共和党の黒幕?ロジャーストーン

netflixのオリジナル制作ドキュメンタリーに『困った時のロジャーストーン』というのがあったので、ちょっと見ました。なるほど、アメリカの政治の世界はこうなっているのかというのがよく分かるいいドキュメンタリーフィルムです。

ロジャーストーンという人物はなんとリチャードニクソンの時代から選挙参謀として活躍し、その後はロナルドレーガンを大統領に押し上げ、最近ではドナルドトランプを大統領に仕立て上げた人物と言われており、要するに過去50年くらいの共和党大統領の誕生の背後で常に暗躍し、フィクサーとして成果を挙げてきた男ということらしいです。

で、このドキュメンタリーでは、政敵を倒すためには手段を選ばずネガティブキャンペーンを行い、政治の世界は金で動かせると信じ、勝つためにはできることは全てやるというタフさを持つ男としてロジャーストーンを描いており、視聴者に対して「これが、いわゆるワシントンの腐敗した政治家たちの黒幕ですよ」という印象を与える効果を持つものと言えます。私が感心したのはこの作品を見ることで、アメリカのロビー活動がどれくらいの影響力を発揮するかがよく分かったという点で、一般的な報道などで大統領が〇〇と発言したなどのことでは推し量りがたい良くも悪くも奥の深い世界があるのだなあとしみじみと思えたことです。裏で活躍していろいろと仕掛けをし、意中の人物を勝利させるという意味では、日本でいえば小泉純一郎さんにとっての飯島勲さん、田中角栄さんにとっての早坂茂三さんのような感じの存在と言えるのではないかなあと思います。私はロジャーストーンのような人がいることが良いとか悪いとかを論じたいわけではなくて、なるほど、そうなっているのかということをまずは受け止めたいといったところです。

ですが、ロジャーストーンという人物は裏で仕掛けをするわりにはなかなかに派手好きです。スーツも派手、舌鋒も鋭く、ボディビルディングでムキムキであり、背中にはリチャードニクソンの顔をタトゥーにして入れていて、求められれば服を脱いでそのタトゥーを見せてくれるという、かなり変わった男です。裏の人間なのに目立ちたがりみたいな感じでしょうか。飯島勲さんや早坂茂三さんもインパクトの強い人物ですから、いわゆるフィクサーと呼ばれる人たちも、それだけの仕事をするわけですから常人とは違ったオーラを放つものなのかも知れません。彼の自宅にはニクソングッズが山のように展示されていましたから、おそらくリチャードニクソンが彼の原点なのだと自覚しているのでしょう。

この作品によるとロジャーストーンはかなり早い段階からトランプ氏に目をつけていて、この男を共和党の大統領にしようと狙っていたらしいのですが、確かにこの作品で見る限り、テッドクルーズよりもトランプの方が遥かにインパクトがあり、ヒラリークリントンという大物と勝負するにはトランプ並みの破壊力がなければならなかったのかも知れません。ヒラリーさんよりトランプの方が見ていておもしろいというのは確かにありますから、おもしろいだけのおじさんを大統領にしてしまったことが吉と出るか凶と出るかはもう少し先にならなければ分からないものの、ロジャーストーンの選挙で勝てる人物を選ぶ目は相当鋭いと言ってもいいのかも知れません。

そうは言ってもクリントン大統領が登場したり、オバマ大統領が登場したりと民主党が勝っている場合もあるわけですから、ロジャーストーンが連戦連勝というわけでもなく、勝ったり負けたりを繰り返しているという意味では案外普通なのかも知れません。









『ファイナル・イヤー』‐オバマ大統領の壮大なイメージビデオ

オバマ政権最後の一年をカメラが追いかけ続けた『ファイナル・イヤー』は、オバマ大統領が好きな人にとってはたまらないイメージビデオになっており、オバマ大統領が嫌いな人にとっては「かっこつけやがって」と別の意味で見ていられない作品と言えるかも知れません。

登場するのはオバマ氏とケリー氏、その他彼を支える周囲のスタッフたちなわけですが、マスメディアの見ていないところでカメラが回っているため、もうちょっと突っ込んだあたり、どのようにして彼らが意思決定をしているのか、どんな会話をしているのかというあたりを見ることができるのは興味深いです。ホワイトハウスの中がどうなっているのかも、僅かながら見て取ることも可能です。もちろん、見せられないところはカメラは回ってないでしょうから、歴史の評価を待たなくてはいけないとも思えます。

さて、とにかく彼らは走ります。走りながら意思疎通をしています。かっこいいの一言に尽きるいい場面が次々と出てきます。人が走る姿は見る人に感銘を与えます。なぜかは分かりませんが、人が走っている姿には何らかの感動的なものがあります。箱根駅伝をみんなが一生懸命見るのも、オリンピックのマラソンをみんなが一生懸命見るのも、なぜか分からないけど人が走るという姿に感動するからです。

で、この映画では大統領のスタッフたちが走るだけではありません。真剣な表情で議論を積み重ねる様子が撮影されています。世界の平和のために真剣な表情で議論を重ねる彼らの姿はもちろんとても絵になります。そしてなんと言ってもオバマ大統領の絵になることと言ったら文句ありません。高く評価されるスピーチ力、苦悩し、重大な決断を迫られる際の表情、どれも決まっています。

お決まり、お約束と言ってもいいですが、世界中を訪れて、人種、民族、宗教を越えてオバマ大統領が親しく話をする場面、特に子供たちとコミュニケーションする場面はこれでもかというくらいに登場します。子どもとコミュニケーションをする人はいい人と決まっているようなものですから、この映画のオバマ大統領いい人アピール大作戦は大いなる成功を収めていると言ってもいいでしょう。

シリアの深刻な問題についてはわりと突っ込んだところまでこの作品で論じていますが、一方で東アジアの難しい問題は基本的にほぼ無視。唯一、オバマ大統領が広島を訪問したところだけは丁寧に撮影されています。

そして最後の方では大統領選挙でトランプ氏が勝利する場面。民主党勝利を確信していたはずの大統領スタッフたちが文字通り言葉をなくしている様子が撮影されます。こればっかりはかっこよく撮影するわけにはいかず、同情的な雰囲気を漂わせるほかありません。

個人的にちょっと気づいたのはケリー氏がこれでもかというくらいに登場するわりにヒラリーさんが全然出てきません。この映画だけ見ると、ヒラリーっていう人、本当にいたっけ?と思ってしまうほどです。オバマとヒラリーは仲が悪いんだと主張する人の動画を見たことがありますが、意外と本当にそうだったのかも知れません。

いずれにせよ、オバマ大統領が去る前の一年を撮り続け、結果として身内で楽しむ壮大なファミリービデオみたいになっています。オバマ大統領が好きな人にとってはたまらないことでしょう。

アメリカは北朝鮮と戦争しない【予測】

今日は2017年9月1日です。昨日、voice of Americaの中国語版を見ていたのですが、北朝鮮のミサイルが日本の北海道を飛び越えて太平洋に落ちたこと、日本の反応、更には今後の日本の軍事力の強化の可能性などについて議論していました。

voice of Americaがアメリカのプロパガンダメディアであることは言うまでもないことですが、このメディアでこういった話題を取り上げて議論する背景には何があるのでしょうか。当該の番組では日本の軍事費が増加傾向にあること、しかし日本には憲法上の制約があること、更に靖国神社の話まで話題が及んでいました。現行憲法と過去の戦争に対する反省が日本にとって呪縛なのか歯止めなのかはともかく、軍事に関して日本にできることには限界があるということには異論のある人はあまりいないと思います。

voice of Americaを時々見る限り、わりといけいけというか、俺たち、ちょー西側、自由と民主主義を守る感満載なわけで、こういった場合はどちらかと言えばタカ派的な意見を前面に出すことが多いため、通常の感覚なら北朝鮮のミサイル発射に対して米軍はどうでるかというところに焦点を当てそうなところですが、日本の軍事力に焦点を当てているということは、アメリカ軍が本気で北朝鮮と事を構えるつもりはないということを意味しているように思えます。で、日本には上に述べたような制約があるということを確認しつつも、東アジアの自由と民主主義の価値観を守るためには日本に仕事をさせたい、日本に分担してほしいというのが当該のメッセージではなかったかと私には思えます。

北朝鮮がアメリカに直接撃ち込むという自殺行為をするとは考えられませんから、アメリカ軍が手を出さない以上、戦争にはならないと見るのが妥当ではないでしょうか。朝鮮戦争以来、アメリカでは日本の再武装を望む声は決して小さくなく、日本人は真面目ですから使い勝手のいいアメリカ軍東アジア支部として日本の軍事力を使いたいはずです。その一方で繰り返しになりますが上に述べたような制約があるわけですから、二律背反な状況が過去数十年続いていたと言ってもいいかも知れません。これから日本は北朝鮮のミサイルの重圧を受けながら生きて行くのかと思うとかなり気が重いですが、かといって戦争になれば下手をすれば数百万人のマスマーダーになってしまう恐れもあるわけで、簡単に「やっちまえ」と言う勇気も私にはありません。

いずれにせよ、短期で解決する問題ではなさそうなので、じっくりと構えて成り行きを見守るしかないようです。

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昭和史77‐日米交渉暗号対応表

昭和16年11月26日付で東郷茂徳外務大臣から、ワシントンDCでアメリカのハル国務長官宛に送られた電報で、暗号対応表のようなものが見つかりましたので、ちょっと紹介してみたいと思います。当該の電報では、状況が逼迫しているので電報では時間がかかりすぎる場合があるので、電話で話し合わなくてはいけないから、その時のために「隠語」を使うことにするという趣旨のことが書かれています。電報は当然暗号電報ですから、その解読に時間がかかるわけですが、そんな悠長なことをしている場合ではないと、電話で話し合わなくてはいけないが盗聴されているだろうから、それに備えて暗号を使って電話で会話するというわけです。で、その対応表は以下のようになっています。

三国条約問題=ニューヨーク
無差別待遇問題=シカゴ
支那問題=サンフランシスコ
総理=伊藤君
外務大臣=伊達君
陸軍=徳川君
海軍=前川君
日米交渉=縁談
大統領=君子サン
ハル=梅子サン
国内情勢=商売
譲歩する=山を売る
譲歩せず=山は売れぬ
形成急転する=子供が生れる

となっています。11月26日の段階というのは、東条内閣は開戦の意思をほぼ固めていたころで、海軍は真珠湾攻撃のための準備万端整えていたころになります。この時期は、アメリカとの戦争を決意したけれども、その決意を悟られないために交渉を続けるようにと東条英機首相から東郷外相に意向が伝えられた上に、開戦予定日は秘匿事項として教えられないとも言われ、東郷外相からは「そんなことで外交交渉ができるか」と反発があったのと大体同じ時期です。

当該の電報では、譲歩する、譲歩しない、形勢急転するについての暗号も決められていますから、少なくとも東郷外相個人は日米交渉にまだぎりぎりの希望を抱いていたのではないかと推察できます。国内情勢についての暗号も決めていたということは閣内の意見が変わるかも知れないという期待も込められていたのではないかという気もします。そのように思いながらこの対応表を見ると、実に惜しいというか、ぎりぎりまで戦争回避の可能性はあったのではないかと思えて来ます。伊藤君と伊達君の意見が一致して商売で山を売ることになり、縁談がうまく進んで子供も生まれてくれれば良かったのになあと、残念な思いも湧いてきますねえ…。

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昭和史76‐太平洋戦争は何故起きたのか(結論!)

資料を読み続けてきましたが、一応、手元に集めたもの全てに目を通しましたので、ここで一旦、昭和史については終えることにしますが、そこから私が得た知見を述べたいと思います。太平洋戦争は何故起きたのか、私なりに結論を得ることができました。

1、蒋介石との戦争に固執し過ぎた

日本軍、特に陸軍は蒋介石との戦争は絶対に完遂するとして、一歩も引く構えがありませんでした。しかし、情報・宣伝・調略戦の面では蒋介石が圧倒的に有利に展開していたということに
気づきつつもそこは無視してとにかく重慶を陥落させるということに固執し、空爆を続け、蒋介石のカウンターパートとして汪兆銘を引っ張り出し、新しい国民政府を建設し、蒋介石とは
対話すらできない状況まで持ち込んでいきます。情報・宣伝・調略の面では、蒋介石はソビエト連邦を含む欧米諸国を味方につけており、しかも欧米諸国はかなり熱心に蒋介石を援助していましたから、長期戦になればなるほど日本は疲弊し、国力を消耗させていくことになってしまいました。フランス領インドネシアへの進駐も援蒋ルートの一つを遮断することが目的の一つでしたが、それがきっかけでアメリカからの本格的な経済封鎖が始まってしまいます。アメリカから日本に突き付けた要求を簡単にまとめると、「蒋介石から手を引け」に尽きるわけで、蒋介石から手を引いたところで、日本に不利益はぶっちゃけ何もありませんから、蒋介石から手を引けばよかったのです。それで全て収まったのです。更に言えば、日本帝国は満州国と汪兆銘政権という衛星国を作りますが、味方を変えれば中国の国内の分裂に日本が乗っかったとも言え、蒋介石・張学良・汪兆銘・毛沢東の合従連衡に振り回されていた感がないわけでもな
く、汪兆銘と満州国に突っ込んだ国富は莫大なものにのぼった筈ですから、アメリカと戦争する前に疲弊していたにも関わらず、それでもただひたすら陸軍が「打倒蒋介石」に固執し続けた
ことが、アメリカに譲歩を示すことすらできずに、蒋介石との戦争を止めるくらいなら、そんな邪魔をするアメリカとも戦争するという合理性の欠いた決心をすることになってしまったと言っていいのではないかと思います。

2、ドイツを過度に信頼してしまった

日本が蒋介石との戦争で既に相当に疲弊していたことは述べましたが、それでもアメリカ・イギリスと戦争したのはなぜかと言えば、アドルフヒトラーのドイツと同盟を結んだことで、「自分たちは絶対に勝てる」と自己暗示をかけてしまったことにも原因があるように思います。日本だけでは勝てない、とてもアメリカやイギリスのような巨大な国と戦争することなんてできないということは分かっている。だが、自分たちにはドイツがついている。ドイツが勝つ可能性は100%なので、ドイツにさえついていけば大丈夫という他力本願になっていたことが資料を読み込むうちに分かってきました。確かにドイツは技術に優れ、装備に優れ、アドルフヒトラーという狂気故の常識破りの先方で緒戦に勝利し、圧倒的には見えたことでしょう。しかし、第一次世界大戦の敗戦国であり、植民地もほとんど持たなかったドイツには長期戦に耐えるだけの資本力がありませんでした。更にヨーロッパで二正面戦争に突入し、アメリカがソビエト連邦に大がかりな援助を約束してもいますから、英米はドイツはそろそろ敗けて来るということを予想していたとも言われます。日本帝国だけが、ドイツの脆弱性に気づかなかったというわけです。ドイツは絶対に勝つ神話を広めたのは松岡洋右と大島駐ベルリン大使の責任は重いのではないかと思えます。

3、国策を変更する勇気がなかった

昭和16年7月2日の御前会議で、南進しつつ北進するという玉虫色的な国策が正式に決定されます。フランス領インドシナへの進駐もその国策に則ったものですし、構想としてはアジア太平洋エリア丸ごと日本の経済圏に組み込むつもりでしたから、その後も南進を止めることはできなかったわけで、南進を続ければそのエリアに植民地を持つイギリス・アメリカとは必ず衝突します。アメリカとの戦争を近衛文麿が避けたかったのは多分、事実ですし、東条英機も昭和天皇からアメリカとは戦争するなという内意を受けていたのにも関わらず、国策に引っ張られ、国策を決めたじゃないかとの軍の内部からも突き上げられて戦争を続けてしまったわけです。

以上の3つが主たる原因と思いますが、どれもみな、日本人が日本人の意思としての選択であったと私には思えます。蒋介石との戦争に必然性はありませんから、いつでも辞めてよかったのです。ドイツを信用するのも当時の政治の中央にいた人物たちの目が誤っていたからです。国策だって自分たちで決めることですから、自分たちで変更すれば良かったのです。そう思うと、ほんとうにダメダメな選択をし続けた日本帝国にはため息をつくしかありません。私は日本人ですから、日本が戦争に敗けたことは残念なことだと思います。しかし、こりゃ、敗けるわなあとしみじみと思うのです。

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昭和史75‐「帝国遂に立てり」orz

手元の資料の昭和17年1月1日付の号では、表紙にでかでかと『帝国遂に立てり』と大きな字が書かれています。やっちまったのです。アメリカと戦争するという一番やってはいけない悪手をとうとう選んでしまった、悪い意味での記念号なのです。

それより少し前の資料では近衛文麿首相の退陣と東条英機首相への大命降下について書かれており、そこでは近衛内閣は閣内不一致で総辞職になったが、国策そのものに関する不一致ではなく、国策遂行手段に関する不一致で総辞職になったと説明されていました。現代を生きる我々は知っています。近衛は大幅に譲歩することでアメリカとの戦争を避けたかった、一方で東条は昭和16年7月2日の御前会議で行われた国策決定をひっくり返すことを拒絶し、アメリカとの戦争も辞さないという彼の態度が内閣不一致に至ったことを。

東条英機は首相就任後に木戸内大臣を通じて昭和天皇から「戦争より外交を優先するように」との内意を受けていましたが、それでもやっぱり戦争することに決定し、その日の夜は自宅で号泣したと言われています。号泣したいのはこちらの方です。政治家たちが何とか戦争を避けたいと思っていたのに対し、陸軍は蒋介石との戦争を止めるくらいならアメリカとも戦争するという主戦派で、アメリカと戦争するとなれば実際に動くのは海軍なわけですが、連合艦隊は準備万端整えており、更に予算がつくのなら半年一年はやってみせると言うものですから、政治家たちも迷い出し、おそらくは戦争になったら儲かる考える財界人も居て、なんのこっちゃらわからんうちに「アメリカと戦争する以外に道はない」という結論に至ってしまいます。船頭多くして船山に上るとはこのことを言うのかも知れません。

私の推測も交えて言えば、当時日本帝国は既に火の車です。蒋介石と戦争するための戦費、満州国の維持費、汪兆銘政権の維持費、更に海軍力の増強に航空戦力の強化と金がザルに水を灌ぐようになくなっていったはずです。それでも世界で一番資本力のある国と戦争しようと言うのですから、正気の沙汰とは残念ながら思えません。

当該の号では「アメリカが癌なのだ」と主張し、癌は切開して切り取らなくてはならないとしていますし、日本軍の強力さも主張しています。短期戦でなら勝てるという見込みは確かに正しかったし、実際に短期的には大勝利なわけですが、後はじりじりと押されてやがて圧倒され、滅亡に至ります。そしてその禍根は種々の面で今に至るまで続いています。あー、やってらんねえと資料を自分で読みながらも、読む気がしなくなってきます。まあ、もう少し、頑張って読み続けたいと思います。

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昭和史74‐ABCD「S」包囲網

太平洋戦争が始まる直前のころ、日本に対して行われた経済封鎖を一般にABCD包囲網と言います。Aがアメリカ、Bがイギリス(ブリテン)、Cが蒋介石(チャイナ)、Dがオランダ(ダッチ)というわけですが、私の手元にある昭和16年10月15日付の資料では、「ABCDS包囲網」と表現されています。新たにSが加わっているわけですが、このSはスターリンのことを意味しています。

当該記事では、

ABCDS同盟とは、英国、米国、蒋介石政権、蘭印(オランダ領インドネシア)、ソビエトなどが互に政治、軍事、経済あらゆる面に於て深いつながりを保ち、日本の南方発展をおさへつけて、戦争を長びかせることによって、ABCDS同盟の勝利に導かうとする策動

と説明されており、状況認識としては完全に正しいと言えます。戦争が長引けば物量に於いて劣る枢軸国に不利になることは明らかで、この段階では既に枢軸国側の限界が様々な点で露呈されて始めていた時期であったとも言えますから、「戦争を長びかせる」ことによって勝利を得ようとする策動という見方は的確であるとすら言えます。昭和16年10月の段階であれば、アドルフヒトラーの予定では既にモスクワは陥落していたはずであり、そろそろ冬将軍の不安が湧き始めていたはずです。日本についてはこれまでも辿ってきましたが既に物資不足に喘いでおり、生活用品の鉄の供出までさせなければならない状態で、限界が見え始めていたと言えます。

当該記事ではABCDSなる包囲網への警戒せよと呼びかけているわけですが、このようにインテリジェンスの現場が的確な現状把握をしているにもかかわらず、中央の意思決定機関ではごねごねごちゃごちゃと優柔不断を続けており、ドイツがソビエト連邦に侵攻した段階で、国際信義を裏切ったドイツを切るか、利益優先でソ連と戦争するかの二択になってしかるべきで、譲歩してでも蒋介石と手打ちに持ち込むのが理想なわけですが、そういったことは一切できずに、あろうことかアメリカと戦争しようかという話になっていくわけですから、どうしてこのように大局を見誤ってしまったのかといつもながらがっくししてしまいます。日本は蒋介石打倒、大東亜共栄圏建設、更に南進という複数の国家目標によって自縄自縛に陥って矛盾が生じたらどうしていいかわからない、見通しと違うことが起きても変化に対応できないという意思決定機関は思考停止に陥っており、ドイツがなんとかしてくれるだろうという幻想にしがみつき、軍がとことんやり抜くと言い張るのでそこに対しては身内意識で譲歩して、惨めな滅亡へと向かっていきます。

私の読んでいる資料も残り少なくなってきましたから、昭和史シリーズも近く一旦終了する予定ですが、読めば読むほど暗澹たる心境になっていきます。早く読み終えたい…

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昭和史73‐南部フランス領インドシナ進駐とアメリカの経済制裁

昭和16年7月下旬、日本軍は既に北部フランス領インドシナに進駐していましたが、更に南部フランス領インドシナへの進駐も開始します。当時、フランス本国はヴィシー政府という親ドイツ政権が一応、正統政府ということになっていて驚くなかれイギリスと戦闘状態に入っていました(そのカウンターパートとしてドゴールの亡命政府である自由フランス政府があり、戦後、ドゴールの政権が「戦勝国」としての立場を得ることになります)から、日本とヴィシー政権は友好国の関係になっており、進駐そのものは平和的に行われました。もちろん、フランス領インドシナのフランス人社会にとっては、日本軍の進駐はおもしろくなかったはずですが、力関係的にしぶしぶ受け入れざるを得なかったという感じだったのではないかと思います。この進駐エリア拡大は、同年7月2日の御前会議で決められた国策に素直に従って行われたものであり、官僚的に粛々と既定路線を歩んだようにも見え、無限の拡大は必ず滅亡をきたすと思えば官僚に指示する立場の政治家の資質に疑問をもたざるを得ないとも思えます。

当時の日本帝国としては援蒋ルートを全て遮断することに情熱を注いでおり、それを実際に実行するには重慶政府を完全包囲するという遠大な構想を持っていたようです。単に陸路を塞いでも空路で援助が届きますから、この包囲網を完成させるには、インドも含む飛行機でも届かない程度の広大なエリアを手中に収める他なく、これは太平洋戦争が終わるまで実現することはありませんでしたし、戦争の末期になって無理に無理を重ねて強行したインパール作戦が如何に無残な結果になったかは後世を生きる私たちのよく知るところです。

さて、アメリカは日本の南部フランス領インドシナ進駐に対して敏感に反応し、日本に対する経済制裁、在米日本資産の凍結、石油の禁輸を打ち出します。私の手元の資料にある9月1日付の号では、「米国恐る々に足らず、我に不動の覚悟あり」という勇ましい記事が掲載されており、「わが国では数年前からかうなることを予想して、あらゆる対策を講じて」いるから驚く必要はないし、アメリカには強力な日本軍と戦う覚悟はないから不安はないというような主旨のことが述べられています。当時、既にオランダ領インドネシアとの協商が模索され、交渉に失敗した後なのですが、当該記事の著者が誰かは不明なものの、その念頭には武力によるオランダ領インドネシアへの侵攻によりパレンバン油田の石油を手に入れるという構想があったのではないかと思います。

アメリカが日本と戦争する覚悟がなかったという一点に於いて、情勢分析は正しかったかも知れません。真珠湾で鮮やかに勝ちすぎてアメリカ人は日本に対する復讐を誓い、覚悟を決めることになったわけですから、真珠湾攻撃さえなければアメリカも大戦争みたいな面倒なことは避けて、どこかで適当な折り合いをつけようとしたかも知れません。当該の資料では「ドイツを見よ」というような言葉も書かれており、日本帝国が如何にドイツ信仰を強くしていたかも見て取れるのですが、アドルフヒトラーがいるから大丈夫という実は薄弱な根拠が、日本帝国を強気にさせたのだと思うと、やりきれなくなってきます。松岡洋右がドイツ、イタリアの了解を得て日ソ中立条約を結び、ドイツもソビエト連邦と不可侵条約を先に結んでいたにもかかわらず、ドイツはバルバロッサ作戦でソビエト連邦への侵攻を始めたわけですから、遅くともこの段階で、アドルフヒトラーはおかしい、信用できない、ヒトラー頼みで国策決定をすることは危ないと気づいていなければいけません。

真珠湾攻撃まであと少し、ため息をつきつつ、引き続き資料を読み進めるつもりです。

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昭和16年7月2日、近衛内閣が御前会議で「情勢ノ推移二伴フ帝国国策要綱」を採決します。閣議決定ではなく、御前会議ですから当時の感覚としては変更不能な絶対神聖な決定だと考えられたに違いありません。

私の手元にある資料では「御前会議にて重要国策を決定 内容は公表せず不言実行」と書かれてあります。当時の一般の人はどんな国策が決められたのかはさっぱり分からなかったというわけです。もちろん、現代人の我々はその内容を知る事が出来ます。1、大東亜共栄圏の確立を目指す 2、南進するが状況次第で北進もする 3、そのためには万難を排して努力する、というのが当該の御前会議で決められた国策だったわけです。

「大東亜共栄圏」については、当時はブロック経済圏を持たなくては生き延びることができないと信じ込んでいる人が多かったですから、まあ、理解できないわけではありません。大東亜共栄圏という美名を使って日本円経済ブロックを作ると言うのは、当時、覇権国のプレイヤーを自認していた日本帝国としては悲願だったということは、分かります。しかし、2番目の南進と北進両方やるというのは、玉虫色、ご都合主義、政府内の南進論者と北進論者の両方を満足させるための無難に見えて実は滅亡必至の国策だったと言わざるを得ません。日本帝国はもともとは南進を志向し、広田弘毅内閣以降、それは国策として進められ、日本帝国が南へ拡大しようとしていることは周知の事実であったとも言えますが、一方でソビエト連邦と共産主義に対して警戒感を持つグループでは北に備えるべしとの声が根強く、松岡洋右がソビエト連邦と中立条約を結んだことは平和的且つ低コストで北の脅威を払拭できた「はず」だったにもかかわらず、ドイツが不可侵条約を破ってソビエト連邦に侵攻したことで、「あわよくば」的な発想が持ち上がり、ドイツ側からは日本のソ連侵攻について矢の催促が来ていたことで、まあ、迷いが生じてしまったと言えるのではないかとも思えます。そもそも西で蒋介石と戦争を継続中で既に軍費が嵩んで日本帝国は青色吐息になり始めていたわけですが、更に東のアメリカと睨み合う中、南にも攻めていく、北にも攻めていくというのは、無理難題というものです。日本帝国は誰にも強要されたわけではなく自分たちで無理難題に挑戦することを選択してしまったと結論せざるを得ません。

仮に、ドイツと一緒に戦争に勝って日独新世界秩序みたいなものを作り上げることを優先するとするならば、断然、北進が正しく、ソビエト連邦は二正面戦争になりますから、日独勝利でもしかたら英米も弱気になって妥協するということはあり得なくもなかったかも知れません。この国策を受けて関東軍は満州で関東軍特別演習を行い、北進の機会を伺いますが、世界に「私たちは野心があります」とわざわざ宣言するような行為をしておきながら、日ソ中立条約もありますし、ノモンハンのトラウマもあって一線を越えることはありませんでした。資本力でドイツが劣っていることは一般知識だったとすら言えますから、長期戦でソビエト連邦に絶対に勝てるかと問われれば、普通なら絶対に勝てるとは思えないはずですが、ヒトラー信仰の空気が支配的になっており、日本が加担しなくてもドイツが努力でソビエト連邦を滅ぼしてくれるだろうというあまりに甘い観測で、状況を見誤ってしまったとも思えます。

一方で、南進は以前から国策だったこともあり、南部フランス領インドシナへの進駐をアメリカからの警告を受けていたにもかかわらず遂行し、結果としては経済封鎖を受けて、やむを得ず真珠湾攻撃へと至ります。すなわち、北進優先だったら戦争には勝てたかも知れないのに、南進の方を積極的に進めて日本帝国は滅亡への道をまっしぐらに大急ぎで駆け抜けてしまったと言ってもいいのではないかと思います。しかも「3」で万難を排してそれを遂行すると昭和天皇の隣席で決めてしまったので、アメリカと戦争してでも南進を推し進めることになってしまったわけです。日本帝国終了のお知らせorzです。資料を読めば読むほどがっくしですが、まだしばらくは続けます。

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日中戦争が泥沼化していく中、植民地では志願兵制が導入されていきます。私の手元の資料では植民地の人の健康管理、体力増進をやたら強調していますので、将来的には徴兵制に対応できるように整えようとしていた意図があったようにも思えます。

朝鮮半島での志願兵制は少し早かったようですが、昭和17年には台湾でも志願兵制が施行されることになり、それに先駆けて皇民報公会なるものも組織されることになったと、手元にある資料の昭和16年7月1日付の号で述べています。

で、この皇民報公会が何をするのかというと、台湾全島民を組織化し、皇民化を徹底し、お国へのご奉公をいつでもやれる組織にするということらしく、これまで「総力戦」という言葉は何度も当該資料で出てきましたが、ここにきてそれを実際にやろうというわけです。とはいえ、既に経済警察が置かれて経済の仕組みは統制経済、近衛文麿が大政翼賛会を作って政治的にも政党政治が死に絶え、蒋介石との戦争に莫大な戦費を使っていますから、とっくの昔に総力戦は始まっているとも言えますし、もうちょっとつっこんだことを言うとすれば、全島民ということですから女性、子供、老人も組織化するとしても、一体、それが戦争にどういう役に立つのか私にはちょっとよく理解できませんし、そういうことをやろうとするというのは日本帝国に焦りがあったことの証明のようにも思えます。

台湾は南進論の拠点と位置づけられており、当時既に東南アジア進出(侵略?)は既定路線になっていたわけが、当時、それらの地域はほぼ全域が欧米の植民地だったので、欧米諸国と戦争するつもりが充分にあったということも分かります。当該の号では、アメリカ、イギリスの民主主義・自由主義の体制に対抗して民族生存の戦いが行われるという趣旨のことが書かれてありますから、やなりわりと早い段階でアメリカとの戦争は想定されていたと言えると思いますが、一方でよく知られているように、中央ではぎりぎりまで本当にアメリカと戦争するべきかどうかで悩みぬき、憔悴していたとすら言える印象がありますし、ぎりぎりのところで近衛文麿が思いとどまろうとして東条英機の反発に遭い、首相の座を投げ出すあたり、政治家は迷っていたけれど、官僚は準備万端整えつつあったと見てもいいのかも知れません。もちろん、官僚は目の前の仕事に力を尽くしたのだと思いますが、大局的な判断するべき閣僚たちが右往左往の状態に陥っていたと見るべきなのかも知れません。

ここは想像になりますが、中央の意思決定関係者たち(政局関係者たち)、軍、官僚、植民地官僚、外交官がそれぞれにある人はアメリカとの戦争は困ると言い、ある人は蒋介石打倒のためなら世界を相手に戦争すると言い、ある人は戦争以外の手段で東南アジアを自分たちのブロックを確立しようとし、全体としては大東亜共栄圏という国策がある以上、周囲との軋轢、摩擦、対立は避けられないとも思えるものの、その国策はやめてしまおうという勇気のある人はいなかった。それが結果としては滅亡への悲劇につながったのではないかという気がします。


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