宮澤賢治‐図書館幻想

宮澤賢治の『図書館幻想』は、500文字あまりの掌編ながら、宮沢賢治の世界観をよく表していると言えます。彼の作品は、たとえば『注文の多い料理店』のように、時にややグロテスクです。また『銀河鉄道の夜』は友愛や家族愛を描こうとしていますが、むしろその限界に注目しており、冷静になって読み返せば残酷な物語であるとすら言えます。そういった要素が『図書館幻想』には盛り込まれています。大した筋はありません。500文字ですから。教訓があるのかとか、主張があるのかとか言えば、何もなさそうにすら思えます。ただ、そこには宮沢賢治という稀代の書き手の心の中の世界が存在します。それはただ、存在しているだけであり、意味があるのかないのかすらよく分かりません。しかし、このような世界の存在が好きな人にとっては、たまらなく素晴らしい世界ではないかと思います。私個人としても嫌いではありません。不思議で興味深い世界です。宮澤賢治の作品の特徴として、ところどころに自然科学の知識が入れ込まれているということがありますが、この短い作品でもそれは貫かれています。宮澤賢治らしいと言えるでしょう。人の愛を描く前に、どうしても物理を書きたくなるのが彼の本当の姿だったのではないか、私は今回、この作品を朗読してみて、そのように思いました。一つの作品を朗読するためには、何度か練習をします。練習を重ねる過程は、作者との対話のようなものです。なぜここに句読点があるのだろうか、どうしてこの単語を選んだのだろうかというようなことを考えながら朗読の練習をします。そうすると、作者の息遣いのようなものが感じられ、書き手の心の中に少し触れることができるように思えます。小説やエッセイを読む際、作者の心に触れることほど贅沢な読書経験はないかも知れません。下に朗読動画を貼っておきますので、ご関心のある方はどうぞ聴いてやってください。最近、体調不良が続き、舌の呂律がやや不安定です。申し訳ありません。




坂口安吾‐復員

坂口安吾の掌編小説『復員』は、終戦間もないころに朝日新聞に掲載された傑作だ。安吾の最も著名な作品である堕落論とも通底する問題意識を、非常に短い、原稿用紙一枚以内の長さで端的に表現している。

物語の内容は簡単だ。ある男が復員してくる。彼は片手と片足を戦争で失っていた。家族や友人たちは、帰ってきたその時こそ、ちやほやしてくれるが、それ以上、あまりかかわろうとはしてくれない。家族にとって彼のような復員兵は働くこともできないただの厄介者でしかない。彼には恋人がいた。恋人に会いたいと思った。家族に話してみると、その女性は既に結婚しているし、そもそも厄介者のお前がガールフレンドのことを気にかけるなんて、ちょっと立場が分かってないんじゃないのか?というような表情をされる。結婚しているという話にもショックを受けるし、家族も全然同情してくれないことにもどかしさを感じる。そのような消化不良な感情もしばらくすれば少しは落ち着いてきたので、彼は会いに行くことにした。彼の内面では、どのみち彼女も長い目では自分とかかわろうとしてくれないであろうことはわかっている。しかし、会いに行ったその日だけはちやほやしてくれるのではないかというある種の下心がうごめいている。短い時間だけでも昔のガールフレンドにちやほやされれば、少しはいい気分になれそうだという刹那的な下心だ。実際に行ってみると、彼女はもっとそっけなかった。冷たくはされなかったが「よく生きて帰ってkたわね」とあまり感情のこもらない感じで言われた。彼女には赤ちゃんがいた。彼が戦場で死んでいようと生きていようと、子どもは生まれてくるという事実を知った彼は、かえっていろいろなものがふっきれて、むしろこれからの人生を生きるエネルギーが湧いてくる。というような物語だ。

帰ってきた時、彼には甘えがあった。お国のために片手片足を失ったのだから、みんな、俺によくしてくれよという甘い期待があった。それは打ち砕かれた。彼にはそれは理不尽なことのように思えた。彼はある種の自暴自棄の心境になり、過去のガールフレンドに会ってその自暴自棄さを深める、ある種の自傷衝動のようなものに突き動かされて、要するに自己嫌悪を確かめるために彼女に会いに行った。しかし彼女は彼が立ち直るために最も必要なものを提供してくれた。それは、あなたが戦場で手足を失うほどの重傷を負ったとしても、この世は回っているのよという冷然たる事実だった。彼はその事実を受け入れることにより、当初抱いていた甘えをかなぐり捨てて、そのぶん、人間的に成長する。そういう物語だ。わずか400文字程度で、人の成長の一側面を描いたのである。敗戦と重傷と失恋の合わせ技だ。安吾は想像を絶する才能の持ち主だ。私はふと、やはり女は男を成長させるという気になった。過去のガールフレンドではあるが、その男に最も必要なものを、適切に見せてくれたのである。女の人はやっぱりすごい。

安吾は後に堕落論を書くが、これはこの掌編小説と同じ問題意識を持っている。日本は負けた。日本帝国の美学とか、武士道とか日本精神とかそういったものは打ち砕かれた。今やそのような過去の美学にすがろうとするものは、甘えである。もし甘えを捨てることで、美学を失い堕落してしまうと、そのことを怖れるのであれば、それは間違っている。とことん堕落してこそ、再出発は可能になると安吾は日本人につきつけた。これは復員兵の彼が昔のガールフレンドに現実をつきつけられ、ふっきれることで成長することと同じ構造を持っていると言える。youtubeに朗読したものをアップロードしたので、よければ聴いていただきたい。もう何十本も朗読ファイルをアップロードしたが、自分の下手さに泣けてくる。

坂口安吾‐復員の朗読




九鬼周造‐伝統と進取

九鬼周造の最も知られている著作は「いき」の構造であろう。彼はそこで日本の伝統社会の中で「いき」と考えられているものの構造を解き明かそうとしたが、それによって時に九鬼は頑迷な伝統主義者であるかのような、或いは自国文化崇拝主義の国粋主義者であるかのような批判を受けることがあった。それに対する九鬼の反論が、伝統と進取と題されたエッセイだ。九鬼は日本の文化文明を理解するために、西洋哲学の手法を用いた。そのため、彼は人生の多くの時間を西洋哲学への学びに割いている。従って、自国文明崇拝の国粋主義的な人物との非難は当たらないと九鬼は明瞭に論じている。その上で、彼は伝統への愛も隠さない。彼はここで詳しくは述べてはいないものの、過去の出来事、文物・歴史に関する知識、知見、より深い理解を得たいと貪欲に学び著述にも取り組んでいたことが短い言葉で述べられている。著作・著述を愛するものにとって、九鬼のそのような人生哲学の告白は気持ちのよい、すがすがしいくらいのまっすぐなもので、政治、文芸、哲学に関する立場がどのようなものであったとしても、九鬼のそのまっすぐな姿勢は共感できるものではないだろうか。

以上のように真面目な九鬼周造の人物像を述べてはみたが、祇園で遊びぬいたと噂されるのも彼のもう一つの一面である。一度離婚した後、次にもらったお嫁さんは祇園の芸妓さんだし、いきの構造も遊郭で何がかっこいいとされているかについて論じたものだ。相当遊ぶのが好きだったに違いない。九鬼周造は東京生まれで京都大学で活躍した人ではあるが、分かりやすく、かつおもしろく論じるために、遊ぶのが大好きな著述の巨人ということで、西の九鬼周造、東の永井荷風ということにしてみたい。

九鬼周造‐伝統と進取【朗読】




北大路魯山人の世界‐美食と芸術の珠玉のエッセイ

北大路魯山人のエッセイはとても分かりやすい。読み手に分かるように書いているという著者の才能はもちろんあると思うが、更に本人のプラクティカルな生き方、現実的、具体的な生き様、物事の理解の仕方などが関係しているのではないかとも思えてくる。北大路魯山人の著作を朗読し、繰り返し聴いていると、彼の人となりの一端にでも触れられるようにも思えるし、そのように思えることこそ魯山人芸術という大きな山を登る読み手の楽しみだ。

北大路魯山人‐美食と芸術に関する珠玉のエッセイ朗読音源









折口信夫‐沖縄舞踊にみる三要素

この文章は1936年に発表された。日中戦争の始まる前年のことであり、国際連盟から脱退した後の時代で、日本人は自分たちの方向性に迷っていた。一方に於いて西洋化、モボ、モガのようなライフスタイルへの憧れがあったが、荒木貞夫が非常時日本という映画でアジテーション演説をしたように、日本精神、大和魂が吹聴された時代でもあった。そして現実は、モボ、モガを排除し、荒木貞夫の狙った通りの大和魂を尊しとする民族国家ができあがっていったのだった。しかし、ここで日本と日本人はふと立ち止まらざるを得なくなる。当時の日本は既に多くの植民地を獲得していた。北の樺太にはツングース系住民がいたし、北海道にはアイヌ、沖縄には琉球の人々、台湾の漢民族と様々な少数民族。朝鮮半島と南太平洋の島々にも日本民族ではない人たちが暮らしていて、事実上の植民地の満州国でもっとも流通しているのは北京語だった。満州国も五族協和をうたっているのだから、なかなかの多民族国家であり、当時の日本は、第一次大戦で消滅する前のオーストリア・ハンガリー帝国のような多民族帝国だった。そこへ、大和魂である。言葉は勇ましいが、実際に浸透させるとなると様々な困難があったことは言うまでもないだろう。大和魂という言葉を聞いて何かをイメージできる人は日本人しかいない。これは民族の物語だ。従って、台湾人とか朝鮮人とかといった人々が同じイメージを喚起されなければならないという筋合いのものではない。だが、イメージさせたいという帝国の願望がある。ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』みたいな話になってしまうのである。当時の日本という国家は、想像の共同体帝国を建設することの方に賭けた。植民地の人たちに、自分は日本人だとの意識を持ってもらおうとする努力が始まっていく。

植民地の人々に、実は私たちは日本人と同祖である、と思ってもらうためには、ストーリーを作り出さなくてはならない。1941年の夏休みに、柳田国男は東京帝国大学の農学部の学生たちに向けての集中講義を行い、日本各地の民俗的風習がいかなるストーリーに支えられているかといったことを論じた。その最後の部分で、今は朝鮮半島や台湾の人たちも、自分たちはかつて日本人であったということを思い出そうとしていると述べた。柳田国男本人が本気にしていたかどうかはかなり疑わしいのだが、そういうことにしなければならなかったのだという苦衷を察することはできる。日本は当時、そのような新しい伝統とそれを支えるストーリーを必要としていた。ドズル・ザビが、「俺は軍人だ。ザビ家の伝統を作る軍人だ」と言っていたのと同じである。ザビ家に伝統はなく、これから作っていかなくてはならなかったのと同様に、日本帝国には帝国を束ねる物語はなく、なんとか大和魂を納得してもらおうと新しい説得材料を作り上げようとしていた姿はある意味では涙ぐましい。言うまでもないが、涙ぐましいからと言って、支持しているわけではない。

折口信夫の『沖縄舞踊にみる三要素』では、沖縄の踊りが果たしてどこから影響を受けているのかということを論じた短い文章だ。この文章からは、上に述べたような、沖縄の人たちへの、実はあなたたちは日本人なのだ。大和魂を持ってくれとする日本側からの説得材料を作り出すための過程のようなものを垣間見ることができる。沖縄はちょっとは日本の影響もあるし、ちょっとは中国の影響もあるし、どこから来た人たちなのかよく分からないから日本人とまとめてしまっていいものかどうか悩ましいところではあるけれど、かと言って、大久保利通が力づくで日本の領域内に編入したのだから、沖縄の人は日本人とするストーリーも作りたい。さて、どうしようか…という中で、歴史的経緯から実際に見られる現象までをざっくりと総覧して、なんとか日本の文化の影響下にあると論じている。もちろん、折口は沖縄舞踊には日本の影響はもちろんあるが、南方諸島の影響も強く受けているとして、一方的な沖縄は日本の一部だ論を唱えるような浅はかなことはしていない。ただ、やや穿ってみるとすれば、中国の影響が見られないとしている点で、日清戦争まで続いた沖縄帰属問題は日本の勝ちという枠組みを守り抜いた形になっているし、南方の島々とはサイパン島のような南洋諸島のことで、第一次世界大戦のあとで日本の領域になった地域を連想させるから、それら地域の広い連帯という物語を生み出す前哨戦のような位置づけにこの文章はあるのかも知れない。もちろん、折口は慎重に言葉を選んでいて、安易に日本・琉球同祖論のようなことは述べていない。

僅かに話はずれるが、日本は数年後に大東亜共栄圏の建設を目指して東南アジアを席捲する。これまでの手法が植民地の人々の日本人化だったのだから、東南アジアの人々にも同じ手法が用いられた可能性は高い。だが、どうやって説得できただろうかと考えると、結構、難しい気がする。ビルマやインドネシアの人たちに日本人と君たちは同祖なんだよと言ったところで、あまり信頼性のある話にはならないだろう。そのような話になる前に日本が戦争に敗けて行ったので、神話制作担当者はある意味ではほっとしかも知れない。




太宰治‐私信

1941年12月2日、太平洋戦争の始まる直前に、太宰の書いた叔母さん宛ての手紙が都新聞に掲載された。ここで太宰は自分が必ず文芸で成功すると信じているので、無用な心配はしないでほしいと「叔母さん」に頼んでいる。表面的には、これは太宰の将来への展望を述べた宣言、21世紀風に言えばセルフアファメーションみたいなもの読めるかも知れないが、実際にはやや異なるのではないかと私は朗読しながら気づいた。太宰はこの文章で戦勝祈願をしているのである。

この文章が発表された時期は、日米戦争はいつ勃発してもおかしくない段階に入っていた。日米もし戦わばというたぐいの言論はいくらでもあったが、それよりも踏み込んで、日米はいつ戦争になるのかというようなことも囁かれていた時期でもある。日本の南部仏印進駐以降の英米からの経済封鎖は日本人の心理に大きな不安を抱かせていた。経済封鎖は戦争状態とほぼ同義だ。日米関係は既に相当に切迫していたと言い切って間違いない。当時を生きた人々にとって、対米開戦は決して寝耳に水ではなかった。大川周明は満鉄調査部の出版していた雑誌、『新亜細亜』で、ABCD経済封鎖を恐れる必要はないと明言している。ABCDの、米英蘭中のうち、有効な経済封鎖ができるのはアメリカだけだ。イギリスはドイツとの戦争に忙しく、日本に手を出す余裕はない。オランダは本国がドイツに飲み込まれており、オランダ領インドネシアが日本を脅かすことなど考えられない。中国もそうだ。日本にとって恐るべき敵はアメリカだけだが、アメリカとさえことを構えなければどうということはないと大川周明は楽観的かつかなり正鵠を射た議論をしている。日本はそのアメリカと全面戦争に突入したのだから、大川周明のような戦後にA級戦犯として起訴されるような人物でさえ、忌避すべきと考えた選択をしたのである。このころの歴史のことは、知れば知るほど暗澹たる心境にさせられる。

太宰の手紙に戻る。当時の日本人は、アメリカと戦争をして本当に勝てるのだろうか…。という不安の中を生きていたに違いないが、そこで人気作家の太宰が、私は成功を信じて文芸をやると宣言する文章を発表したのは、実のところは日本人は勝てると信じて戦争すれば勝てるという裏の意味を潜ませている。私ですら気づいたのだから、当時の読者の多くはそのことに気づいただろう。マッカーサーが戦後に読んでも気づかないかも知れないが、私たちには分かる。太宰は、イエスキリストが明日のことを思い悩むなと弟子たちに話したことを引用し、日本帝国も思い悩まず、目の前のことに信じて取り組めと発破をかけた。この文章の真意は戦意高揚だ。東条英機が読んだかどうかは知らないし、既に日本の空母艦隊は択捉島の単冠湾を出港してハワイへ向かっていたわけだから、太宰のこの文章が何らかの影響力を発揮した痕跡を認めることは難しいだろう。だが、当時の日本人の気分をよく代弁した文章だ。さすがは太宰だ。




関連朗読動画 太宰治‐海

原民喜‐砂漠の花

1945年8月6日、広島にいた原民喜はその時に遭遇したあまりに深刻な様相を『夏の花』という作品に書き記し、作品は三田文学に掲載された。原子爆弾が使用されたことに関する多くの著作があるが、私は原民喜の記述したものが最もその深刻さを伝える文章になっていると思う。そして悲しいことに、どんなに言葉を尽くしても、広島の経験は絶対に、経験者にしか分からないものでしかないはずで、私は原民喜がなんとか読者に伝えようとして言葉を紡いでいる様子に出会い、立ち尽くしてしまうのだ。しかし、やはり読まなくてはいけない。読まずに日本人を生きることは難しいのではないかと思う。

原民喜はその後も被爆経験を書き続けた。書かずにはいられないし、書かねばならないという使命感もあったに違いない。非常につらいことだが、彼は次第に心身が蝕まれ、最期は自ら命を絶つことになる。健康状態が良くなかったことは、原子爆弾の後遺症であったとも言われるが証明されたわけでもないのという、少し難しい問題をはらむ。個人的には、原民喜はその場にいて、燃える広島の中を歩き、肉親や仲間たちと生き延びるために手を尽くしたのだ。当然、体調不良には放射線の影響を考慮しなければならないと思う。放射線はここまで浴びるまでは大丈夫とか、そういうものではなくて、浴びれば浴びただけ影響すると私は理解している。終戦直後、三田文学などで書くことに取り組む民喜の理解者の中には遠藤周作もいた。

『砂漠の花』では、直接的な広島の被害は述べられていない。どちらかと言えば、生きている間にどこまで書けるのか、何を如何に書くことができるのか、という書き手としての限界への挑戦を見据えたような内容になっている。しかし、原民喜には残された時間は少なかったから、現代人にはちょっと考えられないくらいに深刻な問題だったのではなかろうか。三田文学の重鎮である奥野信太郎から「生きるんだよ」と電話されたエピソードが書かれているが、それは奥野が民喜の死を予見できていたからに相違なく、それは奥野だけでなく、周囲の誰もが民喜から死を連想せざるを得なかったに相違あるまい。彼は深く死を抱え込んでいたし、そのことについて周囲は同情するしかなかったのではなかろうか。哀悼の意も込めて、今回は民喜の『砂漠の花』を取り上げた。砂漠には花は咲かない。咲いたとしても乾燥しているために儚く枯れていく運命にある。民喜は放射線を浴びた自分のことが砂漠に咲く花と同じ運命を背負っているように思えたのだろう。そして、それでも生きているということ、砂漠に咲いた花も生きようとするように、民喜もまた、限界まで生きようとしている。そして命の表現は、彼の場合は書くことであった。そのような激しく深い思いが短くまとめられたのが、『砂漠の花』というエッセイだ。




有島武郎‐聖書の権威

有島武郎は人生の初期に於いてキリスト教にひかれ洗礼を受けるのですが、後に社会主義へも傾倒していきます。キリスト教と社会主義は形而上学的な立場は全く違うもので簡単に相容れるものではないのですが、問題意識には共通する部分があり、一人の人間があるときはキリスト教に傾倒し、あるときは社会主義に傾倒するということは充分にあり得ることかも知れません。聖書に登場するイエス・キリストが徹底的に見せる弱いものへの博愛は、社会的弱者の救済を目指す社会主義の問題意識と似ていると思うのです。私個人はキリスト教の洗礼を受けていますが、社会主義をあまり信用してはいません。過去の近現代史で社会主義がいかなるものであったかを見つめてみた時、社会主義の国家では弱者が存在しなくなったのではなく、弱者が見えなくなっただけなのだと私は思うからです。私はやや過激なくらいの自由主義者なのですが、それは困っている人や苦しんでいる人が自力救済できる余地をなるべく大きくするべきだと思っているからです。人それぞれ救済の形は違います。国家や行政が救済の形を決めるのではなく、個々人が自分で救済の形を決めることができるほうが、人類はより幸せになれると私は思うのです。

それはそうと、明治・大正・昭和の近代日本にやってきた西洋の社会主義とキリスト教は、以上述べたような弱者救済の倫理の観点から抗いようのない魅力を知識人に見せつけ、有島武郎のように純粋な心を持つ人は、惹かれつつ迷いました。彼は最期は自ら命を絶ってしまいますが、そこまで自分を追い込んでしまうのも、あまりに純粋に倫理と正義を追求し、誠実すぎたために些細な矛盾を見逃すことができず、解決方法はそれしかないという心境になったのではないかと、つい、想像してしまいます。

有島武郎は『聖書の権威』という短いエッセイで、芸術と聖書が対立関係にあり、時に芸術に惹かれて人間的欲望に関心が向き、時に聖書に惹かれて正義と倫理に関することに関心が向いたと認めています。興味深いのは聖書こそ芸術を超える、いわば芸術のかなたにある究極の芸術であるということを示唆して全文を終えていることです。有島武郎はそこまで言い切ってしまえるほどに聖書を読み込んだに違いありません。





芥川龍之介‐谷崎潤一郎氏

芥川龍之介谷崎潤一郎と一緒に神田へ出かけた思い出を書いた短いエッセイが『谷崎潤一郎氏』だ。谷崎が赤いネクタイをして歩いているのが一目を引き、芥川はそのおしゃれっぷりに圧倒されてしまう。国語の教科書などに出てくる谷崎の写真は大抵、和服姿に難しそうな表情をしているものなので、あまりおしゃれそうなイメージは受けないが、実際には相当なしゃれものだったらしい。中国で撮影した谷崎の写真は洋装でなかなかの美男子であり、映画『自由恋愛』でも、女優をとっかえひっかえ連れ歩く洋装のおしゃれ美男子という感じで登場してくる。谷崎は春琴抄とか細雪とかを書いてしまうくらいの達人なのだから、おしゃれでないはずがないし、もてるに決まっている。

芥川と谷崎はちょっと炭酸水でも飲んで休憩しようとカフェ―に入るのだが、女給さんがしげしげと谷崎のオシャレネクタイに関心を示してネクタイを褒める。要するに谷崎の方が芥川より女給さんにもてている瞬間である。で、感極まった芥川は女給さんに50銭のチップを渡すという内容だ。大正時代、円タクとか円本というのがはやったので、当時の1円は現代の価値にして1000円かそれより少し高いくらいになると思う。とすれば50銭というのは500円くらい。最近のアメリカフランスのような先進国でのチップにしてはやや安いが、チップの習慣のない日本では好意の表現としてはちょうどいいくらいかも知れない。

芥川は、谷崎のような東京人は不要なチップを渡す場面を冷笑的にさげすむと述べているが、芥川も東京人である。ただ、芥川は自分が谷崎に対して恐れ入ってしまったあたりのことを表現するために、敢えて谷崎=東京人=冷笑的という構図で述べているのかも知れない。谷崎は、そんなの渡すほどのことはしてもらってないじゃないかというような趣旨の発言をするのだが、芥川は人生で一番価値のあるチップだったというような満足感を述べている。芥川が若くて女の子に対して降伏してしまう程度に素朴なのに対し、都会人で秀才で金持ちでほしいものは何でも手に入れている谷崎は、女給さんにほめてもらったうえで、チップはあげないというあたりの対称性がおもしろと見ることができるだろう。






芥川龍之介‐小説の読者

芥川龍之介がどんな小説を愛するのかについて述べた短いエッセイです。

小説やエッセイを書くには才能と努力の両方が必要だと思いますが、文章を読みこなすのも同じで、才能と努力を必要とします。真に文章を読みこなすことのできる人のことを読巧者と言いますが、芥川の『小説の読者』は、まさしく読巧者とは何かを書いているように思います。青空文庫に収録されているものを朗読しました。

昭和初期に書かれたもので、芥川の最晩年にさしかかろうという時期ですが、それだけに筆致が磨かれて来ているとも言えそうな、鋭いエッセイです。自分の文章を読む人にどこまで真意を伝えることができるかという問題意識を持ちながら書かれたエッセイだとは思いますが、同時に諦めの心境も感じ取ることができます。