的な人気を誇るようになった。最近になって『シャアの日常』のようなギャグマンガが通用するようになったのも、シャアが神格化されている故であると言うことができるだろう。但し、そのようなシャアはテレビ版の本意にそぐうものではないということもまた重要な事実であるように思える。何回かに分けて、テレビ版ガンダムでのシャアはどのような存在として描かれているのかを私なりに考察してみたい。

まず、第一回の放送分なのだが、冒頭で宇宙空間を移動するザクが登場し、彼らはサイド7のスペースコロニーに入り込み、地球連邦のモビルスーツを発見し、上官のシャアの判断を待たずに攻撃を始める。突然危機に見舞われたサイド7の住民たちが逃げまどい、ホワイトベースへと非難してゆく中、機械操作の才能に恵まれた少年アムロはこっそりガンダムに搭乗し、使いこなし、ザクを返り討ちにする。計3体いるザクのうち2体はアムロのガンダムによって打ち取られ、残りの1体は脱出してシャアの待つムサイに帰還するのである。

で、この放送分の最後のセリフがシャアの有名な「認めたくないものだな。若さゆえの過ちというものを」だ。シャアはなぜこのようなセリフを吐かねばならなかったのだろうか。若さゆえに彼はどのような過ちを犯したというのだろうか。たとえば「デニムに新兵を抑えられんとはな」というセリフもあるが、これはシャアの指示を待たずに若いザクのパイロットであるジーンが先制攻撃を始めてしまい、同行していた先輩のデニムはジーンの独断専行を追認する形で戦闘に参加した結果、二人とも戦死してしまったことに対するシャアの感想のような一言なのだが、ここだけ見れば、シャアはこの二人の戦死について責任はない。命令無視をしたジーンと、命令無視を追認したデニムに責任がある。その後全40回以上にわたりシャアは敗北に敗北を重ねていくことになるのだが、この段階ではそれはまだ未来のことで、シャアはルウム戦役で輝かしい戦果を挙げたジオン軍のスーパースターだ。この段階で、シャアに落ち度など、ないように見える。にもかかわらず、繰り返しになるが、シャアは「若さゆえの過ち」を認めているのである。果たして何が落ち度だったのだろうか?

この疑問を解くカギが第一回放送分のシャアのセリフに込められている。サイド7でザクとアムロの乗るガンダムとの間で戦闘が始まったと知った時、シャアは「これは私が行くしかなそうだ」と副官のドレンにシャア本人が出撃するとの意思を示す。ジーンとドレンはそもそも偵察が任務なので、二人が引き返してくるのが筋なのだが、事態の収拾のために、どういうわけがシャアが現場へ出向くというのである。言うまでもないが地球連邦軍にご挨拶する義理はない。生きているザクに帰還命令を出し、シャア本人はムサイで待つのが筋なのだ。しかし、シャアは行くという。理由は簡単である。シャアは現場に行きたくなってしまったのである。うずうずしてしまい、現場のジーンとデニムに手柄を立てられるのが悔しいので、自分も手柄を立てに行こうとしているというわけだ。サッカーでシュートを入れたい少年と同じ心境なのである。

そもそも、シャアはゲリラ掃蕩作戦の帰りに、地球連邦のV作戦の存在をキャッチし、その秘密がサイド7にありそうだということで予定外の遠回りをしてサイド7に立ち寄っている。ゲリラ掃蕩を命じられていたシャアに、そのような遠回りをする義理はなかったのだが、敵のV作戦の存在を知ったとたん、うずうずしてしまい、スーパースターの味が忘れられず、ルウム戦役の夢よもう一度と思って、独自の判断で動いたということになる。要するに手柄が欲しくて独断専行したというわけだ。もうちょっと言えば、若きジーンと上官のシャアは同じ心理構造を持っていたということが分かる。二人の運命を分けたものは、ジーンが敵対した相手が連邦軍の技術の結晶であるガンダムであり、シャアが敵対した相手はまだ戦いに不慣れな連邦軍だったという違いくらいしか思い浮かばない。

これでだいたい今回述べたいことは述べたのだが、シャアは上官のドズルから命令されたわけでもないのに、手柄が欲しくてうずうずしてしまい、行かなくてもいいサイド7に行って、なんとザク2機を失い、パイロットを2人戦死させているのである。これがシャアをして「若さゆえの過ち」と言わしめた失敗である。

もちろん、これはシャアの失敗の序の口に過ぎない。今後シャアはガンダムとホワイトベースのために数多のモビルスーツとパイロットを失い、親友を失い、スパイを失い、戦場の盟友を失い、恋人を失い、プライドも失うことになる。気の毒なことこの上ないのだが、このシャアの転落がガンダムの裏テーマだと考えれば、ガンダムという作品理解を深めるために無視するわけにもいかないのである。当面はシャアについて記事を追加していくことを予定している。