今回はフランシス・フォード・コッポラ監督が制作した、もしかしたら世界で最も有名なアメリカ映画かも知れない、映画『ゴッドファーザー』の、マイケルコルレオーネがどんな性格で、何を考えて残酷な殺人事件を起こしたり、或いはそういう命令を出したりしていたかについて、ちょっと考えてみたいと思います。
この映画の冒頭は、マイケルの妹のコニーの結婚式から始まります。主たる登場人物が一同に会する名場面ですが、ここにいる人達の中で、果たして何人殺されるでしょうという謎かけみたいな効果を持つ画面でもあります。一度目の鑑賞ではそこまで考えることはできませんけれど、何度も見れば、あ、このおじさん、後で死ぬ人だ。とかだんだんわかってきますから、そういうことに気づいてくれよと監督は求めているんだと思います。
ニューヨークのイタリアマフィアの結婚式がボスでマイケルの父親であるドン・ビトー・コルレオーネの巨大な邸宅で行われているわけですから、邸宅の外には警察の車両が監視目的で張り込みをしており、新聞記者も来ているというわけで、家の外はアメリカ・ニューヨークであり、家の中はスモールイタリーみたいになっていることが、結婚式で歌われている歌とか、みんなの様子から分かる、みんな楽しそうだけれど、実は異文化が直接退対峙するような、緊張感のあるシーンなわけですね。
で、そこにアメリカ海軍の軍服を着たマイケルが恋人を連れてやってきます。マイケルもビトー・コルレオーネの三男ですから、正真正銘イタリア系アメリカ人なわけですが、軍服を着て登場したという事実は、彼がイタリア系ということよりも、普通のアメリカ市民であるということを自分のアイデンティティとして意識しているということが分かります。アメリカは退役軍人を非常に大事にするわけですが、マイケルも自分は退役軍人だということを制服で無言で語っているわけですね。1945年の夏という設定になっていますから、マイケルはおそらく太平洋で日本軍と戦って帰ってきた英雄であるわけです。マイケルは次第に実におっさんくさいマフィアのボスへと変貌していきますし、アメリカ人である前にイタリア系みたいな雰囲気になっていくんですけど、この段階では、まだそういう雰囲気ではありません。
マイケルには兄が二人いますから、マイケルがマフィアを継承するなんて誰も考えてないし、イタリア系じゃない恋人を堂々と連れてくるあたりに、マイケル自身もそんな生き方を選ぶつもりはないということが表現されていると言っていいと思います。
さて、当時ニューヨークでめっちゃ恐れられた、マーロン・ブランドが演じているビトー・コルレオーネなわけですが、そこに盾突く男が現れます。ソロッツオという男で、他のマフィアの大ボスみたいなのも味方につけているだけじゃなく、ニューヨーク市警の警部まで抱き込んでいるという一筋縄ではいかない男です。ソロッツオはビトー・コルレオーネに対し、ニューヨークでドラッグを売りたいから協力してほしいともちかけるのですが、ビトー・コルレオーネは断ります。コルレオーネ・ファミリーはカジノビジネスをシノギにしているのですが、カジノはいわばお金持ちの遊びみたいなものなのに対し、ドラッグは貧乏人に売りつけて廃人にするという悪魔の商品ですから、そんなのは協力しねえというわけです。
そしてしばらくの地に、ビトー・コルレオーネは銃撃を受け、死んだかと思いきや命は助かって入院します。マイケルが病院にかけつけるのですが、父親に護衛がついていないということに気づき、まあ、必死で自分が守ろうとするんですね。そうやってがんばっているときに、ソロッツオに抱き込まれた警部が現場にやってきて、てめーこのやろー邪魔なんだよみたいな話になって、マイケルの頬っぺたの骨が折れるほど酷く殴ります。
続いて、ソロッツオからコルレオーネ・ファミリーに連絡が来るんですけど、このまま互いに殺し合ってもよくないから、話し合いたい、マイケルを代表者にしてよこしてほしいと言ってきます。
マイケルはマフィアの仕事とはかかわっていない素人で、若いおぼっちゃんですから、幾らでも丸め込めると思ったのかも知れません。コルレオーネ側では、なめんなこのやろーといきりたつんですが、マイケルが「じゃ、僕がやつらを殺す」言うんですね。みんな、一瞬爆笑するんですけど、状況的にマイケルならやつらを殺せると気づき、みんなの表情が本気になっていきます。
本来、マフィアの仕事から距離を置いていた、真面目なアメリカ市民であるはずのマイケルが、どうして殺人を請け負おうというくらいに心境が変化したのだろうかと言えば、警部に思いっきり殴られたんで、やっぱり頭に来ているわけですよね。
この映画のおもしろいところは、マイケルという素朴で真面目なアメリカ市民が、イタリアマフィアの大ボスとして存分に腕を振るうようになるまでの変貌ぶりがしっかり描かれているところなんですけど、イメージとしてはアメリカで育ったものの、イタリアン・マフィアのDNAがマイケルにとってはもっと優勢になっていて、血は水よりも濃いというか、マイケルも本当はそんなのは嫌だと思っているのに、気づくとどんどんマフィアぽくなっていくというところがさらに見せ場みたいな感じなわけですね。
で、マイケルは指定されたレストランでソロッツオと警部との三人で会うことになります。レストランを指定された直後にコルレオーネ・ファミリーの関係者がレストランおトイレのタンクの裏に殺人用の銃をガムテープではりつけに行ったはずですから、マイケルはタイミングを見計らってトイレに行き、銃をとってきてためらわずに二人を撃ち殺し、銃を現場に捨てて立ち去るという筋書きが想定されていました。
しかしマイケルはすぐにはトイレに行かないんですね。マイケルはソロッツオと話し合おうとします。この時の彼の本音としては、できればソロッツオと和解のための話し合いが成立すればいいのにと思っているらしいんです。ここはマイケルの独断なんですけど、彼の出した条件は、父親の身の安全を保障するというものでした。ソロッツオの答えは「俺にそんなことが約束できるわけがない。俺はそんなに偉くないんだ」というものでした。要するにマイケルの父親のビトー・コルレオーネの安全は約束されない、ソロッツオは本音では今後も父親の命を狙い続けるつもりらしいということが分かります。もしソロッツオが「分かった。お父さんには手を出さない」と返答してくれれば、マイケルはこのまま話し合いをまとめて帰ったかも知れません。マイケルの目が泳ぎ始めます。表情に不安が浮き上がってきます。ソロッツオが父親を狙わないと約束しないので、この段階で彼はソロッツオと警部を殺害する決心を固めたと言えます。つまりマイケルは血気盛んで敵は殺せ!とか思うタイプじゃなくて、慎重に慎重に考え抜いて、どうしてもそれ以外の選択肢がないと判断してから、人を殺すというタイプなんですね。マイケルの心の叫びみたいなのが聞こえてくるとすれば、本当はこんな結末を望んではいなかったのに..。というようなものだと思います。
で、彼はイタリアに逃亡し、何年も逃亡生活を送ります。ニューヨークには恋人が待っているのに、シシリー島の美しい女性と恋に落ち、結婚してしまいます。マイケルのニューヨークの恋人はダイアン・キートンが演じてるんですけど、彼女は教養のある、ちゃんと教育を受けた、まっとうなアメリカ市民という感じの雰囲気なんですね。でもマイケルは、その恋人よりも、シシリー島の田舎娘だけれど、情熱的な本能のレベルで男性の心を刺激する女性に惹かれてしまったわけです。要するにマイケルのイタリア系としてのDNAが刺激されてしまったと説明できる場面ですし、或いはこの時、イタリア人女性と結ばれてしまった彼はアメリカ人であるよりもイタリア系として生きることを、知らずに選択してしまったということなのかも知れません。
結局、イタリアの美しい若奥様は、マイケルの代わりに殺されてしまいます。ニューヨークでマフィアの手打ちが行われ、マイケルはアメリカに帰ってくるし、ダイアン・キートンと理想的な家庭を築こうと努力するんですけど、彼女はマイケルの手が血で汚れていることにうすうす気づいていて、しかもマイケルがアメリカ人というよりイタリア人の雰囲気がどんどん強くなっていくので、違和感をぬぐえなくなっていってしまいます。
で、マイケルの性格を表すもう一つの殺人事件が、映画の終盤で描かれます。マイケルの上の兄のソニーはマフィア同士の抗争で殺されてしまい、下の兄のフレードは頭がちょっと悪すぎるのでマフィアのボスは無理だったものですから、マイケルがマフィアを継承します。で、父親のビトー・コルレオーネが亡くなったタイミングで、敵のマフィアに潰される前に、まとめて敵を皆殺しにするわけです。ゴッドファーザー的解決という表現を読んだことがありますけど、要するにまとめてやっちまうことをそう呼ぶようです。
ただ、これで終わりではありませんでした。マイケルは兄のソニーがなぜ殺されたのかを多分、かなり前から調べていて、どうやら妹のコニーの旦那のカルロが裏切っていたらしいということに気づきます。というのも、カルロ、コニーにDVはするは、浮気はするは、最低男の見本みたいなやつなんですが、コニーが兄のソニーに電話して「助けて!」と言ったところ、ソニーはボディガードもつけずに飛び出して行って、機関銃でハチの巣にされてしまったという経緯があったからなんですね。つまりシチュエーション的に、カルロがわざとコニーを殴り、ソニーをおびき出したと読みとることができるというわけです。
で、ですよ、マイケルはカルロに告げるんですね。「バルツイーニとかタッタリアとか、お前が裏でつながっていたであろう、敵対するマフィアのボスはまとめて死んだ」と。カルロは驚愕します。全部バレてると気づくわけですね。マイケルは「カルロ、お前は妹のコニーの夫じゃないか、私がお前を殺すと思うか?」と悪魔のささやきみたいなことを言います。「さあカルロ、お前をそそのかしたのは誰だ?バルツイーニか?タッタリアか?私に嘘をつくな。嘘は相手を侮辱している」とたたみかけてくるわけですね。カルロは「バルツイーニ」と力なく小さな声で言います。カルロ本人による裏切りの告白というわけです。こうしてカルロは殺されることになってしまいました。ここで注目したいのは、マイケルはぎりぎり最後までカルロにチャンスを与えてることなんですね。もしカルロが白を切りとおすのなら、それを信じてもいい、ある種の男に二言はないみたいな、日本風に言えば武士に二言はないみたいな価値観だと思うんですけど、マイケルはカルロに対して、最後は自分で運命を選べるようにしたわけです。で、カルロが甘い男なので、自白してもゆるしてもらえると勘違いして、しゃべっちゃったと。言うわけですね。
最初の事件と、このカルロの事件に共通しているのは、できればぎりぎり最後まで、マイケルとしては命を助ける可能性を残そうとしたことです。でも、相手がそっちを選んでくれない。だからやむを得ず殺したということになってですね、マイケルは自分では望んでないのに、血を流すことになってしまうという苦しみを味わうことになります。
ゴッドファーザーパート2になると、下の兄のフレードがマイケルを裏切っていたことがバレて最後に殺されます。で、パート3では、マイケルがそのことをひたすら後悔し続けてきたことが分かるという流れになっています。マイケルは号泣しつつというか、慟哭しながらフレードの殺害を命じたことを懺悔します。いかにそのことで彼が苦しみ続けて来たかが分かる、いい場面というか、ぐっとくる場面ではあるんですけど、本当は血を流したくないのに、そうならざるを得ないということで苦しみ続けて来た、マイケルの人生には同情すべき点も多いと思います。で、感情にまかせずに、最後の最後まで、相手を殺さずにすむ可能性を探ろうとするあたりに、マイケルがアメリカという市民社会の法をきわめて重視する社会に属する人間であるということを見て取ることができるわけです。ただし、本当に殺したくないと思えば、それでも殺さないと言う究極のゆるしを与える天使のマイケルになれる可能性もあったわけですけど、自分の頭の中で設定した条件を相手が満たすと迷わずやっちゃうという辺りに、マイケルの弱さもあるということなのかも知れません。