日本古代においていつ頃から太陽神信仰が中心になったのでしょうか?高松塚古墳とかキトラ古墳とかの壁画を見る限り、中国影響下なのか北極星信仰が優勢だったのかと素人的には思ってしまうのですが。

道教では北極星のことを天皇星と呼びますので天皇という呼称はまず間違いなく道教に由来していると考えて良いと思いますし、天皇という称号を最初に使用した天武天皇は天皇星が星空を支配するが如くに自身がヤマトを支配するようなイメージを持っていたものと思います。とはいえ太陽神であるアマテラスを祀る伊勢神宮を天皇家の氏神みたいな位置づけにしたのもやはり天武天皇なわけですね。

彼は仏教僧としての一面も持っており陰陽道にも通じていました。また聖徳太子を神がかった伝説的な人物として記述されることになったのも彼の意思であり聖徳太子が馬小屋で生まれたとかみたいな話になっている辺りはまず間違いなくイエスのイメージからヒントを得ていると思いますので天武天皇はキリスト教に関する知識も持っていたと私は思います。

つらつら考えるに、天武天皇がそれ以前の素朴なアニミズムを淘汰し北極星信仰と太陽信仰+聖徳太子のような超人信仰の合わせ技を使ったということではないかと思います。

非常にプロパガンダに長けた人物であったに違いありません。



立花隆さんの著作を読んで、死とは何かを考える

立花隆さんの著作は、『臨死体験』『サル学の現在』『死は怖くない』など、幾つか拝読したことがあります。立花さんは脳の機能に関する最新の研究をフォローすることで、死とは何かを説明しようと試みているわけですが、臨死体験に関する取材を通じて、立花さんの解答に辿り着いていらっしゃるようです。

まず、臨死体験とは何かを一応、押さえておきたいと思います。人が心肺停止などの状態に陥ると、通常は脳に酸素が届かなくなり、死に至ります。しかし、時々、ぎりぎりのところで心肺の活動が再開し、生還する人がいます。最近は救急医療の技術が発達していることで、そういう人の数が増えているらしいです。そのような人たちが心肺停止をしていた間、共通してある種の夢のような現象を視覚的に体験することが分かっており、これを一般に臨死体験と呼ぶわけですが、有名な話なので私が細かく述べる必要もないのですが、まず目の前に川があり、それを超えるとそれは美しい野原があって、お花が一面に咲いていて、気分もよく、幸福感に包まれて、前へ前へ進んでいくといずれかの段階で、過去に亡くなった親族や知人が現れたり、親族でも知人でもないけれど、すっごい崇高な存在に出会ったりします。臨死体験をした人は神に出会ったと表現する人もいるようです。そういった死んだおばあちゃんや神か天使か分からないsomething greatみたいな存在に、お前はまだ早いから帰りなさいと言われて引き返したところで意識が戻るというパターンが一般的で、他には途中で門があり、鬼か悪魔か分からない門番みたいな人がいて「あんたがこの門をくぐるのはまだ早い」と追い返されて意識が戻るというケースも少なくないようです。

最初の川はまさしく我々が一般的に言うところの三途の川に相当するものと言え、古来、人々がそういったものが存在すると認識していた証のようなものとも思えますが、臨死体験中にイエスキリストに出会う場合もあれば、ご先祖様に出会う場合もあるため、ある程度の文化的差異というものが存在するのではないかとも考えられています。もし、臨死体験に文化的差異が影響しているとすれば、文化的差異とは生きている間に教育されたりして会得するものなわけですから、真実に「あの世」に行ったというわけではないという結論に必然的に辿り着かざるを得ません。即ち、臨死体験という現象が実際に存在するからと言って、死後の世界が本当にあるとは断言することはできないわけです。

そのため、立花さんは世界中の脳科学の学者に取材したりすることを続けることで、臨死体験は物理的に説明可能なものであるとの結論に至ります。臨死体験は神秘体験でもなんでもなく、唯物論的に説明できるというわけです。マウスを使った実験により、生き物が真実に死を迎える直前に脳が激しく活動し、その後、完全に死に至るという現象が観測されたことから、臨死体験もまた、そのようなものなのではないか、いよいよ真実に生命が失われるという時になって、幸福な感覚で死んでいけるというシステムが人間に備わっているのではないかというわけです。そこから先、生物が完全に死んだ後、果たして本当にあの世があるのかどうかについては、死んでみなければ分からない領域に入ってしまうことになり、門番に入っていいよと言われて入った後、どうなるかは、どんなにがんばって知恵を絞り、観察を続け、ケーススタディを積み重ねてもやっぱり分からないという結論に至らざるを得なくなります。

しかしながら、それらの取材を通じて立花さんは死が怖くなくなったと言います。真実に死んだ後、仮に唯物論的な人間観が正しく、自分が消えて無くなるにせよ、自分が消滅するその瞬間は、生きているときでは味わうことができないほどの素晴らしく、美しく、崇高で、幸福なものであるに違いないのであれば、本当に自分が消えて無くなったら何も分からなくなるのだから、そこは心配する必要はなく、人生最後の幸福な経験を楽しもうくらいの感覚でいいのではないかくらいに立花さんは考えているようです。立花さんの著作を読むと、その瞬間を楽しみにしているようにすら思えなくもありません。また、時間的感覚というのは主観的なものですから、村上春樹さんの『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』のように、客観的物理的な死が訪れ、肉体が消滅するとしても、主観的時間感覚は1000年でも持続可能、ほぼ永久に無限に自分の存在を感じることは可能であるとも推測することができるため、客観的には死んだとしても主観的には不死であると考えることすら不可能ではありません。

しかしながら、立花さんは1つだけ条件をつけています。幸福な臨死体験をするためには、死の床の環境が良くなくてはいけないというのです。たとえば寒いところで倒れていたら、極寒の臨死体験をしたという事例があるため、暑いところで倒れてしまえば灼熱の臨死体験をする可能性もあり、事故などで即死の場合は臨死体験そのものが断絶されてしまう恐れもあり、暑くもなく寒くもない環境で安楽に死んでいけることが肝要であるとのことらしいです。

もっとも、個人的にはマッチ売りの少女や、イエスキリストの最期の瞬間を題材にした『最後の誘惑』という映画のように、如何に過酷な環境であったとしても、幸福感や主観的時間の変化というものはあり得るとも思えますから、いわゆる「畳の上で死ぬ」ということにそこまで固執しなくてもいいかも知れません。『戦場のメリークリスマス』でジャックセリアズ少佐が日本軍の虐待を受け死んでいくとき、過去に裏切ったことでうしろめたさを感じている相手である弟がセリアズ少佐の前に現れ、自宅へと招きますが、これも少佐の臨死体験ということになるのかも知れません。とはいえ立花さんの考えの方が正しい可能性もありますから、もし、死ぬのなら、自宅のベッドの上で眠るようにというのが理想的とも思えます。

最後に、もう一つ、欠くことのできない重要な議論があります。過去、臨死体験した人々によって語り継がれた三途の川や神や天使が脳の機能によって説明できるとすれば、神や仏は本当に存在しないのかという疑問が残ります。唯物論で「そんなものは存在しない」と押し切ることももちろんできますし、釈迦の教えの場合であれば、エネルギー不滅の法則には人間の魂というエネルギーも含まれるのだから、死ねば即輪廻転生ということも、ロジックとして成立しないわけではありません。もちろん、検証不可能なことですが、立花さんは、臨死体験が脳科学によって説明できるとしても、宗教を否定することはできないと結論しています。なぜなら、人間が死ぬときに、そのような幸福な体験をしなければならない合理的説明は存在せず、そのような安らかな死が与えられるように生まれた時からプログラムされているとすれば、そのプログラムがあるということ事態が、神のなせる業であるかも知れず、それを否定する材料は一切ないからということになります。

まあ、いろいろあるとしても死んでみなければわかりませんし、人は必ず死ぬわけですから、死んだ後のことは心配せずに、今を懸命に生きるということに尽きるかも知れません。
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帝政ローマとキリスト教

ナザレのイエスがゴルゴダの丘で受難を迎えた時、ローマ皇帝はティベリウスでした。当時のイスラエルは帝政ローマの属州の一つであり、当時はピラトが総督として派遣され、ユダヤ教の長老たちの協力を得て支配を進めていた時代です。

イエスがエルサレムに入り、反対派から「このコインは誰のものか?」というある種の頓智問答を迫られ「カエサルのものはカエサルに(皇帝のものは皇帝に)」という頓智の利いた切り返しをしたことは有名ですが、通貨の発行と流通は当該の地域の主権は誰が握っているのかを明らかにする分かりやすい指標とも言え、敢えて説明しなくとも、カエサルのものはカエサルにという言葉だけで、当時のイスラエル地方を支配していたのはローマ帝国であるということが分かるようになっています。

イエスが受難した後、ペテロがローマ帝国域内で熱心に布教をしことから現代まで続くローマカトリックの初代教皇はペテロであるとされており、今に至ってもペテロの名を持つ教皇は初代のみで、ペテロ2世は現れておらず、それだけでもペテロという存在がローマカトリックにとって如何に大きなものであるかをうかがい知ることができます。

当初、ローマ帝国はキリスト教を迫害し、特にネロによる迫害がつとに知られています。皇帝ネロは狂気性を帯びた芸術家肌の人で、才能が十分にあったかどうかはともかく、そういう方面を愛した人ですから、その狂気性によってキリスト教徒を迫害したのだとする指摘がある一方で、当時、一般的なローマ人が多神教を信じたことから考えると、一神教を信仰することは受け入れがたく、ネロの迫害は当時の常識としては普通であるとの指摘もあるようです。このあたりは当時を生きた人でなければ分からない、判断のつかないことかも知れません。

愛と赦しを説くキリスト教はその後も人々の間に広まり、コンスタンティヌス1世はミラノ勅令(並立するリキニウス帝と共同で発したと一般的にされているもの)を発し、その後、コンスタンティヌス1世の全ローマ統一が行われた後にニケア公会議によってキリスト教がローマ帝国公認の宗教へと育っていくことになります。旧約聖書の原文がヘブライ語であったのに対し、新約聖書の原文がギリシャ語で書かれたという事実は、ローマ帝国が世界の征服者であった当時であっても、ギリシャ語には高い権威が備わり、共通語としての性質を持っていたことを示すものですが、同時に、新約聖書がよくよく吟味されて編集・整理されたものであるということも示しているように思えます。後にキリスト教はローマ帝国の国教になるわけですが、それに従い、古代ローマの神話に基づいて制作された芸術品などは多く廃棄されたとも言われています。

ローマ帝国はコンスタンティヌス1世の時代からその中心をコンスタンティノープルへと移動させていき、コンスタンティノープルはキリスト教の東方教会の聖地として大いに繁栄していきます。ローマは西ローマ帝国の都ではあるものの、全体的には第二都市の地位へ転落することになります。ローマ帝国の分裂については日を改めて書いてみたいと思います。

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ヘーゲル‐かくして自由と理想は達成される

ヘーゲルは弁証法によってより高次の理想が達成されると考えました。即ちテーゼとアンチテーゼがぶつかり合ったとき、それを克服するための第三の道が見つけ出され、より高次のものへとつながっていくというわけです。このようにより高次のものへと上昇していくことをアウフヘーベンと呼び、テーゼとアンチテーゼがぶつかり合ったときにアウフヘーベンが起きると考えたわけです。

アウフヘーベンが起きた後、新しいテーゼ、ジンテーゼが生まれますが、やがてそのジンテーゼに対するアンチテーゼが登場し、ぶつかり合ってアウフヘーベンが起きます。それは人類の不断の営みと呼べるものですが、いずれはジンテーゼが限界に達します。それはアンチテーゼの生まれようのない理想的な世界であり、理想が達成された極相に到達したと考えることができます。

このようなテーゼとアンチテーゼのせめぎ合いで分かりやすいのは技術革新で、それこそAI開発の研究者や技術者たちはこの繰り返しをしているに違いないのですが、ヘーゲルの場合は、同じことが人類の歴史に於いても起きると考えました。

ヘーゲルは自由と善が達成された社会を理想としており、市民社会では自由はある程度達成されたと言えますが、各人が自己の欲求の追求に邁進するために必ずしも善が達成されるとは限りません。ヘーゲルはそのような状態で国家が善を達成すると考え、またそのように善を達成し得るものが国家として相応しいと考えました。

時代背景的にフランス革命からナポレオン戦争へと続くヨーロッパが壮大な転換点を迎えていたことと、ヘーゲルが以上のようなことを考えたことは当然に大きな相関関係があるように思えます。ヘーゲルはフランス革命が起きた時、友人と記念の植樹をして祝ったと言いますが、その後のナポレオンの姿を見て「世界精神が行く」と言ったとも言われています。即ち、ヘーゲルにとってフランス革命はテーゼとアンチテーゼのせめぎ合いの結果発生したアウフヘーベンであり、その後に登場したナポレオンはジンテーゼそのものであり、自由平等博愛を旨とするフランス革命がナポレオンに輸出されることは是であり、フランス革命的自由に彼は夢や理想を感じたに違いありません。アウフヘーベンが繰り返されればいずれは人間の歴史もその極相に達すると考えた背景には、稀に見る歴史的転換点に彼が触れることができたからなのかも知れません。

ヘーゲルの弁証法によって東西冷戦の終結を説明しようとしたのがフランシスフクヤマの『歴史の終わり』であるわけですが、ヘーゲル的な考え方によって全てが説明できるかどうか、何とも言い難いところは残ります。奢れる平家は久しからず、盛者必衰の理を表すとする東洋的な輪廻の世界観では、ヘーゲル的弁証法によってアウフヘーベンが極限まで達した結果、理想の世界が達成されるとする一直線且つ不可逆な世界観を受け入れることは容易なことではありません。実際、今の世界のいろいろな出来事には、東西冷戦時代の方がまだ整然としていてましだったのではないかと思えることも多いため、フランシスフクヤマの著作は少々勇み足であったのではないかとも思えます。

世界が不可逆の方向へ進むという思想はヘーゲルしかり、マルクスしかりですが、マルクスの対極にあるはずのキリスト教でもそうであり、やはりヨーロッパに伝統的に続いている、いずれ世界は終わるという思想と無関係には理解できないのかも知れません。

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パスカル‐人間とは何か

パスカルと言えば、『パンセ』という著作で「人間は考える葦である」と述べた人物としてよく知られています。しかし、「考える葦」とはそもそもどういう意味なのでしょうか?

パスカルによると、人間は大変に弱い生物であるということになります。ひ弱で繊細です。すぐに病気になるし、大抵の人は数十年で亡くなってしまいます。当時であれば天然痘などによる幼少期の死亡率もそれなりに高かったのではないかと思いますので「人間ってあっけないなあ」とパスカルが思っていたかも知れません。そのような弱い存在だとする意味で、人間は「葦」という植物と同じぐらいに弱いのだとして、「人間は葦である」としたわけですが、では、なぜ「考える葦」なのでしょうか。人と葦との決定的な違いは人間はいろいろなことが考えることができるし、神の実在を論証しようとしたり、宇宙の広がりについて議論しようとしたりできるという知性や理性を持っているという点です。葦にはそれはできません。もちろん、スピリチュアルな視点から、葦にも心があって叡智が備わっていると考える人もいるかも知れないのですが、とりあえず見た感じでは葦が何かを考えていると理解することは難しいことのように思えます。

またパスカルは人間を中間者だと表現したこともあります。無限の宇宙に比べれば人は小さい存在ですが、ミクロの世界から見れば巨大な存在であるため、中間的な存在だから中間者なのだそうです。

以上のようにパスカルは人間は偉大な内面を持っているけれども不完全な存在であるため、イエスキリストを信仰することによって魂の救済を得るほかはないと考えました。人間は不安や恐怖、臆病さや惰弱さ、罪悪感や膨らんだ欲求で頭の中がパニックになってしまうかも知れないような悲惨な存在で、もし信仰がなければ、その心の中の苦しさから逃げ出すために気晴らしをするしかないのですが、気晴らしに逃避してしまうこと自体が悲惨であるため、イエスキリストに頼るのだということのようです。「神」への信仰ではなく、「イエスキリスト」と表現しているところにいろいろな含みがあるように思えて、それは興味深いことのように思えるのですが、「自分は悲惨だという自覚がない状態で神を知れば、高慢であり、神を知らなければ悲惨な存在である人間は絶望するしかない」だから「イエスキリストへの信仰」によって救いを求めるしかないのだと言ったらしいのですが、はやり微妙な使い分けがあるように思え、それがどのような使い分けなのかということについてはラテン語の知識がなければ多分解明できないかも知れないのですが、信仰を人を救うという考え方は仏教でもどこでも広く存在する考え方ですし、実際に信仰によって救われている人も多いと思いますから、あまり細かいことは気にせずにそれでいいのではないかと思います。

パスカルはデカルトを批判したことでもよく知られています。パスカルは人間は不完全な存在であると理解していたため、デカルトが理性によって宇宙の真理に辿り着けると考えていたことが許せなかったということらしいのですが、私の理解が正しければ、デカルトも人間は不完全な存在だと考えていたはずですので、おそらくパスカルは重箱の隅をつつくようにデカルトを批判していたのではないかという気がしなくもありません。

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スピノザと遠藤周作

スピノザはデカルトの思想には強い影響を受けたと言われていますが、デカルトが唱えた物心二元論に対しては批判的であり、この世の全てのもの、人の心から花や草などの自然現象、その他ありとあらゆるものに神が宿るとする神一元論という結論に至るようになりました。これを汎神論と呼びますが、全てに神が宿る、或いは全てが神の現れである、または全てが神の一部であるとする考え方は、「無神論」であるとして強い批判を浴び、社会的に干されてしまい、孤独な最期を迎えることになります。あくまでも神に対する考え方の問題でしかないにもかかわらず、社会的に干されてしまうのですから、お気の毒としか思えません。

この「汎神論」という言葉を聴けば、ちょっといろいろ読んでいる人であれば、遠藤周作さんのことがぱっと思い浮かぶのではないかと思えます。遠藤周作さんはかすてメタフィジック批評、形而論的な観点からの批評を行おうとした人ですが、日本人的な形而上の観念とヨーロッパのそれとは違うという立場から、日本の著述の世界をある種の脱ヨーロッパへ向かわせようと努力します。そこには江藤淳先生の『喪失と成熟』的な立場に立てば、西洋に対する強い反感、ある種の憎悪があるように思えなくもありません。遠藤周作さんは上に述べた汎神論と20世紀に入って話題になった宗教多元論という観点から、最後の長編である『深い河』を書き、その信じるところを小説作品にしています。

この遠藤周作さんの汎神論と、スピノザの汎神論は神は遍く宿っていると考える点で大変によく似ています。スピノザはオランダの人ですが、慶応大学の仏文科を卒業し、フランスに留学してヨーロッパの思想哲学の体系を熱心に研究した遠藤周作さんがスピノザを理解していなかったなどということはあり得ず、スピノザの汎神論のこともよく理解し、スピノザが無神論者だと批判されたことも当然に知っており、彼は自身をある程度スピノザに重ね合わせたのではないかとすら思えてきます。

『深い河』の大津はイエスキリストの如く、人の罪を背負って孤独な死を迎えます。これはスピノザがそうであり、またソクラテスがそうであったように、「自分が正義だ」と信じて疑わない人の罪を代わって受け入れるという広い意味での愛の行為であったと言えるのかも知れません。私にそうする勇気はないですが、そのように思うと、ソクラテス、イエス、スピノザ、大津に繋がる自己犠牲の愛の系譜が出来上がるようにも思え、大変に興味深いことのように思えます。


ソクラテスとイエスキリスト

ソクラテスはギリシャ哲学の大スターとも言え、その名は大変知られています。また、タレスやピタゴラスのような「万物の根源は〇〇だ」みたいなややこしいことでもないので、どういう人かということもだいたいよく知られているのではないかと思います。

ソクラテスは真善美の発想法で、善く生きることを実践することを欲し、善く生きるためには善なる魂を持つこと、善なる魂を持てば自ずと善なる行動が伴うと考えたといいます。

そのソクラテスは、デルフォイの神託で「この世で一番賢いのはソクラテスだ」と聴かされ、それを検証するためにいろいろな人に議論をふっかけては論破するという、果たしてそれが善なのかと疑いたくなるようなことをやり続け、人々に嫌われて最期は死刑の判決を下され、それを受け入れて毒杯をあおり、その人生を閉じたと言われています。「悪法も法なり」という言葉はよく知られており、悪法は果たして守るべきなのかという意味では「法の支配」と「法治主義」の違いの議論にもつながりそうな気もしますが、個人的にはデルフォイ神殿の「汝自身を知れ」という言葉にソクラテスが啓発されて「無知の知」に至ったということの方が、なんとなくじわっと響いてくる感じがします。おそらくその理由は「汝自身を知れ」という言葉がやたらとかっこいい感じがするという私のごく個人的な好みの問題になると思います。

それはさておき、国外逃亡の可能性もあったのにそれを選ばずに法に従うとして「殉難」の死を選んだソクラテスですが、本人の著作というものはなく、プラトンがソクラテスについて書き残した『ソクラテスの弁明』などによって我々はソクラテスの発言や考え方を知ることができます。

このソクラテスの生涯とその伝承のされ方が、イエスキリストとそっくりだということに気づきます。イエスキリストはソクラテスとは違ったやり方で、善なる魂と善なる行動を追及し、実践し、言いがかりによって磔刑に処されます。イエス本人の著作はもちろんなく、弟子たちによる四福音書によって彼の言動が伝えられているというのも、プラトンが『ソクラテスの弁明』によってソクラテスの存在を伝承としたということと大変相似しているようにも思えてきます。

キリスト教はその当初の歴史においてはローマ帝国からの迫害を受けますが、後にローマ帝国の国教とされるほどに浸透していきます。よく知られていると思いますが、二ケア公会議などにおいてキリスト教の聖典や教義が整理されていきますので、ある程度、キリスト教がローマ的なものへと変貌したのではないかと想像できます。当時のローマ人にとって最高の知識と知恵はギリシャ語とギリシャ哲学だったと言います。そのため、美しくかつ聖なる存在であったイエスキリストの人物像を整理するにあたっては、古代ギリシャ的な符号を重視し、場合によっては採り入れたのではないかとも私には想像でき、あるいはソクラテスをある程度モデルにしてイエスキリストの生涯と人物像を整理したのではないかという気がします。そんな気がするだけで、それを理由にキリスト教を批判するつもりはありません。私もキリスト教の洗礼を受けていますので、キリスト教のいい面については自分なりに理解につとめているつもりです。ただ、飽くまでも知的探求心の範疇として以上のようなことを考えてみただけです。